二十九話
エイサの昔話。
それを長々とするつもりは彼自身にはない。
そもそもからして、それほど長い話でもなく、複雑な話でもない。
ただ単純に、順序が違ったと言うだけの話。
ほんの少しだけ、運命が狂っただけの話だ。
故に、細かいところを省いて大筋だけエイサは語り始めた。
むかしむかし、あるところに一人の少年と一人の少女がいた。
彼らは物心ついたときから孤児で、村に有る孤児院で、母と呼ぶには若い女の人、シスターと一緒に一つ屋根の下、割と幸せに、どこまでも平凡な子供として生活していた。
村自体は大きな村という訳もなく、同年代の子供は少年と少女の一人ずつだけ、それ以外の子供はもう労働力として親の手伝いをするような年頃だったか、もしくはまだよちよちの赤ん坊から抜け出ていない年頃だった。そうである以上、二人はその二人で遊ぶのが常だった。
孤児院の生活は豊かなものじゃない。
母は普段は近所の人たちの手伝いで食いつなぎ、そして時折訪れる冒険者相手に体を売ることで家族三人ギリギリで暮らせる程度の生活を維持していたのだろう。
もちろん、それをその二人がはっきりと知っていたわけじゃない。
だが、冒険者たちが村に来る時だけ、二人は孤児院から他の家に預けられていたことを考えれば、そして、冒険者がいる間だけは決して孤児院に近づいてはならないと言い含められていた以上は、恐らくそうなんだろう。そんな風にしてその二人は育った。まるで兄弟のように、そしておそらくは将来的に結ばれるであろう恋人同士のように。
それはしかし当然だ。
同年代の男女が村に二人しかいない以上、そうなるであろうことはわかり切っていたことだったから。
そして、遊びながら二人は二人の夢を語り合った。
男の子は鍛冶師になりたいと言っていた。
村に鍛冶師がいなくて皆が困っていることを知っていたから。
女の子は綺麗なお嫁さんになって、幸せに暮らしたいと言っていた。それしか、持てる夢が無かったから。
そんな二人には似た特徴があった。
父の顔も母の顔も知らず、互いに血縁関係のない二人のたった一つだけ似た特徴。それは、二人とも胸元にあざを持っているという事だった。少年には剣の形に見えるあざが、少女には翼に見えるあざが、それぞれあって、お互いにお互いしか知らない秘密だった。
少年の名はエイサ。そして、少女の名はアリスと言った。
「ちと待ってください」
エイサのが語っている途中でモンリスが声をかけて止めた。
そんな彼が言いたいことを何となく理解しながらもエイサは言葉を返す。
「なんだ?」
「つまり、その、あれですかい? 将軍と勇者は幼馴染って事ですかい?」
「ああ。そうなる。勇者アリスは六つまで苦楽を共にした俺の幼馴染だ」
「……その幼馴染を将軍殿は憎んで魔王軍に席を置いている。そう聞いちゃいますが、そこに間違いは?」
「ない」
「何があったんですかい、エイサ将軍」
「それを、これから話すのさ」
言ってエイサは話に戻った。
続きと言っても短い話だ。
山なんてないし落ちだってそんな大したものではない。
そう前置きしながら再度語り出す。
七つになる前夜。
エイサは風邪を引いた。熱を出したのだ。
無論村の孤児院の経営は苦しい。医者にかかる金は無かったし、そもそも村に医者はいなかった。だからこそシスターはエイサの事を必死に看病した。そして、アリスは風邪をひいたエイサを心配して村の奥にある森へ薬草を取りに行ったらしい。
無論、シスターは反発した。
森の中は危険だと。
しかし、アリスもこの時ばかりは譲らずシスターの言葉を無視して薬草を取りに森へ向かったらしい。
まあ、いつも遊び場にしていた村近くの森より少しだけ奥に入ったところに薬草が生えているってのは、村の爺さん婆さんから聞かされていた。問題は無いはずで、事実アリスは気が一つなく戻ってきた。胸に薬草と、近くの川に流れついていた剣を抱いて。
どうやら森で神託を受けたらしい。
そこで、拾った剣が件のアリスティア。
ごっこ遊びのチャンバラごっこで、棒切れを武器に見立てて遊ぶくらいしかしていないアリスにでも持てるくらいに軽く、折れず、そしてすさまじい切れ味を誇る神様の剣。その剣を持ち帰り、そして……
「俺の手を握って看病していたシスターの胸をその剣で貫いた」
「は?」
「貫かれた剣はシスターの心臓を貫き、そのまま真横に振り抜かれた。結果、当然のようにシスターは死亡し、俺はそれを目の前で見せつられた。朦朧としている意識の中で今でも思い出す。帰ってきた奴が、笑顔のままシスターに駆け寄り、振り返ろうとしたシスターの心臓目掛けて躊躇いなく突きを放つその様を。シスターは悲鳴を上げる事さえ出来ずに絶命し、泣き別れになった体の上半分は奇妙な水音を立てて床に落ちて血だまりを作り、下半分は俺に向かって倒れ掛かり血飛沫をまき散らした」
「え……いやいやいや……え?」
「あの時、最初は理解できずに呆然とそれを見ていた。そして奴が笑顔のままシスターの血肉を上半身から集めてすり鉢にとり、薬草一緒にすりつぶしながら煉り合せ始めたとき俺は叫んだよ。風邪で喉が痛む中、裂けるんじゃないかっていう程大声で」
「……いやいやいやいや……」
