百話
ついに百話となりました、これからもお付き合いよろしくお願いします。
会議が始まるまでの日々を久方ぶりにエイサは魔王城で過ごしていた。
内容はいつも通りの鍛錬に充てている。
だが、その鍛錬の内容自体は普段のそれとは大きく違っていた。
剣を抜かず、自身の内側を見つめ直す事に終始している。
それは、普段の彼らしからぬ行動だ。
エイサは基本的に戦いの理由に迷ったことがない。
戦いの理由を復讐と定め、揺らぐという事が殆どない彼にとって、精神修養の類を行う事はとても珍しい。だが、今回ばかりはそういう訳にもいかなかった。心技体のバランスが崩れ、ソウジに後れを取りかけた。その原因を放っておくことが、彼には出来なかった。
リアヴェルとの会話である程度、答えは見えている。
その答えが正しいのかはさておき、その答えが心底に当てはまるのかを確認するために、エイサは黙々と魔王城の中庭で座禅を組み、瞑想を行っている。
そんなエイサに近づく姿があった。
気配を消し、そろりそろりと近づく影が、もう少しでエイサに触れる距離にまでたどり着いたとき、エイサはゆっくりと目を空けて、背後より近づく女、即ちリアヴェルへと声をかけた。
「何の用だ、リアヴェル」
「……良く気付く。気配を消して出来る限り慎重に近づいたというのに、それでも君には気づかれるのか」
「気づかれないように動くのであれば、せめて風上から近づかない事だ」
「何よ。私、匂うとでも言いたいの?」
「戯け。吹く風が遮られれば、誰だって後ろに誰かいる事にくらい気付く。そして俺の後ろを取る理由があるのは、お前くらいだろうにリアヴェル」
そう言うとエイサは座禅を組むのをやめて立ち上がって彼女の方へと向き直った。
いたずらに失敗して、口元を尖らせたリアヴェルの姿がそこにはある。拗ねたその顔すら美しい少女を真正面から見つめて、されど何の感慨も抱くことなく彼女に対してエイサは問いかけた。
「もう一度聞く。何の用だリアヴェル」
「……別に、用なんてとくには無いけれど、君が座禅を組むなんて変わった事をしていたからね。少しばかりちょっかいを掛けたくなっただけさ」
「ふん。暇なんだな貴様」
「暇という訳では無いけれど、僕の騎士様が悩みを抱えているのであれば、聞いてあげるのも主の仕事でしょう? 貴方、一体何をそんなに悩んでいるの?」
リアヴェルの言葉にエイサは苦笑を見せた。
彼女にバレる程度には悩み事はもろバレだったらしい。
最も、普段していない精神修養なんぞしていれば、何かしらに悩んでいる事はもろバレか。なんてことを思いながら、エイサは地面に突き刺してあった自身の大剣を背に負った。そしてリアヴェルを真っ直ぐに見つめる。そんなエイサの態度にリアヴェルは僅かに頬を染めた。
「悩みというには少しばかり違う。もう悩み自体は解決をした。……いや、解決したと言えば嘘にはなるが、解決のとっかかりは既に掴んでいる。お前が心配する必要は無いよ、リアヴェル」
「ふぅん? 僕の事が信用できないってこと?」
「なんでそうなる」
「だって、あからさまに解決していない様子の君にそう言われたんだ。そう解釈する以外のどうしろと言うのさ」
「俺の言葉を素直に聞き入れるという選択肢は無いのか、お前」
「君が、僕に対して本気の悩みを相談したことが一度でもあったかい?」
不満げにそう言ったリアヴェルに対してエイサは沈黙で返すしか出来なかった。
確かにエイサはリアヴェルに対して自身の不安事項を相談したことは無い。そもそもからして自己責任で解決する類の事を、他人に相談することをエイサは好んでいない。それは、長い付き合いであるリアヴェルであっても同じことだ。その事がリアヴェルには少しばかり歯がゆく、そして悲しかった。
「それでも、お前自身が今回の悩み事を解決するにあたっての一助にはなったよ」
「その悩みの内容も知らずに、一助になったなんて言われてもねぇ。……結局、何に悩んでいたのかしら?」
そうリアヴェルがエイサに尋ねるが、それに対してエイサは少しばかり口を噤んだ。答えを彼女に漏らす事が少しばかり恥ずかしい。
そんな感情を自身が抱いたことにエイサは自分自身の事ながら驚き、そしてもう一度リアヴェルを見つめる。彼女はエイサより一切視線を逸らすことなく、ただ黙々とエイサを見つめていた。
