四十九話
旋風を身に纏って凍てつく海上を駆け抜ける。
既にこちらに気が付いたのか、放たれる極冷の光線はエイサを狙って放たれている。
その一撃を回避する度に着弾点が凍り付き、周囲の気温まで下がっていく。
放たれる一撃は世界を凍らせる魔弾だ。
振れた瞬間からあらゆるものを停止させる悪夢の一撃。
着弾した場所はおろか、その光線の通り道になった場所まで爆発を引き起こしている。
それはただの物理現象ではない。魔力によって氷結という事象を強化されたその一撃が引き起こすのは物理現象への干渉の身にとどまらない。強化された氷結という事象は空間、時間までも凍結させる。そして、凍結した空間、時間のずれが周囲との矛盾を引き起こし、事象崩壊しその余波が爆風となって海面を叩く。氷結の概念を含む衝撃波。その一撃はあらゆるものを凍らせる死の風だ。生身で掠れば氷像になり果てる。
「しっ!!」
そんな死をまき散らす光線を回避し、吹き荒れる衝撃波をその手に持つ剣で割断する。
氷結の事象を内包する死の風でさえ、エイサを止める事はできはしない。
斬り飛ばされ砕けた冷気が大気中の水分を凍らせて、小さな氷の粒となって海上に降り注ぐ。その中を突っ切ってエイサは海を足場に空を駆けた。飛び乗るのは彼らの乗る船だ。機動性を重視した小型の帆船。その甲板へと飛び乗ると同時にエイサは自身の大剣を真横に振り抜いた。
マストが斬り飛ばされる。
船の機動力を奪い、同時に周囲にいた王国兵たちの首が飛ぶ。
しかし、魔法を使用していた勇者シェリスのへの一撃は、アリスが飛来する斬撃を叩き落して防いで見せた。
「まみえたぞ、勇者」
「ふふ……本当にしつこいんだから」
睨みつけたエイサに対してアリスが笑みを浮かべてそう返した。
その瞬間空より振り来る弓の一撃を左手の小手をもって打ち払う。
マストの上にて監視を行っていた森人の射手。リヴィの放った矢は正確にエイサの関節部を狙う三連射。その悉くを左手で打ち払うとそのまま右手の剣を振るう。音速を容易く超える速度をもって振るわれた斬撃はその威力を空に飛ばす。
空に身を投げ出しているリヴィは飛ぶ斬撃を回避できない。
しかし、彼女をフォローするように動く姿があった。
ソウジだ。手に持つ神器エフェクティアをもってその一撃をそらして見せる。
「なる程、少しはやるようになっているか」
「は、当然」
「前回焼かれた森の恨み、今回こそ果たしてあげますよ」
「は……やって見せろ」
ちらりと視線をソウジとリヴィに向けたエイサの隙をぬってアリスが踏み込んだ。
その背後からはシェリスの魔弾を援護に引き連れてエイサへ斬りかかる。
放たれる斬撃、降りそそぐ魔弾。その全てを一瞬でエイサは見切ってみせた。全くもって通じない怪物ぶりだが、そんなことは百も承知。アリス達に続くようにソウジとリヴィも後に続いた。四人に囲まれる状況を嫌ったエイサはアリスの一撃を交わすままに、シェリスの魔弾ごと、大剣を甲板に叩きつける。
轟音が響き、甲板に風穴があいた。そこへ落ちるように逃げ込んで、四人の包囲から抜け出すと、堕ちるままに再度斬撃を放つ。放たれた一撃は再度甲板を切り裂いて、その衝撃により船を揺らがせた。
「「チィッ」」
アリスとソウジの舌打ちが重なる。
その舌打ちと同時にアリスはシェリスをソウジはリヴィを担ぎ上げ、その場から離れた。その場所をエイサの斬撃が蹂躙する。視認してもいないのに、正確に斬撃を振り抜いてく相手の技巧に、ソウジの口からは罵倒の言葉しか出てこなかった。
