乱の49 タルタスの砂の夢
諸事情により急ピッチでの完結を目指します。すぐすべて書けはしないですが話のテンポが早くなります。ご理解ください。
時は少しさかのぼる。
アルザートで反乱軍が城へ攻めいっていたとき、タルタスの大軍もアルザートへと進軍していた。
その足止めをしていたのは浅い大河。
時間をかければ徒歩でも渡ることができる川だった。それでも準備をおこたれば人を失う。川で時間を浪費している間を狙って、姫ファレスは戦をやめてと父を説得するため馬車を走らせていた。しかしまだ車酔いに苦しむばかりで、川を渡るまでに間に合うかは微妙なところだった。
川では兵たちがそれぞれの体にロープをくくりつけ、互いが互いの重しになるようにしていた時、川の下流にある海に一隻の船がたどり着いた。
上流にいる者たちに見えようはずもない。当然気づくこともない。
船酔いに苦しむスイラの護衛騎士たちを放置して、船を文字通り飛ぶように走らせた女性が砂漠に降り立った。
砂漠というより砂浜と呼ぶにふさわしいが。
「間に合ったぁ! よかった」
黒い軍服がちょっとあついのか、上着を脱いでズボンと白襟のシャツ一枚になる。
砂漠に置こうとした上着は、後から降りてきた赤銅色の髪の男が受け取った。
「あ。ありがと」
「いえ」
手短な会話で2人は離れる。そして女性、美羽は川の近くの砂漠にうつぶせに寝た。
寝ているだけにしか見えない。けれどもしここに彼女のもつ力、神族と呼ばれる者の力を持った者がいたならば、彼女から溢れた神力が砂漠に沁み広がり、広く深くその大地を支配していくのを感じたことであろう。
《聞こえますか》
力を広げたその先へ美羽は語りかける。それへの応えをつかんで聞き、話す。
彼女のまわりに変化はない。変化はタルタス軍のいる場所に現れた。
*
「準備が完了いたしました! これより川を渡ります!」
「ああ、迅速にな」
「はっ!」
タルタスの王は兵たちが担ぐ御輿に乗って川を渡る。それに先んじて兵たちの先頭集団が川に入った直後のことだった。
周囲の砂が巻き上がり、人々の視界をふさぐ。
砂に慣れた彼らは布で顔を守って、砂嵐の去るのを待った。
だがそれは砂嵐ではなく。
風が去ったかと目を開いた彼らの前には、彼らと同じほどの数の、砂でできた人の姿が待ち構えていた。
「なっ!」
「敵襲!?」
「馬鹿な。魔術師か!?」
にわかに戦闘態勢へ入り始めたところで、さらなる異常事態に気が付いたのはザキーラ王だった。
「――ファミア?」
赤い絨毯の敷かれた御輿の上で立ち上がり、呆然と一点を見つめる。
その視線の先では、砂色だった人々に色がつきはじめた。
彼の娘ファレスティーナによく似た色味の金の髪、娘より少し濃い黒い肌に、ここからは見えないが陽をさえぎるやさしい木々のような緑の瞳をしているだろう女性。彼女が微笑んでこちらに歩いてきている。
魔術師の見せる夢か幻か罠か。
嗚呼、罠だろうと頭は言う。
しかし彼は御輿をおりて走った。周囲を守る近衛たちが止めに入ってくる。
「王! お待ちを!」
「止めるな。分かっている。だが行かせろ。命令だ」
近衛はあきらめて彼を守って走るのに切り替えた。
ザキーラ王が砂の人々のそばへとたどりついたときには、ほかの兵たちの中にもその異変に気が付いた者が増えていた。
「母ちゃん!?」
「そんな、じいちゃん!?」
「うそだろ。そんな、君がいる」
「え、ポッチ!? ポッチだろう! ポッチじゃないか!」
女性に、老人に、少女に、犬に走り寄っていく彼らに共通した思いを、めざす女性のもとにたどりついたザキーラが言う。
「ファミア……。君なのか。ああ、そんな。なんということだ。罠でもいい、ファミア、また君に会えるなんて」
老いてなお鍛えられた立派な体躯をしたザキーラ王は、しとやかに立つ女性の前にひざまづき壊れ物に触れるようにそうっと手を伸ばした。
ファミアと呼ばれた砂の人は彼の手を握り返して笑う。優しい人だとその表情だけでも伝わるものだった。
「ふふ。あなた、知らなかったわ。王様だったのね」
声も出せるのか、と心でまた驚く。
「ファミア。ああ、ああ、そうなんだ。言えなくてすまない。そうだったんだ」
「名前も教えてくれなかったのはそういうことだったのね」
「ああ、ああ、すまない。身分を明かしたら君に避けられると思ってしまったんだ。だがもっと早く言って、君を連れ去っておけばあんなことには!」
全身から憤怒があふれ、そして嘆きもまたにじむ。
ファミアという女性もひざをついて、大きなザキーラを見上げた。
「いいのよ。もう、どうしようもないことだわ」
「君が、君が、どうしてあんな。すまない。すまない。私がもっと早くあの場所へ行けていれば、兵たちに君を守らせていれば、君を城へ連れ帰っていればと、何度考えても悔いしかわかん。後悔しかない。ずっと、ずっと、すまないファミア」
