十話
エイサの大剣に名前は無い。
彼が旅をしていたころから愛用している剣を彼が成長する度、彼が強敵と戦う度、鍛冶師スロブが打ちなおし続け、今の形に到達したために、銘をつけるという発想を持たなかったからだ。
その為、という訳でもないが、彼の剣は最初何の能力も持ち得ていなかった。
只頑丈で、只切れ味のいい、只の剣。
それが、長きにわたって鍛えなおされ、形を変え、品を変え続け、膨大な量の戦闘を乗り越えて、その結果今の特性を得た。それがエイサの大剣だ。
莫大な量の戦闘の際に多くの種類の魔力を浴び続けたことによる、魔力に対する親和性。幾度も幾度も鍛え続けたがために作り出された剣内部の層。その二つが合わさることで、多くの魔力をその剣の内にため込める特性。剣内部の層のうち、どこを通して解放するかによる魔力性質変換能力。
その二つの能力が相まって、特異に見えるが、魔具を扱う専門家すなわち吸血鬼や、宝剣、聖剣、魔剣を集める宝物収集家たる龍から見れば、どこにでもある一流の魔導器物でしかない。
だが、それをエイサが扱ったときは別だ。
あらゆる物事には相性がある。
太陽には大空が、月には夜空があるように、エイサに彼の剣は余りにも相性が良かった。
その結果が目の前の光景だった。
蓄えた魔力の性質をすべて赤色《破壊》に変えて振り抜かれた一撃は、エイサの技巧と相まって城壁を容易く両断し、蹂躙した。祝福を刻むことにより頑強さを高め、魔術に対する抵抗力を高めていたが、そんな小細工毎切り払った絶技。赤色の魔力が生み出す破壊の力を、エイサの技巧により一点に収束し、城壁を切り裂いた後に解放した結果。瓦礫さえ焼き焦がして流麗な城壁は見るも無残に崩れ落ちていた。
「まずは、一人か」
「シェリス……」
剣を構えなおすエイサに相対する勇者が小さく誰かの名前をつぶやいた。
それが城壁に隠れて勇者へ援護を施していた魔法使いの名なのだろうとあたりをつける。
「幻影魔術。それがお前を殺せなかった種か」
「……さて、どうだかね」
そういったエイサの言葉に対して勇者は答えを濁す。
しかし、そのことを気にする風もなく、エイサは一歩ずつ歩み寄る。
その姿に勇者はわずかに飲まれ、されど勇者の誇り故にかアリスティアを再びエイサに向けた。
「まあ、どうでもいい話だ」
そうエイサは呟いた。誰に向けるでもない、只の独り言。そして勇者を睨みつける瞳には、純粋なまでの殺意と、無邪気なまでの喜悦が宿る。
「今ここで重要なのはたった一つ」
不意にエイサの姿が掻き消えた。
瞬間移動にも似たそれは、ゼロ速度と最高速度を自在に操る彼の特異な歩法による近くの幻惑によるものだ。それによって勇者の背後に回り込んで、逆手で大剣を握り勇者への突きを放つ。
その突きは狙い違うことなく勇者の足に突き刺さった。
「がぁっ!?」
勇者の悲鳴が響く。
魔術師シェリスの幻影魔術により、エイサの認識を数センチずらしていたことで、ギリギリ直撃を受けず掠めさせるだけで済んでいた。しかし、その幻影魔術がなくなった状況下では四肢のうちの一つを犠牲にして即死を避ける事しか彼女にはできない。
そんな勇者を無表情に見つめながらエイサは言った。
「貴様の勝ち目はなくなったという事だけだ」
突き刺した勇者を、聖女フィリアへ向けて大剣で放り投げる。吹き飛ばされた勇者をギリギリのところでフィリアは抱き留めた。そして治癒の神聖術をかける。最上位の神の奇跡は確かに勇者を癒したが、同時に二人ともがエイサの大剣の射程距離に入ってしまったことを、勇者は理解し、自分たちの詰みを悟る。
「精々足掻けよ勇者様。その無様な足掻きだけが、その無意味な奮闘だけが、俺の憎悪を満たしてくれる。ここで死ね。何もできず、ただここで死に絶えろ」
そして、絶望的な戦いが幕を開けた。
いや、それは既に戦いではない。
圧倒的力量差による蹂躙に等しい。
