七十八話
森の中でゴブリンの気配を探る。
いくつか感じ取れるゴブリンの気配の中で、エイサは特徴的な気配を感じ取って驚愕を露わにした。真っ直ぐにこちらに向かってくる気配。その気配の持ち主をエイサは知っていた。
モンリスだ。
驚くべき事は二つ。
どうやって王国軍をすり抜けてこちら側に来ているのかという事と、どうやってこちらの居場所を探り当てているのかという事だ。
「……しばらく、ここにいろ」
「なに? 何かあったの?」
「モンリスがこちらに向かってきている」
「? モンリスが? どうやって?」
「さてな。どうやって王国軍を抜けてきたのかも、どうやって俺たちの居場所を把握したのかもわからんが、ともかく、ここへ向かってきている。合流までの時間を短縮するためにもあいつを呼んでくる。構わないな?」
「……了解。早めに戻って来てね」
「ああ。分かっている。お前もシスターには警戒しておけよ?」
そう言ったエイサにリスティアは苦笑した。
「何もしないわよ」
とは言うものの、それを鵜呑みにできる程エイサは暢気ではない。二人きりになったとしてリアヴェルを殺しにかからない保証はないのだ。まあ、リスティアに警戒したリアヴェルを瞬殺できるほどの力量差は無い。五十歩百歩の力量差だ。リアヴェルが警戒さえ解いていなければ、戦い始めてからエイサが気付いて引き返して十分に間に合う。
じろりとねめつける事でリスティアにもう一度だけ釘を刺す。
その視線を彼女は肩を竦めながら受け止める。それを見たのちにエイサはその場を即座に離脱した。
向かう先は此方へ向かってきているモンリスのいる場所だ。
僅か二歩でトップスピードに乗り森の奥へ消えていったエイサを見ながらリスティアはため息をついた。
「あれ程の実力を見せつけられて、それでもなお貴方を殺しにかかるほど無謀な女だと思われているのかしら、私」
「あら? 神様の定めた法則へ真正面から喧嘩を売ったお母さまが、それ程賢明な人だとは思いませんでしたけれど?」
「ヴェル。それは言わない約束でしょう?」
「そんな約束した覚えもないんだけれど」
くすくすと笑うリアヴェルを見ながらリスティアは少しだけ不機嫌な表情を作った。
確かに神へ定めた法則へ喧嘩は売ったが、それが無謀だとは思っていない。神は全知全能ではないという前提の下で動いた計画ではあったが、彼女にもいくらかの勝算は無きにしも非ずだったのだ。
それが上手くいくか行かないかはさておきながら、それでもどうにか出来ると信じられる程度には。
「女神アリスは全知全能ではない。……まあ、分の悪い賭けではあったけれど、どうやら私の推論は間違っていなかった。失敗したのは私の想定が甘かっただけ。それをして賢明ではないと言われれば否定できないけれど、可能性が少しでもあれば足掻きたくなるのが人情よね?」
「それは否定しませんよお母さま。その結果が引き起こした結末は目を覆いたくなるものですけれど」
「それは、あなたの事? それともエイサの事? はたまたアリスの事かな?」
「無論、全てについて」
「まあ、否定はしないわ。だけれど、物事の発展には犠牲はつきものでしょう? いわゆる一種のコラテラルダメージというやつよ」
「コラテラルダメージとして切り捨てられた側としてみれば、たまったものではないわねそれ」
そう言ってリアヴェルはリスティアを睨みつけた。その視線を受け流しながらリアヴェルは肩を竦める。そして睨みつけながらも口角がつり上がっているリアヴェルにその事を指摘するように言葉を返す。
「その結果としてあなたとエイサが出会うきっかけを作れたのだから、存外に満更でもないのでしょう?」
「あ、バレてるんだ」
「当たり前でしょう? ……全く。よく言うわよ、自身の生い立ちも、エイサの過去にさえも恨みなんて抱いていない癖に、あの子に嫌われたくないという一心だけで私の事を許していませんなんて立ち居振る舞いを続けるんだもの」
「過ぎ去ったことに執着しても意味がないと知っているだけだよ」
「嘘ね。どうでも良いだけ」
断定する様なリスティアの言葉にリアヴェルはさらに笑みを深めた。
流石は先代の魔王様。そして自らの母親だと感心する。自らの真意をきっちりと見抜かれている。
今生きている以上、自身の生い立ちになんて興味がない。どうでも良い。
彼女にとっての関心事はエイサの歓心だけだ。魔王であることに執着していたのは今は昔。魔王として君臨するための手段であった彼の存在は、時を経て目的にすり替わっている。
彼女にとって他のあらゆることは些事だった。
