三十四話
エイサは魔王所に戻って来ていた。
いつもであれば勇者を討滅した後直ぐに戻ってくるため、二週間も間を開けたのはここを拠点に活動しだしてからは初めての事だ。だからこそ、魔王様の機嫌が気になるところではあったが、だからといってさっさと彼女の部屋に向かう程殊勝な男ではない。
いつも通りスロブの下へと向かい、装備の手入れを見ていた。
「こんな時くらい、魔王様の下へと向かってやればいいものを」
エイサの武具を受け取ったスロブはそう苦笑したが、そんな思いやりをエイサに求めること自体が間違いかと、その武具を預かり修復を始める。そしていつもの通りそれを眺めようとしていたエイサに向かって、大きくため息をついて見せた。
「なんだよ爺さん。ため息なんてついて」
「戯けっ!! せめてもの筋じゃろう。魔王様に挨拶行ってこんかっ!!」
「いや、筋ってなんのことだよ?」
「その胸の証について、お主、副官に喋っただろう? 聞いても大丈夫な事だったんですかって、キッチリ貴様の副官から確認が来とるわい」
スロブの言葉にエイサは苦い顔をした。
自分から話すつもりではあったが、先手を打たれた。
スロブが知っているのであれば、当然リアヴェルも知っているのだろうと予測して、彼女の機嫌を想像するとため息しか出てこない。しかも、そんな状況にあって当然のようにスロブを優先したエイサに対して、どんな感情を抱くのか。もはや自明の理だ。
「……いや、違うんだよ爺さん。俺だって戻ったらすぐ連絡しようと思ったさ。だが、いろいろと用件が重なったんだよ」
「喋った次の日に魔王様に手紙を送ることもできたろうに。随分と不機嫌だったぞ、うちのお姫様は」
「だろうなぁ」
「予想できとるなら、何故せん」
スロブの叱責するような言葉にエイサは頬をポリポリと掻いた。
言い訳はいくらでも出てきそうだが、言い訳しても嘘を重ねるだけだと感じたエイサは、自身の内心をそのまま告げた。
「……なんかめんどくさくなって」
「お、おい。……せめて言い訳をせんか。それを魔王様に言う気かお主?」
「あー。やっぱりまずいか?」
「普通なら首を落とされかねん暴挙じゃが……魔王様は将軍には甘いからのう……まあ、すごい顔はするじゃろて。儂なら説教じゃな」
「だよなぁ。本当に面倒な女になったよ。あいつ」
昔なじみの少女に対して辛らつな言葉を呟くエイサに対して、スロブは呆れたような顔をした。
自分を慕う女の子をこうまで適当にあしらうのは、確かに彼の強みではあるしわからないでもないが、一切の躊躇いが無いその様にスロブはリアヴェルに対して同情の念を抱いた。心底より愛を語ってなおめんどくさいと思われ続けているのを、彼女の自業自得というならそれまでだが、ここまで避ける必要もないだろうとエイサを睨めば彼は頭を掻きながら言った。
「いや続いてエルメルダも秘密を伝える必要が出てきたんだが、モンリスに伝えた事さえ気に言ってないアイツの事だ、エルメルダなんて美女に伝えるなんて言ったらどんな反応が返ってくるかわかりやすすぎるくらいにわかるだろ?」
「だからといって避けておっても何も変わらんじゃろうて。とっとと伝えた方が傷は浅くて済むと思うがのう」
「わかってはいるんだが……説教で済めばいいんだがそれで済む気がしなくてな。だから、爺さんが俺の装備を整備しきるのを待っている。フル装備でなけりゃ、あいつに抗じ切れん」
「ふん。お主の戯言など聞く耳持たぬ。エイサよ……未だに神の啓示は続いておるのか?」
その言葉にエイサは苦笑して頷いた。
わざわざフル装備で会いに行く理由をでっち上げたにもかかわらず、あっさりとそれが照れ隠しであると指摘された彼にはそれしかなかった。
エイサの鎧は外部からの魔力干渉に対する鎧であることが主要な目的として調整されている。そしてその魔力による干渉には当然神託だって含まれているのは、彼が以前モンリスに説明した通りだ。憎まれ口を叩いているが彼の真意はそこにある。魔王との謁見の際に神託が降らないとは限らない。そしてそれが降った時エイサがその神託に抗じ切れるともまた限らない。
