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十一話


 朝露が下りる森の中。

 少しだけ開けたその場所で、エイサは暖を取っていた。

 パチパチと木がはじける音を聞きながら、緩やかに燃えている焚火を眺めている。

 大剣を大地に突き立て、鎧兜を外すことなく、ただぼんやりとそうしていると、不意に草むらが揺れた。


「戻ったか。モンリス」


 そちらに一瞥くれることもなくエイサはそう言うと、それに応じるように小鬼ゴブリンの男が草むらより姿を見せた。モンリスだ。いつもの粗末な軽鎧ではなく、さらに粗末な農奴のような恰好をしている。


「それで? 何が分かった?」


 エイサはそういいながら、火にかけてあった鉄鍋から、コーヒーをカップに移してモンリスに向けて放り投げた。一滴もこぼさず手元へと投げ渡されたカップをつかみ、モンリスは中身を舐めるように飲んだ。相変わらず苦いだけで旨味も香りも殆ど死んでいる味だ。眠気覚まし以上の価値のないそれを傍らにおいて、モンリスは報告を始めた。


「人間軍の動きとか、アマルークの撤退先とか、食糧事情とか……いろいろ話は聞けましたが、そういうのに興味はありますかい?」

「無い。俺の知りたい情報はいつだってたった一つだ」

「そうっすよねぇ。わかっちゃいましたけど、一応は仕入れた情報を上司に伝えるのは下っ端の務めなもんで」

「そうか」


 それ以上詰めることなく、エイサは焚火に視線を移した。そんな彼相手にモンリスは人間軍の状況をまとめて報告していく。軍勢の総数、武装の質、そして何より勇者の行動。その内容は余りにも正確で、予測が入り混じるというのに、今まで一度も外したことがない。


「という訳で、次に将軍が向かうべきはナグラムより北のノルビ。勇者はおそらくそこで部隊の指揮をするうちの将軍を打ち取るつもりっすね」

「ノルビ? あの都市は古いだけで何かしらの重要拠点じゃなかったと思っていたが?」

「敵さんの思惑としてはうちの軍の将を打ち取りたい。その思惑はナグラムで完全に見えたっすから。ナグラム城は経済都市としても、立地的に見てもかなり重要な拠点。その拠点を放棄する前提で勇者を投入し、ソニス殿の首を取りに来た。こりゃあ、うちの軍の弱点バレちまってますわ」

「弱点。……ああ、魔王が言っていた、斬首戦術に対する弱さのことか。アレのカリスマでまとまっているからこその弱点」

「それっす。魔王様のカリスマは間違いなく本物っすけど、うちの軍はそのカリスマだけでここまで大きくなったもんだから、それによる弊害が出てきているのが現状。つまり、魔王様の威光が下っ端にまでは届いてない」

「種族の頭を押さえても、その下につく奴自体は抑えきれていないか」


 エイサの言葉にモンリスは頷いた。そしてその弱点を突く方法はそれほど難しい話ではない。


「魔軍十二将。その内の誰か一人でも討たれれば、こちらの進軍は止まりますからねぇ。しかもエイサ将軍がいないところに勇者をぶつければ十中八九は勇者が勝つ。なら、大事な拠点、大事でない拠点なんて考えを捨てて、エイサ将軍以外の将へ勇者をぶつけて打ち取る。その考えにシフトした以上、拠点の重要度で勇者の場所を推察するのは例外を除いて不可能になったっす」

「それで? 何故ノルビに絞った?」

「拠点の重要度で測れない上、それ以外の要因を探すだけの話っす。んで、周辺地域を調べさせた結果、そこの士気が妙に高いってことがわかりやして。勇者が来るってだけで士気が上がるのは自明の理。そしてもう一つ。どうやらそこにも勇者の証を持つ奴がいるらしいってんで」

「周囲と比べて士気が高い。そのことについては納得しよう。しかし……勇者の証……神よりの聖印を持つ者か」

「こちらも眉唾かなとは思ったんですが、調べてみれば確かに、神殿に突然現れた身元不明のあっぱらぱーな男が、うちの軍相手に無双をかまして、一時的に撤退に追い込んだらしいっすわ。んで、しっかり胸元には勇者の証が」


 胸元に現れる神より選ばれしものの証。それが聖印だ。それを持つ者は勇者の一行となることで、勇者と同じ存在となる。つまり、幾度死んでも蘇る不死性の獲得。それは、確かに厄介で、同時に勇者が向かう理由としては十分だ。


「……事情は理解した。……しかし、あっぱらぱーってのは?」

「本人が、ブレイブヒロイックスの世界キタコレとか、モブは黙って引っ込んでろとか、勇者のアリスちゃんかわいいよとか、どう考えても頭おかしい事を吹聴しまくってるらしくて。その上で神様の加護はしっかりあって、うちの軍相手に無双するから、人の側でも手を焼いてる見たいなんすわ」


