六十一話
食堂で食事を森人の青年と取ったエイサはその後に彼に連れられて、彼の研究室に向かっていた。食事をとる時でさえ鎧兜を外さないエイサに妙なものを見る視線を向けていた森人の青年だったが、研究者畑の人間には妙な奴はいくらでもいる。そんな納得と共にエイサに対して突っ込むことはしなかった。
無論、へそを曲げられて大事な実験体に逃げられでもしたら困ると言う、研究者。それもマッドよりの者ならではの理由もあるのだろうとエイサは考察している。彼をマッドよりの研究者だと判断した理由はそれほど難しくない。森人の男が魔王軍側に加わって闇妖精の下で研究をしている理由は、研究が行き過ぎて森人の集落から追い出されたからだろうと推察したからだ。
「それで? 俺の推察は当たりか? 兄さん」
「ははは。流石は将軍ですね。大方の筋では当たりっすよ。しかし俺は自分から出ていったんっすよ。真理の探究のために、自ら集落を捨てたんであって、追い出されたわけじゃない。そこだけは間違えないでもらいたいっすね」
「そうか。そいつは悪かったよ。それで、どんな理由で追い出されたんだ?」
「そいつを聞くかい? まあ、いいけどさ」
「話したくないなら別に構わないけどな」
「いいさ。別に大した理由でもないしな」
そう言いながらも彼は言いよどんだ。
大した理由でなくとも、エイサに伝えるには何かしら問題のある事らしい。無論、エイサに思い当たる節は無い。首をかしげて彼の言葉を待つと、彼はぽつぽつと伝え始めた。
「勇者の証。それの解明のために色々と探っていたら、集落より追い出された。ただ、それだけの話さ」
「勇者の証か」
「そう、勇者の証。只人、亜人種にのみ現れるとされる、魔王に対する神様の慈悲の証にして、種における最優の能力を持つ物たる称号。俺は森人の集落でそれの研究をしていたんだがな、森人にとって神様の加護を解き明かすってのは禁忌だった。汝疑う事なかれ。疑うって事は不敬なんだと」
「だから、ここにか?」
「ああ、そう言うことだ。森人としての使命があると里の族長は言った。それに従い日々暮らす事こそが、俺たち森人にとっての幸せなのだと。それが、万より昔より約束された俺たちの役目だと。……全くもって反吐が出る」
吐き捨てるようにそう言った森人の男はその後にエイサに視線を向けた。
そんな彼をエイサは興味深そうに見ている。
森人というやつは基本的に堅物で、掟に厳しく、祖霊を敬う種族だと、そう聞いていたのにこの男にはそう言う気配がまるでしない。保守派による統治が万年続く集落にあって随分と革新的な考えを抱いている事に驚きの念を隠せない。だからこそエイサはその理由を聞きたくなった。
「何故、勇者の証なんだ? 何故それに執着して解明しようとする?」
「俺の名はイズール。イズール・ビリード。この名前に聞き覚えはあるかい? 将軍」
「……ビリード?」
「ああ。つまりはそう言う事さ将軍殿。リヴィ・ビリードは俺の妹だ」
その言葉にエイサは言葉を失った。
視線が更にきつくなる。しかしながらイズールの方にはエイサに対する隔意が全く感じられず、だからこそ、何を考えているのかが分からない。
「俺はお前の妹を手にかけたが?」
「だからどうした?」
「どうしたって……何かしら思う事はあるんじゃないのか?」
「全くないと言えば嘘にはなるが、勇者として戦う事を選んだのはうちの不肖の愚妹が選んだことだ。俺が文句を言うのはおかしい。殺すつもりで戦ったのならば、殺されることも想定しているさ。将軍に隔意は無いよ」
「……俺が言うのはおかしな話だが、冷たい兄貴だな」
「当然だろう。俺は自分の故郷を捨てて魔王軍に協力している裏切り者だぞ」
さらりとそう言う彼の言葉に気負いはまるで感じられない。
彼の言葉に嘘はなさそうだが、随分と淡々という彼にエイサは小さくない衝撃を受けた。
森人は自身の森に入ったものが、その森の若木の枝を折れば、骨を折って贖いとする程に、よそ者を嫌い、身内を大事にする種族だと聞いていた。しかし、目の前の男は自身の親族を蘇るとはいえ殺した男に対して、何の感情も抱かないと言う。それは中々信じられない事だった。
「……まあ、隔意がないって言うのならこれ以上は問わない」
「そいつはありがたい。俺が実験にかこつけて将軍を害そうと思っているなんて勘違いで、研究成果を試してもらえないんじゃ本末転倒だからな」
「それを理由に俺が断ったらどうするつもりだったんだ?」
「別に何もしないさ。だが、将軍は力を求めている。無論伝え聞く将軍のうわさを聞く限りではだが。そんな男が、新しい力を手に入れるチャンスを逃すはずもないだろうとは思っていたさ」
「そうかい。……ま、正解だイズール」
「それは良かった。これでまた私の研究も進むだろう」
そう言うとイズールはエイサを先導して進む。しばらくして到着したのは彼の研究室らしかった。中では何名かの技師が忙しなく動いている。そこにはエイサがエルメルダに預けた剣あった。
