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二十七話


 エイサが一度瞑想に入ると、基本的に外界のあらゆる事柄を些事としてシャットダウンしてしまう。それは彼が多く持つ悪癖の中でも、極めて大きな悪癖の一つではあるが、基本的に自身が動く必要のない状況下でしか瞑想を行わない事、そして戦いの気配がを悟った瞬間に覚醒する彼自身の本能的超感覚。この二つが相まって、今までは特に問題視されていない悪癖だった。特に本人はそれを悪癖だとさえ思っていなかった。

 少なくとも、今日、この時までは。


「それで、なぜ貴様がここにいる? シャロン・オフェルキス」

「あら、殿方と女が深夜に一つ部屋の下とあって、やる事なんて一つではなくて?」


 瞑想を終え、目を開いたときにそこにいた女。

 シャロンに対して、エイサは刺々しく聞くが、それに対するシャロンの態度はどこまでも悠然としたものだった。エイサの部屋という彼自身のフィールドに入り込んだ招かざる客ではあるが、夜も更けた時間帯、男の部屋にあるという状況は、シャロンの得意分野である。そういう意味ではエイサがシャロンのフィールドに引きずり込まれたともいえた。

 つまり、エイサにとってはピンチである。

 戦場において百戦錬磨であっても、男女の秘め事において彼は未だ初陣を果たせぬ未熟者だ。そんな彼の初戦の相手が淫魔族サキュバスの女王とは流石に荷が勝ちすぎる。

 瞑想しているときは外界全てを遮断するエイサの悪癖を彼自身が初めて自覚した瞬間でもある。敵意が無ければ、直接触れさえしなければこれ程見られていたというのに、気にした素振りさえ見せないと言うのは、流石に少々問題があると気が付いた。特に苦手な相手が同じ砦にいるときにその隙を晒すのは、流石に無警戒にもほどがあった。


「そうか。だが、あいにくだが俺の方は間に合っている。相手を求めるだけなら、ヒヴィシス将軍の下へでも行けばいいだろう。奴とて英雄、すり寄る華を無下にはしまい」

「ふふ。私は貴方のお相手をいたしたくてこの場にいる。それを理解しながらそんな風に拒むんだエイサ将軍は。据え膳食わぬは男の恥。そういうのでしょう?」

「知ったことか。恥だろうとなんだろうと、俺はお前の求めを拒む」

「どうして? 私はこれほどまでに貴方を求めていると言うのに」


 そう言うとシャロンは自身が持つ魔力を開放した。

 それは男に対する圧倒的な魅力という形で放出される。

 男の理性を削り、男の情熱を煽り、男の劣情を誘う。

 その魅了の力は絶大だ。並の精神力では抗うことなど出来ず即座に虜にし、その状態でお預けを喰らわせるだけで男であるなら狂死させかねない程の魅了の力。淫魔サキュバス族。男に対する圧倒的な優位性を持つ種族。その女王の破滅的なまでのそれを受けて、エイサは小動もしない。

 

「やめろ」


 そして静かにエイサは言った。


「迷惑だ」


 その言葉に渋々といった形でシャロンは魔力の収めた。

 気が狂いそうなほどの女の香が霧散する。

 部屋の暗闇の中、窓から照らす月明かりだけが二人を優しく照らし出す、そんな一室で、男と女はにらみ合う様に見つめ合い、そしてシャロンの方から目を切った。


「情熱をもって抱きしめてくれないんだね、エイサ将軍」

「ああ。俺の情熱の向く矛先はたった一つだけだ」

「その情熱のひとかけらでもいい。私はそう言っているのよ? 一晩だけの過ち。一晩だけの思い出。それだけで私は諦められるのに」

「そうか」

「そうだよ。それなのに、どうして?」


 瞳を潤ませてシャロンは聞いた。その様相に淫魔サキュバス族を統べるものの威厳は無く、ただ恋に落ちた女の悲哀だけがある。そんな彼女の様子を見てさえエイサは何も動かない。瞑想をしていた態勢のまま、ただ愚直にシャロンを見つめている。


