二十八話
夢を見ている。
それを、ただ一目で理解する。
目の前の女。
魔王リアヴェルをその手に持つ女神の聖剣を持って打ち滅ぼす。
その光景だけで、彼にはこれを夢だと断ずるには十分だった。しかし、夢を夢と理解しながらも、エイサの体は動かない。ただ、自らの視点で魔王リアヴェルを打ち滅ぼすその瞬間を見続けている。
「やったね、エイサ」
「ああ。そうだなアリス」
そして、自らの宿敵と抱きしめ合う。
それはまるで、愛する人同士の抱擁でそのままの流れでキスまで行う様を見せつけられる。
叫びだしたい気分だった。
しかし、その願いはかなわず、場面は暗転する。
王国への凱旋、世界の平和を取り戻した英雄として、女神の統治を盤石にした勇者として、王国にてパレードを行っている場面だ。
祝福の声が周囲より上がる。
喜びの歓声がエイサを称える言葉となって降り注ぐ。
それはきっととてもとても幸せな夢。
その夢に、あまりにも幸せなその夢にエイサは反吐が出そうな気分だった。
同時にその夢に現実感がありすぎて、今いる自分の状況が悪夢なのではないかと錯覚するほどに。
「ふざけるな……」
呟いた。
動いたのは口だけで、体は動かない。
誰かがささやく。
これが君のたどるべき道だと。
今なら、まだ間に合う。正しき道に戻ってほしい。
そんな声がどこからともなく聞こえてくる。
今からでも遅くない。これが君の運命。勇者となって世界を救い、誰からも尊敬の念で見られる平和の守護者として、生涯幸せに過ごす。それが、君が歩むべき本当の道。
「ふざけるな……」
もう一度エイサは呟いた。
その呟きは周囲の歓声にかき消されて誰にも届かない。
されども、確かにエイサは呟いた。
「どうしたの? エイサ?」
パレードの途中で突然何かをつぶやきだしたエイサをアリスが心配げな表情で問いかけた。
麗しの顔を不安げに染めて。うつむき加減のエイサを下から覗き込むように。
「アリス」
その少女の名をエイサは呼んだ。
その声音はどこまでも平たんで感情を感じさせないものだった。それは、あふれる感情がごちゃ混ぜになりすぎて、どんな感情をその名前に込めていいのかわからなくなってしまった彼の戸惑いからの声。
「ふふ……変なエイサ。でも、私たち本当に魔王を倒したんだね」
「……ああ」
「もっと喜ぼうよ。魔王を滅ぼし、魔族を駆逐して、ようやく平和が訪れた。この平和が君のたった一つの目的だったんでしょう?」
「……ああ」
「私、がんばったよ。君の夢をかなえるために、君と一緒に武器を取って、一緒に魔王城まで遠征して、一緒に魔王を倒した」
「……ああ」
「君の夢はかなった。だから、次は私の番だよね?」
「……ああ」
「昔約束したことを覚えてる?」
「……ああ」
「私は、エイサ・マナクラストのことが大好きです。魔王を倒して平和になったら結婚してください。幼いころのあの約束。それを守ってくれるよね?」
不安げな、消え入りそうな言葉でアリスはそう聞いた。
柔らかく微笑む笑みは美しく、されどどこまでも不安そうな笑み。
目の前の少女を不安にさせている自分に腹が立つ。ここまで言わせた自分が嫌になる。そして……エイサは自ら彼女の唇を奪った。
見開かれる瞳。
驚きの顔。
魔王を殺す事しか考えていなかった男が、こうまで大胆な行動に出たのであれば当然か。
そして少女は、幸せそうに微笑んで……
血飛沫が舞った。
「ああああああああああ!!!!!」
轟音が夜の砦に響き渡った。
エイサが大剣を抜き放ち、そのまま部屋を薙ぎ払ったことにより部屋の壁が吹き飛んだ音だ。
呼吸が荒い。普段のエイサからは信じられな程に乱れ切った呼吸。戦場を数時間駆け続けたとして、これほどまでに呼吸を乱すことは無い彼からは信じられない程のそれを無理やりに抑え込むと、エイサは寝転がっていたベッドから降りて、装備を付け始めた。
「何事っすか!?」
「……モンリスか。……いや、少し夢見が悪くてな」
