五十三話
戦場の香りを一身に受け、エイサはモンリスと共に戦いを見下ろしていた。
魔王軍と王国軍、状況は五分と五分。
一気呵成に進んだナグラム方面とは違い、こちら側の戦いは随分と難航している。
守備に向かないキヨウにありながら、魔王軍を押し返す実力を発揮しているのは、指揮官の腕がいい事、そしてキヨウを守る部隊の練度が非常に高いためだ。士気は天を衝き、魔王軍を圧倒する。
「凄まじいモノだな」
「イヴリス将軍。こんなところで油を売っている暇は無いだろうに」
「ふふふ、そうでもない。この膠着した戦場を打開するために貴公が来てくれているのだ、そんな貴公に挨拶もせず、本陣でふんぞり返っているなど、私には出来ぬのさ」
「本陣にてふんぞり返っておらず、戦場にて指揮を取り、剣を抜いて戦場を駆ければいいだろうに」
「ふふ……それも考えたがな、大将が率先して前に出るものではないと、爺が私を止めるのだよ。部下を信用していないのか。そう言われては、私も戦場に出るの憚られる」
くすくすと笑うイヴリス。
その表情は彼女の持つ美貌も合わさって実に蠱惑的だ。
男を狂わす魔性の笑み。
流石は悪魔族の長というべきか。
麗しの大悪魔。イヴリス・グリスティア。
魔王軍十二将第三席に席を持つ、麗しき大悪魔。
その女がエイサとモンリスが戦場を見下ろす山の上に一人で来ていた。
「それで? 貴方はいつ出るの?」
山の上で胡坐をかきながら戦場を観察しているエイサの頭の上に上半身を預けながらイヴリスは二人と同じように戦場を見下ろした。悪魔一人に対して五人の兵士が挑みかかる事で戦場を拮抗状態に持ち込む王国軍の奮闘を、まるで楽しむかのようにイヴリスは目を細めた。
「やめろイヴリス。頭が重い」
「ふふ、女の子が胸を押し付けてあげてるんだから、そう言う事言っちゃダメ」
「知らん。くだらない事を言っていないで、とっととどけ」
「んー、エイサちゃんが私の事をイヴって呼んでくれたら考えてもいいよ?」
そう言いながらイヴリスはますます絡める腕に力を込めた。
無垢な少女めいた、どこまでも艶やかな声音にエイサは大きくため息をついた。
その様子をイヴリスはにやにやと笑みを浮かべながら見ている。
「わかったよイヴ。これでいいのか?」
「そうだね。それじゃあ……うーん。考えた結果、離れない事にしようか、エイサ」
「おい」
「何かしら? 私はちゃーんと考えては上げたよ?」
「お前な。……もういい」
イヴリスの対応にエイサは諦めたように戦場に視線を戻した。
鎧越し感じるイヴリスの暖かさに意識を持っていかれないようにしながら、戦いの推移に意識を割く。
「モンリス。本当に今回はここに勇者は?」
「来るでしょう。失敗続きの勇者様方、その失策を取り戻すためにはバラバラで運用するのが賢い。しかしながら勇者たちはチームとしてでしか動きたがらない。ならば……広大な戦場にて一挙に運用することで、チームとして動くという体裁はそのままに、バラしての運用を可能とする。んで、それほど大きな戦場ってなれば、イヴリス将軍の戦場が最も適している」
「成程ね。勇者共も好き勝手に動けるわけではないって事か」
「組織として運用に組み込まれているのであれば当然です。エイサ将軍。貴方のように好きなところにくちばしを突っ込めるようなあり方は、組織としては例外中の例外って事覚えておいてくださいよ? 無茶を通せば恨みが残るっす。その恨みを残せば勇者を殺すための策を練りにくくなるんすから」
「善処はするさ」
「……ふぅん。中々どうして、面白い子を連れてるねエイサ」
「……」
イヴリスの言葉にエイサは何も答えずただ押し黙った。
戦場に視線を集中させ、何でもない風に振舞っている。その様子を見てイヴリスは邪悪な笑みを浮かべた。
「きみきみ、お名前教えて?」
「モンリスフィ・バルシャクスと申します。お目にかかれて光栄の極みにございます。イヴリス将軍」
「モンリス!!」
「あははは。なぁに、エイサちゃん。もしかして教えておいてあげなかったの? 残念。もう知っちゃった。という訳でモンリスフィ・バルシャクス。我が軍門に下れ」
言葉に魔力を乗せて、イヴリスがモンリスに命令を発する。
悪魔族がよく使う洗脳能力は、相手の名をもって支配する。本名を知られることは、悪魔族相手には致命的な隙となる。しかし、その魔力をもって支配する彼女の術はモンリスには通じなかった。
「……へぇ? なあにモンリスフィ君。きみ? 将軍相手に嘘をついたの?」
「いやいや、まさかまさかでございますよ、イヴリス将軍」
「なら、どうして私の術にかかってないのかなぁ?」
「ははは。悪魔族相手に真の名を伝える程、あっしは勇敢ではありません故、魔王軍の名簿に記した名を伝えただけの事」
「ふぅん。成程、良い副官を持ってるねぇエイサ。君とは違って、よくよくの私たちの事も知ってるようだね。嘘をつかず、名を隠す。よくある手法ではあるけど、君と違って彼は有能らしい」
「答えないってのが正着なのに、わざわざ対策していますってアピールまでせずとも良いだろうに。この女に目を付けられるなど、碌なことにならないぞ」
「ははは。それは無理でしょうな将軍。将軍の下についている時点で、イヴリス将軍は、あっしに目をつけるでしょうから、なら対策を講じている事を示した方が、これ以上面倒に巻き込まれずに済みますので」
