三話
暑さがマシになって来たので投下します。
よろしくお願いします。
武具とは使用し続けていくたびに摩耗するものである。
それは、エイサの用いている武具とて例外ではない。
いかなる切れ味をほこる魔剣であっても、いかに頑強な鎧であっても、いかに分厚い盾であっても、使用する度のメンテナンスは必要だ。故にエイサは勇者との対峙が一段落する度、魔軍支配地域の鍛冶屋を訪ねていた。
「爺さん」
「おう、将軍殿かい。また、いつものでいいのか?」
「ああ」
言葉少なく簡潔に依頼を願うと、エイサは自身の武具を外して老鍛冶師の目の前に並べていく。大剣、大盾、重鎧、魔法発動用の触媒など。どれもが目の前の老鍛冶師謹製の武具であり、彼の子供同然の名品だ。
「ふむ」
頷くように老鍛冶師は武具の数々を点検していく。言葉には出さないが、惚れ惚れする様な使い込みをされていたそれらは、まさしく鍛冶師冥利に尽きる用い方だった。それぞれの武具が、それぞれの目的に完全に合致しているが故の摩耗の仕方は、偏屈で有名な老鍛冶師である彼が、エイサに対してだけは一度たりとも鍛冶師として文句をつけたことが無いというだけで一目瞭然だった。
「しかし……いや、これは無粋か」
「……なんだよ、爺さん。らしくない言い方をするじゃないか。何者にも怯まず直接物を言って煙たがられた、あんたらしくもいない」
「いや、何、年寄りの冷や水だ。あんたに言っても耳だこだろう? これほどの技量がありながら、勇者にのみ執着するあんたのその様について苦言を呈するなんてのは」
「……」
黙して何も語らないエイサをしり目に、手入れの道具を取り出すと、まずは魔法触媒となる短い杖をどろりと輝く液体が湛えられた瓶の中に漬ける。触れた部分が僅かに輝き、黒ずんでいた杖が漆黒へとつやを取り戻す。
「それを、責めるわけでは無論ない。わしらのような鍛冶師が、戦う道を選んだ貴殿の意思を否定するなど、烏滸がましいにもほどがあろうて……しかし、もう少し栄達を望んでも構わんのではと、思うのだよ。貴殿程の技巧、それに魅せられた者としてはの」
「栄達……か。俺は人間だぞ?」
「ふん、それがどうした。元より我々は寄り合い所帯。流れ者どもが、何の因果か集い集まって、ゆりかごで眠る馬鹿どもに一発くれてやる。それだけが目的の集団よ」
余分な液体を革を用いて磨き上げると、新品同様に輝きを抱く杖があらわれた。そうでありながら、使い込まれた持ち手の部分にまで、自身の癖を生かすような仕上げの手際にエイサは小さくため息をついた。自身の武具である以上手入れに関してもそこそこの自信があるが、この技巧については神業としか言いようがない。
「そんな集団の中に、ゆりかごから逸れた男がおって、何が悪い?」
続いて、重鎧に手をかける。
欠けた部分の修復及び継ぎ目の確認のために、ばらした武具を一つ一つ丹念に確認していく。外的要因からなる大きな傷はほとんどなく、内側よりの圧力で崩壊しているその様に、老人は感嘆のため息をつくしかできなかった。
「……悪い、悪くないで言えば、確かに悪くはないんだろうさ」
「ほう、ならば、将軍も栄達を望むか?」
「いや、俺はあんたの考え方を否定しないってだけだ。栄達も、栄光も、俺には何一つとして必要がない。俺が望むのはただ一つ」
そういって、エイサは預けていた大剣を手に取った。
すさまじい重量を持つその刃。しかし、エイサはその重さを感じさせないほど軽々と、そして柔らかく取り廻して見せた。輝く刀身にエイサの瞳が映り込む。その瞳に宿す黒い炎に一切の陰り無く、ただ燃え続けている。
復讐心。
それが、エイサの肉体の隅々までを燃やし尽ている。
陰ることなく、陰らせるつもりもないその炎はいずれエイサ自身をも飲み込む破滅の焔火だ。そして、その破滅でさえ、エイサは当然のように受け入れるのだろう。
