七十六話
馬車を走らせて暫く走る。
数時間と走らせていないが、馬の疲労がそこそこ溜まってきているらしい。
まあ、勇者を連れて夜通し走っていた馬達だ、山の間の林道を走り続けさせているのも疲労を蓄積させる要因の一つだろう。しばし休息させるのもいいかと判断して、馬の速度を落とす。
林道を中心に駆け続けていたせいか、人の気配はない。
馬の手綱を操り、馬たちの足を止める。
暑さをしのげるように日陰に入ると、エイサは懐より地図を取り出した。
「さて、どうやったら魔王領に戻れるかな?」
「って、今まで地図見てなかったの!?」
「ああ」
「ええ……それじゃあ、道があっているか分からないじゃない」
「方角に関しては問題ない。この辺りの地図に関してもある程度は頭に叩き込んできている。それほど大きく間違った道を走ってはいないから大丈夫だっての」
「ま、まあ貴方、私を背負って一直線でセンマの村へ走り抜けた訳だし方向感覚に関しては信用できないわけではないけど……それでもきちんと道くらい確認しないさいよ」
「ああ、全くもってその通りだな。うん」
「……なにその歯切れの悪い言い方。何か問題でもあるの?」
リアヴェルのその言葉にエイサは頬を掻いた。
そしてごまかす事もできそうにないと悟ると正直に答える。
「この先の道行き止まりだわ」
「おい」
「いや、マジで困ったな。このまま進めば山越えになる。馬車が使えんぜ」
「いや、だから地図を確認しなさいと……もういい。それで? どうするつもりなのかな? 方角自体は有っているのよね?」
「ああ。それについては抜かりはない。山三つ越えればナグラム付近に出るはずだ」
「さらっと言ったけど山三つかぁ。仕方がない徒歩で越えましょうか」
そう言いながら馬車より降りてくるリアヴェル。
そしててきぱきと昼食の準備を始める。
こういう意思疎通に関しては長年旅路を共にしてきただけはある。
馬たちの首筋を撫でながら昼食の準備をルンルン気分で行っているリアヴェルを見ながらそう思う。
「……魔王にお昼ご飯を作らせているの? エイサ」
「こればっかりは譲ってくれないんでね」
「辛い事は基本的にエイサ任せだからね、これくらいは私がやるさ」
「って、訳さ」
「ま、まあ、ヴェルが納得しているのなら構わないとは思うけど、誰かに見られたら反感を買われない?」
「さてな。魔王城でもリアヴェルが飯を作っているし、部下にも振舞っている。今更だと思われているんじゃないか?」
「ふぅん? 随分と親しみやすい魔王をやっているのねヴェル。……私の時は恐怖で支配するしかできなかったのに」
「ま、恐怖の部分は大体エイサが担ってくれているからね、そう言う意味では楽なモノよ?」
「おい、初耳だが?」
「ふふ、言ったことないからね」
くすくすと笑うリアヴェルに対してエイサは苦い表情を浮かべた。
それにしたところであまり恐れられているという自覚は無かったが、そんなに恐れられているのだろうか?その割には、こちらを嫌っている面々以外は割と普通に接している気がするのだが。
「いや、それにしては随分と普通に接されていると思うんだが」
「……ああ、君に対して恐怖を抱いているっていう訳じゃない。君ほどの実力者を傘下に収めているさらに強大な化け物として、私は恐れられているのさ。私の戦いを見たものは少ないからね。魔王というだけで、君を部下として抑え込んでいると言うだけで、勝手に勘違いしてくれているという訳さ」
「お前、そんなに強くはないけどな」
「ふん。君が尋常ではないだけさ。私とてニコを相手に抑え込む程度の力は持ち合わせている。伊達や酔狂で魔王などとは呼ばれてはいない」
ただ君が隔絶しすぎているだけ。
その言葉をリアヴェルは飲み込んだ。
そして、温めていたスープの味を確かめる。少しばかり足りない味を調えるために胡椒を一つまみ砕いて入れる。魔王となって一番大きな役得だ。同量の金と取引される価値を持つ胡椒を惜しむことなく使えると言うのは、料理の幅が広がってとてもいい。
「できた。今日のメニューはサンドイッチとコンソメのスープだね」
「美味そうだ。しかし食材に余裕はあるのか? 足りないならいつでも狩りに出るつもりはしているんだが」
用意された席に座りながらエイサが確認した。
目の前に積まれたサンドイッチの量はかなり多い。食べ盛りであるエイサにはありがたい事だが、こんな量を毎回出していてはいくら魔法で食材を持ち込んでいるとはいえ、すぐに無くなりかねない。その事をリアヴェルに問えば彼女はジト目でエイサをねめつけるように見た。
「最低限の量は持ってきていると最初に言ったでしょう? まさかナグラムからセンマの村まで一日で到着するとは思ってもいなかったからね、食事に余裕はあるさ」