つけている途中でモンリスがエイサの部屋に駆け込んできた。
隣の部屋で寝ていた彼は豪音と同時に飛び起きて、この部屋に飛び込んできたらしい。
普段の軽鎧をつけた姿ではなく、就寝用のパジャマを着こむ彼の姿は妙に可愛らしく、こんな状況下にあってエイサは少し笑ってしまった。
「……将軍、夢見が悪いからって部屋ぶった斬るって、どんな夢見たんですか?」
「……」
呆れたようなモンリスの言葉にエイサは言葉に詰まった。
そして、大きなため息をついてモンリスに命令を出す。
「部屋のかたずけを手配したら、鍛錬場に来い」
「はい?」
「そこで、少しだけ俺の秘密を話す。見た夢の内容に絡む話だ」
「秘密、ですかい?」
「ああ。喜べモンリス魔王様と、スロブ爺さんしか知らない俺の秘密を握れるぞ?」
それだけ言うとエイサは部屋を立ち去った。
それを見送りながらモンリスは自らの部下を呼び、部屋のかたずけを手配する。深夜にもかかわらず呼び出しを喰らって配下の小鬼達は文句をこぼしているが、そのあたりについては自分もこれから将軍と対話だと言うだけで、文句が出なくなった。
エイサ自身と話せば、自身に厳しい人間ではあるが、他者にまでその厳しさを求めるタイプではなく、恐れる必要はさほどない無いことに気付けるが、少し距離がある者からすればエイサの扱いは危険物のそれだ。まあ、魔王軍最強の将軍であり、漆黒の威圧的な鎧を身に纏い常軌を逸した鍛錬を行い続けるような人物の評価としては至極真っ当な評価ではあるが、もう少しコミュニケーションをとっても良いのではないかモンリスは不満に思っていた。
まあ、その事を進言したところで、必要ないと切り捨てられるだけなのでモンリスも進言までするつもりはまるでない。彼は効率主義者だ。基本的に自身に益の無い行動をとるつもりはなかった。つまり、彼にはエイサの人物像における誤解を解いてやるつもりも、義理もなかった。むしろ誤解されているくらいの方が仕事がやりやすいと思っている節さえあった。
「来たか」
「遅くなりやして」
「構わない。こんな時間に呼び出したのは俺だ。今からする話だって、この後寝れそうにないから、今話しておこうと思い立っただけ。付き合わせるおまえには悪いがな」
「まあ、明日は確実に寝不足でしょうが……一日の寝不足で、将軍の信頼を買えると言うのであれば、これは安い買いものでありましょうさ」
「そうか。なら、まずは秘密を明かすとしよう」
そう言うとエイサは上のアンダーを脱いだ。
鍛え上げられた肉体には鋼のような筋肉がついている。その上を飾るのは数多の傷跡だ。その一つ一つが激戦の証であり、彼の戦歴を物語る。傷ついてさえ美しいとモンリスは思った。そしてそれ以上に目についたのは、胸元にある黒い傷跡だった。……違う。輝きを失い、多くの傷跡で上書きされているとはいえそれは傷跡ではない。
紋章だ。
剣をかたどった紋章。
その紋章をモンリスは知識として知っていた。
「勇者の……紋章」
「ああ。これが俺の秘密。俺は勇者になるはずの男だったらしい」
そう言うとエイサは再び脱いだアンダーを着直した。その上から再び鎧を装備しなおしていく。そうしながら、エイサは自身が知り得た勇者の証について話を続けた。
曰く、勇者の紋章とは女神の加護を受ける種族に刻まれる女神からの恩寵ではない。いずれ究極に至る者。時代のある分野において最優となる者へ送られるただの目印に他ならない。神託を受け魔王を殺すものに送られる女神からの証にして烙印。剣の証が指し示すのは剣士としての才覚だ。剣士として、時代当代最優になり果てるものの証。
「つまりだ。勇者の証って奴はなそれに覚醒するから強くなるのではなく、勇者として覚醒するほどの才覚を持つがゆえに、女神から送られた目印なんだよ」
エイサは吐き捨てるように言った。そして軽く自らの鎧を叩いて見せる。金属音が小さくされど確かに響いた。
「俺が鎧をあまり外さない理由でもある」
