七十七話
昼食を取り終えてしばらく馬車で進めば、馬車で通れるような道ではなくなってきた。
木こりが気を切り出すために使う程度にしか使われていない林道の手前で、馬車を止めるとエイサは馬を留めていた器具を剣で斬り飛ばし、手綱を外してやる。自由の身となった二頭の馬はエイサの方をしばらくじっと見つめていたが、そのうちに二頭そろって駆けだしていった。
それを見送った後にエイサは鎧に仕込んである縄を取り出すと、馬車から出てきた二人に声をかけた。
「んじゃ、前か後ろか選んでくれ」
「あ、結局それで帰るんだ」
「ああ。それが一番早そうだからな」
苦笑するリアヴェルに向けてそう言うが、どうやらリスティアはどういう意味かつかめなかったらしい。首をかしげながらリアヴェルに尋ねていた。
「……どういう意味なのヴェル?」
「エイサに背負われるか、お姫様抱っこかの二択って事です」
「……ごめん。余計に意味が分からないんだけど……普通に山道を抜けるんじゃないの?」
「それだと時間がかかるから、私たち二人を担いで、エイサが全力で駆け抜けるの」
その言葉にリスティアはエイサの方へ視線を向けた。
特に気負った様子もなく、縄の調子を確かめているエイサの姿を見て取った後、再度リアヴェルの方へと向き直る。
「正気かな?」
「残念ながらね。……ま、私としてはあいつに触れ合えるからそんなに嫌いじゃないんだけど」
「いやいや、流石に私たちが追走した方が速いんじゃない? 先代とは言え魔王。そしてあなたは当代の魔王でしょう? 魔法型の肉体性能をしてるとは言え、それでも並の怪物を上回る程度の肉体性能は持ってるでしょうに」
困惑するリスティアに向けてリアヴェルは苦笑を向けた。そして彼女の疑問に答える。
「それでも、エイサが私たち二人を背負って走った方が速いんだよ、お母さま」
「……なにあの子、ある程度常識外れの性能してるのは知っていたけど、そこまで無茶苦茶なの?」
「……あの戦いでエイサの全てを知った気になるのは甘いって事だよお母さま。伊達や酔狂で魔王軍最強は名乗っていない。戦闘というあらゆる分野において最も強いからこそ魔王軍最強なんだ。それは、速度の面で同じく。私たち二人を担いだ程度なら、私たち二人がエイサを追走するよりもはるかに早く魔王領に駆け戻るでしょうとも」
その言葉を受けてリスティアは再度エイサの方へと視線を向けた。その視線を受けて彼は二人に向かって声をかける。
「相談は終わったか?」
「……本気なのかしら? エイサ」
「あ? 何が?」
「だから、私たち二人を担いで走る方が速いって言うのは?」
「何を今更」
リスティアの言葉にエイサは簡単にそう返して鼻を鳴らした。当たり前の事を聞くなと言わんばかりの態度にリスティアが息をのむ。気負った風の見えない彼の態度は自身の速度が当然のように二人を上回っているという事に対する自信をうかがわせる。二人を背負い知らない森の中を踏破する。それだけでも尋常ではないと言うのに、その上で三人が個々に走るよりなお速いと言うその自信にリスティアは僅かに眉をひそめた。
「お母さま不服みたい。それじゃあ今回は私が抱きかかえられるよエイサ。背負われていれば、エイサの速度も分かるでしょうしね」
「ま、俺はどちらでも構わん。しかし、それなりに距離があるからな結構長い間捕まっててもらう事になるが大丈夫か?」
「戦場を抜ける前には一度止まってくれるんでしょう?」
「ああ。モンリスと連絡を取るつもりだからな」
「ん? モンリス君と? どうやって?」
「さあ? そのあたりはあいつに任せてある。が、何とでもするだろうさ。あいつはできない事は言わない男だ」
そう言うとエイサはリスティアに近づいた。そして一枚の布をマントの様にかぶると、リスティアの前に背を差し出す。本気かと躊躇う彼女に対してエイサはため息をついて条件を付け加えた。
「自分で走ったほうが速いと感じたなら声をかけろ。そこで止まって下ろすから。それなら問題ないだろ? シスター?」
「……わかった。貴方たちの考えに乗ってあげる。だけれど、私の基準は中々に厳しいわよ? 肉体強化魔法を使用した速度基準で考えさせてもらうからね」
「好きにしてくれ」
エイサの言葉を切ってリスティアはゆっくりと彼の背に乗った。鎧越しにとは言えエイサの体に触れることで彼が大きくなったことを実感する。昔はリスティアの方が彼を背負っていたと言うのに、今では彼女を背負って一切ゆるがない。
