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四話

一週間ごとくらいのペースで投下予定です。

よろしくお願いします。


 戦場を選ぶ権限を名代であるモンリスに任せた事をエイサはわずかに後悔していた。

 無論、いかなる戦場であろうとも彼が狙うのは勇者の首ただ一つである以上、文句をつけることは無い。勇者があらわれる場所、即ち最も激化するにこそ彼は常に立つ。

 しかし、どういう戦場か、理解して立つか立たないかというのは、これほどまでに精神的に追い込んでくるものかと、名代としての役割をモンリスに押し付けたこと。それを少しばかり反省した。


「何よ、湿気た顔して。私のお茶が飲めないっての?」


 ため息をつかんばかりの表情をしていたエイサに対して、目の前でカップを傾けていた女がそう言った。

 見た目は筆舌に尽くしがたき凄絶な美少女だ。紅蓮の焔色と何よりも深い漆黒の入り混じった長き髪、白磁も恥じらうほどに白い肌。男ならだれもが生唾を飲み込むであろう完璧なスタイル。麗しき金と青の異色双眸。全てが魔的なまでに美しい。美少女と美女、その狭間にある妖しさを切り取ったかのような完璧な美貌は、魔神がその手ずから作り上げたと称されるだけはある。

 縦に割れる瞳孔さえなまめかしい。

 ドラゴン族の姫君。

 魔を統べる十二の魔将が一人。

 魔王様の信頼厚き超越種。


「ふん。あんたの前でくつろげとは、カエルに蛇の前で寛げというよりもなお無茶ぶりというものだ。……いや、蛇の方がまだましか。慈悲深き事に、神様は蛇に手足を与えなかった」

「蛇にだって手くらいあるじゃない」

蛇女ラミア族を蛇と一緒にしてやるなよ。お前だってトカゲと同列に見られたくはなかろうに」


 エイサの言葉にドラゴン族のお姫様は舌打ちを一つ鳴らした。苛立つ彼女の呼吸に合わせて自然が泡立つ。燃え盛る大地も、吹きすさぶ大空も、逆巻く大海さえも、彼女の意思にの元に荒れ狂う。それが龍種における究極。あらゆる武芸も、あらゆる叡智も、彼女の前には無為に等しいとされる自然の権化。

 そんな彼女の怒りを前にして、エイサは平然としていた。

 悠然と、頬杖をついて何かを考えている。

 その態度が彼女の癪にさわる。しかし、一応は味方陣営の男に手出しをするわけにもいかず、乱暴に紅茶の注がれたカップを空にした。


「それで? 何故この場所に?」


 大きく息をついて、怒りを飲み込んだ彼女はエイサにそう聞いた。

 しかし、その問いに対してエイサが答えることは何もない。

 さて? 

 といわんばかりに、両手を持ち上げてその真意についての回答を放棄した。事実として、彼がこの戦場を選んだわけではない。しがし、そんな彼の態度を挑発と受け取ってのか、少女は未だに手に持っていたカップを握りつぶした。

陶器が砕け散る音が辺りに響く。空気が凍てつく、同時にマグマの近くにでも歩み寄ったかような灼熱感が天幕の中を満たしていく。


「ふ……ふふ……。なに? 私が敗北するとでも? あんたはそう言うの? この私が……ドラゴン族において白眉。そう称される私が……女神の加護を受けるとは言え、たかが猿風情に私が負けると?」

「少なくとも、俺には一度負けてるがな」

「エイサッ!!」

「事実だ。ニコ。その事実を捻じ曲げる事が、お前の超越種であるプライドか?」


エイサにはニコを煽るつもりなど欠片も無かった。只々事実をそのまま告げただけだ。そも、彼が誰かを煽るような癖を持たない事は、ニコも知り抜いている。事実を事実として受け止め、それを淡々と受け入れる彼のあり方は、エイサという男を目の敵にしつつも認めている点だった。

もっとも、全く歯に絹着せぬ言い草が、その認めている点全てを台無しにしてはいたが。


「腹わた煮えくりかえる気分だけど、いいわ。事実は事実。矛は収めてあげる」

「そりゃどうも?」

「だけど、腑に落ちない点がある。何故今回に限って、私の軍に付いて来たのか。貴方はいつだって、勇者が動いてからしか動かなかった。なのに、どうして今回は?」

「名代にしたやつの顔を立てただけ。そう答えて、お前は納得するか?」

「しない。あんたが、復讐以外の理由で動くなんて信じられるはずがない」

「なら、それが答えだろう。俺は俺自身の復讐のためにしか動かない。その見立ては間違ってない」


 エイサは身にまとう鎧を一切脱がず、自軍の幕内にあって全く警戒を解かずそう言った。その彼の態度に苛立ちばかりが募っていくのをニコは自覚する。しかし、そのいら立ちを解消できそうな事は何もかった。戦場における進軍は順風満帆で、立ち並ぶ王国兵、騎兵、傭兵、義勇兵、それらを鎧袖一触で薙ぎ払って、魔軍最優を指し示すばかり。これでは、戦場で武威を競い合う事さえままならない。


