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八話


 月が天上に輝くとはいえども、夜の闇をかき消すことなどできはしない。

 だからこそ、夜に戦いを仕掛けるのは基本的には自殺行為ではある。

 しかし、魔王軍にはその夜にこそ十全の力を発揮する部隊がある。

 吸血鬼ヴァンパイア

 夜を統べる、夜の貴族。こと夜戦においてなら、ドラゴン族にも並ぶ戦闘力を発揮する悪夢の如き軍勢。その軍勢が一気呵成に星城ナグラムへと畳みかける。数多の蝙蝠の群れにその身を変えて、すさまじい膂力で騎士どもを引き裂いて、怪物が怪物らしく暴れ回る。人の身では到達できぬ膂力をもってただ愚直に突撃を敢行するだけで圧倒的だ。

 応じるは人の部隊。

 女神の聖騎士を数多有したナグラムの領主アマルークが部隊。

 その性能差に防戦一方となりながらも、吸血鬼ヴァンパイアの弱点を上手くついたいた指揮によりいたずらに時間を浪費させていた。

 招かれねば侵入できないデメリット。流水を渡れないデメリット。陽の下では著しく戦闘力を落としてしまうデメリット。女神の輝き、聖なる輝きが有効に働いてしまうというデメリット。それらを組み合わせて、あの手この手で防衛線を優位に立ち回る。その動きは吸血鬼ヴァンパイアという種族を知り尽くした動きで、女神の聖騎士たちの奮戦も合わさって、時間限界タイムリミットまでの時間を容易く稼ぎ出す。


「落とせぬか」


 戦場全域を見渡せる丘の上で苛立たし気に、そして少しばかりの感嘆の声音を含ませて男がつぶやいた。

 吸血鬼ヴァンパイア達の長。夜闇の貴族。その最上たる男。夜侯爵と称される魔王軍十二将第七階位。

 名をソニス・マルガコルフ。

 漆黒のコートを身にまとい、白銀の長刀を腰に差した銀髪金眼。気だるげに戦場を俯瞰するその様に、恐ろしいほどの色気が付随した美形の男。その色気は無垢な少女なら見つめられるだけで腰砕けになりそうなほどのもの。魔族とは秀麗優美なものが多くはあるが、これ程の美貌を持つ男は魔王軍の中でもそうはいない。

 その男のため息は、特に意識した所作を含まないにも関わらず、芸術的なまでに絵になる光景だった。


「ま、落ちないだろうな」


 そんな男の呟きに漆黒の鎧を身にまとったエイサが追従した。

 戦場を俯瞰できる場にいながら、戦場の様子を気にかけた風もみせず、木によりかかりながら、夜の月を眺めていながら、戦場の趨勢を容易く見抜く絶対的な感覚。戦場の空気を感じとるなんて、理屈も何もあったものではない。

 追従されたソニスの胸の内には幾分かエイサへの怒りが湧き上がっていた。


「……貴公が戦場に出てくれるのであれば、突破も叶いそうなものなのだが?」


 その怒りを隠そうともせずソニスは苛立たし気にそういった。

 だが、そんな彼の様子にエイサは頓着することもなく肩を竦めただけで、全く動こうとする気配がない。更にソニスは苛立ちを募らせた。


「将としての務め、果たしてほしいものだが? エイサ将軍」

「俺の務めは勇者殺し。只それだけだ。それが俺とあいつが結んだ契約だ。契約の大事さは、あんただってよく知っているだろう?」


 エイサの言葉にソニスは押し黙った。血の魔術を用いる彼にとって契約は重要なものだからだ。その彼が契約違反を進めるわけにはいかなかったが、それでも愚痴の一つは言いたくなる。


「もったいない話だ。貴公の力、借りることができるのであれば、ナグラム程度すぐに落とせるというのに」


 確かにナグラム城の防衛能力は非常に高い。卓越した指揮能力をもって吸血鬼の猛攻を容易く凌ぐその指揮の鋭さは感嘆のそれに値する。

 同時に、それだけでもあった。

 性能差を知り、その性能差に対抗するための戦術をアマルークは見事に展開し、戦況を優位に進めている。だが、それを単騎でひっくり返す理不尽をソニスはよくよく知っていた。

 自身を含めた吸血鬼軍。化生どもが集いし悪夢の軍勢を、ただ一人で凌駕する究極の災厄を。

 しかし、エイサは動かない。そもそも、勇者が出てくるまでは動くつもりもないのだう。この男が魔王に対して忠誠を尽くしていないことは、魔王軍の中ではあまりにも有名な話だ。

