乱の43 魔術師と予言師
腹に一握りの冷たさを抱きながら、クローは紅葉の人を見守った。
予言師と呼ばれた人は目を丸くして、思わずというよう呟いた。
「君が……」
見開いた目のせいで、赤い瞳の輪郭がまるまる見える。しばしそのままで凝視された。細身の優男だ。優男のくせに筋肉はけっこうついているらしく、ほどよく肉づいている。目を見開いたまま、聞きしに勝る美形はうれしげに笑った。
「すごい」
――なにがすごいんです。
魔術師が子供なのがそんなに珍しいか。若干いらっとしたクローにも、予言師はおだやかに目を細める。
「こんな時にお会いできるなんて、なんという幸運でしょう。黒の魔術師さん、ぶしつけで申し訳ありませんがお願いがございます」
――子供だからと別視されたわけではないようですね。
少年から溢れだした不快感が収まった。うすく笑う。
「内容によってはお受けしましょう」
美形な予言師は、天井からの光を受けて金髪をきらきら光らせる。
「ありがとう。実は、私をここから出していただきたいのです。あなたは転移の術を使えると聞きました」
「……それはできません」
「お願いです。乱での役目があるとは思います。ですがどうか、今だけは妹たちの側にいたいのです」
「ああ……そういえばあなたがリルマルさんのお兄さんでしたね」
差し込む光の前に雲が流れてきた、はばまれて辺りはうすらと暗くなる。顔の造詣がはっきりした青年の目元も影になりはたと笑顔は硬直した。奇妙なものに出会って驚いているような困っているような、なんとも形容しがたい顔だ。
少年は、なんだ、と思ってから気付いた。おそらく、久しぶりにその名前を耳にしたんだろう。
「そうです。予言の影響で二人はあなた方のもとにいます。ですが、その、予言がおかしなことになっており、二人が気がかりなのです」
「予言の影響で、ですか」
――この人の中では、グレンさんは予言の通り動いた駒という認識なんでしょうか。
――じゃあ自分が手助けしたこともあらかじめ決められたことでしかないのですか。助けたいという善意でしたことなのに、当たり前ですか。
「なんというか、あなたが嫌いになってきました」
雲が流れ、光を取り戻してきた青年の顔からさっと血の気が引いた。しかし動揺はさほどなく、丁寧に頭を下げる。
「申し訳ございません。非礼があったならお詫びします。ですが転移だけはお願いできませんか。私に出来ることなら何でもいたします」
「別に嫌いだからと行動を変えるつもりはありませんよ。意地悪で出来ないと言ってるんじゃないです。それは無理なんです。僕は今、転移の術を使えないんですよ」
「使えない? 何か大きな術でも」
首を傾げてから、ああ、と青年は納得顔でうなづいた。
「この土の壁を作ったのはあなたなのですね」
今度はクローが首をかしげる番だった。
「確かに僕が作りましたが、それが何か……もしかして、この城の魔防壁は大きな術を使うと魔力を制御する仕組みになっているとか、そういうものなんですか」
予言師はきょとんとした顔になった。
「いいえ、どんな魔術師でも大きな術を使うと魔力を操るのが難しくなる、と貴族校で学んだのですが……違いましたか」
「……違う、とは、言えませんね」
ローブの肩がくったりと落ちる。
「なるほど……魔術師を抱える国の学校が間違ったことを教えないでしょう。たぶん僕が知らなかっただけです。道理でおかしいと……知ってたら外に転移してから壁を作ったのに、とんだ馬鹿を見ました」
「そうでしたか。私には幸運なことでした。転移はできなくても土の壁を通していただければ助かります。叶えていただけませんか」
少年は背筋を正してにやりと笑う。
「もちろんです。あなたはリルマルさんを心配して行くんですから邪魔する理由もありません。こうなったらあなたを利用させてもらいます。いいですか、あなたには魔防壁をこわしていただきます」
「そんなことが出来るのですか」