勇者の斬撃は神速の領域にある。しかし、その斬撃をエイサは容易く受け流し、返す刃で勇者の血肉を抉る。ギリギリのところで右腕斬り飛ばされることと致命傷を避けてはいるが、それでも時間の問題だ。
「アリス……」
「わかってる……だけど……」
悲鳴のようにフィリアは勇者に向けて声を上げた。
神への祈りを捧げ奇跡を引き起こす神聖術に用いる魔力量はそれほど大きくはない。しかし、失った四肢を即座に再生させるほどの奇跡を連続して引き起こしていれば、流石にその身に宿す魔力にも限界は来る。
そうなれば、もはや勝ち目がない。
とは言え、全力でエイサに立ち向かうアリスの行動が間違っているという訳でもない。
彼女が全力でエイサに立ち向かっているからこその拮抗状態だ。あらゆる斬撃を交わされ、弾かれ、受け流され、逆撃を受けて一切ひるむことなく、聖剣の輝きに一切の曇りなく、エイサを抑え込んでいる。
「奇襲かけたこっちの方が抑え込まれるなんて……ホント、なんてでたらめっ!?」
不意に漏れた言葉はアリスの本心だ。その言葉を漏らした瞬間にエイサの拳が彼女のわき腹に突き刺さった。身に纏う鎧とエイサの手甲がぶつかり合って火花を散らし、貫いた衝撃がアリスの体の芯に伝わって幾本もの骨を砕いた。
血反吐をまき散らす。砕けた骨が内臓を抉ったのだ。胃より逆流した血潮を口元よりこぼしながら、振り抜いた右手を引き戻して、アリスティアを逆袈裟に振り下ろす。その振り下ろした右手の手首をエイサは冷静につかみとって斬撃を防ぎ、もう片方の手で握っていた大剣をアリスへ向けて突き刺した。
鎧が砕け、大剣がアリスの臓腑を抉る。
そのまま、大剣を捻りながら真横に振り抜く。
アリスの上半身と下半身が分かたれた。
フィリアの悲鳴のような蘇生術。
アリスの下半分が光の粒子となって掻き消えて、奇跡の輝きと共に肉体を身に纏う鎧毎再生する。
「プラナリアか貴様」
「あは……勇者だから、人間だよ」
再生した直後にアリスは蹴りを放った。大気切り裂き、並の戦士の首程度なら容易く蹴り砕くだろうその一撃に対してエイサは頭突きの一撃で迎え撃つ。骨が砕ける音が響き渡った。兜の頑丈さにアリスの肉体が敗北し、彼女の足の骨が砕けた音だ。
痛みに反射で上げそうになる悲鳴を飲み込んだ瞬間、目の前の景色が反転する。背中と右手首から走る鋭い痛みで右腕一本で投げ飛ばされ、地面にたたきつけられたことを悟る。右手首の痛みはおそらくは投げ飛ばされた際に握りつぶさされた痛みか。受け身も取れず、叩きつけられた結果背骨が砕けた。
「死ね」
言葉と同時にエイサの大剣が首元へ落ちてくる。それを首をひねりギリギリで交わす。彼女の首が元会ったところにエイサの大剣が突き刺さり、砂煙が立ち上った。
「神聖撃!!」
アリスの危機に反応してフィリアが神聖術により光弾を生み出しエイサに向かって放つ。数少ない神聖術における攻撃の奇跡。だがその威力はそれほど大きくはない。とは言っても直撃すれば大の大人の意識を奪う程度の威力はある。
その一撃をエイサは地面に突き刺した大剣で受け止めた。そして受け止めた勢いのまま大剣の刃を地面に向けて引き倒す。
断頭台の如き状態に陥ったアリスは自分の腰を軸にしてその場で回り、その状況から脱出。そのままカポエイラの動きに似た動きで立ち上がろうとするが、砕けた背骨の痛みが彼女の動きが止まる。いや、背骨が砕けた状況でそんな動きができた時点で、尋常ではないが、その隙を晒した瞬間に、エイサの蹴りが直撃した。
「がぁ……ぎぃっ……」
アリスの鎧とエイサの足甲がぶつかり合って火花を散らした。蹴りのダメージ自体は鎧に吸収されてほとんど、無かったが砕けた背骨の破片が肉を抉る痛みがアリスを蝕む。
たまらない痛みだ。赤熱した火箸が背骨の代わりに突き刺さっているかのような、あるいは氷をギザギザに削ったもので、背骨に切り込みを入れていくかのようなそんな痛み。それを意志の力で無視して、目の前の男へ不敵な笑み向ける。
