六十八話
「エイサ?」
エイサの態度にリアヴェルが不安そうな声を上げた。リアヴェルの言葉にリスティアがその美しい風貌に浮かべる笑みをさらに深める。美しいのにどこか不安を抱かせるそんな笑みだ。その笑みはエイサの名を聞いたがゆえに浮かべるもの。彼女は噛み締めるようにエイサに問いかける。
「エイサ……成程、うん。良い部下を持ったようだと思ってはいたけれど、エイサ、君だったのかい?」
「質問に答えろ、シスターリスティア」
「ふふ、答えの分かっている問いは質問ではなく、詰問というのだよエイサ」
「それが答えか」
「そうだね。そうとも取れるのかな」
その言葉にエイサは剣を突き付けた。
空気に緊張が増す。
エイサが放つ殺気は余りにも強く、リアヴェルとリスティアに突き刺さった。エイサの放つ本気の殺意にリアヴェルは慌てたようにエイサを止めようと手を伸ばすが、ちらりと視線を向けられるだけで何も言えなくなった。それほどに濃密な殺意を身に纏う。戦場において万象を斬り潰す無双の戦士。彼の殺意をまともに受ければ、戦場の経験が浅いリアヴェルでは答える事も出来ない。
「怖いなぁエイサは。流石は勇者様というべきかな。それとも、部下の手綱も握れない不肖の娘を嘆くべきなのか」
「シスターリスティア」
「そうだね。君の問いに答えるとすればイエスかな。リアヴェルは私のサブだ。そのつもりで布石を打ってきた。君というイレギュラーが無ければ、もしかしたら上手くいったかもしれなかったのに残念だよ」
「お母さま……?」
「でもね、私だって彼女の事を愛していない訳じゃない。今回の事はある種の親心さ。魔王としての宿業など、背負わせたくないと言うのは親として当然でしょう?」
「その為になら自らの娘を殺しても仕方がないとでも言うのか?」
その言葉にリスティアは笑みを浮かべた。
その笑みは積極的な肯定ではない。だが、決して否定でもなかった。
「お母さま!?」
「ふふ、何かなヴェル?」
「どうしてっ!! なんでっ!!」
「ふふ、なんでだと思う?」
「分からない。分からないよお母さま!!」
「しょうがない子だ。それじゃあ、ヒントを上げよう。ヒントその一。私はアリスとエイサを探し出して拾って、彼女たちと暮らしていた。そう、二人が物心つくときから」
そう言ってリスティアは指を一つ立てた。
唐突な彼女の言葉にリアヴェルは少しだけ呆気にとられ、そして彼女の言葉を聞いて顔色を青ざめさせる。
「ヒントその二。ヴェル。君には私と暮らした幸せな記憶がある」
「やめて……」
「ヒントその三。君には父親の記憶がない」
「やめてよ……」
「ヒントその四。君はこれだけの事実を突きつけられて、それでも私に対して負の感情を抱けない」
「やめて、お母さまっ!!」
五本目の指が立てられる前にリアヴェルが息を荒げてリスティアの言葉を遮った。
これ以上聞けば致命的な何かがあると理解してしまいそうだから。もうこれ以上は聞きたくないと、耳を塞ぐ。だがそれでもリスティアは言葉を止めはしない。
「最後のヒント。君はいったいどうやって生れ落ちたかのかな? 何故スロブと一緒に旅なんてしていたのか」
そう言い切るとリスティアはゆっくりとリアヴェルに近づこうとした。
しかしそれをエイサが遮る。
肩を竦めるようにして近づくのを諦めたリスティアはその場から一歩も動かず、ただ言葉だけでリアヴェルを追い詰めることを選んだ。
「では、答え合わせと行こうかなヴェル」
「やめて……」
「女神のシステムは完璧だ。只人という種族を管理、繁栄、運営していくためにこれ以上ないシステムを採用している。自らを崇めさせることで管理の効率を向上させ、災害を自らの意思のままにコントロールする事で繁栄をもたらし、只人では及ばぬ魔王という危機を選出することで行き過ぎた革新を抑制し、勇者という救世主をもたらす事で危機を終結させ、さらなる信仰を女神に注がせる。その結果、只人の革新発達は抑制され、同時に只人の運営は盤石となる」
「やめてください、お母さま」
「実によく出来た運営システムでしょう? その結果がこれだ。只人は万年の平和を享受し、万年の停滞はかつての事実を忘却し。只人はこれからも長く繁栄と停滞を続けていく。だけど、その世界に魔王の幸せなどないの」
そう言うとリスティアは天を仰ぐ。
睨む先は天上に住まう女神アリスか。睨みつけるままに彼女は言葉を紡ぎ続ける。その言葉には彼女の諦観と彼女の怒りが込められている。
「それに納得など出来るはずがない。魔王の役目がその存在をもって只人の繁栄を抑制し、勇者に倒される事で只人の運営を上手くするための物であるなど、肯定できるはずがない。だけど、女神のシステムに不備はない。魔王という存在では勇者に勝つことは不可能。魔王の証は持ち主に絶大な力魔力の行使権限と絶大な不死性を与えるけど、勇者の剣はその不死性を剥奪し、勇者の証は魔王に対する対策戦闘能力を与えのだから」
「だから、一度死んだという訳か。死したものに魔王の資格は残らない。次の有資格者へ資格は移動する。そう言う事か? シスターリスティア」
「ええ。その通り。察しが良いねエイサ」
「もうあらかたの筋書きは読めた。リアヴェルはそのためのサブの肉体という訳か」
