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乱の46 王とグレン

 ファレスティーナは馬車の中にいた。

 窓の外には赤く乾いた岩肌がある。

 荒れた土地を走る才のある砂漠馬が引く車は、おだやかとは言えない速度を保っていた。


 車体が揺れる。

 酔い、青ざめ、ファレスの意識はすでに青い空を越え雲を越えた彼方へと遠く飛び去って、ああ、気持ち悪い。


 馬車の上下の揺れは、足もとからカタカタと伝わる振動とずれている。揺れを吸収する弾力材のためなのだが、このずれが体の中にあるべき均衡をぐるんぐるんに崩してもう。


 ひたすらに息を吸って吐いて、空色の瞳は壁に彫られた王家の文様を映していた。

 もうろうとした意識で同じ考えが繰り返される。


 ――お父様。


 何を言っても分かってはくださらなかった。

 ただ、アルゼムを憎んでおられるのではなく、アルザートを憎んでおられるのでもなく、白人の国と縁を結ぶことを拒絶しておられるのだとは感じました。


 どうしてそこまで白人を憎まれるのか、詳しくは知りえなくても、お母様たちのことが関わりあるのでしょう。だからこそ、止められるのは私しかいないとも思うのです。


 説得できるような、達者な話は思いつきませんけれど、このまま見過ごしてはおけません。


 このまま……そう、私は知ってしまいました、お父様。タルタスが、いえ、お父様が、今まで白人のかたたちになさってきたことを。


 はじめの志は立派なものでございましたのに、それが崩れていった今に何が起きているのか。


 ああ、アルゼム。

 どうすればいいのでしょう。私はどうすればいいのです。私に何ができるのでしょう。女神さまは私になら答えを見つけられるとおっしゃるけれど……。


 もしお父様を説得できようとも、では国をどう変えればいいのか分からないのです。私にはそれほどの機知は無いのです。


 あなたなら分かるのでしょうか。あなたなら。

 あなたは今、タルタスを、あなたの国をどうすればよいと思っているのでしょう。


   *


 アルゼムにとってアルザートという国は、年下の兄弟のようなものだ。

 彼が物ごころをついたとき、国民はみな自分より小さな子供に見えた。


 自分に出会うたびに頭を下げ、歓喜する人々。

 喜んでいる理由が分かる場合より、分からないことの方が多く、喜ばれると嬉しくて何かしてやりたくなるところも子供とよく似ている。


 だから、よくは分からないが、わがままばかりの弟や妹がたくさんいるような感覚があった。そして王というものは弟たちが見上げた時に思わず歓喜するような立派ですばらしい者で、そうあるべきで、そうあろうと努力した。


 だが、なにをしても喜ばれるし、なにをしても感動される。


 何でも許されるのでは、何をすればいいか分からなくなった。


 国王になってからはなおのこと分からなくなった。生前の父は、民を愛せと言った。だが、愛するとはどういうことかが分からない。すると父は愛おしげにほほえんで、いづれ分かるとしか言わなかった。


「あなたはどうする。どう生きたいんだ」


「私は」


 立派で素晴らしい王であることが望みだ。

 何を求められているか、今は前より分かったように思う。反乱の者たちからも話を聞こう。それが民の望むものなら叶えてやりたい。

 これからは政治のことに自分も関わろう。

 ダリシュにも問わねばならないことがある。

 今は、昔よりも前向きな気持ちで王をやれる気がする。立派な王になれる気がする。

 だが。


「私は」


 なぜ言葉がつかえるのだろう。


「王としてではない。あなた自身の思いをお聞きしたい。何のためなら死もいとわない覚悟をお持ちになられますか。玉座か、タルタスの王女か」


「玉座というが……玉座にこだわる王がよい王か?」


「そうは思わない。思わないが、王女と、この国の王としてのあなたと、どちらを望むかお聞きしたい」


 脳裏に、空色の瞳が浮かんだ。

 褐色の肌に、たおやかに長い金の髪。

 他には何も出てこなかった。

 この心、この自分の心をのぞきみて、他に何も。

 暗闇の中で淡く輝くようにファレスがほほえむ姿がある。彼女以外の場所は暗く空虚な闇しかない。

 その闇を見つめれば見つめるほど寒々しく、彼女を見つめれば愛しく思う気持ちであたたかくなる。


(私はこの国にいらない……)


