三十八話
エイサの痣を見るためにエルメルダが魔王城へ入った時には既に準備は終わっていた。
準備といってもすることはリアヴェルが結界を張るだけだが、その結界は既に張り終えて有り、エルメルダが指定された部屋に入った時、既に三人もそろっていた。
エイサ、リアヴェル、スロブ。
魔王軍の三トップ。
無論、その頂点に立つのは魔王リアヴェルであるが、エイサは軍事におけるスロブは技術における魔王軍の統括者だ。その三人がそろっている光景は珍しく、その三人がそろう部屋に入るだけでエルメルダは少し緊張していた。
「らしくないなエルメルダ。俺を相手に緊張とは」
「お戯れを将軍。我らが魔王軍の三頭目。同時に目の当たりにして、震えぬ程私の肝は太くありませんよ」
「俺に権限などないし、スロブ爺様もほぼ楽隠居状態。緊張するなら魔王様位だろうに。……あまりいじめるなよ、魔王様」
「良く言ったものだ我が剣よ。この私がエルメルダを虐めることなどあるものか。むしろ目をかけている部類だ。貴様こそ無意識の威圧をもって、エルメルダに圧をかけているのではないか?」
そんなエルメルダに向かって、エイサとリアヴェルよりからかいの言葉が飛んだ。
いつもの私的な空気とはまるで違う公の時に用いる態度。
内容的には彼女の緊張をほぐすものではあったが、その態度だけで委縮してしまう程のカリスマが二人にはあった。黙々と言葉を発さぬスロブもただそこにいるだけなのに圧を感じる。いつもの気楽な空気は一切ない。
「まあいいや。とっとと始めようや。面倒な事は先に済ませるに限る」
「我が剣の言うとおりだ。では、これでいいな」
リアヴェルがそう言って指を鳴らす。
それだけで精緻な魔法式を元に結界が部屋を覆った。内側のものを外へ出さぬ封印結界。そして外部からの干渉を防ぐ防御結界の同時発動。それだけならエルメルダでも使用できないことは無いが、リアヴェルが発動させるものほどの強度をこの速度で発動させるとは、流石は魔王様だとエルメルダは感嘆の声を漏らした。汎用魔法の類でさえ、その練度と用いる魔力量が違う。
「それで? これからどうするのだ?」
「ん? ああ。俺が服を脱いで証の術式を見せる。ただそれだけだ」
「ほう。ならさっさとするがいい。この程度の結界の維持にそれ程魔力は使わんが、使用量を減らせるのなら減らしておいた方が良いに決まっている」
「あー……服脱ぐって言ったんだが? ……魔王様もここにいるの?」
「……いては問題があるのか? 我が剣よ」
「いや、問題はないがいる必要もないんじゃないのかと思っただけだ。……いや魔王様が問題ないと言うのなら、別に構わんがさ」
上半身だけとは言え男の裸を嫁入り前の女性の前で晒すのがいいのか、などと考えながらエイサは鎧を外し始めた。留め金の外れる音が部屋に響き渡る。その様子をエルメルダとリアヴェルは食い入るように見ていた。
「スケベじゃの」
「スロブ? 何か言ったか?」
「いやいや、別になのも言っておりませぬよ魔王様」
ぽつりと呟いたスロブに向かって、リアヴェルが問いかけると、彼は自身の発言を即座になかったことにした。しかし、その反応の速さは余計にスロブの言葉を肯定する。エルメルダは研究者としての性だが、リアヴェルの場合は完全に彼女の趣味だった。
男にあてはめ見れば好きな女の子の裸を見ることができる場面に合法的に立ち会えると言ったところなのだろう。そういう意味で、彼女の対応は理解できないではなかったが、女性としてそれでいいのか? などという考えがスロブの脳裏に浮かぶ。
「まあ、責任はエイサに取ってもらえばよかろうか」
「あ? 何か言ったか爺さん?」
「流石に自分の名前を言われるときは耳ざとい。下らぬことじゃよ。気にするな」
「まあ、爺さんがそう言うなら、構わねぇけどさ」
そう言うとエイサは脱いだ鎧を大事に床に下す。
そして鎧の下に着こんでいたアンダーをに手をかけると、リアヴェルがごくりとつばを飲み込む音が聞こえた。やはりスケベだったかなどと、スロブがちらりと横目で見れば、腰かけていた椅子からわずかに腰を浮かせて食い入るようにその様子を眺めるリアヴェルの姿が見えて、深々とため息をついた。
「教育、間違ったかのぅ」
「何かしらスロブ。何か問題でもあった?」
「はぁ。問題しかなかろうて魔王様。もうちっとこう、アプローチの方法を考えぬか?」
「無駄よ。だって相手はエイサなんだよ?」
それを言われるとスロブも辛いところがあった。
エイサという男は恋愛感情の機微に疎い。というよりも、自らが抱く憎悪の炎が僅かでも温まぬように、他の感情に意識を向けることを毛嫌いしているところがある。憎悪という一点のみに感情を集約し続けることで、その憎悪を維持しているとでもいうべきか。
故に彼は恋愛感情も含めたあらゆる感情に疎いのだ。
他の感情に意識を向けないがための感情への無理解。
「まあ、今はまだ無理かのう」
「そうね。でもこれで、少しはマシになってくれると信じているわ。復讐を完遂すればきっと……ね」
アンダーまで脱ぎ終えたエイサがエルメルダを呼んだ。
エルメルダはむき出しとなったエイサ胸元に刻まれた証に指を這わせた。
細く冷たい指の感覚が、くすぐったさを感じさせるが、エイサは身じろぎ一つせずに、淡々とエルメルダを見据えている。
「将軍。魔力を証へ通していただけますか?」
「わかった」
エルメルダの要請に素直に答えて魔力を証に流す。
