六十話
エルメルダが課長を務める研究所にてエイサは来ていた。
いつもの通り勝手にエルメルダの研究所へ足を向ければ、彼女はため息をエイサに向けてついて見せる。何のアポもなく、唐突に来る彼に対する呆れの感情が表に出たらしい。とはいえ、招かざる客という訳でもなく、ぶしつけな対応を取ることもできない彼女は、所長室の椅子に腰を掛けたエイサのためにお茶を入れ始めた。エキゾチックな彼女の美貌から見合わない緑茶。それを、陶器で作られたコップに注ぐとエイサの前に置いた。
「お茶請けは無いのか?」
「お煎餅でよろしければ」
「なら、頼む」
割と図々しい事をさらりと言うエイサに対してエルメルダは再度ため息をつく。戸棚よりお煎餅を取り出しながらエイサの様子を観察してみれば、いつも通り身に纏う鎧には僅かに土埃が付着していた。ある程度の汚れは落としてはいる程度の配慮はしたらしいが、落とし切れていない場所が所々に見える。戦場の残り香、戦いの余韻だ。
それを感じ取ってエルメルダは文句を言う事を止めにした。
エイサが鎧を汚すほどの激戦があったという事を悟ったからだ。その激戦の後ともなれば空腹を抱えていたとしてもおかしくは無いだろう。エイサの前に木の盆に盛りつけたお煎餅を出す。お茶を飲んでいたエイサは、間髪入れずにそのお煎餅に手を伸ばした。鎧を僅かにずらして口元にそのお煎餅を運び、バリバリとほおばる姿は、エルメルダから見てもどこか可愛らしい。近所の弟分でも見ている気分になりながら、エイサの目の前に腰を下ろした。
「それで、どのようなご用件ですか? まさか、お茶を飲みに来たという訳ではないのでしょう?」
「ああ」
一言そう言うとバリボリと音を立てて一旦煎餅を飲み込む。そして注がれたお茶をもう一度鎧をずらして飲み干すと、再び兜をかぶり直してエルメルダの方へ向き直った。
「進展はどうだ?」
「それほど、大きな進展は有りませんね。刻印が複雑に絡み合う事で多くの術式を小さくまとめている。その内容を読み解くとなると、中々うまく進みません。ご期待に沿えず申し訳ありませんが……」
「そうか」
そう言うとエイサはまた煎餅に手を伸ばした。
バリバリという音が響き、次いで飲み込む。そのエイサの様子を見てエルメルダの眉尻が少しだけ下がった。
「それだけでしょうか?」
「いや、無論それ以外にも目的はあるが……美味いなこの煎餅」
「ありがとうございます。ナグラムの港町の物らしいですよ? この前占領した港町で買ってきたと、部下が言っておりました」
「へぇ。あの辺の名物なのか?」
「いえ、どこでも売っているものですね」
「そうか」
またバリバリという音が響く。
その様子にエルメルダはため息をついた。
「……あの、お煎餅を食べに来られたなら、これ進呈しますので帰ってもらってもよろしいですか将軍。これでも私、忙しいんですが」
「ちょっと待て、俺だって何の用事もなくここに来たわけじゃない」
「……では、どのようなご用件で?」
「少しばかり聞きたいことがある」
「聞きたいこと、ですか?」
「ああ、そうだ。勇者の証の事でな」
エイサの言葉にエルメルダは少しだけ考え込む様子を見せた。
勇者の証についての研究は現在進めているところだ。その持ち主として何かに気が付いたというだろうかと推察するが、この証を使う事を拒んでいる……というよりも恐れているエイサが進んで使うことは無いだろう。となれば、相対した勇者と対峙して何か掴んだのか。
「……それで、なにを?」
「以前お前はこの証の仕組みの一つに、勇者が死亡したときにその屍を魔力に変換して、どこかに送る術式が刻まれていると言ったな」
「はい。確かに」
「その事で聞きたいんだが、勇者の屍を全て魔力に変換したとして、その魔力を元に肉体を再度構築することはできるのか?」
「いえ、不可能かと」
「そうか。その理由は?」
「純粋にエネルギーが足りないからです」
「エネルギー? それは魔力が足りないって事か?」
「いいえ。魔力ではなく、純然たるエネルギーが足りないのです」
「……? 意味が分からんのだが」
首をかしげるエイサに対してエルメルダが優しく説明する。
「物体が変化する時にはエネルギーが必要となります。例えば水が気体に変わる時。水が固体に変化する時。共に外部からの熱エネルギーによってその変化が引き起こされるように、物質が魔力に組み変わる時にはエネルギーが必要となる。ですので人間の体を全て魔力に変換するのであれば、その変換するためにエネルギーが必要になります。そしてそのエネルギーを屍の持つエネルギーで補う以上屍全てを魔力に変えても、変換するエネルギー分魔力量は目減りしますので完全な形で肉体を再構築することは不可能です」
「成程な。全く分からん」
「ともかく、理論としては不可能だと思っていただければ。そしてその原因は魔力変換によるエネルギーの使用によるもの。かいつまんで言えばそう言う事になります」
「勇者の屍が変換された魔力を用いて肉体を再構成するのは不可能だ。そういうことだな?」
「ええ、その理解でよろしいかと」