 寒く暗い心から浮かび上がってくるのはそんな言葉だった。

 自分がいなくてもこの国はやっていける。

 そうだ、ずっと感じていた。分かっていた。気づいていて気づかないでいるつもりでいた。


 自分は求められてなどいない。王などただ責任を負うだけのものだ。ダリシュに、官吏たちに同意する誰かがいればいい。

 生きた証をたてたかったのだろうか、私は。

 やっと見つけた宝を、ファレスを必死で得ようとしているのは、それが私はここにいると強く感じる衝動だからなのか。

 彼女が恋しい。そこへ逃げていきたい。


(立派な王でありたい、などという答えは偽りだな……)


 彼女のことをあきらめることこそ、国の為になるかもしれないと、思ったことはある。だがそれだけはできなかった。それだけはできなかったのだ。

 ファレスを失うということは、自分の心を捨てることだ。やっと見つけたぬくもりを誰が捨てることなど出来ようか。


(そうか)


 守りたかったのは、彼女への想いですらなかった。


(自分の心を……守りたかったのだ)


 玉座に興味など、あろうはずもない。自分が死ねば他の誰かが座る。それだけのもの。子や兄弟はいないから、遠縁の誰かか。それでは貴族たちが争いはじめるだろうな。


 ああ、ファレス。

 ファレスティーナ。

 やっと分かったよ、ファレスティーナ。


「私は、こどもだったなあ……」


 だだをこねていたのだ。ずっと。ただあがいていただけだった。


 国を思えば、真に国のことを思えば、私はファレスを利用するべきだったのだろう。タルタスに友好的であることを示し、民間のやりとりを活性化させることも出来た。ファレスのことは、タルタスの判断にまかせるのみとなるが、国同士はうまくいったろう。

 真にファレスのことを思えば、玉座を捨てて身一つでタルタスへ直訴すれば良かった。いや、さらいに行っても良かった。戦うよりもっと有効な、他の手をさがせばよかった。


 王であることか、ファレスを愛する思いか、どちらかを捨てさえすれば……うまくいったのだ。


 覚悟がなかった。

 何かを得るために何かを捨てる覚悟がなかった。すべてを得ようとして、どちらも守れていなかった。ただひとつ自分の心だけ守って。


「お答えは出ましたか」


 闇の中から、淡々とした声がつげる。

 レイゲンの息子、カイム。

 落ち着いた声がおそろしい。おそろしく、うらやましい。

 君は、なにをするか選んでいるのだな。


「すまない」


 やっと問題が見えただけの私が答えを出すには時がいる。

 時はしかし待ってはくれない。

 反乱の剣はもう目の前に突きつけられている。

 それでも答えは、見えてこない。

 ファレスは大事だが、王をやめれば国はさらに荒れる。ファレスをあきらめるのが、正しい、のだろうが。

 それならば死んだ方がましだと思うのだ……。

 そうだ、これは私のわがままだ。

 やっと見つけた心を、やっと気づいた心を、殺しきる覚悟など、まだーー。


「今の私に、答えは出せぬ」


「いまだ……悩まれるか」


 声の中にかすかな怒りが読めた。

 そうか、今更なのか。

 彼にとっては今更の問答なのだ。今やっとその問題が見えたなど思いもよらないのだ。私はそれほど愚鈍だったのか。


「期待に応えられず、すまんな」


 ずっと神童だなんだともてはやされてきた。

 はじめてだ、自分が愚鈍なのだと知ったのは。


 答えすらないなどと、言ってよい身ではないのになぁ。


 私には覚悟がない。ああ……愚かしいほどに、声が出ない。

 他人に決断をまかせるという、卑怯な答えをいってしまった。

 いや、そうか、今までもそうだったか。ダリシュらにまかせていた。彼ならできるから、彼が望むから、それでいいと思っていたが、私は卑怯だったのか。


「では、あなたには退位いただきたい」


 夏の暑い空気が、ひやりとした。

 キンッと刃がはじかれる。

 暗闇の中でウェルサとカイムが刃を向き合わせている気配を見た。


 ウェルサ、とカイムのかすかに怒る声。


「陛下が選ばれないなら、そうするしかない。まだ分からないか!」


「分かっているさ」


 息がつまった。


「それでも私の主はアルゼム陛下だ」


 声が出ない。

 右手が自然と動いて顔を覆う。

 手があたたかい。

 ふと、指の間からかすかな光が射し込んだ。どっと戦いの声が満ちる。

 玉座から見下ろした先、たいまつの赤い明かりを背に、黒い人影が一つこちらへ歩いてくる。


 長身、男、手には抜き身の剣を握っている。服装は煩雑としていて、おそらく乱側の人間。背後の戦場から彼へ襲いかかる影はない。

 戦況はこちらが不利か。だが、まだ終結にはいらたない。


「あんたが王様か」


 目が明かりに慣れてきた。

 赤い光をうけて判然としないが、男はにぶい灰色の髪をしている。ざわり、と恐れが肌にふれた。白は力を弱くして、黒に含まれる混沌の色々が何かを激烈に叫んでいるかのよう、その男は何かの象徴だ。