それが、老人にはとても悲しかった。
すさまじき力量を持つ、未来ある若人が、ただ復讐のためだけに死ぬ向かって疾駆するその様が。
「……そうかい、将軍。残念だ」
「金言、ありがたく」
「そう思うのであれば、少しは儂の言葉を聞き入れてほしいものだがね」
その言葉にエイサは何も言うことなく、剣を再び作業台へと戻した。
そして、そのまま鍛冶場の隅へと足を運び、老人の作業を見守るために壁へ体を預ける。
その態度に、老人はため息をついたがそれ以上何をいう事もなく、再び作業に没頭した。
鉄火場に灯がともる。
漆黒の武具たちに艶めく魔性が再び宿っていく。
その様をエイサは最後まで見届けていた。
自らを預ける武具に全幅の信頼を持つために、彼はいつだってそうしていた。鍛冶師と共に自らの武具が再び生れ落ちるのを見続けるのだ。あるいはそれは……
「将軍」
不意に、エイサに声掛けられた。
聞き覚えのある麗しき音色。気配をたどれば、いつもの闇妖精の姿があった。銀髪紅眼に褐色の肌。一部門の長が、わざわざ人探しとは珍しい。
「何だ? エルメルダ。見ての通り、俺は今忙しい」
「存じておりますが、魔王様がお呼びです。これより月次報告会並びに大戦略会議を行うとのことです。魔将十二傑が一人、エイサ殿にもご出席をと」
「……」
その言葉を聞きながらもエイサの視線は全くブレない。磨き上げられていく自らの武具にのみ注がれていた。
その様子に僅かに不満げな声音でマナリィは再度声をかける。
「エイサ殿」
「無意味だ。出たければ代わりに出てくれても構わないぞ?」
「お戯れを。私にも役割がありますので、後に議場にてお目にかかりましょう」
「そうか。なら……」
視線を逸らすことなく、エイサは手を打ち鳴らした。
すると、鍛冶場の扉が僅かな音を立てて開き、そこから小鬼族の男が姿を現した。人懐っこい、どこか憎めない表情を浮かべた男。戦場での狡猾な戦働きをエイサが買い、自らの部下に雇った小間使いだ。
「お呼びで? 将軍」
「ああ、お前、出世に興味はあるな?」
「へっ? え、ええ、そりゃもちろんでさぁ」
「そうか、なら俺の名代の身分をくれてやる。戦略会議で適当な顔して座って来い」
「はっ?」
「将軍!?」
唐突に言い放った言葉に小鬼と闇妖精はそろって悲鳴のような声を上げた。そんな二人に頓着する事無く、エイサは自身の鎧が丹念に磨き上げられている様子を見つめている。
「い、いや将軍。ありあがてぇお言葉ではありますが、流石にあっしでは身分が軽すぎまさぁ。魔王様直属のお歴々が集まる御前会議。あっしのような粗忽者では居るだけ無意味でしょう。戦略なんぞ欠片も理解しておりませんぜ」
「そも、小鬼族では、あの場の空気に耐えられるかどうか、それすらも定かではありません。……考え直すべきかと、将軍」」
「戦略なんぞ俺も理解していない。その点ではだれが出ても同じ……いや、こいつの嗅覚を見るに、もしかすると、俺が出るよりも、何倍も有意義かもな。そして、あの場の空気に耐えられるかなんて問いは愚問だ?勇者と相対する可能性のある戦場で、限りなく冷徹に振舞えたこいつが、会議程度で震えるタマかっての」
「しかし」
「もとより戦略会議に俺がかかわる理由がない。俺の目標はいつだって勇者のみ。それ以外に目標無く、それ以外に目的はない。そんな奴が戦略なんて理解できようはずがない。だったら、将来有望な部下に場数を踏ませてやる方が有意義だろう」
それ以上の問答をエイサは無視した。
何を言っても通じないことを察したのか、マナリィはこれ見よがしにため息をついた。そして、ちらりと隣にいる小鬼族の男に視線を向けると、上位者に対する礼を取った。