「……そうか。なら構わんが」
そう言うとエイサは用意されていた椅子に座ってサンドイッチにかぶりついた。
「お味のほどは?」
「悪くない」
「そう。それは良かった」
エイサが食べる様子を見てリアヴェルは笑みを浮かべた。
それを見ながらサンドイッチに手を伸ばす。成程、中々にいい出来だった。
「どうかな? お母さま」
「ええ、とても美味しいわ」
「シスターは料理下手だったからな」
「碌に食材の無いあの村で、料理の腕前を語るのはナンセンスでしょう?」
「いや、粥も焦がしてたし」
「うるさいわね。魔王二代の手料理を食べるなんて貴重な経験に喜びを示しなさい」
揶揄う様に言ったエイサにリスティアは少しばかり頬を赤く染めてそう返した。そんな彼女に対してエイサは肩を竦める事でこれ以上は何も言わないよ。なんてアピールをする。そして再びサンドイッチに手を伸ばして掴む。飲み込んだ後にスープを啜るとその香りが鼻腔を駆け抜けた。
一心不乱に食事をとっている彼をリアヴェルは自身の作ったサンドイッチをぱくつきながら横目で眺めている。淡々と食べ続けるエイサの姿を眺めて頬を緩めると、それを見つけたリスティアが彼女に小声でからかう。
「ヴェル。あなた本当にエイサの事が好きなのね」
「ええ。そうだけれど? 何かいけないかな?」
「ふふ、いけないわけではないけれど、その道は大変だよ?」
「ええ。そんな事は百も承知。だけれど、魔王だからといって自分の幸せを諦める必要なんてどこにもないでしょう?」
そう言って笑みを浮かべるリアヴェルにリスティアは小さくため息をついた。
実にからかい甲斐の無いことだ。茨の道だと知っていてもその道を歩むことに一切の躊躇いの無い彼女。魔王なんてものに祭り上げられてなお、自らの幸せを諦めないその姿は、魔王であることに絶望したリスティアにはひどく眩しいものに見える。
「何をひそひそ話なんてしているんだ?」
「ふふ、女の子同士の会話。エイサには教えてあげないよ?」
「そうか。全く興味がないな。それに、女の子ねぇ?」
はぐらかしたリアヴェルの言葉にエイサは興味を失ったようにそうつぶやいて、リスティアの方を見た。
その視線にリスティアは笑みを浮かべて問いかける。
「何かなエイサ?」
「いや、シスターが女の子ってのは無理があるな、と」
「失礼な。これでも肉体年齢は二十二なのよ?」
「育ての親が女の子などと言われても違和感しかねーんだよなぁ。……そもそも二十二ってのは女の子って言うには十分年増だろうに」
基本的に女子は十六までには嫁に行く。
それを一年過ぎれば行き遅れ。二年過ぎれば年増だ。
そんなところで育ったエイサからしてみれば二十二歳と言うのはもはや大年増といっても過言ではない。
「ぶ、文化の違いだから」
「というか、歴代の魔王がそもそも結婚をしていたなんて記録は無いから年増もなにもあったものではない気がするけれどね」
「……魔王ってのは年増と独身男の巣窟か?」
「無論、寵姫の類を多数持った魔王もいたらしいけれど、大体は子供さえ残せずに勇者に薙ぎ払われてるからねぇ」
「やはり勇者ってのは碌なことをしないな」
「後日へ禍根を残さないと言う意味では当然の処置だと思うけれど?」
その言葉にエイサは鼻を鳴らした。
勇者の所業。それが気に喰わなかっただけだ。
その態度にリアヴェルは目を見開く。
エイサがこんな対応をするとは思わなかったから。
彼は勇者アリスに執着している。
勇者アリスを殺す。その為だけに生きていると言っても過言ではない。
そんな彼が、勇者アリス以外に自らの感情を露わにするのはとても珍しい。
「どうしたのエイサ? 何か心持でも変わったの?」
「……いや、俺の心は何も変わっちゃいないさ」
「嘘だね。今までの君なら魔王の末路になんて感情を出さなかった。どうでも良いと切り捨てたはずだよ?」
「……そうか。お前が言うならそうなのかもしれないな」
「それで? 何を思ったの? 君の心の在り方、その変質理由を教えて欲しいな」
「別に……」
なにに憤っていたのかエイサは自分自身でさえつかめていない。
そんな状況ではリアヴェルの問いに返せる答えは持てなかった。
そのエイサの様子をリアヴェルはにこやかに見つめる。その笑みは慈愛に満ちたもので、その視線にさらされたエイサは、バツの悪そうな表情で手元のサンドイッチにかぶりついた。
「……いつか、その答えを掴んだなら、真っ先に私に教えてね、エイサ」
「……ああ。努力しよう」
夏の日差しが木々の隙間より漏れ落ちる。爽やかな風が三人の間を縫うように吹いた。馬車馬のいななく音しか聞こえない穏やかな空気の中で、エイサは黙々とサンドイッチを食べていた。