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二十六話


 シャロンが来てからの砦生活はエイサにとって窮屈なものであった。

 一週間という期間限定とはいえ、苦手な女が滞在するという事に加えて、どこかしこで客引きをする淫魔サキュバスの姿に辟易しないと言えば嘘になる。淫靡な空気が流れる中であってさえ、規律が保たれているのは、流石は精鋭部隊といったところだが、それでも見目麗しい女性たちが、ひっきりなしに誘惑してくる空間というのは、エイサにとって居心地が悪い者だった。


「ほほう、英雄色を好むと言うのだが、まさかエイサ将軍にそのような弱点があったとは驚きですな」

「弱点ってわけじゃない。この後魔王様のご機嫌が恐ろしいことになるのがめんどくさいだけだ。シャロンの奴はそれをわかって俺を揶揄おうとしてい来るし、戦略に関して全く力にならないこの俺が、指揮官室でお茶をすすっている現状を見ろ。俺に鍛錬をさせないのは奴ぐらいなものだ」

「かか、奴も女。袖にされ続けることにいたくプライドを傷つけられておるのでしょう。特に淫魔サキュバス族の族長ともあらば、女のとしてのプライドは人一倍高い。互いに嫌な相手という事になるのでしょうな」

「わかっちゃいる。だからこそ、こうして顔を合わせないように気を使っているんだ」


 エイサが他者に対して気を遣う事は殆どない。

 復讐という一点にのみ彼の興味が収束しているためだ。

 そんな彼が唯一気を遣う相手、それがシャロンという女だった。そしてそのことが魔王の気に障る。自身に対してさえ全く気を使わない愛する男が、他の女に気を使うえば嫉妬もしよう。だからこそ不機嫌になるのだが、だからといってシャロンが率いる娼婦たちの価値を認めない程、魔王の視野は狭くない。自身の感情よりも、軍全体の利益を優先する程度に彼女は大人で、同時にそれでも割り切れない感情をエイサにぶつける程度には子供なのだ。


「まあ、将軍殿も久方ぶりの骨休みとでも思って、ここで茶でもしばいて行くといいでしょう。貴殿が体を休めている姿を、拙者は見たことがないので、時折心配になるのだ。筆頭殿はいつ体を休めているのだと。気を抜けるときに気を抜く。この緩急もまた戦場の心得でしょう?」

「知ったことじゃない。奴を殺し切るまで俺の戦いに終わりはない。糸を切るのは奴を殺し切ったその時だと決めている。緩急の急だけで俺は良い」

「切るのではなく緩めるのです。戦いにおける緩急の重要性、筆頭殿ほどの方が知らぬはずがありますまい」

「無論。だが、俺の心がせかすのさ。奴を殺せと。奴を滅ぼせと。腹の中にたまった黒い感情ががなり立てる。そして、俺はそれでいいと思っている。だから、俺に休息は不要だ。奴を殺せればそれでいい。後の事なんざ知ったことではないんだよ、ヒヴィシス将軍」


 エイサの言葉にヒヴィシスはため息をついた。

 完結した精神。定め切った目標。ここまで人は正常に狂えるのかと、その精神性に孕む狂気をヒヴィシスは初めて見た。そしてその精神こそが、エイサの超人的な技量を支える燃料であることも理解する。


「正気なれば大望は成せずとは言うが、そこまでか狂っておられるか」

「応ともさ。狂わなければ、勇者を殺し切るなど言い切れまい。人の身で人の希望を堕としきるなど、正気の沙汰ではないと知っているさ」

「故はあるのでしょうか? 将軍殿」

「故……か。さて、あった気もするし、もう忘れた気もする。ただ、決めた以上は成し遂げる。狂うってのはそういうものだろう?」


 エイサはそうぼかしたが、復讐の理由を忘れているはずがない。忘れられるはずがない。

 ただ、その理由を誰に語る必要もない以上、口を閉ざすのはある意味当然だ。

 彼の理由は私怨である。

 彼の理由に義などない。

 それでも、復讐することをためらう理由には一つもならなかった。

 たとえそれが、世界に歯向かう事であっても。この世界を収める女神様の意に反する事であっても。エイサは止まるつもりなどなかった。


「そんなことよりもこれから俺がどう動けばいいかだけ教えておいてくれ。一応俺の副官が戦場を見回って、勇者どもの進軍経路を予測しようと動いてはいるが、それが百%当たるとは限らん。もし外した時のための連絡手段くらいは用意しておいてほしい」