「んで、出来たシスターの血肉と薬草を練りこんだそれを俺に喰わせようとしたとき、たぶん俺は狂った。風邪で動かないはずの体を必死に動かして、奴を殺そうとして……当然返り討ちにあった。……というか体力がほとんどなかったんだろう、殴りかかった拳はあっさりと奴に受け止められて、無理やりシスターの血肉を食わされて、後のことは記憶にない。気が付いたら次の日の朝で、俺の体は昨日のことが嘘じゃないかっていうくらいに軽くなっていて、そして、全身血まみれの服を着ている事に気が付いた」
「しょ、将軍?」
「気づいた後は胃の中のもの全部吐き戻して、アリスを血眼になって探して、そしたら孤児院の礼拝堂で祈っていやがってな。血まみれのまま。んで、俺に気が付いてこういうんだよ」
モンリスの言葉を気にも留めずエイサは淡々と凄絶な状況を話し続ける。鬱屈した情念が込められたその話は、一単語一単語にも憎悪が込められている。濃密な殺意に、慣れているモンリスでさえ、声をかけるのを躊躇う程に。
「治ってよかったねエイサ。大丈夫? ってな。そこから先の話はあまり覚えていない。奴に襲い掛かったところまでは覚えているが、その先についてはさっぱりだ。おそらくは、そのとき俺はアリスに敗北し、そしてその場から逃げ出した。恥ずかしい限りだが、その時のアリスに俺はおびえていたんだろう。目の前の人間が、つい一昨日まで何もかも知っていると思い込んでいた奴が、まるで違う人間に入れ替わったかのような有様にな。んで、その後旅をしていたリアヴェルとスロブ爺さんを見つけて、無理やりついていって……今のこの様さ」
そこまで話し終えるとエイサは立ち上がり、寄りかかっていた壁より一歩だけ前に出た。
そして剣を一閃する。
空を薙ぐ剣は、大気を切り裂いて月さえ切り裂いてしまいそうな錯覚を与える程に、冴えわたっている。
「以上が、俺が奴を憎む理由となった昔話だ。面白くもなんともないよくある昔話だ」
「……あー、いろいろと聞きたいことは有りますが……その……勇者って奴は正気ですか?」
すさまじく苦い顔をしたモンリスがそう聞いたが、その問いに対してはエイサは苦笑混じりに答えるしかできない。
「お前、俺を正気だと思っているのか?」
「成程。よくわかりました。……つまり、他の勇者もご同類だと?」
「だろうともさ。神気に触れたものが正気である道理がない。つまりは、そういう事だろう」
「うわぁお、勇者相手にまじめに戦略を考えてる俺っち、やる気がなくなってまいりましたよっと」
「それは困るな。だが、意識の隅においておけ。勇者は神の意志に触れたもの。人の身で神に触れるたものは例外なく狂う。理解できぬ圧倒的な格の差に正気では精神が持たない。勇者の覚者とはどれ程まともに見えても、心底から狂っている。無論、何に狂っているかは知らねーけどな」
例えばエイサは復讐に狂っている。
怨嗟の炎がその身を焦がし続けている。
それ以外にあらゆる終着点が無いからこそ、他のあらゆる物事に興味を持たぬからこそ勇者であり、同時に、神に謁見した愚か者の末路である。
「そういえば、将軍。さっきの話なんですが、なんで勇者は将軍に自分の育ての親の血肉喰わせるなんてとち狂ったことしたんですかい? ……いや、狂人の思考回路なんざ理解出ないのはわかっちゃいますが、狂っているとはいえ、将軍にしても勇者アリスにしても、他の勇者にしても、普段はまともに見えるじゃないっすか? なら、それなりの理屈があるんでしょう?」
「膨大な魔力は、ただそれだけで者持つ性質を強める。それは知っていたな?」
「は?……いや、確かにそれ位ならしってやすけど、回復薬とかその類っすよね? 薬草をすりつぶして、その効能を含む汁を魔力を含む水に混ぜ込むことでその効果を飛躍的に上昇させる」
「ああ。それと同じことをあの女はしただけだ」
「は? いや、確かに人の血肉にだって魔力は含まれますが、その量はたかが知れてやすぜ? それこそ、川の水に魔力ため込んで魔水にした方がましな程度……」
「人間であるならそうだな。そして、何故あの女は勇者であることに覚醒した? 勇者の覚醒条件は、世界に魔王が存在している事だろう? さらに言えば、何故スロブ爺さんはガキの頃の俺を拾えた? 何故そんな山奥の田舎町に時代の魔王の娘を連れてわざわざ旅をしてきたと思う?」
エイサの言葉にモンリスは息をのんだ。
つまりはそういう事なのかと、そうであるなら何たる皮肉。いや、そうであるのならエイサやアリスがその孤児院に保護されていたという事実でさえ、裏が透けて見えてしまう。
「俺の育ての母、シスターリスティア。本名リスティア・デモリィードは、現在魔王リアヴェル・デモリィードの母。……つまり、先代の魔王だったってことさ」
「……か、得心がいきやしたぜ。魔王の血肉に含まれる魔力は膨大だ。それこそ、そんじょそこらの魔水なんて比べもんにならない程に。その血肉を使えば、元にしたのがただの薬草であっても効能は絶大になる。……まあ、口にしたいかどうかは全く別問題ですし、それを利用するなんて考えたくもない事っすけどね」
「それを躊躇いなく行えるからこそ勇者なんだろうさ」