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五十九話



 戦いを終えてエイサはイヴリスの陣に戻って来ていた。

 勇者を倒した後の戦いについてエイサが何かしら手を出すつもりは無い。

 勇者を引きずり出すために敵陣を蹂躙することは有っても、勇者を殺した後にわざわざ追撃をかけるのはエイサの趣味に合わない。そんなことをしている暇があれば、鍛錬でもしている方が有意義だと考えるのがエイサだ。また追撃戦という戦功を稼ぐ場所をあっさりと放棄するのは、これ以上の戦功など自身には必要ないと思っていることも無論ある。勇者を殺す以上の戦功はそうはない。ならば、それ以上の戦功を稼ぐのは時間の無駄どころか、余計な嫉妬を買うだけだ。エイサは別段他者からの評価など気にするようなタイプではないが、余計な恨みは買わない方がスムーズに勇者と戦える。


「おかえりなさいエイサ将軍。流石はわが軍が誇る最強。……だけど、もう少し手早く決着をつけられなかったのかしら? 貴方が手こずったおかけで、王国軍も貴方の単騎駆けの衝撃より立ち直ってしまったわ」

「知らん。そこまでは俺の役目ではないからな。俺の役目は勇者を殺す事のみ。王国軍を駆け散らしたのも、その目的を果たすための手段でしかない以上、それを目的とされてもそうとしか返せない。そもそも、勇者という援軍を潰したことによる意気消沈。俺が戦ったことによる恩恵が欲しいと言うのであれば、それで十分だろうさ」

「勿論、今の機に乗じて戦線は押し上げさせてもらったけれど、これ以上戦線を押し上げるのは難しい。これ以上戦線を押し上げればキヨウを占領しなくてはならなくなる。平原部に築かれたあの都市を下手に占領してしまえば、守りに手がかかりすぎる」

「ヒヴィシスと連携してイグン山からの圧力を増させればいいだろう。あの男、そろそろ守備だけでは物足りなくなってきている頃合いだろ。イグン山からの圧力が強くなれば、キヨウの北まで一気に進軍することもできるんじゃないのか?」

「嫌よ。そんなことすれば、あの男と戦果を分け合う事になるじゃない」

「分け合えばいいだろう。ヒヴィシスは敵ってわけじゃないんだから」

「ふん……エイサ。貴方には分からないでしょうね、魔王様のご寵愛篤き貴方には」


 そう言いながらエイサを睨みつけるイヴリスの視線は鋭かった。

 その視線は怨嗟に似た色の感情をのせている。怨嗟、羨望、嫉妬。そう言った感情をほとんど感じないエイサにはまるで分らない心情ではあるが、それが彼女にとって譲れないモノであることは理解できた。そして、それに対して口を出すつもりも彼にはない。

 もとよりエイサ自身も自らの都合で魔王軍に所属しているだけの男だ。そんな男がどの口で魔王軍のために動けなどと口にできるのか。誰もが自らの望みのために動く。そのための組織として魔王軍を利用する。エイサはそれでいいと思っている。だから、エイサが彼女に返せる言葉は立った一言だけだ。


「好きにしろイヴリス」

「ええ。好きにするわ」

「ただし、俺の邪魔だけはするなよ、イヴリス」

「さて、どうかなぁ。私の目的に君が邪魔だと思えば、君をどかそうとするかもしれないね」


 くすくすとイヴリスは笑って見せた。

 その笑みはどこまでも透明で、どこまで純粋な笑み。正しく人ならざる悪魔の笑み。常人ならその笑みを見ただけで、精神に衝撃を受けそうなそれをエイサは真っ直ぐから見据えた。笑み浮かべたイヴリスとエイサの視線が交わる。イヴリスの情念がエイサに絡みつくような錯覚。凄まじい圧力プレッシャーを放つ彼女の視線をあっさりと振り払って、エイサはもう一度だけ先ほどの言葉を彼女に返した。


「好きにしろイヴリス」

「……本当に嫌な男。誰よりも強く、誰よりも高みにあって、あのお方の寵愛篤き無双の騎士。……うん。やっぱり私、貴方の事が嫌いよ」

「そうか。また至極、どうでもいい話だ」


 そう言うとエイサは彼女の陣を後にする。

 背に受けるイヴリスの視線の一切を無視して。


「随分と嫌われたようですな、エイサ将軍」

「そう言うお前は随分と好かれたみたいじゃないか、モンリス」

「悪魔に好かれるってのは良い事なんですかねぇ?」

「さてな。だが、お前ならどのような縁であろうとも自身の利益に還元するだろうと思っているさ」

「ははぁ。そいつは誉め言葉ですかい?」

「ああ。信頼していると言ったつもりだぜ?」

「かか。なら、その期待に応えないといけませんなぁ。……しかし、よろしいので? イヴリス将軍。放っておくには少々情念が強ぎますが……」

「は……情念だけではどうにもならんさ。そもそも、あいつの情念程度で俺がどうこうなると、お前本気で思っているのか?」


 そう言うとエイサはモンリスに視線を向けた。

 エイサの瞳を真正面から見たモンリスは彼の瞳に宿る炎を幻視する。燃え盛る漆黒の炎。自身さえ燃え尽きさせる程に燃え盛るその炎は、その勢いを一切減じさせる事無く燃え続けている。それこそ、並の情念程度では触れ得ぬほどに。