それこそ、魔王軍の行く末さえ。
そう言う意味ではリアヴェルはリスティアによく似ている。
彼女たちの違いは執着する対象が違うだけ。
リスティアは自らの生に執着し、リアヴェルはエイサという男に執着した。
そこに大きな違いはない。それ以外に価値を見出す事を止めたと言う意味では全くの同じ。
だからこそ、リアヴェルはリスティアの事を信用した。少なくとも自分を殺す事は無いと確信している。あれ程の力量を持つエイサを好き好んで敵に回すつもりは無いだろうと。
無論、リアヴェルを殺す事で魔王に成り代われば、エイサはリスティアを守るだろう。それを狙う可能性が無いわけではないが、その結果として自身が魔王に成り果てては意味がない。魔王であるという事は勇者に狙われ続けるリスクを負う。そのリスクを負ってまで再度魔王に返り咲くのは、彼女の目的に合致しない。
現在リスティアはリアヴェルより魔力を収奪することで自身の生命を維持している。限定的な時間回帰魔法を発動し続ける事で、内側の傷をごまかし続けている状況だ。リアヴェルより命を奪う勢いで魔力を奪えば即座に再生させるほどの魔力を引き出す事はできるだろうが、その結果として魔王座位が消滅することをエイサは拒絶し、当然リアヴェルも否定するだろう。そうなってエイサを敵に回す事だけは極力避けたい。
だから彼女は次善の手段としてリアヴェルの生死に関係ない程度の魔力を奪う方向へその手段をシフトさせいるのだ。この方法であれば時間はかかるがリアヴェルを殺める事無く、また上手くやればエイサの力の庇護下に入る事が出来る。その打算込みで。
「まあ、私にとってヴェル。貴方がエイサに対してどんな対応を取ろうと構わないわ。私は私が生き残る事が出来るのであればそれでいいもの」
「ふふ、分かってますよお母さま。私もお母さまが味方になってくれて嬉しいわ。魔王として最低限の役目を果たせる魔力さえ残しておいてくれるのであれば、基本的に私には魔力なんて必要ないから、好きなように奪ってくれても構わないもの」
「……自分を守るための魔力さえ要らないとは、随分と部下を信用しているのね……いえ、この場合はエイサを信用している。といった方が正しいのかな?」
「……もちろん。私はエイサの事を信じているもの」
「……ご馳走様とでも言えばいいのかしら?」
「さて、どうだろうね」
そう言って互いに笑いあう二人の美女。
金髪と黒髪、青い瞳と赤い瞳。その配色はまるで違うのに、その容姿を形作るものの造形だけで似ていると感じさせる二人の笑い方はとても良く似ていて、彼女たちが親子であることの証左であるかのようだ。
不意にリスティアが笑うのを止めて、リアヴェルに一つ問いかけた。
「そう言えば、モンリスって誰なのかしら? あのエイサがああまで信頼している相手。十年前であっても名前くらい通っていそうなものだけれど、私にはまるで心当たりがないわ?」
「それは当然でしょうねお母さま。だって、モンリス、小鬼種族の一頭目だもの」
「小鬼」
リアヴェルの回答にリスティアは素直に驚きの表情を浮かべた。それと同時に知らない事についても納得がいく。小鬼種は魔族に分類される種族の中でも短命な種族だ。50に届けば老齢と数えられるその種族の頭目であれば十年前に頭角を現していなくても不思議ではない。ただでさえ魔族に分類される様な種族の者たちは長命の種族やそれこそ不死の種族が多いのだから。
「それにしても小鬼族の者を重用するなんて。なに? エイサは存外に人望が無いのかしら? ああまでの力があればそれだけで惹きつけられる魔族は多そうなのに。……それとも、人であることがネックになったのかしら?」
そうであれば自身が部下について彼の庇護下に入るのも悪くはないとリスティアは打算を弾きながら問うと、リアヴェルはゆっくりと首を振った。そして苦笑を浮かべてリスティアの言葉へ反論を返す。
「残念ながらお母さまの思惑は外れ。エイサは確かに人望は無いけれど、それはあくまでエイサ自身が孤高であるから。ただストイックに勇者のみを殺す者として戦い続けるあの男を理解できずに畏怖を抱かれていたから。その畏怖がある限りエイサには部下は付かなかったの
「ふぅん? それなのにその小鬼は部下に付いているんだ。それは可笑しな話じゃない」
「いいえ、可笑しくもなんとも無いわよお母さま」
「……どういう意味か知しら?」
「答えとしては簡単な話。モンリスがその畏怖さえものともしない程に肝が据わっていたという事。そして何より、あのエイサが目をかける程にあの男が優秀だった。ただそれだけの事よ」