「これを見られればそりゃ、大問題っすもんねぇ」
「違う。さっきも言ったように勇者の証は目印だ。女神が最優のものを見出すための。目印はそこに目を向けるための印だろう? つまり、俺には今でも女神からの神託が下る」
その言葉にエイサは絶句した。
神託。神から託される願い。
しかし、その本質は願いを拒むことなど出来るはずがない。存在の格が違いすぎる相手からの願いなど、脅迫以外の何物でもない。それが、自らの信仰の対象であるなら当然だ。そしてそれを拒むとどうなるか。それをエイサは先ほどの行動で示していた。
「神託とは脅迫であり、同時に洗脳だ。人にとっての栄光を、成功への道筋をその夢を使って映し出す。男ならだれもが求めるだろう? 誰もに称賛されると言う栄光を、誰もが羨む財宝を、誰もが妬む程の美女を。それを手に入れる道筋を明確に示されて、否と言える人間は少ない。最も幸せになりうる道が勇者となり剣を取ることだと認識させて、自身の手ごまにする。それが神託と呼ばれるもの正体だ」
「つまり、将軍の鎧は防御のためだけではなく」
「ああ。神託を防ぐ意味合いもある。神託だって魔力を用いることで、女神の意思を伝える技術だ。意思疎通魔法があるだろう。あれを強力にした上に一方的なものが神託だ。ならば、その魔力を遮断してしまえば、女神からの神託を受けずに済む。幸いにして俺の鎧はスロブ爺さんが魔力防御をがちがちに固めた逸品だ。兜までかぶれば基本的には神託を弾く……が、今日は少し油断した。魔王様の側にいなければ、そうホイホイ神託を飛ばしてくると思っていなかったんだが……」
「その神託を受けて、ああなったと?」
「正確に言えば、神託を振り払うために夢ごと切り払った結果だな。剣だけは手元に置いて寝るのが幸いした。俺の剣は魔力を吸収するからな。女神と俺との間に繋がれたラインを強引に切断することで、無理やりにでも神託を切断したわけだ。部屋が吹き飛んだのはあくまで、その余波だ」
その言葉にモンリスは納得の表情を浮かべた。
エイサの実力を間近で見ているモンリスはエイサの実力をよく知っている。無双足る彼が、全力を振れば、部屋の一つ程度吹き飛ばしても違和感はない。
「以上が俺の秘密だ。どうだ? 上司の弱みを握った気分は? 俺を嫌っているような将軍にでもばらせば、俺を追放するくらいできるかもしれんぞ?」
「へへっ。悪くない気分でさぁ。……ま、だからと言ってこれを誰かにばらそうとは思いやせんがね。将軍ほどの実力者、敵に回すなんて怖くて怖くて、あっしのような小心者には出来そうにもありやせ」
「よく言う」
にやりと笑みを浮かべたモンリスに対してエイサも同じく不敵な笑みを浮かべて返した。
この話を聞いて、笑みを浮かべられるような奴が小心者なわけがない。何せ、魔王でさえこの秘密を知った時には動揺を隠せなかったのだから。
「しかし、将軍は良くその神託に耐えれやすねぇ。あっしなら、一瞬でその神託に従っちまいそうだ。栄光とか、栄華とか、財宝とか、美女とか大好きっすもん」
「俺も嫌いではないがな、手段だけは許容できない。ただそれだけの事さ」
「ふーむ。それを詳しく聞いても?」
そう問いかけてきたモンリスにエイサはしばし考え込む姿を見せた。そして、同時に試すようにエイサに視線を向けると、相も変わらず彼は不敵な笑みを浮かべたままだ。その姿を見て、こいつは引き下がる気が無いと判断したエイサは地面に腰を下ろし鍛錬場の壁に背を預けると、モンリスもそれに倣う様に腰を下ろした。
天上を見上げてみれば、夏ではあるが夜はまだまだこれからが本番だと言わんばかりに星々が煌めき、月が輝いている。
「どこにでもある話だぞ? 面白くもなんともない胸糞の悪い話だ。それでもいいのなら、聞かせてやるが……」
「へへっ。将軍殿の昔話、こいつは良い交渉材料になりそうでさぁ」
「……あまり吹聴するなよ。これもまた、恥ずかしい話だ」
「勿論。大事な相手にだけっすよ」