八十一話
大蛇の牙を受け止めたエイサは質量の差もあって吹き飛ばされた。
受けた剣に牙より滴る猛毒が付着する。
剣に魔力を通す事で稲妻を発生させて猛毒を焼き払う。
毒が焼け落ちた嫌な臭いがエイサの鼻をついた。
「エイサ」
不意に海域にリアヴェルの声が響く。
その声を聴きながら迫りくる大蛇の一噛みを、顔を駆け上がるようにして回避する。そのまま、剣を大蛇の頭と胴体の狭間に突き立てて、そのまま真横に振り抜くが、やはりダメージは殆どない。
舌打ちを鳴らしながら、リアヴェルの声に耳を傾けた。
「その大海蛇の名前はリヴァイアサン。女神アリスが生み出した海域の聖獣」
リアヴェルの説明にならば殺してもよさそうだと剣を握り直す。エイサより放たれた斬撃の威力が格段に跳ね上がった。リヴァイアサンの悲鳴が海に響き渡る。流石に、胴体の三分の一程まで食い込む斬撃は痛かったらしい。のたうち回るように暴れるリヴァイアサンの体より飛びのいて荒れる海へと着水する。
「だから殺さずに戻って来なさい」
「……おいおい、マジかよ」
そして海面に飛び出した時に再度聞こえたリアヴェルの言葉に絶句する。
リヴァイアサンは鮮血を噴き出しながらも、エイサに対する怒りを隠しはしない。
このまま逃げようとしても追ってきそうなブチギレ具合にエイサはため息をついた。
リヴァイアサンの口内より、再び水のブレスが放たれる。
海を叩き割りながら迫りくるそれは人間に直撃すれば肉片も残らないであろう威力を秘めている。
その一撃をエイサは斬撃で相殺。
爆発音が海域に響くのに乗じて、リヴァイアサンの視界に一瞬で回り込んだ。
「殺すなとはまた難しい命令をしてくれる」
まあ、この巨体を相手に殺し切ると言うのも中々に難しい事ではあるのだが、どうにもこうに中々退かせてはくれそうにない。できる事なら逃げ去ってくれるのが一番ではあるのだが、凄まじい痛みを与えたエイサに対してその怒りが燃えているのだろう。幾度も威嚇と敵意をむき出しにした咆哮がエイサに向けて放たれている。
このままでは長引くと判断したエイサはため息を一つついて剣にため込まれた魔力にを活性化させる。剣より再度稲妻があふれ周囲にバチバチと言う音を響かせた。
ため込んだ魔力を変質させて稲妻へと変換する。
「魔力性質赤色」
そしてその剣を大蛇へと突き刺しそのまま魔力を解放した。
「解放雷刃閃破」
稲妻が大海蛇の体の中を駆け巡る。
大気中に流れ出る稲妻が世界を光で満たす。
流し込む時間はわずか数秒。
だが、その威力は絶大だ。天空を目指して一直線に体を伸ばした態勢のまま大海蛇が体の動きを止め、そしてしばらく硬直した後、そのまま横倒しに倒れていく。
エイサは突き刺していた剣を引き抜くと、倒れるタイミングに合わせて跳躍し、海面に着水。そのままアドラの船へと向かって駆けだした。リヴァイアサンが倒れた衝撃で引き起こされた巨大な波を蹴ってアドラの船へと向かう。同時に抜き放っていた剣を背後の津波に向かって放つことで、波を相殺して見せた。
数分も海を走ればアドラの船へと到達だ。
海水でビショビショになったことにしかめっ面をしながら船へ飛び乗る。
「戻ったぞ」
「おかえりなさい将軍」
すると、苦笑気味なモンリスがエイサを迎えた。
彼の様子に首をかしげると、モンリスはエイサに向かって自身の後ろ、即ち甲板の入り口を指さす。
そこにはリアヴェルが不機嫌そうな表情をしながら立っていた。その顔を見て厄介な事になったと思いながらも、無視をすれば余計に拗れる事を理解しているエイサは渋々ながらも彼女へ話しかけた。
「……なんだ?」
「なんだ、ではないわ。なんで殺したの?」
「あ?」
「だから、リヴァイアサンをよ。どうして殺したのかを聞いているの」
「……いや、別段殺していないんだが」
そう言いながらエイサはリヴァイアサンの方を指さした。
そこには海に浮かびピクリとも動かない大海蛇の姿が見えた。
「……? いや、あれどう見ても完全に死んでいるんだけれど?」
「気絶しているだけで死んでねーよ。近づけば多分鼓動の音とか聞こえるぜ?」
「ふぅん? 貴方の事だからめんどくさがって、そのまま殺しておくかと思ったんだけど」
「お前の言葉を無視して後でぐちぐち言われる方が面倒だからな。気絶だけで済ませたっての。……そんな事よりもアドラに早く離れるように言え。気絶させたとは言えあの巨体だ。どこまで気絶したままでいてくれるかは分からん。目覚めたらまた襲われるぞ?」
