七十九話
「モンリス」
「おや、流石は将軍。まさかこんな所までお出迎えいただけるとは、感謝の極みでさぁ。よくあっしがここにいるとわかりましたね」
夜のとばりが落ちて真っ暗な森の中でエイサはモンリスへと声をかけた。
その声に反応したモンリスが木上を見上げたのを確認すると同時に、エイサも木の上より彼の側へと飛び降りる。その表情は兜で隠されて見えていなかったが、苦笑を浮かべていた。
「は、それは俺のセリフだ。よくもまあ、このタイミングで帰ってくるとわかったものだな」
「ま、その辺は武芸で飯を食えないあっしの領分。将軍の性格等々を考慮すればタイミングを計るのは難しくありませんからね」
「今回はイレギュラーがあって少しばかり戻ってくるタイミングがずれたと思ったんだがな」
「イレギュラーといいますと、先代の魔王様の事ですかい?」
軽くそう言ったモンリスの言葉にエイサは言葉を失った。隠すつもりは欠片もなかったが、こうまで容易く言い当てられると言葉が出てこない。まじまじとモンリスの顔を見つめるが、いつも通りの飄々とした笑みを崩してはいなかった。
「そこまで分かるのか。なんだ? お前未来予知でもできるのかよ?」
「まさか、そんな上等な能力はもっていませんぜ? ですが、勇者が故郷へ向かったと聞いたときに、大体予想を付けただけでさぁ。そして魔王様なら先代魔王様を無下にはしないであろうこともね。……それで、あたりですかい?」
「ああ。お前の予想通りだ。先代魔王、リスティアは復活し今はリアヴェルと俺とお前の合流を待っている」
「成程。魔王様二人。待たせてしまえば、首が飛びかねませんね。急ぎやすか?」
「ほっとけ。ここまで戻ってきたんだ、慌てて戻る必要もないだろう。どうせお前の事だ、帰りの便に関しては準備位してあるんだろう?」
「そいつはしてありますが、将軍がもう一度戦場を突破して帰られるのではないんですかい?」
「お前も含めて三人抱えて突破しろというのは流石に厳しくないか? いや、やらなきゃならん理由があるのなら、そりゃやるがな。例えば勇者が来ているとか」
「流石に来てないっすねぇ。ってか、理由があるならやれるあたり、将軍はやっぱり大概っすよ」
「は、俺たちがピンポイントでこの辺りにいる事を推察したお前には負けるさ」
そんなことを言い合いながら二人は真っ暗な森の中を歩いていく。
小鬼族の特性として、夜目がきくモンリスは星明りさえ届かない真っ暗な森の中でさえすいすいと歩く事が出来ると言うのは不思議ではないが、隣の男は人間族でありながらこの暗闇の中を一切迷わず、一切躊躇いなく、一切木の根に足を取られる事無く進む事が出来るのは、いったいどういう原理なのか不思議だった。
しばらく進むうちに二人と別れた場所にたどり着く。
もしかして魔法でもぶっ放し合っているんじゃないかと幾ばくかの不安を抱いていたのだが、どうやらそんなこともなく、にこやかに話し合っているらしい。
馬車の中でも十分に話していただろうに、何をそんなにしゃべることがあるのか、エイサには理解できなかったが、騒ぎ立てて敵に見つかっているよりは遥かに穏当だ。
「待たせたな。モンリスと合流してきたぞ」
「へぇ、彼がモンリスかい? ふぅん? 本当に普通の小鬼だね」
「だからそう言ったでしょうに、お母さま」
「あはは、ごめんねヴェル。だけど、エイサが普通の小鬼を部下にしているなんて聞いて、納得が出来なくてね」
そう言いながらモンリスを眺めるリスティア。
その気配は強烈だ。先代魔王の名に恥じぬ圧力がモンリスを襲う。
しかしモンリスはその圧力を受けて、平然としている。普段の飄々とした笑みを一切崩さぬその態度に、リスティアの方が眉根を寄せた。モンリスに向けて何か言おうとした時、モンリスがその機先を制した。
「そんなにも自分の身が可愛いからって、俺っちにそこまでの圧力をかける必要はないっすよ?」
「……何を言っているのかな?」
「おや? 違いましたかね先代。死に対する絶対的なカウンターとしてエイサ将軍の配下に収まる。それを狙って、とりあえずあっしの事を見定めるためにそんな態度を取っておられる。怒らせた方が相手の観察はしやすいっすからねぇ」
モンリスの言葉にリスティアは何も返す事が出来ない。
初対面の対応で、どういうタイプかを見極めようとしたて、自身の真意まできっちり把握されていては厳しいのは当然だ。何も言えないリスティアに対してモンリスは慰めるように言った。