エイサは頬を掻いた。
答えをエイサは既にその心のうちに持ち得ている。
だが、その答えを彼女に伝えるのは少しばかり恥ずかしい。
結局は自分勝手な答えをエイサ自身は導き出している。
復讐だけに生きて、復讐の身に耽溺して、その復讐の理由がなくなったとしても、結局彼の戦う理由は自分本位な事柄にしか過ぎない。自らのために、自身のためだけに剣を振るう事に間違いはなく、自身の剣を誰かに預けるつもりなど、結局彼にはなかったのだ。揺れる心が再び定まる。しかしその理由を、目の前の少女にだけは知られたくなかった。
それを、男の意地だとフェリオスなら笑うだろう。
その意地を知ればリアヴェルは喜びの笑みを浮かべるだろう。
だからエイサは、彼女に対して沈黙を貫いた。
そんなエイサの様子にリアヴェルの機嫌がますます悪くなる。
そんな彼女の感情を無視するようにエイサは再び剣を握り周囲を薙ぎ払った。
華麗なまでの一閃が周囲を薙ぎ払う。
美しい剣戟の切れ味は、世界を断ち切るかのような錯覚さえリアヴェルに与える程だ。
美しい。
ただそんな感想の身を彼女は抱いた。
まさしくこれは人の成し得る技の極みだ。斬撃における究極は、ただの一閃をもって彼女を虜にする。何の細工もないただ剣を振るうという行動が、極限まで無駄をそぎ落とされることによってここまで人の心を打つものなのかと、彼女は感嘆のため息を漏らした。
そして、呟く。
「何が悩みをよ。その剣技を見ればあなたに悩みなんぞありはしないことぐらいすぐにわかるわ」
「だから、解決したと言っただろう。だが、お前から見て俺の剣筋に乱れ無しと言えるのであれば、まあ、間違いなく復調したとみてよさそうだ」
「……あら? 随分と僕の事を信頼してくれてるんだ。剣技に何かしら口を出せる程精通しているつもりは無いんだけど?」
「それでも、お前は俺の剣を昔から見てきているだろう。そのお前の太鼓判がもらえるのであれば、俺の剣はおそらく十全だ」
「素人に剣技の判別をさせてもいいものなのかしら?」
「剣術に関しては素人の域をお前は出ないが、剣士を見る目に関しては十分に肥えているだろう。少なくともガキの頃より、俺の剣技を見続けているのは確かなんだから。そして、俺の剣技を見続けためをもって、俺の剣技を評するに悩みがないと見るのであれば、それは信用するに値する言葉だ」
それとも彼女の言葉を信用したいという自身の願いよりの感傷か。それはエイサには分からない。だが、彼女に視線を向ければ、首をかしげるリアヴェルの姿があって、その姿にエイサは苦笑した。分からないのであればそれでいい。むしろ分からないように言ったのだ。分かられても困る。なんてことを思いながら、エイサは再び剣を振るう。
舞い踊るように斬撃を振るう。
一撃一撃に意味を込めて、一撃一撃をもって自身の悪い部分を削り落としていく。
僅かながらに、だが確かに少しづつ自身の腕前が向上していく感触。それを糧として、それを足掛かりとしてほんの少しづつ武芸の高みへと昇るために、さらに自身の技量に磨きをかける。
武芸の道に終わりはない。探求すべき道筋の高さを見据え、その果てへと疾駆するエイサをしてその最果ての領域は未だに終わりを見せない。かつて最大の目標として思い描いていた場所が、その片鱗をうかがい知る事しかできない究極へのたった一歩であることを、彼の探求の中で知っていく。それを楽しいとは思わなかった。少なくとも、復讐に耽溺し続けている状況にあっては。だが、今では。
「いや、それでも。それもまた、ただの感傷だな」
「何か言った?」
「いや、武芸の道は奥が深く、そして何よりも広い。そう感じただけの事さだ」
「ふうん? 君でもそう思うんだ」
「ああ。俺の力量などまだまだ未熟。剣を振るう度に自らの未熟さが嫌になっていく」
そう言いながらも楽しそうにエイサは剣を振るい続けている。
そんな、どこか吹っ切った様子のエイサを眺め続けながら、リアヴェルは小さくつぶやいた。
「それにしては、随分と楽しいそうだね、エイサ」
その口調に責めるような音は無く、ただ、自らの幼馴染の成長を喜ぶ、少女の純粋な喜びが秘められているだけの言葉。その言葉はエイサには届かず、彼の振るう剣が引き起こす風切り音に紛れて消えた。