 いったい、何の。


 歩いてくる。何か、今まで出会ったことのないものが。


 その男の声は戦場の音にも紛れず、はっきり届いた。


「なんだよ、戦争狂にしてはまともそうじゃんか」


 戦争狂と言われたことに、血の気が引いた。それは罵倒ではなく、真実のように聞こえて。


「まともそうなのに、なんでこんなんなってんだよ、なあ、オウサマ」


「君は、何を知っている」


「何? 何って何」


「君はカイムと違う。ただ怒っているのとも違う。君がどうしてそこに立っているのか、私には分からない」


 戦をやめろ、とただ怒っているようには見えない。政治が不満だとただ怒っているのとも違う。


「分らないって、本気で言ってんの」


「そうだ」


「俺がなんで人斬りまくりながらここに来たか分かんないって、本気で言ってんの」


「……そうだ」


 彼の中でうずまく何かの、悲しみが濃くなった気がした。


「本当にわかんねぇのかよ……」


 彼は持ったままの抜き身の剣を、なにを斬るでもなく一振りしてカイムを見た。二人の目があった。

 灰色の男はぐっと顔をゆがめる。


「どこまで知らねぇんだ。何なら知ってる。疫病か? 隔離か? イシュのことは? 死人が出てることは知ってるだろ!」


 睨みつける目にはいっそう悲しみが濃い。


「疫病のことは知っている。隔離も。他に手立てがなかったと……それが反乱の理由なら、私に弁解の言葉はない」


 戦を早く終わらせて、病の治療もしたかった。だがそれも、今となっては言い訳にしかならないと分かる。戦はあまりに長く、私は利己的だった。


 もとよりタルタス相手で長期戦は不利だ。短期決着を狙ったが、かなわなかった。今はこう着状態。タルタスは資源に乏しい砂漠の国家であるから、貿易を阻害しての内部崩壊を狙っているが、さらなる長期戦はまぬがれない。


「べんかいってなんだよ。悪いって思ってるんだよな? じゃあなんで魔術師こっちによこさなかったんだよ。魔術師をなんとか時間とって治療させるくらいできただろ!」


「魔術師?」


「あ? なに知らないって顔してんの。魔術師がいればここまで治療が遅れなかったって、隔離だってしないですんだって国中が知ってるぞ」


「……知らぬ」


「知らなくねえよ」


「知らぬ」


「嘘だ」


「知らぬものは、知らぬ……」


 体が冷たい。血が引いて行く。

 最初に疫病の話を聞いたのはいつだった。

 対策を任せたのは誰たっだ。

 どう説明を受けた。

 自分は何と命じた。

 隔離を聞いたのはいつだった。


「てめえ……ふざけんなよ」


 あれは、ダリシュではない、別の官吏だった。


「なんで国の、一番今問題になってることをお前が知らねえんだよ!」


 説明を受けたのは短期決着をつけようと私自身も出陣の準備をしている時だった。

 まかせると言ったとき、イラだってはいなかったか。

 こんなときにそんなことを私に言うなと。

 ……魔術師が用だとは、言わせるいとまも与えなかった、いや、もし言おうとも却下した。

 聞く耳などなかった。


「嘘だろ」


 聞こえてくる声は怒りより失望より、悲しみよりも、さみしさがにじむ。


「冗談なんだろ……」


 戦が長引き、魔術師をなお重用していたときに、疫病の話を聞いた記憶がうすらとある。

 治療に魔術師が必要だと、言った官吏をあきらめさせるのは大変だと察した。だから神妙なふりをしてダリシュに任せて、自分はそのことをすぐに忘れた。

 ダリシュから疫病の話は聞いていない。

 うまいこと言い含めてくれる、頼りになる大臣だと思った。

 魔術師を使う権限はすべて、私にあった。


「あんた、王様じゃねえのかよ」


 王、とは、なんだ。

 王は、民が見上げたときについ喜ぶびたくなるような、立派ですばらしいもので、自分もそうあろうと――。


「王様はみんなを助けるためにいるんじゃねぇのかよ」


 ゼオンが今まで黙していたのは、ダリシュだけではなく私に不審を抱いていたからではないか?


「すまない」


 心が思考を素通りして声になった。

 他に言葉はない。


「すまない」


 私は、何をしていたのだーー。


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