「ならば、記憶だけならどうだ?」
「記憶、ですか?」
「そうだ。記憶、経験、あるいは魂か。そう言ったものを魔力に変換し女神様の下へ帰還させ、それを元に女神様がから新たな肉体を受け取ることで蘇生する。それなら可能か?」
「……」
エイサの言葉にエルメルダは押し黙った。
黙々と何かを考えこんでいる。
こうなったエルメルダに声をかけるのは無駄な事だ。自身の世界に没頭してそう簡単には戻ってこない。仕方なくエイサは再びお茶請けのお煎餅に手を伸ばした。一度に二枚ほど取り、一枚を兜をずらして加えつつ、座っていた椅子を立つと、さらりとエルメルダの部屋を後にする。
エルメルダの研究室がある場所には他にも魔法絡みの使い手や魔道具絡みの錬金術師並びに魔法技師などが集まり研究を行っている。外へ出れば何人かいるだろうと言うエイサの判断は正しく、二枚の煎餅を食べ終わる前に歩いていた森人の青年を見つけた。口の中に残っていた煎餅を飲み込んでエイサは彼に声をかけた。
「兄さん、ちょっとばかし聞きたいことがあるんだが、ここの奴らって昼飯はどうしてるんだ?」
「は、は? 昼飯? なんだお前は?」
「エルメルダの客さ。話してる途中に考えこんじまったからな、その間暇だし飯を食うつもりだったんだが、ここの奴らはどうしてるのか聞きたかったんだ。なんだ? 食堂でもあるのか?」
「あ、ああ。一階に食堂はあるが……エルメルダ様の?」
「そうかい。そいつは助かる。ありがとな」
「あ、ああ」
目的の場所を聞き出すとエイサは一階へ向かう。
エルメルダの研究室はこの施設の三階。すなわち最上階にある。一階へ向かうための階段へ歩いていこうとすると、先の青年より声がかけられた。
「お、おいちょっと待ってくれ。アンタ所長の客なのか?」
「ああ、そうだが? 何か問題でもあるのか?」
「いや、問題はないが何の用事なんだ? そんな鎧甲冑で身を固めた奴が所長に用事とは信じられないんだが……そもそも、アンタ身分証明書も身に着けてないのにどうやって入った?」
「普通に転送用の魔法陣から一直線にだが」
「転送用の魔法陣から?」
答えたエイサに向けて胡散臭いものを見るような視線を森人の青年は向けてくる。
何か妙な事でも言ったかと考えるが、エイサには特に思い当たる節は無い。
「あの魔法陣は基本的に副将位以上の位階にあるものにしか使用できないはずだが、アンタ何者だ? 勇者対策研究課になんぞ来る将官位の奴は殆どいないと聞いていたんだが」
「少なくとも一人はいるだろう」
「スロブ様か? あのお方は俺たちの直接的な上司にあたる方だから時折来られるとは聞いているが、貴方がそうだと?」
「いや、俺はスロブ爺さんではない」
「だろうな。奴ら特有の鉄臭さがない。となればアンタは何者だ?」
「もう一人いるだろう。もっぱらここしか利用しない将軍が」
「エイサ将軍の事か?……いや、しかし……」
「なんだ? 俺がエイサで間違いないんだが、何か問題でもあるのか?」
「いや、問題ではないが、イメージと違ったものでしてね将軍」
「イメージ、ねぇ」
「まさか稀代の大将軍様が煎餅ぼりぼり食いながら歩いてるとは思わんでしょう?」
その事を言われてエイサは自身の兜に手を当てた。
かちゃんという金属音が彼の気まずさを示す。
ジト目でこちらを見てくる森人の青年の視線から逃れるように、エイサは視線をさまよわせた。しかし、目に入るもので特に気になるものは無かった。
「……戦闘が終わると腹が減るんだよ。こう見えて鍛えていてな、そのせいで燃費が悪いのさ」
「いや、見た目からしてムキムキのマッチョメンだ。無茶苦茶鍛えてるようには見えるよ」
「だったらそれで納得してくれ。今までは戦闘が終わればすぐに飯にありつけたんだがな」
今回はイヴリスの陣内だったため食事もとらずにさっさとその場所を辞したのだ。そして、魔王城に一度帰還もしていない以上、ここで食事をたかるのは仕方がない事だとエイサは自分自身を納得させた。
「そうですか。そう言う事なら仕方がありませんね」
「そうなのだ。そう言う事なんで、俺は飯を食いに食堂に行ってくる」
「あ、私が案内しましょうか?」
「良いのか? 兄さんも仕事中だろ?」
「いやぁ、勇者対策用の魔法具作ったんですけど、どうにもテストプレイヤーが見つからん訳でして、もしよければ食事が終わった後、将軍殿に試していただければありがたいのですよ」
「……なるほどな。まあ、それくらいは良いぜ」
「では、こちらですよ将軍殿」
先ほどまでの態度と打って変わってきびきびと森人の青年はエイサを案内し始めた。
その変わり身の早さに苦笑しながらエイサは彼についていく。
「変わり身の早い事で」
「いやぁ、うちの部署勇者対策とかニッチな事研究してますからねぇ、あれなんすよ」
「あれ?」
「実験台……というかテストしてくれる人が少なくて。将軍が手伝ってくれるなら最高ですね」
「そうか。良い度胸してるなお前。一応俺これでも将軍だぞ。それを実験台扱いするのか」
「言葉のあやってことで一つ。結局俺らの作った対策道具、将軍が使うんですし」