「先にも言った」


 不意にエイサが口を開いた。

 その口調はどこまでも穏やかだが、その声音にはどこまでも深い闇色の熱を含んでいる。


「俺の情熱の向く矛先はたった一つだけだ。勇者を殺す。ただそれだけのために俺は生きている。その熱を他に向ける余裕はない。俺の内にある熱は憎悪のみだ。それ以外は全てが無為。そういう生き方しかしていない。そして、俺はそれでいいと思っている」

「……かつて、むかしむかし、助けた淫魔サキュバス族の女の子ことを覚えている?」

「さあな。そんな昔のことは忘れたよ」

「それじゃあ、いつか貴方の願いが成就したとき、私を抱きしめてくれる?」

「さあな。そんな先の事は分からない」


 その言葉を聞いてシャロンは一筋の涙を流した。

 その様子を見ても、エイサは何も言わず、何も行動しない。

 ただ、彼女を見つめるだけだ。

 あらゆる情念の矛先を復讐にのみ向けて、あらゆる殺意の先を勇者に向ける彼が、色恋などに現を抜かす暇はない。少しでも情熱を他に向けてしまえば、憎悪の熱が下がる。だからエイサはそれ以外に意識を傾けない。だからこそエイサに魅了の力は通用しなかった。生物の本能を刺激する逃れぬはずの力でさえ、憎悪に染まったエイサには届かない。それは、もはや人の心の在り方ではない。シャロンはその事を、今日ここで初めて知った。


「ならいつか、貴方の願いが成就したときに。もう一度答えを聞きに来るから。その時まで、貴方の邪魔をしないから……」

「そうかい」


 すがるような女の言葉をエイサは無下に切り捨てた。

 心底どうでもよさげな口調で、真実どうでもいい事なのだろう。

 そんなエイサの態度を見て、シャロンは微笑んで見せた。

 その表情は涙を流した弱い女を切り捨てて、覚悟を決めた顔だった。

 呪いのように憎悪に染まる男を待ち続けると決めた、強い女の顔だった。


「邪魔したわね、エイサ将軍」

「ああ」


 言葉少なくシャロンはエイサの部屋を後にした。

 夜も半ばに男の部屋より立ち去るなど、淫魔サキュバス族としてはプライドを痛く傷つけられる行為だろう。だと言うのに、エイサの部屋より立ち去ったシャロンの顔に怒りの色は無い。彼女の顔に浮かぶ色はたった一つの感情だ。

 悲哀。

 それは、愛する男が憎悪に染まり切った果ての姿を見せたことに対する憐みの念。

 そして同時に、そんな男を憎悪より引き離せない、自らの力不足に対する悲しみの色だった。












 シャロンの部隊は当初の予定通り一週間で砦を後にすることになった。

 その間エイサは食事時以外に自身の部屋から出ることなく、ただひたすら瞑想により自身の内面に潜り続けていた。魔力操作、自身の魔力拡充。それらに費やした一週間ではあったが、思ったほどの効果は出ていない。……というよりもエイサの魔力操作に関する力量は既に人という種の極限域にまで高められている。魔力量に関しても、生まれ持った量を鑑みてこの辺りが限界だろうとエイサは当たりをつけていた。それでも、瞑想を行い少しでも自身の無駄をそぎ落とす鍛錬には意味がある。一足飛びの成長は見込めなくともほんの少しの成長だけであっても、歩みを止めない事こそが鍛錬の意義だ。

 エイサの力量の域に至ればほんの少しの力量の向上でさえ長い鍛錬が必要になる。その事をエイサは遠い昔に理解していた。無論、だからといって他の事に見向きをするつもりもなく、ただ強くなるためだけに、自身の時間のほとんどをつぎ込んでいた。

 不意にエイサの部屋の扉にノック音が響いた。


「モンリスか。入れ」

「失礼しやす」


 入ってきたのはモンリスだった。

 ポリポリと頭を掻きながら言いにくそうにエイサに伝える。


「将軍、シャロン将軍が陣払いをするそうです」

「……そうか」

「それで、申し訳ないんですが見送りのために指揮官室に来て欲しいと、ヒヴィシス将軍から依頼が来てまして……どうしやす?」


 その言葉にエイサはため息をついた。

 苦手な相手を見送るのは面倒ではあるが、その結果として彼女との不和説でも流れれば洒落にならない。娼婦たちの情報網は重要だと、エイサはモンリスより口を酸っぱくするほどに言われていた。その情報網から、勇者の場所を特定しうる可能性があるとまで言われれば、面倒でも無視することは得策ではなかった。