すると、証が輝きはっきりとした輪郭を取り戻した。
それを見てエルメルダが手に持っていたカバンより、一枚の紙と何かしらの薬品が入った瓶を取り出した。そして、紙に取り出した薬品を掛ける。
「少し冷たいですよ」
「なんだそれ?」
「魔力に反応して色の変わる薬品です。これを使って貴方の証を転写します」
「……なるほどね。わかった」
エイサの了解を取るとリアヴェルは薬品を浸した紙をエイサに押し付けた。
冷たい感触。
それが三度触れる。
時間にして一分も掛けず、エルメルダはエイサの胸元の証の転写を行った。
「終わりです。ご協力を感謝します。将軍」
「感謝はその解析結果で示してくれ」
「ええ。もちろんです」
転写した紙をファイルに挟み込みながらエルメルダは答えた。その表情は艶やかで、されどその瞳の奥には隠し切れない炎が見える。
その炎をみてエイサは満足げに頷くと、そばに脱ぎ捨てたアンダーを着込み始めた。
エルメルダの知識に対する貪欲さは本物だ。魔法式をもって世界の法則をそして女神の法則を解き明かす事を渇望している。その渇望が途切れぬ限り、いつか神様の領域までも解きほぐすだろう。その一環で勇者に刻まれた仕組みを解き明かしてくれるのであればそれでいい。エイサはそう考えている。自らの復讐の役に立つのであれば、その目的などどうでもよかった。
「終わったぞ、魔王様」
「ああ。それじゃあ結界を解こう」
鎧を着込み兜を付け終えたエイサがリアヴェルに向かって報告するとリアヴェルは再度指を鳴らした。
それだけで彼女の張った結界が消えた。それと同時に鎧が何かしらの干渉を弾く音が周囲に響く。それほど大きくない音ではあったが、四人しかいない部屋では妙に大きく聞こえた。
「将軍、今の音が?」
「ああ。神様の神託を弾いた音だ。これだけ拒んでいるのに、まだあきらめてくれないらしい」
「我が剣程の大剣士。神をして切り捨てるに惜しいと思わせるに足るのだろうさ」
吐き捨てるように言ったエイサの言葉に対してリアヴェルが嬉しそうに言った。
それは見出した男が神さえ執着させるほどの男であるという事に対する優越感だった。
王として女として、自らが見出した男がそれ程の男であると折り紙つきとなる証でもある。自分の見る目が証明されたに等しい。女神の事が好きなはずはないが、その評価まで拒む程、彼女は狭量ではなかった。
「儂としても神様の託宣を拒める事が出来る程の鎧を生み出せて満足じゃ」
「感謝してるさ爺さん」
「ふん。ならば魔王様のお誘いにも少しは乗って欲しいものじゃがの」
スロブの言葉にエイサは肩を竦めて返した。
その態度を見てスロブは鼻を鳴らす。全くもって手のかかる男である。無論、そんなことは百も承知の上ではあったが、頑なに自らの復讐を諦めないこの男を見ていると、意志が強いと言うのも場合によりけりなのだと彼は理解した。意志が強いという事は意固地に通じる。
「さて、用はなくなった。俺はモンリスと合流して今後の動きを練るが、何か知っておくべきっことはあるか?」
「明日の将軍会議、貴方も出なさいよ、我が剣」
「モンリスが聞く。それで十分だろうに」
「我が剣?」
目を細め、圧を増したリアヴェルに対してエイサは肩を竦めるだけで返した。
その態度を見るに全く出る気はなさそうだ。その事を問い詰めようとリアヴェルが口を開こうとしたとき、先んじてエイサが答える。
「俺が出ても意味なんざなかろうにさ」
「あなたがいる。ただそれだけで会議は締まる。筆頭であることの意味を自覚なさい」
「俺が出るよりモンリスが出た方が数百倍は有意義だが? そも、筆頭なんぞになったつもりは無い。俺はただ、一番最初にお前の武器となっただけの男だぞ?」
「我が最初の将である。それだけで特別扱いするのに足る理由で、その上でわが軍最強。それを贔屓しない理由もなく、そして贔屓しているからこそ、成さねばならぬ責務もある。そう、心得なさい我が剣」
「してほしいと願ったつもりは無いがね」
「なら……友軍としての役目を取り上げ、部隊の一つでも率いてもらいましょうか? 我が剣?」
リアヴェルの言葉にエイサはとても嫌そうな顔をした。
本来なら部隊を率いるという事は大きな手柄を立てやすくなるという事と同義であり、魔王軍で出世することを考える者であれば渡りに船の提案なはずだが、部隊を任され戦線を任されれば勇者を殺す戦線への転戦が迅速に行えなくなる。それをエイサは嫌っている。
「それは、契約に反するんじゃないか?」
「契約には部隊を与えないなんて一言も書いていないけれど? そもそも将たるもの、部隊の一つも率いていない方がおかしいのよ」
「他の部隊に匹敵する程度の貢献はしている」
「ええ、知っているわ。だけど、だからと言って貴方に部隊を預けないという話にはならないでしょう?」
「部隊運営に関してはモンリスに一任してある」
「でも遅々として進んでいないじゃない。私がかき集めて部隊として運用した方が早いのではないかしら?」
「……」
淡々と追い詰めるリアヴェルに対して対にエイサは沈黙した。
だからと言って諦めるような自分が特別扱いされている自覚は彼にもある。だから、それを拒むことは難しい。
「わかった。会議に出席すればいいんだろう? 魔王様」
「最初からそう言いなさい。我が剣」
渋々と言った表情で彼は折れた。
そのエイサの態度を見て、リアヴェルは花咲くような笑みを浮かべた。