 その言葉にエイサは首を傾げた。勇者の証を持つ者は基本的に人格的にも優れている。優れた能力に加えて、揺るぎない女神への信仰の果てにその証は宿り輝く。そういうものだと、エイサは旅をしていた時に聞いていた。


「ま、選ばれたものは仕方ない。それよりもだ。ノルビには誰が向かった?」

「魔王軍十二将第十階位。ユリニオン・ネルヴァート殿ですな。融体スライム種の」

「ユリニオンか。また、面倒な女のところに行ったもんだ」


 言いながら、エイサは焚火の側から立ち上がった。そばに置いてあったコーヒーをすべて飲み干して、火をにかけてあった鍋を外す。そんな彼の様子を見てモンリスが指を鳴らすと、草むらから何人かの小鬼ゴブリン達が現れて、食器類を片付け始めた。


「行くので?」

「ここからノルビはそう遠くない。急げばすぐだろうが、あの女が俺を受け入れるとは思えん。戦略的に優先度の低いノルビなんぞ攻めさせられているのなら特にな」

「ユリニオン殿。どのようなお方なのですかい? 何か確執でも?」

「詳しい人物像なんぞ、俺が知るか。ただ確執というか、あれは融体スライム種の王だ。んで融体スライムが何を食ってるかくらいは知っているだろう?」

「あー……動物の肉ですよね?」

「はは……言葉を濁してくれてありがとよ。そう。動物肉。んで、奴らがよく主食としている生き物は?」

「ですよねー。……それじゃあ俺っちも近づかない方が良いっすかねぇ?」

「目の前で食われた瞬間ならなんとでもできるが、そうでなければ命は諦めろ。伊達や酔狂でスライムクイーンの座にいるわけじゃない」


 言いながら、エイサは自身の愛馬に飛び乗った。

 それに応じるようにモンリスも自分の馬に乗って、エイサに追従する。


「そういや、なんでユリニオン殿が将軍を拒むんで? 食いもんとして見られている程度で、エイサ将軍が拒ことは無いでしょうし、ユリニオン殿の方が拒む理由にはならないっすよね?」

「昔々、食われそうになった時腹の中からぶった切ってやってな。それ以来目の敵にされているのさ。これ、俺が悪いのか?」


 その言葉にモンリスは何も言えず、乾いた笑いを返した。


















 蠢く粘液の塊共がノルビを守る兵士たちへと津波の如く襲い掛かる。それを大型の盾を構えた兵士が抑え込み、後ろから魔術師が放った火炎が粘液を薙ぎ払う。

 そんな光景があちこちで繰り広げられている。融体スライム族の直接戦闘能力はそれほど高くはない。全身を鉄の鎧で固めた兵士を貫く攻撃力は無く、そのスピードも大したことは無い。しかし物理攻撃をシャットアウトする液体の体。生身で振れればそこから爛れてしまう腐食液。何より、その膨大な数が彼らの強みだ。

 本格的に戦争活動が行われている街道より少し後方にある丘の上。ユリニオンが陣を敷くその場所の手前で、エイサはしばし戦場を俯瞰していた。

 ソニスの部隊に身を寄せていた時もそうだったが、戦いに赴く前に、周囲の地形を把握することをエイサは癖としていた。もちろん戦場へ至る前に周囲の地図を確認もしている。しかし、こうやって実際に見ることでしか分からないものがあるとエイサは思っていた。

 彼自身戦略、戦術に精通しているわけではないため、何がわかると言葉で説明出来ないため、さぼりとみられることもあったが、エイサ自身出世にまるで興味もないため、何を言われてもこの行動をやめるつもりは無かった。


「将軍。ユリニオン殿が来られましたぜ?」

「ああ。わかっている」

「いや、分かってるじゃなくて、挨拶とかそういうのはいいんで? 何かすげぇ苛ついた表情してますぜ?」

「待たせておけ。どうせ、勝手に居座るんだ。契約上顔を出しに来てはいるが、出る直前まで、あれに会う必要もない。……それよりも分かるか?」

「いや、そうじゃなくて後ろに……って、何がっすか?」

「勇者の気配だ。……いや、勇者の気配といってもあの腹立たしき聖剣使いが身に纏う噎せ返りそうな程の神の気配ではなく、どこか我欲に濡れた、それでも間違いなく聖者の気配。……なるほど、モンリス。お前の予想は当たりだ」

「……何が当たりだというのか」


 不意に不機嫌な声がエイサにかけられた。モンリスの声ではなく、美しい女の声。唐突に声をかけられたエイサだが、気配を感じ取っていたためまるで驚いた風もなく、戦場の一か所を指さした。