「……チッ」


 はしたなくも舌打ちが漏れた。

 エイサはそれを咎めることもなく、淡々とニコと相対しているのみ。


「やはりだめね、こうやってただ結末を待つ。それが帥の役割と理解してはいるけど、こうもたやすく事が進むってのはいただけない。戦いには艱難辛苦があってこそ。そうは思わない?」

「思わない」

「そう。苦難を乗り越えてこその、達成感だとは思うけど」

「俺の目的はいつだって勇者を殺すという事だけ。達成感など不要だね」


 エイサはそう言うと立ち上がって立て掛けてあった大剣を背負った。そのまま、天幕の出口へと向かう。


「エイサ」

「遊びは終いだ」

「そう。手を出させてもらっても?」


 ニコの言葉に、エイサはその視線で答えた。

 震えるほどに冷たい視線が、悠然と彼の真意を語る。

 龍種などという、生命体における超越種。その頂点に位置する彼女をして二の句を継げさせない、冷厳な殺意が天幕を満たす。黒の大剣士。魔王が誇る最強の一振り。そして、かつて彼女を打ち倒して見せた、武芸における到達者。ただそれだけで、ニコの体は全く動かない。

 一度敗北した事実。その恐怖に身がすくみ、凍ってしまっているわけではない。かつて相対したときよりも、はるかに研ぎ澄まされたその切れ味に憧憬の感情が彼女を温ませる。


「遊びは終わりだ。そう言ったぞニコ」

「ええ、そうね。ここからはお仕事の時間だものね」


 震える声を背にエイサは天幕の外へと歩み去った。無論、震える彼女に一瞥くれる事さえなく。ただ、自らの目的を果たすために。

 その背中に潤んだ視線送り続けるニコ。

 そんな自身の顔を見られなくてよかったと思う。

 自らの理知的な部分はそれを羞恥の感情からだと知っている。しかし、自身の野性的な部分はその虚飾をあっさりと否定する。龍種が持つ、唾棄すべき最も歪な感情。

 生態系の頂点に立つ彼女たちは自らを打倒する英雄たちを追い求める。

 いずれ打ち倒されるために。

 そして……彼女は恋をした。

 英雄に。

 生涯唯一の恋をした。

 袖にされて、一顧だにされることなく立ち去られたというのに、殺意を向けられたというだけで。そう、わずかに感情の矛先を向けられたというだけで、緩んでしまった自身の表情を見られることが無くて本当に良かった。

 戻らぬ頬を両手で押さえながら、彼女はそう思った。







「将軍」

「この場を離れろ。お前の読みが当たったぞ」


 天幕を出たエイサに向かって走ってきたモリソンにそう告げる。

 するとモリソンは驚いた表情を浮かべた。


「え、ええ。そいつを伝えに来たんでさぁ将軍。……しかし、将軍はどうして気付いたんで? 勇者が現れてかから、最速で走ったつもりだったんですが?」

「空気が変わった。清廉かつ清浄な気配。それが、大気を掻き割りながら迫ってくるなんぞ、勇者以外にありえん」

「……まだ、勇者ども一つ戦域を挟んだ向こう側にいるんですけど」

「それ位なら把握できる。……しかし、ども? なんだその言い草は、まるで勇者が複数いるみたいじゃないか」

「おや、ご存じないので将軍?」


 モンリスはそういうと、一枚の紙を取り出した。

 王国共通語で書かれたそれは、一枚の檄文だった。王国軍勢力圏内で広がっているという檄文。なぜそんなものをモンリスが持っているのかわずかに気になったが、追及することもなくエイサはその文章を眺めた。


「勇者に仲間?」


「女神の加護をるのは勇者だけじゃない。その一党パーティにも及ぶって事なんですかねぇ。女神様ってのは随分と気前がいいもんでさぁ。俺らの神さんもそのくらい気前がいいとありがてぇんですが」