シュルリと音がして縄が彼女を固定した。さらりとされど手早く行われた縄を使用した固定方法に、使える技術は何でも極まっていると言うレベルで習熟しているエイサの力量と執念が感じられる。幾度か縛った縄の具合を確認するとそのままエイサに飛びついてきたリアヴェルを受け止めて、彼女ももう一本の縄で固定した。
「んじゃ、行くぜ?」
「うん。いつでも」
エイサに問いかけにリアヴェルが答えると同時にエイサは跳躍した。
三角飛びの要領で木々を駆け上がると、枝に着地して伝う様に走り抜けていく。
最初は優しく、リスティアを驚かさないように。
「あ、そうだお母さま?」
「……何かしら? ヴェル?」
「怖くなったら目をつぶってもいいよ?」
「あら、随分となめたことを言うのねヴェル。私、これでも魔王、人力の速度程度で怖がるような可愛い女の子ではないのよ?」
自信満々にリスティアがそう言った瞬間に、エイサはスピードに乗った。それはまるでリスティアのセリフを待っていたかのような完璧なタイミングだった。加速する。荷物二人を抱えてなお最高速度に至るまでに要した歩数は十歩。その僅か二歩目でリスティアは絶叫した。
「ひぎゃあああああああ!?」
「うるさいぞシスター」
絶叫しているリスティアに向かってエイサが冷めた口調でそう訴える。
しかし、そのエイサの訴えを聞く余裕はリスティアには皆無だった。
耳元で絶叫される事に嫌気がさしたエイサはスピードを緩める。
荒い息を吐きながら彼女はエイサにつかまる力を強くした。僅かに金属鎧のきしむ音が聞こえる。
「……だから目をつぶっていいと言ったのに」
「そ、そう言う問題じゃないわよ。何この速度」
「エイサはスピード型だから」
「あんな戦い方しているのに!?」
待ち戦法。というよりも持久戦型の人間が出す速度ではない。この速度があるのであれば、速度を生かして速攻をかける方が強いだろと言う視線をエイサに向けるが、彼は緩めた速度のまま木々の上を走り抜けていく。
「もういいか? 速度に乗るぞ」
「もう、目をつぶっている事にする」
「最初からそうしておけばよかったのに」
リアヴェルの呆れたような口調にリスティアは何も返すことなく、目をつぶった。
耳元で聞こえる風切り音が再びそのボリュームを上げる。
しかし彼女はそんな事を一切気にしないようにただ必死に目をつぶっていた。
エイサの速度をしてなお数時間かけてナグラム周辺にまでようやく戻って来ていた。
王国軍がナグラム周辺に展開しているところまで、十キロ足らずと言った距離のところでエイサは速度を緩めて、地面に着地した。
「ん? もう着いたの?」
「ああ。そろそろナグラム周辺だ。この辺りにおそらくモンリスの使いがいるはずだ」
言いながらリアヴェルを固定していたロープを外して彼女を地面に下す。
凝り固まった関節をほぐすように伸びをするリアヴェル。そして、ロープを外したと言うのにしがみついて離れないリスティア。
「ん?」
その彼女について疑問に思ってそちらを見れば、彼女は気を失っていた。
目をつぶっていたにも関わらず、なんで気を失っているのか首をかしげながら、何度か彼女をゆするが彼女は意識を取り戻さない。無理やり引きはがそうとしても気を失った際に全力でしがみついたのか、全く離れる気配が無かった。
「お母さま……。まあ、仕方がないか、エイサの全力疾走を初めて感じれば、意識の一つや二つ飛ばしてもね」
「気を使って揺らさないように走ったつもりではあるんだがな」
「そう言う問題じゃないと思うなぁ私」
揺れる揺れないの問題ではなく、その速度が異常だと言う事が問題なのだ。
魔法で障壁を張らなければしゃべる事すらままならない速度は、人間が出せる速度なのかさえ怪しいものだ。そんな意味を込めてリアヴェルはエイサへとジト目を向けるが、そんなものをとり合う様なエイサでもなかった。
「とにかく下ろして介抱をしておいてくれ。俺はモンリスの使いを探す」
「それは構わないけど、モンリスの使いなんて見分けがつくの?」
「ああ。すげぇ簡単な見分け方がある」
「へぇ? 参考に聞いてもいい?」
「小鬼なのに必死に使いを果たそうとしている奴がモンリスの使いだ」
エイサの言葉にリアヴェルは目を瞬かせた。
そんな彼女に対してエイサも苦笑する。
「小鬼なのに職務熱心ってこと? そんな小鬼なんて、モンリス以外にいないと思っていたけど」
「それを伝播させる者をカリスマと言って、そのカリスマがモンリスって事さ」