「あなたは王側の人間ですからね、できますよ。魔術師を上手く言いくるめて魔防壁の中を通してもらってください。僕はそれを利用させてもらいます。あなたが僕たちの味方だと知られてしまう欠点はありますけど、アジトへ行くなら五十歩百歩です。承知していただきます」
「かまいません。既に知られ始めています。私は魔術師に話をつければ良いのですね」
「できるだけ気弱にごり押ししてください。こういう時だからこそ、切羽詰まった馬鹿みたいな我がままの方が認められるものです。今は、気弱すぎて戦場に耐えられなくなった予言師でいてください。あなたは貴族でしょう。お遊戯の戦場しか知らないお坊ちゃまのわがままな要求として演じれば十分に真実味があります」
妙に説得力のある言いようだ。そんな場面に出会ったことがあるんだろうか。予言師は「そういうものですか」と二つ返事でうなづいた。
城の方からぎぃんと金属が震える音が聞こえてきた。剣がぶつかり合ったものより長い震えは、クローに敵に避けられて壁や床を叩きつけてしまった音と感じさせた。いま誰かが負けたのだろう。
青年の口がきゅっと締まる。
少年が白い塊をとりだす。少年の手の中にさえ収まる大きさで、いびつな形をしている。シラは渡されて、握り込んだ。ただの石と変わらない感触だからか、特に驚いた顔はしなかった。
「それは魔石です。その辺にあった石に魔力を込めただけのものです。これからこの石を城中に増やします。僕はその魔力に紛れて暴れますので、敵には僕が外へ出るために悪あがきをしているように見えるでしょう。土壁に穴をあけたりもします。あなたはそれに紛れて外へ出てください」
「あなたはどうやって出るのですか。私がこれを持っていれば、あなたも外へ出られるのでしょうか」
「察しが良いですね。そうです、その魔石を持って魔防壁を通っていただければ僕も出られるようになります。なるべくずっと持っていてください。魔術師に魔石を怪しまれたらあげてしまってもかまいません。捨ててもいい。その辺に転がってますからまた拾って下さい。石はあなたの位置を見つける手がかりです。なるべくずっと持っていてください」
「承知しました。なるべく同じものを持っているようにします」
青年は神妙な面持ちで石を見て、ベルトについた革袋へ入れた。ズボンが膨らむのを良しとしない貴族のベルトには、当たり前のように小さなベルトバッグがしつらえられている。元大貴族カイムのベルトもそういう造りではあるが、使っているところはとんと見たことが無かった少年魔術師はつい見入った。
――あれはそうやって使うものだったんですか。
――ただの飾りだと思っていました。
ローブ下の眼差しの熱さには気付かないで、予言師はベルトを上着で隠すと、胸に片手を当てる立礼をした。貴族が友人や家族などに対して行う礼だ。肝心のクローにはそれが立礼だとは分からなかったのだけれど、丁寧な人だなという感想は持った。
「どうもありがとう。本当に助かりました。何があっても必ず魔石を持って出ます」
「お願いします。そういえば、アジトの場所は知っているんですか」
「はい。念のためにと教えていただいています」
また立礼をして、すぐに走り出した予言師の背に、クローが声を投げる。
「予言師さん、王兵はいま東門が手薄です。アジトからもそんなに遠くないですし、東門近くから出ると良いですよ」
できるだけの小声に、なんとか青年は気付いたらしい。振り返り「分かりました。ありがとう」と返して今度こそ去った。
クローは青年とは逆の方へと歩きだす。予言師との接点を疑われても困る。距離を取っておくのだ。
角を曲がった場所に、木陰がある草場があった。
そこに身をうもれさせて一息つく。
――外へ出るのは何とかなりそうですが、アジトのことはカイムさんに知られる前にどうにかしたいですね。
アジトのある方向に意識を向けて溜息をついた。勘違いではなさそうだ。大変なことになった。確実にカイムから小言を言われそうだが、怒るどころか悲しまれたら対応に困る。何もないうちに終わらせたい。