「まあ、エイサ将軍を知るに、その必要はないでしょうが、一応の釘だけは刺させてもらいました。ですが、将軍の下に着くのもエルメルダ殿のところで研究に従事るのも結局は同じっす。これからは同じ陣営として仲良くしてほしいもんでさぁ」
「……エイサ? モンリスにお母さまをエルメルダに預けるつもりだと話したの?」
「いや、全く話していない。俺がそんな事を話す必要があるのか?」
「いえ、無ければ無いで構わないのだけれど」
すなわちこの男は自ら集めた情報だけでリスティアの状況そして処遇に至るまでたどり着いているという事か。どこまで読み切ればそこまで考察が及ぶのか、リアヴェルはモンリスの非凡な才覚に目を細めた。
「それで、モンリス。どうやって戻るんだ?」
「船っす。アドラ将軍に拾ってもらえるように手配はしておきました」
「海か。となると、ここから南下する必要があるな」
「はい。ですが途中で川を抜ける船を用意してありますんで、それを使えばそれ程時間はかからないはずっす」
「……相変わらず準備が良いな。手間をかけさせるぜ」
「いえいえ、この程度手間では有りませんとも。……ただし、船で川を下っている間の護衛に関しては、将軍任せとなりますが……」
「船の護衛か。やったことは無いが……飛んでくる火矢と魔法を叩き落す位なら任せろ」
「最悪私が船を魔法でコーティングするし、攻撃に関しては問題ないでしょうね」
「ヴェル。私船酔いするんだけど」
「我慢してお母さま」
「そんなー」
いじけた様に言うリスティアを放置する。
しくしくと嘘泣きをしているリスティアにモンリスが何かを手渡した。
「何かな? これ?」
「酔い止めの薬です。呑めばマシになるでしょう。やばいと思った時の飲んでください」
「……本当に用意が良いね君は」
「お褒めに与かり光栄の至りっす」
「問題は解決したな。それじゃあ、船に向かうとするか」
エイサの言葉に従ってモンリスが先導する。
夜の闇に紛れて十分も歩けば、すぐに川に出た。最近は長雨も降っておらずその流れはとても緩やかだ。その川の岸辺に何やら集まっている人影が見える。
小鬼だ。
そして彼らの奥には一隻の小舟が見えた。
木材を組み合わせただけの簡素な小舟だ。取りあえず水の上を渡る事が出来るだけの最低限のそれ。
モンリスが小鬼達に何事かを話しかけると、即座に出港の準備が整ったらしい。頷いたモンリスに従って三人が船に乗り込むと、真新しい木材の香りが仄かに匂い立つ。
「準備はよろしいですかい?」
「ああ、いつでも」
「それじゃあ、護衛よろしくお願いします。操舵はお任せください」
「ああ」
「まあ、この闇夜の中で川を下るあっしらに対する警戒は殆どないでしょうけどね」
言いながら長い棒を掴み川岸を出立させるモンリス。
手慣れた様子にエイサが尋ねた。
「慣れてるけど、お前船の操舵の経験があるのか?」
「まあ、これでもいろんな職を転々とした過去がありやしてね。特殊な技術以外は一通りにできますぜ」
「お前、有能過ぎて人に嫌われた口だな」
「さて、どうでしょうかね?」
言いながらすいすいと夜の川を下っていく。
その手さばきに躊躇いも不慣れな様子も見えない。
魔王と先代魔王という重要人物をのせながら、一切手さばきに影響を出さないあたり、彼の肝の据わりようが良く分かる。そんな彼を見ながらエイサが揶揄う様に尋ねた。
「それで? 川の渡しはどのくらい続いたんだ? 一週間くらいか?」
「お恥かしながら、三日も持ちませんでしたよ」
「成程。そりゃ嫌われるわ」
三日でこの腕前ともあれば、先輩方からして気分がいいはずもないだろう。
特に相手が見下しているゴブリンともあれば当然か。
何よりこの男が、その心情の動きに気づかぬはずもない。
多くの仕事を巡ることで、自らの経験を蓄える。そしてその経験を得れば自らの有能さによって職場から追放され事で遺恨なく次の経験を得るために他の仕事に就く。
実にモンリスらしい効率的なやり方ではある。
自らの野望のためにあらゆるものを踏みつけにするその在り方。しかしそんな在り方にエイサは好感を抱いた。
それは復讐に全てを掛ける自分のやり方によく似ているからか。
自分の定めたもの以外に興味を示さず、他の何もかもを投げ捨てるその在り方が。
「少し眠る。何かあったら起こせ」
「了解です将軍。……まあ、あっしが起こさずとも将軍なら自分で起きてきそうなものですが」
「ただの保険だ。頼んだぞモンリス」
「へい。お任せを」