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八十二話


 しばらく眠っていたらしい。

 普段から、エイサはあまり疲れを表に出さない男だ。

 そんな彼が完全に寝入った姿を誰かにさらすのはとても珍しい。

 目が覚めるとエイサは自身の視界が横向きになっている事に気が付く。小さく頭を撫でる感触。とは言ってもその感触は兜越しで、あくまで触れられている事しか分からない。

 だが、頬に感じるぬくもりは彼女が膝枕をし続けていたことの証左だ。

 目を覚ましながらも、暫く彼女のなすが儘にする。

 撫でるたびに触れる兜が、先程潮水に濡れていたことを思い出して、エイサは小さくため息をついた。

 アドラの船に戻った時、走り抜ける事で鎧兜の大部分は乾いているだろうが、だからこそ余計に気持ち悪いだろう。


「……手が荒れるぜ? リアヴェル」

「ふふ、起きていたんだエイサ」

「いや、今起きた」


 そう言って体を起こそうとするエイサをリアヴェルの手が優しく押しとどめる。

 手が荒れると忠告してもそれに構わずエイサを撫でる彼女にため息をついた。

 立ち上がるのをやめて、そのまま彼女の好きなようにさせる。

 するとリアヴェルはエイサの態度に満足したように、大きな息を漏らした。

 しばし、彼女の膝の上で撫でられるがままになる。

 撫でられるたびにペタリペタリと潮水が乾いてべたつく音が聞こえる。

 手触りも良くないだろうに何が嬉しくて撫で続けているのかエイサには理解できなかったが、体の疲れはそれほど取れていない。感覚からして眠ってから三十分程度といったところだろう。落ちた訳ではなかったが周囲に危機がなく、そして休めるタイミングを体が逃さなかったらしい。

 手を動かせばパキパキと骨の鳴る音が金属のこすれる音と一緒に響いた。


「……ごめんねエイサ」

「何がだよ」

「この鎧兜の事かな」


 不意にリアヴェルがエイサに謝った。

 そして撫でている手を彼の鎧兜に添える。

 そんなリアヴェルに対してエイサは何も答えなかった。


「この鎧兜、僕のためにつけてくれているんでしょう?」

「……勘違いだリアヴェル。これは俺のために。俺のためだけにつけている。お前のためのつもりは一切ない」

「嘘だねエイサ。君は昔から余りに自分でしょい込みすぎる。それはうれしい事では有るけれど、同時に私の事を不安にさせる。……ねえ、エイサ?」

「……なんだ?」

「私はそんなにも頼りない?」


 リアヴェルがエイサに向けてそう尋ねた。その言葉にエイサは何も答えない。ただ、触れられるままに彼女の好きにさせている。そんなエイサの態度が彼女にはたまらなく辛い。辛く、悲しい。


「君の兜はあらゆる魔法の恩恵を防ぐ魔法の兜。スロブ爺が作り上げた最高傑作のひとつ。だけれど、その重さは並の剣士に扱えるものじゃない。事実今私が膝枕をしているこの状況でさえ、魔法で肉体を強化しなければ作れない程に」


 淡々とそう言リアヴェルの言葉をエイサは遮らなかった。

 それを否定する意味はないからだ。

 エイサの兜は非常に重い。

 それこそ、並の剣士が付ければその重みで首の骨を持っていかれてしまう程には。そんな装備を普段使いしている理由をリアヴェルは薄々感じていた。正確に言えばリスティアと再会したことで、その理由をようやく理解できたと言うべきか。

 エイサをというよりも勇者を恐れるリスティアの姿。そして神託、どんな状況であっても兜を外す事を極限まで拒む彼の姿。彼が鎧兜を外さない理由。それはリアヴェルが望んだ時以外に鎧兜を外さぬその姿にこそその答えがあった。


「その兜、神託まで弾くの?」

「……流石はスロブ爺さんの作った兜だとは思わないか? あの爺さん。己の腕前だけでついに神様の魔法まで防ぐ物を作り上げて見せたんだぜ?」

「ふふ、それは確かにね」


 エイサは話の矛先を逸らした。

 それをリアヴェルは自覚しながらあえてエイサの言葉に乗って逸らされる事にした。

 何より欲しい言葉はエイサより得る事が出来たからだ。

 兜によって神託を弾いていると言う事実。そして弾いている神託の内容はおそらくは魔王の抹殺だろう。その神託をエイサが聞き入れないのは当然だ。勇者を殺すために魔王には生きていてもらう必要がある。

 だからエイサは兜を外さない。

 兜を外して神託を受けてしまえば、リアヴェルを殺しかねないと理解しているから。

 その事実がリアヴェルにはとても喜ばしい。

 例えそれが彼女のためではなく、勇者に対する復讐のためであっても、少なからずエイサはリアヴェルのためにその身に無茶をし続けている。自身のために苦労をしていると言う事実が、彼女にとってはとても悲しく同時にとても嬉しいのだ。