「突っ込むぞアリス」
「何? いったん下がらないとフィリアが!!」
「俺たちが合流することを読まれてる。ここで下がったら奴の思うつぼだ!!」
「チィ。やらしい戦い方するのね、エイサ」
甲板をぶち抜いてくる斬撃をかわしながら、二人の意思が固まる。
呼吸を合わせて斬撃が飛び去った後の瞬間を狙って、斬撃の傷跡へ飛び込んだ。
下の船室に四人が降り立つ。
その瞬間を狙って、エイサは横なぎに大剣を薙ぎ払った。
船を真横に切り裂く一撃。
一切の溜めすらなく放たれた極大斬撃。そのでたらめさにソウジの口から再び悪態が漏れる。
「糞がっ!! マジかよっ!!」
「ちょっ!? 何よっ!?」
抱えられたまま状況がつかめていないリヴィをそのまま抱きしめて、膝をつき斬撃が通過するタイミングで思いっきり上体をそらす。鼻先が掠めそうな場所を斬撃が通過していく。それと同時に船が真横に斬り飛ばされた。
体を起こす。
そしてリヴィを解放して、槍を構えると飛来してきた椅子が視界を覆った。エイサが牽制代わりに蹴り飛ばした椅子だ。咄嗟に槍ではね上げる。椅子が天井に弾き飛ばされて、粉々になった。その隙を突いてエイサが狭い室内を疾駆する。床板を踏み破るほどの勢いで踏み込み、テーブルなどの雑貨ごとアリスを切り裂くために剣を振るう。彼の剣の軌跡にあるもの全てが抵抗すらできずに切裂かれその勢いのままアリスへと迫る。
アリスはそれに反応した。
構えるはアリスティア。
あらゆるものを切り裂く神の剣。
それと刃を合わせることを嫌ったエイサは、アリスティアに彼の剣が触れる前にぴたりと制止させ、その重みのままに床板に突き立てた。
アリスの足元が砕け散る。
勢いなどつけるタイミングなど皆無だったにも関わらず、その一撃は船全体を許すほどの威力を秘めていた。
自然、その斬撃は船底まで到達し、当然のように突き抜けた。
「まずい、船が沈む」
「わかっている。シェリス凍らせて防げる?」
「無理ね。今の一撃で竜骨を完全に砕かれた。凍らせて暫く持たせても無意味よ。そもそも、この男がそんなことをする時間を悠長にくれるの?」
「ごもっともな発言ねぇ!!」
火花が散る。
エイサの攻撃をソウジが受け止めるたびに散る火花。
分かっていたことではあるが、四対一では話にならない。フィリアを隠す事で防ぐ対象を減らし、どうにかこうにか拮抗状態を続けているが、目の前の男は未だ全力を出していない。戦いの中でフィリアの場所を探っている事がもろバレだった。アリス達は死を乗り越えさらに女神の加護を強化したにもかかわらず、どうあがいてもまるで底が見えない果てを知れない。
この海の底よりも深く、女神のいる天空よりも高い技量は、まさしくもって人の持つ狂気の最果てだ。
一撃振るわれるたびに不利に戦況が傾いていく。
「貴様らまた少し強くなっているな」
「皮肉かよ、おい。余裕だな」
「皮肉? 皮肉なものか」
斬撃を受け流されたエイサが憎々しげにつぶやいた。
受け流された斬撃の余波までも完璧に受け流されて、船内がさらに砕けていく。
放たれる魔法、矢の悉くを撃ち落とし、剣の魔力を僅かに解放することで、周囲に衝撃波を放つことでソウジとアリスを吹き飛ばす。しかし、二人にダメージは無い。それどころか吹き飛ばされる瞬間に互いが後衛を掴んだことで彼女たちを落とすタイミングまで逃した。
そこまでの技量、身体能力は前回の戦いの時にはなかったはずだ。
「死を乗り越えて強くなった」