「それよ、それ。もう、あなたね、悔やみすぎなのよ」
涙は流すまいと、けれど目を潤ませるザキーラの頬に、女性の手が添えられる。
しかしてその手に熱はなく、頬が感じるのは砂のかたまり。
「たしかにあのときのことはすごく怖かったし、つらかったわ。でも、終わっていることなのよ。あなたが泣いてくれて、少し癒された。私たちを襲った白人を殺してくれたから、憎い気持ちもさめたしね。それよりも今は、あなたがずっとずっとずっとずっとそうやって悔やみ苦しんでいる方が心配だわ。私、生きているときは言えなかったけれど、私、あなたのことが好きだから。あなたには幸せに笑っていてほしいのよ」
ぽっと頬を染めて言う彼女に、ついにザキーラは涙をこぼした。
そんな彼の首に手をまわして、ファミアが抱きしめる。ザキーラも、砂が崩れてしまわないよう、そうっと抱き返した。
「ファミア」
「妹夫婦とファレスティーナのこと、守ってくれてありがとう」
「妹夫妻は、まだ助けられていない……」
「薬で壊れているのよね。でも旦那さんの怪我をあなたが治してくれなかったら生きていなかったわ。ありがとう」
「あの、白人どもが……!」
「白人が憎いのは分かるけれど、それとファレスの恋しい人はまた別でしょう。戦う以外に方法はないの? 他人の恋路を邪魔するやつはサソリに刺されしまうわよ?」
「はは。サソリに刺されて、君のもとにいきたいなぁ」
「こら、もう。私を王をたぶらかした悪女にしないで」
「すまない」
「冗談に本気で返されちゃったわ……あなたほんと真面目よね」
「ああ。そうなんだ。だから君のような人が隣にいて、私をなだめてくれたらどんなに、どんなにか」
「ふふ。そんなに惜しまれて女冥利につきるわ。ありがと」
「うん」
王を守る近衛たちはこの女を信用していない。今も剣を抜いたまま、警戒して周りを囲んでいる。
しかしザキーラ王のひどく心許した返事の声に、さすがに目を潤ませる者もいた。
「妹たちの病を治す方法が一つだけあるわ」
「なに!?」
顔を上げたザキーラの黒い瞳と、ファミアの緑の瞳が見つめ合う。
「女神さまならできるわ。ファレスティーナが彼女につながるつてを持っている」
「女神……スイラのあれか。いつのまにファレスとつながりを持った」
「女神さまはサソリに刺されない人なのよ」
「アルザートの小倅と、君の姪が結ばれるべきだと?」
「青筋、青筋立ってるわ。はじめて見た」
「ファミア……」
くすくすと笑う彼女に、ザキーラは毒気が抜かれたように肩を落とす。
「ねぇ、白人は憎いわ。でも、あちらも時代が変わろうとしている。私たちも変わるべきではないかしら。ファレスがその道を開いてくれるような気がするのよ。あの子とあの王が恋に落ちたのは運命の思し召しに思えるわ。苦難は多いでしょうけれど、どう乗り越えていくかできっと未来が変わるのよ。あなたはどんな未来を想像する? 私はね、もう憎まないでいい未来がいいなぁ」
「ファミア。君は俺に、あいつらを許せというのか。オアシスにいただけの君とその妹家族をさらおうとし、君に自害を選ばせ、君の妹夫妻を薬でダメにした。あいつらと分かり合えると?」
「悪い人なんて黒人にもいるわ。滅ぼしたところで別の問題が出るだけよ。良い人と協力する方法はないの? ぶつかりあったってどっちも弱るだけなのに。それって本当の敵を見誤っていない?」
「だが滅ぼしてしまいたい」
「もう。そんなに憎いの?」
「憎い。憎くてたまらない」
「ふふ、しょうがないわね。そんなに私を失ったのがつらい? そんなに私が好き?」
「愛してる。永遠に」
くすくすと軽やかな笑い声。
「ありがとう。私も愛しているわ。でも私のせいで世界が荒れるのは嫌だわ。あちらの奴隷に関してもっと調べてみてはどう? きっと知らないことがあるはずよ。アルザートすべてが敵なの? ファレスを愛する王がいるのに? 何か見落としていないかしら。慎重になるべきよ」
穏やかに諭す声に、ザキーラの体から力が抜けていく。
「ファミア。君が生きていたらこうまでこじれなかったのかもしれないな」
「ふふ、あなたの憎しみも今ほどではないでしょうしね。……自害してごめんなさい。あなた以外に、あなた以外に私……。薬で妹たちみたいになっておもちゃにされる前に死にたかったの」
「いい、いい。思い出さなくていい」
「……私の憎しみはあなたが晴らしてくれたわ。あなたの憎しみは、どうすれば晴れるのかしら」
しゃらしゃらと静かに川の流れる音がする。
そちらこちらで感動の再会をする声が広がっている。それを純粋に喜ぶ者、逆に警戒する者。
膠着したその場所に、ファレスティーナの乗る馬車が追いついた。