「すぐに向かう」


 そう言うとエイサは壁に立てかけてあった装備を身に着けた。そしてそのままあてがわれた自室を出ると、指揮官室へと足を向けた。


「申し訳ないっす、将軍」

「構わねーよ。俺だって好き好んで、奴を敵に回したいわけじゃない」


 そうこう言っているうちに指揮官室までたどり着いた。

 扉を開くと、ヒヴィシスとシャロンが二人で談笑しているところだった。

 その二人の視線がエイサに向けられる。

 いつも通りヒヴィシスはエイサに向けて気さくな笑みを、シャロンは意味深な笑みを浮かべた。


「あらエイサ将軍。来てくれるなんて思わなかったよ」

「軍の功労者を見送る事くらいはするさ」

「ふーん。私たちの情報網が目的なだけではなくて?」

「さて、どうかな」

「何が目的であろうと、わが筆頭殿に見送りいただけるなど誉れなり。なあ、シャロン将軍」

「ええ。我らが筆頭将軍様。だものね?」


 くすくすとシャロンは笑った。

 エイサはその筆頭将軍と呼ばれたことに対して、頬を掻いた。

 円卓に座り、上下の括りなしだったはずの会議席に上下ができるのは如何なものかとエイサは思うが、それで誰もが文句を言わない以上、彼がわざわざ否定する必要もないと思っている。尊敬の念を向けられることに対して苦手意識を持たないではないが、悪意をもって接しているわけではないものを、わざわざ否定して回るほど暇でもない。


「お勤め、ご苦労さん。ま、言われずとも元気だろうが、別の場所でも元気にやれよ」

「あはは。全然心の籠ってない激励の言葉をありがとう。それじゃあ、餞別代りに欲しいものがあるんだけどいいかな?」

「欲しいもの? 俺の持つ物は武具くらいで、お前にくれてやれそうなものは無いぞ? この身は魔王様の剣だ。剣が自身のものを持つ理由がない」

「ばーか」


 そう言うとシャロンは席より立ち上がりエイサのそばへ寄った。

 敵意も何も感じない彼女の在り方にエイサが首をかしげると、彼女はそのままエイサに体を預けた。

 カシャンと鎧が鳴る音がする。

 困惑し瞳を細めるエイサに対して、シャロンは少女の笑みを浮かべたままエイサの兜を僅かにずらした。

 ついばむようなバードキス。

 淫魔サキュバス族の女王がするにしては、あまりにも幼い唇合わせ。それは敵意も悪意さえも無い、完全な不意打ちだった。

 見えていない瞳を見開き、エイサにしては珍しい驚きの表情を作る。それのタイミングでシャロンは身をひるがえして、エイサより離れた。ペロリと自身の舌で唇を舐める。鮮血のように赤い舌がチロリと唇をなぞる様は、どこまでも淫靡で、どこまでも可憐だった。


「ご馳走様」

「……魔王様には黙っておけよ」

「ふふ、どうしようかな?」


 不意打ちを喰らった自身の未熟さにエイサはため息をついて、絞り出すようにそう言うと、いたずらな笑みを浮かべてシャロンはそう返した。その態度にエイサは再度兜をかぶり直す。頬を赤く染めた彼女は余りにも色っぽいが、それが通じる相手でもなかった。

 キスされたと言うのに、冷静沈着。そんな憎らしい態度をとる男に対して、一本取れたことを無邪気に喜び、シャロンは指揮官室を一礼して立ち去って行った。


「モンリス殿」

「なんでしょうかい、ヒヴィシス将軍」

「甘酸っぱいなぁ。吾輩、まさかこんな光景をあのシャロン殿で見せられるとは思いもせんでしたぞ」

「そうっすねぇ。あっし、もう帰ってもいいですかねぇ」


 後ろから聞こえるワクワクした声音のヒヴィシス将軍と疲れた声のモンリスを無視してエイサもその場を後にした。向かう先は鍛錬場。不覚を取った自分自身へを鍛え直すために、エイサは再度そこへ向かうことを決めた。別段、真っ直ぐに向けられた好意に照れたわけではない。




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