「乗り越えて? は、ふざけたことを抜かすなよアリス。お前らは俺に殺されただけだ。俺という死を乗り越えられずに朽ち果てただけだ。死を乗り越えたなどと軽々しく口にするな」
「事実。私たちは死の淵より蘇っている。それを、死を乗り越えたと言わずなんと?」
「女神の加護に頼ってばかりの糞共が」
「正しき者に与えられた魔を討つ力。これがこの力。勇者であることを否定する君が言わないでよ」
「正しき者……だと」
アリスの言葉をエイサは口の中で転がして壮絶な笑みを浮かべた。
兜に遮られて見えはしないが、彼が放つ殺意が跳ね上がる。肌を刺すような殺気が周囲全てを飲み込むような錯覚。その殺意を受けて勇者たちは自らの武器に力を込めてエイサを睨みつけた。折れぬ心が勇者の武器だと言わんばかりに。
それが、さらにエイサの憎悪に火をつける。
反吐が出る。
気分が悪い。
心が憎悪に塗りつぶされていく。
勇者とは絶対に相いれないとエイサは幾度目かの確信を抱き、剣の魔力を解放した。
「魔力性質黒色」
漆黒の魔力。
彼の鎧の色と酷似したそれが世界を覆う。
世界を塗りつぶさんと言わんばかりに。
それを見ていの一番に気が付いたのはシェリスだ。
魔法使いとして人類最優の領域にある彼女が一番最初に気づいた。
そして、それを食い止めるための呪文の詠唱を行おうとして、その瞬間エイサが突撃した。
アリスとソウジがそれを食い止める。
轟音響きさらに船に破壊が広がっていく。
そして遂に、船の限界が来た。
海水が船の中に入り込んできたのだ。
剣の魔力は既に限界だ。
ため込まれたエネルギーが外へ出るために荒れ狂い、漆黒の稲妻となって周囲に漏れ出ている。
それでも、その魔力をエイサは解放しようとしない。
ただ、再度斬撃が振るわれた。
膝上まで来ていた海水を巻き上げ、斬撃は水を纏って空を薙ぐ。それをアリスが自身の神剣をもって防いで見せたが、大量の水までは止められず、四人ともが頭からかぶった。その時だけは、海水をかぶった瞬間だけはシェリスでも魔法を唱えることは不可能だ。
「解放世界侵食付与悪夢の闘技場」
そして、世界を塗りつぶす悪夢が具現化する。
発動した瞬間であれば、彼女もそれを打ち消す事が出来ただろう。しかし、そのタイミングをエイサは
海水をぶっかける事で潰したのだ。発動してしまった術式を途中から防ぐのは難しい。発動を防ぐ術式と発動したものを破壊する術式は全くの別物だ。
世界が塗り替わる。
海のど真ん中にいたはずのエイサ達と勇者たちは周囲を高い塀に囲まれた闘技場の中にいた。
一切の水気なく、潮の香りも全て塗りつぶされ、海にいた名残は彼らの身に触れる塩水のみ。
「なんだこれ」
「付与の一種。世界に自らの望む世界の形を張り付ける悪魔が得意とする魔法。流石は魔王軍の大戦士。悪魔の魔法もお手の物ってわけね」
「付与する先が人か世界かの違いだけだ。悪魔の特権ってわけじゃない。重要なのはたった一つ。見つけたぞ聖女。やはり、船の中にはいたのか」
そう言うとエイサは勇者たちの後方から、こちらを睨む聖女へ視線を向けた。
世界が付与魔法により突然変質したにもかかわらず、彼女は驚愕を見せることなくエイサに視線を向けている。その目に怯えの光は無い。殺されて間もないと言うのに一端の戦士の顔を見せるようになった聖女の姿にエイサは舌打ちを漏らした。湧き出る疑念。それら全てをねじ伏せ、剣を勇者に向けて構える。
「逃げ場はない。ここで死ね勇者ども」
エイサの宣言が闘技場に響き渡った。