 兵士たちの隊列より飛び出してきた男が見える。

 輝く槍をもって、融体スライム種相手に戦う装いには決して見えない軽装で、戦場にてその武威を示す。その槍の一突きで物理攻撃を封殺するはずの融体スライム達を貫き滅ぼし、その槍の一薙ぎで弾き飛ばし、戦場を縦横無尽に駆け抜けている。なるほど、あれは勇者だ。勇者の証を持つ勇者一行パーティの一人。

 その武威は確かに極まっている。その武芸はまさしく熟達のそれ。自身の生さえ投げ捨てるように戦果キルスコアにおける最高効率を叩きだしていく。


「しかし、妙だ」

「何がだ将軍。忌まわしき槍を持つ勇者。奴の生で我が愛しき子共が薙ぎ払われていく。奴を打ち滅ぼすのが貴公の指名であろうて。何をためらう?」

「躊躇う? そんなつもりは無い。ただ、単純明快にありえないことが気にかかる。それだけのことだユリニオン」

「ありえないとは?」


 ユリニオンの問いに答えるためにエイサは彼女の方へ視線を向けた。その視線の先にいたのは魔王だった。いや、正確に言えばリアヴェルに酷似した女の姿を取ったユリニオンと言った方が正しいのか。

 青と紫の宝石を溶かした液体のような、されど少し透き通った肌の色。その身を飾る豪奢なドレス。そのスタイルはリアヴェルがもう少し時代を経て女として完成したときのそれか。

 その姿は先代の魔王の姿によく似ていて、だからこそエイサはその姿があまり好きではなかった。ユリニオンは彼女が知る最も美しい者の姿を取ると嘯いている。確かにその姿は背筋が凍るほどに美しく、あらゆる男を虜にするだろう。しかし、エイサはその姿にまるで情感を動かされない。見れば見るほどに……


「あれ程の使い手が突然現れたことがだ」


 脳裏に写る映像を振り切ってエイサはそう言った。そして再び戦場を駆ける槍使いの男を指さす。


「年の頃は十七、八。俺と同じ年頃の槍使いで、ああまで極まっている奴がいれば、少なくともどこかで耳にしておかしくないはずだ。なのにあいつの噂話なんぞ、一度も聞いたことがない。まるで、唐突にここに現れたみたいにな」

「……それは、他の勇者も同じではないのか?」

「勇者アリスは幼年の頃から名をとどろかせていた。何せ、七つにして先代魔王を打ち滅ぼしたんだから当然だ。聖女フィリアはその名も高き女神教の最上位司祭。最年少大司祭アークビショップ。そしてもう一人、聖賢者シェリス。王都魔導学院が誇る天才にして、首席研究者。こっちも十になるかならないかで、学院研究者として名を馳せた」

「……優れた能力を持つって事は必然、誰かの口端に登りますからねぇ。それが高名であろうと悪名であろうと、名声であることに変わりなし」

「ああ。それに加えて、モンリス。お前が言っていた性格がその通りであるなら、知られていない方がおかしいだろう?」

「成程。その通りでさ。噂通りのとんちきな野郎で、恐ろしく腕が立つってんなら、知られていないのは不自然っすねぇ」

「ならば、奴はどこから来た。どうやってあれ程の技量を持ちながら、一切の噂にならずここまで過ごしてきた?」


 エイサはそう言いながら、背に負った剣の感触を確かめた。重量感抜群の大剣は、魔力が充足しきっていないために、その色合いは漆黒には程遠い。しかし、それで大剣としての性能が落ちるわけでもなく、エイサとしては十二分以上に頼れる武装だった。


 視線の先に写るのは戦場にて無双を成し遂げている男の姿だ。その男の姿を眺めながら彼我の戦力さを冷淡に計算して、近くに留め置いていた愛馬の手綱を取った。


「探れモンリス。これ以上勇者御一行様が増えると手がかかる。魔王軍としてもよろしくは無いだろう」

「御意に。して、将軍は?」

「勇者が来たらしい。気配でわかる。ならば、ここからは俺の仕事だ。文句はあるかユリニオン?」


 すでに騎乗しているエイサを見てユリニオンはため息をついた。文句があっても聞く気の全くない男の姿に頭痛が止められない。が、それもまたやむなし。目の前の男の行動原理は嫌というほどよく知っている。ここで止めては、かつての再演になるだけ。融体スライム種として斬撃に対する究極といっても過言ではない防御能力を持つ彼女ではあるが、目の前の男に二度も腹を掻っ捌かれるのは勘弁願いたかった。


「言いたいことは多くあれ。貴公を止めうる手段は無い。存分に暴れたまえよ、気に入らない大英雄よ」


 その言葉を聞くか聞かずかのタイミングで、エイサは戦場へと愛馬を走らせた。

 漆黒の旋風が行く。その武者振りは彼のことを嫌うユリニオンをして、見惚れる程だった。


 


 

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