「そう言う事。最もプランとしてもサブのつもりではあったのだけれど、幼くとも勇者は勇者。アリスの見事に私の肉体を即死させた。身体の時を止めることで即死から逃れ、リアヴェルの魔力を用いて時間回帰魔法まで用いて蘇生を試みたおかげでどうにかこうにか今生きてはいるけれど、このままでは死んでしまいそう。だからねヴェル。貴方の肉体が欲しいのよ。魔王の資格をこの身へ移植させたうえで精神と魂を入れ替えれば私の目的は達成される。私は初めて魔王という呪いより解放されて、これからの生を謳歌できるの。だから……貴方の体を私に頂戴?」
その言葉にリアヴェルは崩れ落ちた。
そんなリアヴェルにリスティアは一歩近づこうとする。それをエイサが再び剣を向ける事で押しとどめた。
「……邪魔をするの? エイサ?」
「当然だ。こいつとは契約を結んでいる。その契約を果たしてもらうためにこいつには生きていてもらう必要がある」
「契約? 勇者である貴方が魔王であるヴェルと一体どういう契約を結んだのかしら?」
「勇者を殺すための餌となると言う契約だ」
「へぇ? 随分と妙な契約を結んだものねエイサ。いったい何のために? もしかして、アリスが私を殺したから、その敵討ちのために?」
リスティアの言葉にエイサは何も答えない。ただ、ひりつくような殺意をリスティアに向けるのみ。そんな彼の態度に彼女は苦笑を浮かべた。
「だとするのであれば、もうその契約はいらないでしょう? 敵討ちも何も、私はまだ死んでいなかったのだから。死者が敵討ちを望まないなんて復讐に走る者を止めるための常套句であるけれど、今回は生きている私が願いましょう。エイサ、憎しみにとらわれずに生きて。私のために復讐になんて手を染めないで、と」
「……成程。一理はある」
「そう。それじゃあ」
「だが」
エイサはどかない。
リアヴェルの前より一歩たりとも動かずリスティアに剣を突き付け続ける。その様子にリスティアは小さく首を傾げた。
「どうしたのエイサ? もしかしてヴェルに情でも移った?」
「いや、全く」
「それじゃあ、どうして?」
問うリスティア。その声は心底不思議そうだ。一番可能性の高いリアヴェルへ情が移ったのかという問いを一切の躊躇いなく切り捨てたその声にまるで嘘はなかった。ならば恋愛感情の類かとも考えたが、エイサにそう言った類の感情はまるで見て取れない。そうであるのなら、もはや理由が理解できない。
「つまらない勘違いをするなよ、シスターリスティア」
「勘違い?」
「俺は俺の感情のままに復讐をしている。アンタの敵討ちとかそう言う感情もないわけではないが、それはまあごく一部。俺はね、俺のためだけに、俺自身の意思のみで復讐をしている。だから、アンタの説得は俺には届かない」
「……なに?」
「育ての親に対する恩義? アンタのための敵討ち? 詰まらない事を言うもんだ。そんなものはなあったって無くったっていい。俺はアリスが憎いから、アリスを殺すんだ。そんな詰まらない理由を勝手に人の行動原理にしないでくれ」
「っ!?」
その言葉にリスティアは絶句した。
復讐には原因があるはずだ。復讐には理屈がいるはずだ。その根本の理由が無くなって、それでもなお復讐に耽溺するなど正気の沙汰ではない。
目の前の男をもう一度見た。
かつて自分自身と共に住んでいた少年の成長した姿。
勇者の証を持ち、いずれ勇者になるはずだった男。その男の変わり果てた姿がそこにはある。そして、その事に思い至ってある種の納得を得た。
「ああ、そうか。エイサ、君は狂ってしまったんだね。いいえ、勇者の証を持つのなら、神託を受けているはず。神託を受けてそれでもなお神に染まる事ない君が、狂っていないはずもない……か」
「ああ。それは、そうかもしれないな。それで、どうするんだシスターリスティア? このままリアヴェルに手を出さないと言うのであれば、このまま見逃すぜ?」
「へぇ。随分と立派になったものねエイサ。昔の小さかったあの頃とは大違い。……だけど、今ここで見逃されても、私の体には先がない。だから、今ここでヴェルを渡してもらうとしましょうか」
「そうか。なら、存分に足掻けよシスターリスティア」
「良くほざいた。ならば教えてあげましょう。先代とは言え魔王と呼ばれた者の力を」
パチリと火花が散るような音が響く。
黒の魔力が世界を覆う。
それに応じるようにエイサは突き付けていた剣を手元に引き戻して構えを取った。そして、同時に崩れ落ちて動けないリアヴェルを軽くかかとで蹴る事で覚醒を促す。
「……エイサ?」
「戦いになる。離れてろ」
「で、でも」
「泣き言は後でじっくり聞いてやるからさ」
そう言ってエイサは放たれた黒の稲妻をその剣で斬り落とす。その姿を見ながらリアヴェルはのろのろと立ち上がり、頼りない足取りで墓場より離れた。
轟音が響く。世界が揺れる。
リアヴェルが離れるのを見て巻き込むことは無しと判断したリスティアが放った業火が着弾した音だ。その一撃はあらゆるものを焼き焦がす灼熱のそれに等しい。一瞬だけの魔力加速より放たれた一撃は、並の戦士を勇者を屠るに足る一撃だ。それをもって戦闘の幕引きとする。
「やれやれ、ヴェルを追わないと……ね。全く手をかけさせてくれるんだから」
「その程度で勝ち誇るなよシスターリスティア」
「っ!?」
爆炎のが晴れた後に立つのはほぼ無傷のエイサだ。その様子にリスティアは息をのみ。そして認識を改めた。
「成程、狂っても勇者か」
「は……勇者如きと同じにするな」
言葉少なくエイサは踏み込んだ。
それに合わせていくつもの魔法式を多重起動。そして瞬時に幾つものが破壊が放たれた。