「ふむ。それは確かにそうですな。……ならば閃光弾でもあげましょうか」

「閃光弾? なんだそれ?」

「ヌルシル殿が作った魔道具アーティファクトの一種でしてな。様々な色を発色し発行する大きさ五センチ程度のボール型の魔道具アーティファクト。勇者を戦場で発見したら黒色の閃光を上げるように指示を出しておきましょう」

「黒色の閃光なんざあるのか。……まあ、了解した。それが見えた地点に向かえばいいって事だな。つってもモンリス曰く、もうしばしの猶予は有りそうなんだが」

「ほう? その理由をお聞かせ願っても?」

「単純に勇者がイグン山の西に回り込んで到着するまでの期間が一週間程度かかるだろうってのがモンリスの予想だ。それ以上の根拠を示せと俺に言われても不可能だ。聞きたいならモンリスに直接聞いてくれ」

「貴公。本当に指揮官としての適性はゼロだな。いや、あえて伸ばす気が無いとでも言うべきか」

「当然だ、指揮官としての力量なんぞ、勇者を殺すには必要ない。必要のない者は仕入れない。力量において足らぬ以上当然の選択だろう。何せ相手は勇者だ。人型における究極、齢七つにして先代の魔王を討伐した化け物。それの相手をする技量を手にするには、手広くやっていては不可能だ。未だ成長を続ける生粋の化け物相手にはな」

「戦略を見る目を養う事。それが、無駄になるとは思えませんが。戦いにおいて手札の数を増やすのは重要であろうに」

「ゴミ手ばかり増えても仕方がない。最低限一流の力量を保たねば、相手の手札に敗北する以上、手札を増やすよりも、手札の質を上げることが重要だったのさ。無敵の手を生み出すことはできないかもしれないが、極限までその手の質を上げる事は俺にもできる。その極限の手をもって他の札を組み込むことができれば、万能の相手に勝ることも可能だ」


 勇者は戦いにおける万能者だ。戦闘に関わるあらゆる分野において、超一流の才能を持つ超人だ。その相手に勝つ為には自らが持ち得ていた札を極限まで研ぎ澄ますことしかエイサにはできなかった。それが即ち彼の近接戦闘能力。一芸秀でれば多芸に通ずるが、通じる程度で打倒しうるほど勇者という万能者は甘くは無い。ならば、勝る持ち手を押し付ける以外に勝機はない。

 その果てが今のエイサという男である。

 近接戦闘能力というただ一つの点をもって万象を穿つ力量にまで到達した一種の理不尽バグ。しかし、すべてに通じるなどという女神の加護(チート)を持つ者相手にはそれ以外に選択肢がなかったのもまた事実だ。幸いにもエイサにはその才覚があった。例え女神の加護(チート)がなくとも理不尽バグに到達しうる才覚が。


「成程、貴公の姿勢スタンスはよく理解できた。それで、これからはどうされるので? しばらくはシャロン将軍も、この砦に逗留されるとの事。同じ砦にいるとあれば顔を合わさぬと言うのもまた至難」

「あてがわれた自室で瞑想にふけるさ。魔力量の拡充と魔力操作の精密性、自らの肉体の操作感覚、そういったものを確認するのに瞑想は最適だ。先にヒヴィシス将軍も言った通り手札を増やすこと自体は悪くない。ただ、増やした手札を研鑽する事を忘れるのは本末転倒だ。数少ない、俺の通じる手札でもある」


 そう言うとエイサは目の前に置かれていた茶を飲み干して司令官室の中央に置かれているテーブルより席を立った。そしてこれ以上用はないと言わんばかりに足早に司令官室を出ていく。ヒヴィシスはそれを見送ると、自分の目の前に置かれていた茶に手を付けた。一杯飲み、一息ついたところで、再び司令官室の扉が開かれた。

 そこから入ってきた客人は先ほどまで話題に上がっていたシャロン将軍だった。相変わらず生唾を飲み込むほどの美貌と色香を振りまきながら、媚びへつらう様にヒヴィシスへと問いを発した。