「それでは、名代様、お名前を頂戴いたしたく」
「え……ええ、モンリスっす。しかし……いいんですかい?」
「自身で言ったことを曲げるようなお方ではありませんので」
その言葉にモンリスは同意するようにうなずいた。確かにエイサという男は自分で定めたことを曲げるような男ではない。そうでなくては、不毛なる復讐劇に心血を注ぐような事はできはしないだろう。
「では、こちらへどうぞ、モンリス様。お歴々がたはもう、席についておられますから……」
「名代としての一席目から遅刻とか、あっしの首が飛びませんかね?」
「その当たりはモンリス様の弁舌にかかっているとしか」
燃え盛る紅蓮。灼熱に幾たびも鎚が下ろされるのを、眺めるように揺蕩う様にボンヤリと眺め続けている。
モンリスには悪いことをしたとは思うが、この光景を眺めるこの時間のみが、彼が童心にかえることができる数少ない時間だった。それに、あの男の才覚であればこの程度の窮地、たやすく乗り越えて見せるだろうとも思っている。
だから、この時間を邪魔だけはさせたくない。
打ちなおされ、赤熱の輝きが鈍色に収まっていくその光景。それを夢見たかつての昔の自分。穏やかな暖炉の暖かさ、触れ合う美しい友、そして優しき母の腕。
もはや失われ、取り戻すこと叶わない滅びの先。
だからこそ、ぬくもりだけがよく似ているこの時だけが、彼にとっての安らぎだった。
「よかったのかい? 将軍」
「ああ。俺が会議に出る意味などはない。もの語らぬ木偶が出るくらいなら、モンリスが出ている方が百倍役に立つ。本心だよ」
「そうかい。それならいいが、魔王様のご機嫌だけは損ねないようにな」
「は……あれのご機嫌取りなんぞ、契約には含まれていないな」
「そうだろうともさ。だが、雇い主の機嫌を損ねて、意味などあるまい。あの嬢ちゃん、存外寂しがりやだという事は、将軍も知っているんだろう?」
鎚が鋼を叩く音が響く。
一瞬の停滞なく、一拍の遅れなく、残酷なまでに正確に、時を刻むように。
「我ら魔軍は大きくなった。多くの種族の協力を得て、ついには人という種族に抗じ得るほどに。その始まりより寄り添った将軍に、言うまでもなかろうが、我らが王は存外に寂しがり屋だぞ?」
「ああ。知っている」
「ならば、寂しがり屋の少女が自身の幼き日より寄り添った騎士様に抱く感情くらい、分かっているんだろう?」
そういった老鍛冶師に対してエイサは押し黙ることで回答に変えた。その様子を見ることもなく老鍛冶師は自らの役割に没頭している。魂込めるように、鎚を打ち続ける。せめて戦えぬ自身ができる最善をもって、彼を彼女を守ってほしいと願い続けるように。
「応えてやれとは言えんがな将軍」
老鍛冶師は知っている。
その始まりの場所にいた数少ない初期メンバーの一人であるがゆえに。だからこそ、エイサの在り方に文句をつけることなどできはしない。復讐に燃え、復讐のみを目的として初期メンバーとして、最初から最後まで最前線で戦い続けている彼に対して、それ以外の願いを抱いてほしいなどと、口が裂けても家はしないが……
「名誉、名声、財貨、美女、美食、権力。全てを望んでほしいとは言わぬが、何か一つくらい望んでも罰は当たらんだろうて」
それはまるで懇願のような声音だった。
事実それは懇願なのだろう。
幾度も、幾度となく請われたその願い。だが、しかし、その願いだけは聞き届けられない。エイサの胸の内に宿る復讐の焔はまるで消えず。そしてそんなことを老鍛冶師は知り尽くしていた。それでも、言わずにいられぬのは、十年の年月連れ添った戦友であるからこそ。
そして、最後まで希う老鍛冶師に言葉を返すことなく、エイサは自身の武具の手入れが終わるその時までただ、その様子を眺め続けていた。