 この男が魔王軍側についている理由などただ一つしかない。勇者が狙う最大の標的、魔王。それを狙う瞬間に勇者の首を撥ねるため。その為だけに魔王軍についている。


「チッ」


 聞こえよがしにソニスは舌打ちを一つ漏らし、再び戦場へと視線を向けた。

 最も夜が更ける時間でありながら、応射する弓矢が空を舞う吸血鬼の翼を射抜き叩き落している光景が見える。上空より城壁を乗り越え、場内へ侵入しようとした吸血鬼が奇跡の力にさらされ灰となる光景が見える。

 地上では聖騎士を引き裂き、全身にその鮮血を浴びて雄たけびを上げる吸血鬼が、そのまま聖なる祝福を受けた銀剣にくし刺しにされ灰に帰る姿が見える。複数の術師による複合魔術が城壁に叩きつけられた瞬間、神聖術による守りが城を守り切るのが見える。

 目の前に写るすべての光景が戦争に染められている。剣撃の音が、雄たけびの音が、断末魔の叫びの声が、城壁に叩きつけられ炸裂する魔術の轟音が、静寂を切り裂いて彼ら二人のいる丘の上まで響いていた。

 泥臭く、血に濡れた戦場の光景。それをソニスは冷めた視線で見つめている。思惑通りには戦況は推移していない状況は、確かに彼に苛立ちを感じさせていた。とはいえ、その程度で冷徹な思考を鈍らせるほど彼は愚かな男ではない。

 夜明けまであと数時間。日中の光の中で逆撃を喰らえば、壊滅的な被害を受けかねないほどには人の部隊は強力。それらを考慮して戦える時間を考えるのであれば。


「あと、一時間程度か」

「日中は弱くなる。吸血鬼様も大変だな」

「そも、貴公が動くのであれば夜明け前にケリは着くというのに」


 無論ソニスは期待などしていなかった。

 つまり今のはただの嫌味だ。分かっているが、言わずに済ませることもできない程度に、ソニスは魔王に対しての忠誠心を抱いていた。


「動かぬというのであれば、せめて伝令を頼まれてくはしないか? ああ見えて我が娘は頑固でね」

「そんな契約はしていないな」

「ふん。貴様ならそういうだろうと思っていたよ」


 そういいながらソニスは、そばに繋いでいた馬の元へと歩み寄った。


「……おいおい、将軍様直々に伝令か?」

「言っただろう? 我が娘は生来のものか頑固でな。私が出なければ余計こじれる。時間の無駄は引き際を誤りかねん。ならば、私が出るのが一番確実という訳だ」

「チッ」


 ソニスの言葉に今度はエイサが舌打ちをした。そして、彼に倣う様にエイサも繋いでいた自身の愛馬に騎乗する。その姿に珍しいものを見たかのようにソニスは言葉を漏らした。


「ほう? 貴殿も来るのか?」

「七面倒な話だが、勇者は魔王軍に対して斬首戦術をとる可能性が高いらしい。そして現状広がる戦線の中で、一番可能性が高いのがお前だと俺の副官が読んだ」

「貴公の副官と言えば、あの小鬼ゴブリンか」

「ああ、なかなかどうして頭の回る副官でな。今のところ、読みを外したことがない。戦略、戦術なんてものに疎い俺としては、中々重宝しているよ」

「なるほど。以前報告の際に貴様の名代として座っていた時の姿からは想像もつかんが……どうせ貴公を動かせるのならば、戦場に投入させてほしいものだ。小賢しく頭は回るが、気は効かぬか」

「は。直属の上司である俺の意を汲んで俺を動かすあたり、十分気は効いていると思うが」

「ふん」


 エイサの言葉にソニスは答えず、自らの愛馬を駆けさせた。それにぴたりと追従するようにエイサも乗騎を駆る。夜の闇を切り裂くように、二つの蹄の音が戦場のへ向けて流れ出した。

 神聖術の輝きが、魔術の爆炎が時折戦場を染め上げて、一瞬だけ闇夜を食い荒らす。向かう先はソニスの娘、アヴェンが引いた陣だ。籠城戦の指揮官である以上、本陣からさほど離れていない場所にその陣は有る。

 自身のの娘が激高していることが容易く想像できる戦況の推移に、説得がかなりの難題となっていることを想像して、ソニスは馬上でため息をついた。数少ない説得材料としては後ろから追従している黒鎧の騎士だけ。