「大丈夫だリアヴェル」


 エイサが彼女の手のひらを押しのけて体を起こした。

 そして彼女を安心させるようにエイサは言った。

 その言葉にリアヴェルが微笑むとしかしそれ裏切るように言葉を紡ぐ。


「だから、俺に構うなリアヴェル」

「エイサ?」


 問い返す彼女の手のひらを優しくどかす。

 そして、ゆっくりと立ち上がった。その目には隠し切れぬ憎悪の光を宿して。


「俺は勇者を殺すためにお前を利用する。お前は魔王として魔族たちの住まう世界のために俺を利用する。それでいい。それだけでいいじゃないか」


 そう言ってエイサは立ち上がる。

 ストレートな拒絶の言葉にリアヴェルは小さく息をのんだ。ちらりと向けられる視線は憎悪に濡れている。まるで、そうしなければ自分を保てないかのように。そうある事を自分に課しているかのようなエイサの有様にリアヴェルは声をかけることさえ出来ない。

 自身の無様な姿にエイサは辟易していた。

 多寡がこの程度の事で自分がこれ程揺らぐなどとは思ってもいなかった。

 それとも、存外にシスターリスティアが生きていたことは、エイサ自身には大きな衝撃を与えていたのか。復讐に狂い、復讐にのみ生きている。その手段が目的とすり替わったと言いはしたが、復讐こそが目的と成り果てていると言いはしたけれど、やはりそれで割り切れる程彼は大人ではなかった。


「エイサ」

「声をかけないでくれリアヴェル」


 無論今まで復讐に生きた人生に後悔はない。自らの成したいように生きてきている事に嘘はない。嘘はないけれども、ほんの少しだけ。そう、ほんの少しだけ自らの意義を見失いそうになる。戦いに逃避して抑え込んだ感傷が、リアヴェルに膝枕されたことで噴き出したか。

 無理もない。

 悲しいかなエイサを撫でる彼女の慈愛に満ちたその顔は、かつてエイサが故郷の村でシスターが膝枕をしてくれた時の顔によく似ている。まさしくもって親子だとエイサが郷愁を抱く程度に。その郷愁を思い出してしまう程に。


「エイサ」

「……」


 リアヴェルの再度の呼びかけにエイサは答えなかった。

 しかし出ていく事無く、リアヴェルの方へ向き直る。

 その瞳は憎悪に濡れて。されど、その本心は千々にブレている。

 鬼気を身に纏うエイサにリアヴェルは当然のように近づいた。それをエイサはぼうっと見つめるのみ。抵抗する気力さえなく、彼女に触れられるがままだ。

 かちゃりと金属が掠め合う音がした。

 リアヴェルがエイサの兜に手をかけた音だ。

 普段なら拒むようなことをしてもエイサは何も言わなかった。

 いや、神託のリスクを知ってなおそれをリアヴェルが望んだのであればと、エイサが受け入れたのだ。

 兜が外される。

 潮水でべちゃべたになった重たい兜を胸に抱き、エイサの顔をリアヴェルはじっくりと眺めた。

 思えばこんな風にエイサの顔をゆっくり見るのは久々だ。

 赤みがかった髪の毛。鎧を常に身に着けているが為の色白の肌。いくつもの戦場を越えた証に小さな傷跡がそこかしこに残るまだあどけない顔。兜を付け始めたころから余り変わらないエイサの表情に、リアヴェルは小さく微笑みながら彼の頬に触れた。

 仄かに暖かい頬の感触に自分の頬が緩むのを感じる。

 ガチャンと兜が床に転がった。

 リアヴェルが両手でエイサの頬を挟んだからだ。

 エイサとリアヴェルの視線が絡まる。

 二人の間に身長差はそれほどない。

 リアヴェルが女性にしては背が高く、エイサの体格は大英雄と呼べるほどに極まった武芸とは裏腹にそれ程大きくないからだ。

 昔は自分の方が背が高いくらいだったのに、などと思いながらリアヴェルはエイサの耳元に顔を寄せた。

そして囁くように彼に告げる。


「……慰めてあげるエイサ」

「慰める? 憐みなどいらんさ」

「憐みじゃないよ、これは僕の慕情さ。君の弱みに付け込んだ卑しい女としての策略。だから、君は僕を恨んでくれていい。僕を戦う理由にしてくれてもいい」

「……悪い女だなお前」

「ああ、勿論。僕は魔王様だからね」


 そう言ってリアヴェルはくすくすと笑った。

 その笑みはとても艶やかでどこまでも怪しい色気に濡れていた。

 柔らかな唇がエイサにそっと近づいた。


 

 

 

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