「杞憂ですかい。……が、まあ少しだけ覚えておいてください将軍。女の情念は恐ろしいものですぜ?」

「ふん。それほどまでに欲しいものかね、うちのお姫様の寵愛ってのは」

「それは、将軍が寵愛を受けているから言える言葉でしょうさ」

「受けていなくても、俺が欲すると思うのか?」

「思いはしませんとも。ですが、人が何を望み、何を願うかはそれぞれ。イヴリス将軍はその欲したものがたまたま魔王様の寵愛であり、将軍は魔王様の寵愛ではなかったという事なんでしょう。イヴリス将軍が欲したものを将軍が持っているとはいえ、それを追い求めることを否定することはできませんぜ?」

「それは確かにその通りだ。無作法ではある。以後気を付けるさ。誰れに聞かれているかもわからん事だ」


 そんなことを話している内に二人は自身が愛馬をつないだ場所に戻って来ていた。

 自らの愛馬がそれぞれの主人が近づいてきたことで出す甘えた声に答えて、杭に繋いであった手綱を外すと颯爽と騎乗した。向かうはイヴリスの陣より少し離れた場所にある魔王軍の拠点だ。そこに転移用の魔法陣が設置してある。エイサはそこに一度戻り、今後の予定をモンリスが決めるまで鍛錬に勤しむつもりだった。


「……いや、構わないんですけど、将軍、これまで勇者の探索とかどうしてたんでさぁ?」

「基本的には勇者共が現れたと聞いてから動いていた。アリスだけだった時であればそれで十分対応できた。以前のアリスは今ほどの力量を持っていなかったからな」

「成程」

「しかし、妙な話だ」

「妙。ですかい?」

「ああ。妙だ。勇者共の数が増えるってのは有りうることだと考えていた。俺にも証がある。そうである以上、勇者の証を持つ者が俺とアリス以外に存在していたとして不思議はない。だが、奴らの成長速度は妙だ」

「それは、どういう意味で?」

「ある程度の力量の向上は理解できる。新たな魔法を習得し、新たな技法を習得すればそれだけで力量は上がるからな。……しかし身体能力の急激な向上は流石にありえない。全く鍛えてこなかった戦いの素人ならともかく、ある程度の力量を備えていた戦士がいくら死線を幾度も潜り抜けているとはいえ、ああまで身体能力が向上するのはおかしい。いや、身体能力だけならまだ納得もしよう。だがアリスにしてもソウジにしても最初は俺の剣を視認する事さえ許さなかったはずなのに、今ではフェイントにさえついてきている。単純な筋力、敏捷性、耐久力ならまだしも反応速度まで上がっているのは流石に異常だ」

「それが、勇者の証の効力なのでは?」

「無論そうなんだろうさ。しかし、いくら神様の奇跡により刻まれた証による成長とはいえ、ここまで急激な身体能力の向上など起きてしまえば、今までの身体能力との齟齬が起きてもおかしくない。成長した肉体の反応速度に振り回されかねない。それくらいに奴らの身体能力は跳ね上がっている。まるで、肉体をそのものを入れ替えているかのようにだ」


 そう言ってエイサは首を振った。そして、自分の言葉に納得したかのように言葉をつなぐ。


「ああ、そうか。入れ替えていたな奴らは」

「勇者の屍は魔力の粒子となって大地に還る。そう言う意味では死亡する度に新しい肉体に入れ替わっていると言っても過言ではないでしょうけど……」

「モンリス。俺はエルメルダの下へ向かう。何かあったらそっちに連絡をよこせ」

「了解っす。それにしてもエイサ将軍、一つだけ聞いてもいいっすか?」

「なんだ?」

「なんで今回の戦闘、二時間も時間かけたんっすか? 将軍ならもっとサクっと終わらせることもできたでしょうに」

「……目ざといなモンリス」


 カパカパと愛馬たちが奏でる蹄の音が響く。夏の日差しの中で少しだけ涼やかな風がふくのが心地いい。耳をすませば、少しばかり距離の空いたところから流れる戦場の喧騒が未だ聞き取れるようなそんな距離が既に空いていた。


「という事は手を抜いたってわけですかい?」

「いや、手は抜いていないさ。全力ではあった。だが、早期に決着を付けるために新たな札を切るつもりもなかっただけだ。奴らの力量も上がっている。新たな手を切らずにさっさと決着などつけられ……」

「嘘ですね。将軍の力量なら新たな札を切るまでもなくもっと早く終わらせられたでしょう? これでも結構長い間将軍について回ってるんですから、そんくらいわかります」


 断言したモンリスにエイサは面映ゆさを隠すように自身の兜を弄る。かちゃりと金属音が小さく鳴った。その音が消え去るまで沈黙していたが隠し事はできそうにないと悟ると、一つ大きなため息をついた。そしてモンリスに向かって答える。


「イヴリスには伝えるなよ」

「はぁ。そりゃ、将軍の意図をわざわざ他人に広める趣味はねぇですが?」

「俺、あいつ嫌いなのさ。馬が合わんというかなんというか、昔悪魔デーモン族相手に交渉に行った時から相容れなくてな」

「は……」


 エイサの言葉にモンリスはしばし絶句し、そして堰を切ったように爆笑に飲まれた。


「……そんなに笑う事かね」

「あはははは。いやぁ失敬。しっかし、中々に将軍もまともな感性残ってたんですねぇ。ああ、だからっすか? 呼び方指定されてもその呼び方さらっと直してたの」

「そうだよ。悪いか?」

「いやぁ。悪くないっすよ将軍。人の好き嫌いはあるでしょう。その事に文句なんて言いません。成程、だから二時間。自分の単騎掛けの影響が収まるまで戦場でダラダラ一騎打ちを続けたってわけだ」

「……」


 その沈黙は何よりも雄弁にエイサの心を示していた。





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