「……素直にその事を魔王様に伝えてやれば拗れるようなことも無いだろうにのう」
「嫌だね。あいつが調子に乗る。調子に乗ったあいつのウザ絡みを爺さんだって知らない訳じゃないだろうに」
「かか。それは確かに」
憮然とした表情を見せるエイサに向けてスロブはからからと笑って見せた。
英雄らしからぬごくごく普通の少年の顔を久方ぶりに見た。
その事がスロブにはうれしかった。
復讐に囚われ、復讐に全てを捧げるようになった彼の時折見せるその表情に、数少ない人間性の名残を感じる。昔は戦いにおいてのみ人ならざる殺戮機構であったというのに、ここ最近は普段から人であることを忘れたかのような立ち居振る舞い。それを心配していたのだ。
「ま、そんな訳で爺さんいつも通り完璧に頼む」
「成程、幼馴染とは言え好いたおなごに自らのカッコ悪い部分を見せたくないと言う男気。それならば、確かに良くわかる。よかろう。いつも以上に完璧に仕上げてやるとするか」
「そんなんじゃねーよ」
ふてくされたようにエイサはそういった。その言葉にスロブはますます声を大きくして笑う。しばし朗らかな空気が漂う中で、思い出したように鋭い空気をエイサが纏っていった。
「スロブ殿、これが終わったらエルメルダのところへ向かっていただきたい」
「ほう、また随分唐突な話。……何かあったのか?」
「女神の剣を見つけてな。奴に預けたが……どうやら行き詰まったらしい。これがただの魔道具であるなら、貴殿の力を借りぬところではあるんだが、モノが剣だ。ならば貴殿に尋ねるのも筋違いではあるまい」
「成程。あい分かった。……しかし、女神の大剣か。報告は聞いておったが、エルメルダ程の女傑が分からぬことを、儂に聞いてもわからぬとは思うが……」
「奴がつまずいている事に大方の予測は着いている。アレは研究者であって戦う者ではなく、魔道具の専門家であって、剣の専門家ではないから気づかない事だろう。あの手の類の奴は、魔道具はそれ単体で完結していることを前提に考える癖があるからな」
「という事はつまりあれかの? わしはその剣を鍛冶師視点より見ればいい。そういう事かの?」
「端的に言えば」
「了解した。これが終わればすぐに向かうとしよう。……貴殿はその間に魔王様のご機嫌を戻しておくようにの。魔王様の機嫌が昼飯のグレードに直結するんじゃから、儂やんなっちゃう」
「わかってるよ。……ったく、せっかく人がまじめな将軍らしく任務を命じたのにすぐに茶化す」
「所詮お主のはまじめな振りでしかなろうて」
笑いながらそう指摘してきたスロブの言葉にエイサは何も返せなかった。
そもそもからして自分勝手をやっている男が、こんな時だけつくろっても意味は無いという事だ。
将軍らしく振舞うつもりならば、普段から私を捨てて行動していなければならない。それが、人を率いる者の責務だ。復讐に目を奪われ復讐にしか目を向けない彼がやってもすぐにぼろが出る。昔ながらの付き合いがあるスロブを相手にすればなおさらだった。降参を示すように肩を竦めてエイサはその視線を剣に移した。武具に関して手入れを怠ったことは無いが、専門家のそれは手つきからして違う。いかに鉱人が鍛冶に長けるとは言え、その熟達した腕前は魔法でも見ているかのようだ。
炉の側によって熱さに怯むことなく淡々と、されど情熱的に槌を振るうスロブ。それが終わるまでエイサは見続けていた。飽きることなく最後まで。
武具の修繕が終わり、受け取った装備を付け直したエイサは魔王の私室へと向かっていた。
歩く速度は普段よりわずかに遅く、それが彼の内心を示していた。そしてその内心は彼が彼女の私室前に到着したときに、ひとりでに開いた扉を見て表情にまで現れた。ノックすら省略させて私室に招き入れられるなど、光栄の極みだがこれから話すことを考えれば、苦み走った表情になるのも無理はなかった。