一切の足止めにもならなかった。
大剣を握るままに疾駆して、エイサはアリスの元へと到達する。振り抜かれる大剣の一撃から左腕を犠牲にして逃れるも、即座に返しの刃がアリスの首を狙った。
早い、速い、疾すぎる。
本当に慣性が働いているのか、本当に物理法則に縛られている生物にできる動きなのか、神の寵愛を一身に受けた勇者の身でありながら、彼の理不尽さに言葉をなくす。ギリギリで蘇生術が間に合ったことで激痛より逃れ、どうにかこうにか致命傷を割ける。
現状、ジリ貧にもほどがある。
だが援護は無い。
そんなことを勇者であるアリスは理解していた。
奇襲が失敗した時点でこの城の放棄は確定した。というよりも、黒騎士が現れた時点で防衛は不可能だと見切りをつけたと言った方が正しい。そもそも、勇者アリスの奇襲を防げるのはこの男くらいなものだ。
拠点一つを犠牲にしてでも、魔王軍の部隊長クラスを削る予定だったが、どうやらそれも叶いそうになく、せめて戦力の消耗を防ぐために兵士を撤退させるのはある種当然のことだと割り切っている。
まあ、そもそもからして、目の前の男相手に雑兵の援護など無意味だ。
極まった力量、隔絶した性能。アリスという神の加護を一身に受けた理不尽をして、規格外としか言いようのない大英雄。圧倒的に蹂躙されているアリスでさえ、万の精鋭相手に無傷で完勝できる力量を持つというのに、この男はアリスが十人いたところで、勝てるとは思えないほどに圧倒的だった。
だからこそ、勇者に援護などありえない。無駄死にをさせる程領主のアマルークという男は無能ではない。
しかし。勇者は笑みを浮かべた。その笑みの意味をうかがい知ることはできない。しかし、そんの笑みがエイサは昔から苦手だった。
「ああ、エイサ……」
「これ以上囀るな」
だからこそ、彼女の言葉を切って捨てエイサは剣撃に意識を集中させる。
その技量に感嘆の念が零れた。
アリスの視線には憧憬の色が宿る。否、そもそも憧憬の色は最初から宿っていたか。
圧倒的なまでの力量差によって蹂躙されていたアリスの最後の抵抗が無へと潰えた。
右腕一本を守るために犠牲にしたせいで左腕と右足は斬り飛ばされた。片足片腕でギリギリバランスを取って飛びのいたが、フィリアからの蘇生術は無い。百に近い回数の最上位神聖術を行使したのだから、当然だとアリスは彼女を責めなかった。
追撃に迫りくるエイサが見える。
黒の鎧に身を包んだ、黒き大剣の大騎士様。
その姿を見据えながら、やはり憧憬の色を視線に宿しながらアリスはエイサの一撃を真正面から迎撃する。
ついに右腕まで斬り飛ばされて、空が落ちてくるような威圧感を纏う大剣を、、走馬灯の中で穏やかに見つめながら、アリスは言った。
「今回も勝てなかった。だから、また今度」
その笑みを最後まで消すこともなく。
「……囀るなと、言ったはずだったんだがな」
真っ二つに両断された勇者の屍が光の粒子へと還っていく。その光景を見るたびに反吐が出そうになる程に不愉快な気分になりながら、エイサは残された聖女の方をちらりと見た。
怯えを瞳の中に宿しながら、それでも戦う意思を捨てず杖を構えなおすその姿に、抱く感慨は特にない。既に興味も失せた後で、エイサ自身これ以上戦場に用はない。
踵を返す。
「ま、待ちなさい!!」
そんなエイサに後ろから声がかけられた。
震えた声で、それでも勇者一党の務めを果たそうと意気を振り絞るその姿は、まさしく聖女そのもの。しかし、そんなものにエイサは欠片も興味を惹かれることなく、瓦礫の山になり果てた城門の前を後にすると、遠巻きに見守っていた吸血鬼達が聖女に向かって殺到した。
悲鳴が上がった。
それも、どうでもいい事だ。
エイサが思い描くのは次の戦場。
すなわち、勇者を殺す。只それだけだった。