「あんたが研究してたのかその剣」
「ああ。うちの所長は勇者の証の解明にご執心でね。彼女の手がふさがった結果、これが私たちの手元にまで下りてきたのさ」
「それで、首尾は?」
「上々というべきかな。少なくとも使用できるようにはなった」
その言葉にエイサは驚きの表情を見せた。
エルメルダで解明できなかった仕組みを、この男は容易く解明できたと言ってのけたのだ。魔法技術に関してエルメルダの右に出るものなどそうはいないと思っていただけにその驚愕はひとしおだ。
「凄いな。あのエルメルダを出し抜いたのか」
「ははは。そうであるのなら誇るんだけどな。生憎そういう訳じゃない。確かに所長はこの剣を起動させることはできなかった。それはあくまで所長がこの武器を単体で使用するものだと考えていたからだ。この剣を魔法具として運用するのであれば、この武器単体で完結していなけばおかしいからな」
「だが、これはあくまで剣。使用者がいて初めて起動する剣。魔法具ではなく単純に剣であるのであれば、担い手があって初めて完成するのは自明の理ってことか」
「流石は我らが魔王軍最強の騎士様。ご明察だな」
「世辞は言い。それで、この剣をどうやって起動する? 勇者の証が必要ですでは意味がないぞ?」
「ああ、勿論わかってるさ。という訳でこれを手に付けてくれ」
そう言って渡されたのは瓶に入った液体だった。
緑色で薄く輝くその液体は控えめに言って体によさそうな気配はない。使用するのには少しばかり勇気がいる。とはいえ躊躇っていたところでどうしようもない。手に付けるために籠手を外そうとするとイズールより静止が入った。
「いや、籠手の上からで問題は無いよ」
「そうか。ならこのままで」
そう言うと籠手の上に液体を垂らす。
片手の手のひらで受け止めそれらを小手全体に広げる。するとその液体の輝きが僅かに増して、そのまま籠手の中に染み込むように液体が消えていった。
「よし。それじゃあ剣を持ってくれ」
「了解」
それを見て取ったイズールより指示が出る。
それに答えてエイサは女神の大剣に近づくとその大剣を一気に引き上げた。そして構えれば僅かに小手が輝き、その輝きに反応するようにして大剣にも光が宿る。その光はどこまでも神聖な気配を感じさせて、反吐が出そうなほどに美しい。
「成功か。凄いな」
「そりゃどうも。それじゃあこれから実験だ。準備はいいかい?」
「ん? 使えるようになったんだから成功じゃないのか?」
「いや、起動する所までは既に確かめてある。問題はこの大剣を触れる奴がこの研究所には誰もいなかったって事だ」
「成程。だから俺の手がいるってわけか」
「その通り。起動しても触れないんじゃその真価を確かめることはできない。だからこれを自在に操れるような剣士が欲しかったんだ」
「わかった。……それで? 的はあるのか?」
「鋼鉄を用意してある」
「……鋼鉄くらい、普通の大剣でもぶった切れるが、それでもいいのか?」
「普通の剣程度の切れ味が発揮されればそれで成功だ。どの程度のものまで斬り裂けるのかの実験はまた別の話だ」
イズールはそう言うとエイサを研究所の中庭へといざなった。
其処には確かに、鋼鉄の塊がそのまま置いてある。
その鋼鉄の塊にイズールは近づくと懐より取り出したチョークで横線を引いた。
「それじゃあ、この線通りに斬って欲しい。出来るか?」
「はいよ。それじゃあ少し離れてろ」
エイサの言葉に従いイズールが鋼鉄より離れる。
十分に離れたことを確認するとエイサは女神の大剣を軽く振るった。
音もなく一閃。
その一撃は見事に線をなぞって見せた。
「……まだか?」
「いや、今ぶった切ったぞ」
「……おお、すごいな全く見えなかった」
エイサの言葉を聞いてイズールは鋼鉄の塊へと近づいた。そして引かれた白線の上を押すと滑るように鋼鉄が動いて地面に落ちる。その切断面はまるで磨いたかのように輝いている。
「流石は将軍だな。凄い腕だ」
「いや、この大剣の性能だな。信じられん切れ味をしている。切った感触が手に伝わってこないぞこれ。……そりゃ、こんなもん振り回してたら鎧とか着てても無意味なはずだ」
ため息をつくようにエイサはそう言った。
思い返すのは勇者たちが持つ二本の神器だ。あれの切れ味もこれに並ぶのだから正直やってられない。
「んじゃ、ありがとな将軍」
「ああ。それで、この後はどうするんだ?」
「ん? ここからは俺の仕事さ。この切った後の境界面の調査とかいろいろとやることもある」
「……新しい武器はどうした?」
「女神の大剣。使えるようになるなら十分新しい武器だろうさ」
「いや、それはそうだが……この剣持っていってもいいのか?」
「あー……いやそうだな。できれば置いていって欲しい。まだ調べたいことが山ほどある」
「だよなぁ」
そう言ってエイサは大きなため息をついた。