「ヒヴィシス将軍。エイサ将軍はどこかな? ここにいるって聞いてきたんだけどさ」


 その言葉にヒヴィシスは苦笑した。

 エイサがさっさと出て言った理由をその言葉で察する。

 シャロン将軍が司令官室へ向かってきていることを気配だけで感じ取って、それから逃げるように立ち去ったわけだ。本当に苦手としているのだと思うと、その行動に年齢相応の若さが見えて少しだけ親しみを感じられた。

 青春真っ盛りの年齢では、目の前の女は猛毒に過ぎる。

 何より、魔王様のご機嫌を損ねることを面倒に思うのであれば、先の行動は当然か。そんな思惑がヒヴィシスの中で駆け巡ったのは一瞬。そして、エイサとシャロンどちらに恩を売っておいた方が得かなど考えるまでもなく即座に答えが出た。

 だから、ヒヴィシスは大人らしい答えをシャロンに向けて返した。


「さて? かの将軍の行動範囲を吾輩ごときが把握するなど不可能。確かに先ほどまでこの部屋におられましたが、その後の行動など知る由もありますまい」

「ふーん。……逃げた。か。……そう、将軍がそういうんなら、そうなんだろうね」


 あからさまな言い草にシャロンはヒヴィシスをジト目で睨みつけた。

 目の前の男がエイサの行き先を知っていることは明白だが、ここで問い詰めても目の前の男は自身の判断を変えることなどありえない。一晩褥を共にしたところで、答えないものは答えない男だと、シャロンはよくよく知っている。故に司令官室で過ごしていても、目的の人物に会えそうにない。そうであるなら、この部屋に長居する理由はシャロンにはなかった。


「邪魔したね将軍。エイサ将軍の場所が分かったら、ぜひ私に伝えて欲しいな」

「ふむ。覚えておきましょうや。……しかしシャロン殿。貴公はなぜエイサ将軍をそうも追い求められるので? 女のプライドが傷つけられた。という理由だけでは有りますまいに」


その問いを聞いたシャロンは笑みを浮かべた。

 今までのような策謀を孕む邪悪な笑みではなく、花が咲き誇るような心解れるようなそんな笑みを。そして、万感の思いを込めて少しづつ呟いた。


「むかしむかし、私が今ほどの力を持っていなかったとき、人間に襲われていたところを助けてくれた、黒い騎士様がいたの。その騎士様は圧倒的な力で人間を蹴散らし、勇者を屠りそして、私に手を差し伸べてくれた」

「は……成程、これはまた、随分と野暮をしたものか。吾輩の目も少々狂ったか。色魔とはいえ、我ら十二将に列せられたとはいえ、貴公は女性であったか」

「ふふふ、そういう事。礼も言えず、あの人のために操を守れず、されどもあの人のことを思っていたのよ? 我が一族は娼婦を務めるが定め、だけど、娼婦が恋をしてはいけない、なんて法もないでしょう?」

「然り。命短し恋せよ乙女とはよく言ったもの。純潔を守ってはいないが、その心根は乙女のそれとは、本当に野暮なことを聞いた。済まぬなシャロン殿」

「いえいえ、それは、もう一度だけ聞きましょう? 私の愛しいエイサ様はどちら?」


 その問いかけにヒヴィシスは抗う方法を持たなかった。

 義理人情に篤く、己の定めた誓いを破ることを嫌う武人肌の男であったが、同時に風雅を解する風流人でもある。四季の移り変わりに心震わせ、乙女の恋模様に眺めて楽しみ、そして手助けをしたがるお節介でもあった。そんな彼が、恋する乙女の手助けを求める声に答えないなどという野暮を成すことはできない。ましてや、先に野暮な問いかけをしてしまうと言う失態が彼にはあった。


「さて、知りませぬが……探し人を見つけるには、まずその者の部屋を訪れるのが最初に打つ手としては順当なところでしょう。何せ、砦中に貴方の部下がいるのだ。そのくらいしか誰に見つかるでもなく集中する様な場所は有りますまいに」

「……ええ、言われてみればそうね。ありがとう将軍」

「何、吾輩はただ一般論を述べたのみ。ただそれだけですよ、恋する乙女殿」



 

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