 その武芸に憧れを抱いている男の前であれば、少しは理知的に振舞うだろう。

 そんな打算がソニスにはある。

 そして、アヴェンの陣が引かれている場所へとたどり着いて、その打算が粉々に砕かれたことを知った。

 たどり着いた陣の場所はには既に誰もいなかった。

 確かに吸血鬼ヴァンパイアの陣は融通が利くようになっている。

 日光が上れば、一度大きく引かなければならないため、撤退、移転のしやすさを重視して陣を敷くためだ。そして今回の状況では撤退はあり得ない。撤退する途中にはエイサとソニスが戦場を見下ろしていた丘がある。

 撤退でないのならば、陣を変えたか潰したか。

 その判断を下して、ソニスは苦虫を噛み潰したかの様な顔をした。


「あの戯け……」

「剛毅なものだと、褒めてやらないのか? アヴェン嬢なら、抜ける可能性はあるが?」


 自らの娘への苦言を隠せないソニスに対して、エイサは肩を竦めならそう言った。


「拙速を選ぶほど、我々は追い込まれていない。この状況下での力攻めは愚策だ。戦力を保ったまま、次へ進まねば意味が無い。この戦争、これで終わりではないのだからな。……あの戯けめ、貴様の武勲に目が眩んだか」


 ソニスはそういうとエイサを睨みつけた。

 魔王軍の中にあって輝く無双の極み。その武勲は戦場に生きるものとして、手を伸ばさざるを得ないほど眩く輝くものだ。ソニス程年を重ねれば、一つの戦場に囚われない視野の広さを持つこともできるのだろうが、彼の娘にこの輝く大剣士の前で自重を選ばせるには少々彼女は重ねた年月が足りなかったか。


「いや……違うな。貴様がこの戦場にいるが故の盲信か」


 不意に自身の娘の抱く憧れの表情を思い出してソニスは呟いた。それもあり得ない話ではなかった。エイサという男を外側から見れば、味方にある限り必勝を約束する大英雄に間違いない。その英雄が後ろに控えていると知っていれば、籠城している相手へ無理に突っ込むという行動も理解できないわけではない。

 このタイミングでエイサが動けば、確かにナグラム城は陥落するだろう。しかし


「それで? どうするんだ? 一度本陣に戻って本隊連れて決戦か?」


 この男が勇者以外で動くはずがない。

 そのことをソニスはよく知っている。良くも悪くも、自身の決めたとおりにしか動くことのない男だ。自らの我をどこまでも譲らない男だ。だからこそ、ここでこの男が動くことはあり得ない。それこそ、勇者が出張ってこない限りは。


「……本陣に戻っている時間はない」


 力尽くをもって、城を落とそうとしているのであればもう時間はない。残された陣の後を流し見てソニスはそう判断した。出立してそれほど時間がたっていないとはいえ、城門にとりつくには十分な時間が経過していることが判別できる。ここから本陣へ戻っていてはどれ程被害が出るか分からない。ならば、このまま攻城戦へとなだれ込んだ方が、多少はましか。

 そう判断したソニスは鋭く口笛を吹いて、伝令用の蝙蝠を呼び寄せた。自身の部下への伝令をその足に括り付け、エイサの方へ視線を向けた。


「行くぞ。乱戦を抜けてアヴェンを引きずり戻す。私の側にいるつもりなら付き合ってもらうぞ将軍」

「へぇ。吸血鬼ヴァンパイア君主ロード様が直々にか」

「何度でも言わせてもらうが、貴公が動くのであれば私が手を下す必要もないのだがな。そして悲しいかな、私には貴公ほどの圧倒的な力は無い。残酷な事になるが構わないかね?」

「それこそ、何を今更ってな。あんたがどんな風に同胞を手にかけようと、俺の知ったことじゃあない」


 一切の躊躇いなく言い切った男の姿にソニスは視線を細めた。同胞と呼んだくせに、何一つ特別な感情の籠っていないその言葉の意味を推し量ろうとする。そして、すぐさま無駄な事と割り切った。

 勇者殺し。

 人族の希望の星を砕く者。

 人でありながら、そう呼ばれるこの男が抱く同胞への感情など推し量るだけ、意味の無いことだ。殺意に狂い、復讐に狂った果てに人の在り方からほぼほぼ逸脱しているこの男がそもそも正気であるはずもない。わかっていることはたった一つ。この男が魔王軍にとって最大の戦力であること。

 ただそれだけだ。

 そして、ただそれだけでよかった。


「出るぞ、遅れずしてついてきてくれたまえ、将軍」

「は。無論、言われるまでもなく」


 月夜が照らす小高い丘の上。

 最短経路を突っ切るために、二人は自らの愛馬に鞭を入れた。

 夜の森の中。並の技量では即座に落馬するであろう、天然の悪路へ躊躇いもなく足を踏み入れるために。





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