「あの守護獣の役目は外海に出る者の排除。外へ出ようとしない限り危害は加えてこないはずなのだけど」
「外海へ出る者の排除ねぇ。それだけなら別段殺しても問題なかったように思うが」
「そういう訳にもいかぬ理由があるのだ将軍」
「……アドラ?」
リアヴェルに対してボヤくように言ったエイサに答えたのはアドラだった。
エイサが彼の方を見ると、エイサの苦労を労う様にポンポンと肩を叩いてくる。そして、エイサの疑問に答えた。
「奴が外海へ進出を防いでくれるという事で、王国軍は超遠距離を迂回した補給ルートを取る事が出来ないのだ。リヴァイアサンという脅威があるからこそ、王国軍は補給ルートに近海を使うしかできない。だから今奴さんを殺されるのは困るという訳だ。奴という脅威がなくなればその瞬間に王国軍は外海を用いた補給ルートを構築するだろう。そうなると、俺たちだけでは補給線を潰すのは難しくなる」
「外海に……か。ならなんで俺たちは狙われた?」
「今のも狙われたという訳でもないだろう。外海に出ない限りアレはただの自然現象。奴の航路に俺たちがのこのこと出ていっただけの事。まあ、リヴァイアサンがこんな近海にいること自体が珍しくはあるんだが」
「へぇ? ま、そのあたり事は俺には興味のない話だ。俺に火の粉がかからないのであればそれで十分だ」
そう言ったエイサにアドラは苦笑する。
あの怪物を撃滅してなお、抱かないと答えるエイサの変わらぬ態度にはある種の尊敬の念すら浮かぶ。自らの目的以外には何の興味を示さない。そのブレなさはある種近視眼的ではあるが、そうでなくてはここまでの武錬にたどり着くことはできないのだろう。
「まあ、お前がそう言うんならそれで構わないさ。……前と同じ部屋を用意してある。お疲れだろう、ゆっくりと休んでくれ」
「そいつはどうも。それじゃあお言葉に甘えさせてもらう。……ところでシス……いやリスティアは?」
「先代様なら先程謁見させてもらっていたが、それ以後分からんな。……部屋で休息でも取られているのではないか?」
「そうか。あんな怪物が暴れていたら、サクッと逃げ出しているんじゃないかなんて不安に思っていたんだが、どうやら俺の杞憂だったか」
そう言うと小さく欠伸をかみ殺した。
どうやら思ったよりも疲れが溜まっていたらしい。無論戦いのスイッチを入れればここから三日三晩戦い続ける事だって不可能ではないが、安全な状況下で休息をとるのも戦士の務め。アドラの勧めに従いエイサは船内へと歩き出した。
「エイサ」
「なんだよ、リアヴェル」
「ふふ、私が部屋に案内してあげるわ」
「あ? いいよ別に。前と同じ部屋なら場所は分かってるし」
「いいのいいの。ここまで頑張ってくれた部下へのご褒美よ」
「いや、別に褒美になっていないんだが……」
「あら生意気。魔王様が自ら貴方を労うと言っているのに、それを拒否するなんて」
くすくすと笑うリアヴェル。
それに対してエイサは何も答えず、そのまま自身にあてがわれた部屋へと向かう。
そんなエイサの態度にリアヴェルは肩を竦めて、それでも置いていかれないように彼の後に続いた。
「……なんで付いてくるんだよお前」
「ふふ、なんでだと思う?」
「……ああ、なんだか嫌な予感がする」
「失敬な」
付いてくる彼女をジト目で見ながらエイサはため息を再度ついた。
そしてあっという間に自分にあてがわれた部屋の前について、扉を開ける。そこでもう一度大きなため息とともにリアヴェルの態度に納得がいった。
「おい」
「ふふ、アドラもなかなか気が利くとは思わないかい?」
リアヴェルがそう言う様にその部屋には備え付けのベッドが二つあった。
その事についてエイサが何か言いかけるが、言ったところで無駄な事は分かり切っている。
故にその言葉を飲み込んで、部屋の中へ入った。
剣をベッドの横に立てかけると、鎧も兜も付けたままベッドに腰を下ろす。
そんな彼に寄り添うようにリアヴェルがエイサにしなだれかかった。
「……ごめんねエイサ。君に窮屈な思いをさせて」
「……自分で選んだ道だ。お前が責任なんぞ感じる必要はないさ」
「それでも、だよ」
そう言ったリアヴェルはエイサの兜に手を添えた。
冷たく固いその感触。
それは、リアヴェルがエイサに近くにいて欲しいと願った果ての物であり、同時にエイサ自身が望んだ反逆への証だった。