二話
二話
魔法の研究者さんと勇者殺しのお話。
世界には神話と呼ばれるものがある。
それはいわゆる創世の神話。
大いなる女神様と、邪悪なる魔神のお話。
その神話において女神様によって生み出された者たちを動物と呼び、魔神によって生み出された者たちを魔物と呼ぶ。
女神様はおっしゃった。
「あなた達は私の愛しい子供たち、皆のことは私が守りましょう」
魔神は言った。
「お前たちは我の勇ましき子供たち、自らのことは自らで守れ」
その言葉の通り、女神様は子供たちに加護を与えた。
その言葉の通り、魔神は子供たちに優れた力を与えていた。
そしてまた、ある時女神様はおっしゃった。
「この地に満ちて、揺り籠の中で穏やかに暮らしなさい」
そして時を同じくして、魔神は言った。
「この地をかけ、この箱庭を探求し尽くして、いずれ外で会おう」
そして、この言葉を最後に女神様は人々を常に見守り、魔神はこの世界の外へと去っていったという。
この世界の一番最初のお話。
もう、誰も覚えていないお話。
肉体を砕いたところで意味はない。その肉体を幾度も蘇らせ、幾度でも戦いを挑みに来る勇者を相手には、戦闘経験を重ねさせるという事は実際のところ悪手でしかない。戦闘を重ね、経験を束ねれば、確実に勝利へ近づいてしまう。
「神の奇跡。実際、よく出来たシステムだよ。魔王を殺すためだけの手法としては、間違いなく不老不死よりも使い勝手がいい。流石は女神様のシステム、隙が無い」
幾度敗れても幾度でも戦闘を挑み、いずれ勝利する。ならば、肉体方面を責めるのは無意味。だからといって精神的な負荷を与えて行動不能にすることもまた意味がない。蘇るとわかっている人間の生命は、安い。四肢切断し、捕らえたことがあったが、自死を選ばれては意味がなかった。蘇ることが前提の自死など、あまりにも生物から逸脱した精神の形ではあるが、勇者とはそういうものだ。
「ならばこそ、我々も貴殿に尽力し、彼女を無力化するする手法を探っているわけですが……神の作りたもうたシステムに瑕疵はない。現状では勇者を無力化する手段は発見できておりません。苦労をおかけしますね、将軍」
白衣を身にまとった銀髪の女がそういった。
銀髪紅眼に褐色の肌色。人にあるまじき美貌をその容貌に宿すその女は、確かに人ではなかった。
闇妖精。妖精族が闇の魔力に染まった姿。あるいは森の加護ではなく、砂の加護を選んだと謳われる美貌の種族。その中でも彼女はとびきりだ。
魔王軍魔術研究部第二課対勇者対策研究課長、マナリィ=エルメルダ。
闇妖精という種族が魔術適正が高いと言う事実もあるが、それも魔女族や悪魔族を差し置いて魔術研究部の課長という地位に座っているというのは、彼女の非凡な優秀さを指し示している。それこそ、対勇者研究という魔王軍の悲願を任せられているという優秀さには、エイサも頭が下がる。
「役目を苦労と思ったことは無い。ただそれだけの役割に身を振られた以上、成し遂げなければ無駄飯ぐらいもいいところだろうさ。むしろ、完全に討ち滅ぼせない自身の不覚に涙が出る」
「勇者殺し。一度でさえ偉業であることを既に十度以上行っているあなたが自身の不覚に涙せねばならないというのであれば、私もそろそろ自らの首元を心配せねばならなくなります。過ぎたる謙遜は嫌味になりますよ」
「さて、嫌味を言ったつもりはないが、そう聞こえたのなら謝罪しよう。だが知っておいてほしい。勇者は俺が殺す。他者にこの愉悦を譲れるほど、俺はできた人間ではない」
「愉悦。それは、我々の無能を嗤う愉悦ですか?」
「まさか、俺の感じる愉悦はただ一つ」
そういった瞬間にエイサは腰かけていた机から腰を上げた。闇の中で響くキーボードをたたく音がわずかに止まる。同時に、入り口から煌めく光が部屋の中へと入りこんだ。
ドアにかけられた錠が二度、三度突き刺さることでで斬り飛ばされた。
ゆっくりと扉が開いていくのを見ながら、エイサはマナリィに声をかけた。
「内容の削除は終わったのか?」
「もう少しといったところでしょうか」
「そうか、ならば少し時間を稼ごう」
「ええ、よろしくお願いします」
相対するのは無論勇者。
聖剣携えた、魔王軍の宿敵。
扉が弾き飛ばされた。
横に開くタイプの扉を無理やりに開けようとして、その力に耐え切れず吹き飛んだのだ。
一直線に迫るそれを、右腕の大盾で受け流して、正面を見据えれば、見慣れた少女の姿があった。
勇者。
可憐なる容貌に、ありったけの祝福を宿した、人にありながら、人を超えた剣の姫君。
構える聖剣、アリスティアには一点の曇りなく、ただ闇を切り裂く光にあふれている。