開かれた扉の前でひときわ大きなため息をつくと、一応の礼儀として扉を叩く。
「入れ」
「……はいよ」
そして叩いた瞬間に返ってきた入室命令にエイサは抗う事など出来ず扉のノブを掴み中に入った。
リアヴェルの視線がエイサに注がれる。
それに対してエイサは彼女に視線を合わせようとはせず、床、壁、そして窓への順に視線を向けた。
何も変わったところのない、いつもの彼女の部屋に、少しだけ安心する。昔のように怒って者に当たることはしなくなった分、少しは成長しているんだな。などと、随分と失礼な事を考えながら、リアヴェルの表情を横目で伺った。そしてすぐに目をそらした。
「どうしたのエイサ? どうして私と目線を合わせてくれないの?」
「はは……なんでだろうな」
くすくすとほほ笑むリアヴェルの態度にエイサの背中に冷や汗が浮かぶ。
怒りを表に出すことなく、優し気な笑みを浮かべる彼女がエイサにはあまりにも怖い。戦場で相対する軍勢にも、勇者にもそんな感情を抱いたことは無く、逃げると言う選択肢が頭に浮かぶことさえない彼が久しぶりに抱く、ここから逃げたいと感情だった。
昔、シスターに怒られるとき以来抱くことのなかった感情。
怒りをこらえて浮かべる笑顔。その表情があまりにもシスターに似ていて、やっぱり親子なんだなぁなどと場違いな納得をした。
「ねえ、エイサ? 正直に答えてね?」
「あ、ああ。無論。魔王様に隠し事などするものか」
「そう。なら、どうして私に伝えるのが最後になったの?」
「…………………」
「あれ? あれ? あれあれ? どうしてそこで言葉に詰まる? どうして私に答えてくれないの? ねえ、我が剣。我が愛しの将軍様。僕の幼馴染君?」
絡みつくような重さを纏ってリアヴェルの言葉は部屋に響く。
この状況下でめんどくさくなったから、などと答えられる程エイサは勇者ではない。勇気はあるが勇者ではないため仕方ないね。なんて、下らないことが脳裏を巡る。だから、エイサは言い訳をすることにした。これは魔王を恐れてのいいわけではなく、彼女を傷つけないための配慮だと、自分自身に言い聞かせながら。
「いや、違うんだよ魔王様」
「何が?」
「ほ、ほら? 忙しかった。そう。忙しかったんだよ」
「何が?」
「え? いや、俺将軍だし、砦についていろいろやることあったし」
「何が?」
「た、例えば砦の連中に俺の実力を見せたりとか、ヒヴィシス将軍の求めに従って、将軍と模擬戦したりとかいろいろだよ、いろいろ」
「だから、何が?」
「………」
笑顔で問い詰めてくるリアヴェルにエイサはついに押し黙る。
何も答えることはできない。
これ以上口答えするのは下策だと、彼は何も言わぬことを選択した。
そんな彼を見てリアヴェルは腰かけていたベッドから立ち上がり、エイサに向かって歩み寄る。
歩み寄ってきた彼女からエイサは必死で目をそらした。
どうせ、フルフェイス兜をつけている、目線がどこを向いているかなど、リアヴェルにはわからない。
「……もういい。次からは先に相談してねエイサ。僕だって、必要であれば話す事をとどめはしないさ。君の副官。君が見定めた男が相手であれば、許そうとも」
「そ、そうか。そりゃ助かる」
「だけど、次は無い。君が信じたものを疑うのはよろしくないが、秘密ってのはどこでバレるか分からない。そうなった時、魔王のわがままでどこまで守れるか……」
「……そうだな。お前の言うとおりだ」
「……わかってくれたならいい」
そう言うと、リアヴェルは何時もの様子に戻る。
どうやら機嫌は戻ったらしいと、エイサも胸をなでおろす。
そして、お茶の準備をそそくさと始めた彼女に対して一言伝える。
「物は相談だが、リアヴェルに秘密を話してもいいか?」
「は?」
リアヴェルはコップの取っ手を握りつぶした。