モンリスの言葉にエイサは頬を掻いた。彼の言葉は的を射ている。
まさしくもって面倒なこの女相手に、無駄な抵抗は疲れるだだとエイサも理解はしている。そして興味を惹かれる理由が自分であっては、モンリスの事を強く言えはしない。
「ひどい男たち、こんな美女を相手に面倒だのなんだの。悲しくなってくるわ」
「美女であることは認めるがな、面倒な奴だという事もまた本心だよ、イヴリス」
「まま、そのあたりは確かにねぇ。類まれなるこの美貌は罪だものね」
そう言ってイヴリスはその場で自身の体を誇って見せるようにくるりと回った。
豊かな黒髪が滑らかに宙を舞う。白絹が如き肌とのコントラストが眩く彼女の美貌を際立てる。大きな瞳、すらりと通った鼻筋、メリハリのついた肢体。それら全てが男の情欲を掻き立てる極上の女を感じさせる。シャロンが人の心を蕩かすタイプの美女であるとするなら、イヴリスは人を破滅させるタイプの美女だ。蠱惑的で、するりと人の心に入り込みそして破滅へ誘う怪しい魅力に満ちている。
「……モンリス。こう見えて百戦錬磨の怪物だ。魅了なんてされてくれるなよ?」
「ははは。あっし、美女を前にするとぶるっちまうたちでさぁ。こんな美女に誘われでもえいすれば、さらっと逃げちまいますよ」
「は。むしろ懸命だな。美女に騙されて痛い目を見る伝説のなんて多い事かを知るに、怪しげな美女にはついていかない。これに限る。特にこんな年齢不詳にはな」
「失敬な奴らね。これでも二千は数えてないぴちぴちよ?」
「聞いたか? 二千とは驚きだ。せめて桁を二つほど減らしてきて欲しいものだとは思わんか?」
「いやぁ、不死種の年齢には突っ込むのやめておきましょうぜ将軍。腐っても一応は女性なんですし」
「……おのれら、ぶち殺されたいのかしら?」
「は、お前程度で俺を殺せると? 侮るなよイヴリス」
「……本当、ムカつくことに貴方、私よりはるかに強いものね」
「伊達や酔狂で魔王軍最強などとは言われていないさ」
そう言うとエイサはイヴリスより視線を外し、戦場の方へと視線を向けた。
一進一退、戦場の推移に変化はなく、ただ、互いの流血が増えていくだけの戦いが続いている。どちらにも決め手がない。というよりも人間側が良く持ちこたえていると言うべきか。悪魔の軍勢相手に、地の利と戦術、そして数の差を活かして上手く戦いの流れをコントロールしている。防衛線を行っている側からすれば、時間を稼げばいいと言う思惑が透けて見えるようだ。
「勇者って切り札があるってのも考え物だな」
「ですねぇ。こっちが攻めあぐねている間に、いろいろと策を練れるでしょうに、時間を稼げばいいとなれば、そちらに尽力してしまう。王国軍の悪い癖っす」
「というか、悪魔どもも情けない話だ。真正面から戦って、キッチリ時間を稼がれるとは。もう少し考えて戦えばいいものを」
「あー、そいつを将軍が言いますか? 圧倒的実力をもって戦場を駆ける将軍が」
「その力が無いのなら、他に何でも使えと言う話だ」
「普通は只人が何でも使うんであって、悪魔種は基礎性能のごり押しで十分に勝てますからねぇ。策を練るのは苦手なんでしょ」
「つまりは戦下手って事だ。精進しろよ、イヴリス」
「うるさいわね。力の差があるのだから、変な策を使わないで正面から戦った方が被害が少ないのよ。奇策奇襲に頼るようでは、一軍の将としては失格でしょう?」
「その結果、キッチリ遅滞戦術はめられて、勇者が間に合うんじゃ世話がないな。まあ、俺としては好都合なんだが」
そう言うとエイサは立ち上がった。
そして繋ぎ止めておいた自身の愛馬の下へ向かう。
軽く顔を撫でてやり、その後に飛び乗るとイヴリスの陣内へ向かう。
「あら、出撃してくれるのかしら?」
「勇者が出てきたらな。俺の名を恐れ引っ込まれると困る」
「それをもってキヨウ攻略が進むのであれば、私としても魔王軍としてもいう事はないけれど?」
「俺が、困る」
そう言い切るとエイサは愛馬を走らせた。
蹄の音がリズムを刻み、遠くなっていく後姿を眺めながらイヴリスは小さくため息をついた。
「モンリスフィ君」
「モンリスでいいっすよイヴリス将軍」
「そう、ならモンリス君。キヨウの部隊は強いわよ? 私がここを攻略できていない良いわけではないけれど、この陣を抜きさえすれば後はどうあがいても防げない市街戦になる。それを防ごうと奴らは必死。必死となった部隊の精強さは良く知っているでしょう?」
「勿論でさぁ。なんで、勇者が来る前に勝負を決めたいって言う将軍の意図もよくわかります」
「なら、あれをその気にさせなさい。勇者が来なくともいい。むしろ来る前にこそ、この戦いを終わらせる。それが最善でしょう?」
「それはその通り。魔王軍としてみればそれが最善。おっしゃる通りでさぁ」
「ならば」
「ですが、生憎あっしはエイサ将軍の副官故。将軍の願いをかなえる事こそが第一。なので、その提案には賛成できかねまさぁ」
「それで負けて、責を取らされるのは私なのよ? それでも?」
鋭い眼光がモンリスを射抜く。
答えによっては、殺されかねない程の視線を受けてなお、モンリスは笑って見せた。そして、気負うことなく彼女に答えた。
「それは、エイサ将軍の事を軽く見すぎっすねぇイヴリス将軍」