 読んだ檄文をモンリスへ返す。

 それを受け取ったモンリスは部下へとその紙を預けると、そのままエイサへと追従する。


「将軍、相手は多数ですが、どうするんで?」

「そいつは愚問だろモンリス」


 そういうとエイサは陣内に留めてあった自らの乗騎へ飛び乗った。

 漆黒の美しい毛色した名馬。

 エイサに与えられた数少ない魔王からの贈り物。エイサと同じく黒の鎧に身を包んだ、その面構えは戦場の空気を感じ取り、わずかに興奮していることが見て取れた。あるいは、主の戦意に反応しているのか。


「勇者が出た。ならば後は斬るだけだ」

「なるほど、いつも通りってことっすね。……承りやした。んじゃ、俺らは先に陣を引きますぜ?」

「ああ。後のことは全て任せる」


 エイサはそういうと、自らの愛馬を優しくなで、手綱を握りなおす。それだけで彼の愛馬は主の意図を正確にくみ取って、大地を駆った。

 黒い疾風が戦域目掛けて駆け抜けていく。

 威風を纏って、意気揚々と。

 味方に目もくれず、敵を歯牙にもかけず。まるで無人の野をただ駆け抜けるように。

 矢が、魔法が、破壊が降り注ぐ。

 平地で相対している軍の狭間はまるでスコールのようだ。ひとたび振れれば大けがを免れない致死の大雨が降り続け、間断ない着弾音が世界を揺るがし続けている。

 その地を何事もないかのように突き進む。

 降り注ぐ破壊を鎧の頑丈さに任せて突破した。

 そのまま、白兵戦の領域に突入。背に負った漆黒の大剣を抜き放つ。

 気迫見せず振り抜いて七人。

 まるで草を刈るかのように人の命を斬り飛ばし、斬り飛ばすままに大地を駆け抜けていく。

 目指す目標はただ一人。

 奇襲を狙ったその作戦は正解だ。少なくともエイサに戦略的観点などまるでない。彼が持ちうるのはただ目の前の敵を粉砕する圧倒的暴力だけ。故に彼を無視して将を狙うという戦術は正しい。勇者殺しエイサを無視して戦略目標を達成しようとするその戦術はどこまでも正しく、そして悲しいかな見破られた瞬間に、それは致命的な隙となった。

 無人の野を行くが如く。

 黒龍に匹敵すると称され、その蹄が刻むは雷鳴が如く。

 龍神と称された龍族の頂点を穿つ魔人の技巧は、戦場にあってなお輝きを増す。人の身には余る長大な剣を、まるで手足のごとく操って一直線に陣形を切り裂いていく様は、まるで氷を赤熱したナイフで断ち切るが如く。蒸気の代わりに鮮血を吹き散らしながら一切の停滞なく本陣へと駆け上がる。


「いやいや、英雄どもが集う戦場にあって、傍らに人無きが如し。人魔における究極っすねぇ、我が将軍様は」


 その光景を見たモンリスは呆れたようにつぶやいた。それは、とろけた表情で戦場を見る少女龍に向けた皮肉の言葉だった。

 まるで気配を感じていなかったところよりの言葉を聞いて、ニコはその表情を即座に憤怒に染める。そして、灼熱を宿した視線をモンリスへと向けた。


「いやいやいや、今更っすよローズボルト将軍。将軍の態度は見るものが見れば一目瞭然っすからねぇ」

「……貴様、小鬼ゴブリン風情が随分と調子に乗ってくれる。……その首、ここで大地に返してやってもいいんだぞ?」

「かはは。そいつは勘弁してくだせぇローズボルト将軍。その代わりと言っちゃぁなんですが、俺っちはローズボルト将軍のために動いて差し上げますんで」

小鬼ゴブリンの助力など必要ない」

「エイサ将軍との恋路は難路だ。そいつの道先案内人が必要ないと?」


 その言葉にますますニコは視線の殺意を強めた。その様子を見てモンリスは肩を竦めた。そして、それ以上何も言わずに自身にあてがわれた幕内に戻るために踵を返す。


「ま、ご用命があれば何時でも及びくだせぇ、ローズボルト将軍閣下。何時でもお力になりましょうとも。我ら小鬼ゴブリン、戯けものどもなれど、いかな難路でも突破する事にだけは、一家言あります故にってね」


 立ち去るモンリス。

 その背に向けて、ニコはしばし視線を送り続けた。しかし、すぐに興味を失い、再び戦場の惨禍を高みから見下ろす。魔将乱舞し、陣形千々に乱れ、かくて男は目的の場所へとたどり着いた。その瞳の中に写るのはいつだってただ一人。

 勇者。

 女神の加護受けた麗しの女騎士。

 その少女にニコは限りない嫉妬の感情を持て余してしまう。

 ほう。と、ため息が漏れた。

 それは、どこまでも熱くどこまでも黒々しい情念の混じった、龍の吐息だった。


 


 


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