人型の極致、人類種としての究極。女神の抱く世界で最も輝き放つ者。その輝きに闇妖精のマナリィは瞳を細めた。種族の壁を越えて圧倒的力に敬服の感慨を抱く。魔の眷属たる自身ですらそうなのだから、彼女と同じ女神の眷属である人の種であるエイサはなおの事であろうとそちらを見れば、揺るぎない殺意が、純烈なる怒りが背中から感じられる程に表れていた。
マナリィはそれを見て驚愕の感情を得た。
人という種である以上、聖剣を構えた勇者に敬服を抱くのは仕方がない。神の定めた因果において、神の加護でそうあることを定められているのが人という種で、そして、その因果を乗り越えるほどの殺意が、敵意がこの世には存在しているのだという事実に、術理を探求する者として驚愕の念以外を得ることができなかった。
神様の加護を乗り越える。それは術師としての最終目標であり、最終課題でもある。世界の法則を手繰り、世界の法則を歪め、世界の法則を塗り替える事こそが魔術の極意。その最果て、自らの意思をもって定められた因果を歪めるという奥義に目の前の男は自らの意思のみでたどり着いている。
「情念のみが神を超える」
誰が言ったセリフだったかとマナリィは少しだけ思いを馳せた。
「神の与えたもうたこの世界で、神の導きに従って生きていれば楽なのだろうがな。貴様のような勇者が生きている限り、まだ無理だ」
「ふん……エイサ。未だ足掻くんだ。その強がりが、いったい何処まで持つのか試してあげたい気もするけど、そろそろ貴方の顔も見飽きたわ」
「見飽きたとはこちらのセリフだ。いった何度死ねばお前は滅びてくれるのか。幾度首を撥ねればおとなしく死んでくれるのか。お前を殺すのにも飽きたぞ勇者」
「なら、私に殺されてくれればいいのに。飽いたというのなら、それもまた一興でしょう?」
聖剣の纏う光がその輝きをさらに増した。あらゆるモノを切断する神様の光。その上でその刀身を自在に変化させることを可能とすることで、攻防における究極を成し得た武具の極致。それがアリスティア。その斬撃を防ぐすべはあらず、その斬撃をかわす手段もない。
斬撃が振るわれた。
合間にある物全てを二つに切り払い、闇を祓う極光が世界を薙ぎ払う。
「シャドウステップ」
不意に勇者の真後ろで声が響いた。
紛れもないエイサの声。
視線は動かしていない。
目の前で捉えたはずの男の影は極光に飲まれて消えて。
灼熱の痛みが、勇者の臓腑に突き立った。
闇属性下級魔法、シャドウステップ。
効果は単純明快。影から影への疑似的な空間転移を行う。
空間転移という高度な結果をもたらす魔法だが、目に見える範囲の影にしか転移できない。詠唱時間を含めた発動までのタイムラグも合わさって、非常に使いにくい魔法のはずだが、エイサはそれをきっちりと使いこなし、勇者の臓腑を抉り穿った。
「シャドウステップの詠唱を唱え始めたときは、どういうつもりか分らなかったが……なるほど、聖剣は光を生む。光を生むという事は同時に影もできるという事と同義。ならばシャドウステップという選択肢は間違いではないという事か」
マナリィのその言葉が聞こえてくると同時にエイサは突き刺していた大剣を引き抜く、そしてそのままの勢いで真横に薙ぎ払い首を撥ね飛ばした。
吹き出る血液と同時に勇者の肉体が光の粒子に変換されて消えていく。屍を残さないその在り方に勇者の歪さを感じながら、エイサはその抜いた剣を振り抜いて剣についた血を払い飛ばすし、その剣を背負いなおした。
「まあ、次からは対応してくるんだろうがなあの女」
「全く見切られた様子はなかったけど? それでも対応してくるのかしら?」
「勇者ってのはそういうものだ。同じ手法をもって挑めば逆転の手を用意して、こちらの首を撥ねてくる。神様の加護を受けた怪物だって事実を忘れるなよ」
「怪物。貴方たちの信仰の対象じゃないの?」
「自身の理解の埒外にある存在。それを怪物と呼ばずなんと呼ぶんだ?女神であろうと、魔神であろうと。理解できないからこその怪物だろうが。そんなことよりも……」
「そんなことよりも?」
「削除作業は終わったのか? 場所はバレてる、早く引き上げないと、もう一度勇者様に対面するはめになるが?」
「ええ、それもそうね」
エイサの言葉を受けてマナリィは再びキーボードを叩き始めた。作業完了まで残り数分。その作業に没頭する。今回目の前で得ることのできたデータ、勇者と勇者殺しの戦いの結末。それを受けてこれからの研究内容に笑みを浮かべながら。
「そういえば……将軍」
「……なんだ?」
「あなたの言う愉悦って、何のこと?」
「そんなもの、勇者を殺す。それ以外にあるか?」
「なるほど、勇者殺し。ありがとう、愚問だったわね」