「やっぱり縁を切っておくべきだったのかな……敵の魔術師がリルマルさんとの縁をたどって来た以外にあり得ませんよね」
今は女子供以外は出払っているはずのアジトに人が大勢いる。敵に違いない。一番考えられる原因は自分の失敗による。敵の中に縁の糸が見える魔術師などいないとたかをくくったのが悪かった。
リルマルに入っていた魔力を霧散させたとき、縁の糸も切っておくべきだったのだろう。悔やまれるが、実際のところはできなかったし、今となってもやはり切る決断をするのはできそうにない。
縁、それを切ると記憶の糸も切れてしまうのだ。
縁が無くなると、当時を懐かしんで思い出すこともなくなる。思い出す糸口がなくなり、忘れていることにさえ気付かない。そういう関係の相手になってしまう。二人とつながる縁は強いものに見えた。大切にしている縁の輝きもしていた。
幽閉されている間の二人を、支えていただろう縁に思った。
だから、縁の糸が見れる魔術師の方が少ない世の中なのだし、切らなくても良いだろうと決めたのだ。
「はぁ、悩んでもどうにもなりませんね。今から挽回しましょう」
自嘲の笑みを浮かべて、自分の魔力に意識を向ける。木や草は、何が始まるのか不思議がるよう、さわさわ揺れた。
魔力の白いもやが溢れだす。もくもくとふくらんで、密度も濃くなっていく。まず少年が見えなくなった。まだ大きくなる。もくもく。見た目は地に落ちた雲だ。
木陰から溢れて木の高さも超えた。城の二階にもとどきそうだ。
横幅も広がり、城にふれる。魔力は空気よりも微粒子なのだろうか、壁もすり抜けて中まで広がっていった。
ちょうど廊下を走っている人がいた。パタパタ走る音が漏れてくる。音が大きくなると、足音など掻き消す悲鳴が響いてきた。女性だ。侍女だろうか。
「いやっ、何あれ、気持ち悪い」
魔力雲がぼろりと欠けた。かたちが崩れる。
――気持ち悪いって。
いやいやそんなことは関係ない、と心で言って、少年は深呼吸をした。雲の形がととのった。
「あら、もしかして繊細なものなのかな」
ふふ、と女性が笑う。すると、怒ったように雲が勢いよくふくらんできた。
わっ、と女性が驚く声も雲に飲み込まれて、密度を薄くしながら雲は、一瞬にして城をすっぽり覆ってしまった。
雲は、土の壁がせり上がってきたのとは違い、一気にふくらんだのと同じ速さで一気に消え去った。大地に吸われたかのようだ。
何も知らずにいる人にとっては、一瞬視界が白くなったという認識しかないだろう。実際に、火薬庫の門番と戦闘中だったグレンは、一瞬意識が飛んだのかと思っていた。
雲が消えた木陰では、ちょっと疲れた少年が赤い顔で息をひそめていた。
居合わせた女性が、窓から彼の方を見ていた。
彼女は首をひねる。何かいつもと違う気がするけど、やっぱりいつもと同じよね、とでも言うようにしばらく庭を見てから去って行った。
パタパタという足音が遠くなった。少年が木陰を出てくる。
地面には、さっきまで草に紛れていた石が白くなってころがっていた。天から入る光を反射してちらちらと輝く姿は真珠のようだ。いま田舎の人がこの庭を見たなら、城の庭には宝石がちらばっているのかと勘違いすることだろう。しかし庭に見慣れている先ほどの女性には、雨が降っていないのに雨露が草にある違和感とでも受け取られたのかもしれない。
少年はうっすらとかいた汗をぬぐい、扇を取り出した。
手なれた仕草で広げると、紙であおぐのではなく木であおぐ扇は、綺麗な木目を見せた。その木目を隠すつもりか、白い魔力が扇を覆った
「さぁ暴れますよ」
扇が風をおこすと、突風が城のガラスを叩き割った。
*
司令塔の頂上を目指して駆けのぼる。登りながらカイムはしかし察していた。おそらく、居ない。
辿り着いて見つけたのはやはり、まだ座面の温かい椅子だけだった。
ふ、と吐息をつく。
「慌てているなら十分だ。地図は……ないか。急ぎ玉座の間へ行くぞ。王をダリシュの守りには行かせるな」
「はい」
階段を下りながら、耳を澄ました。そろそろ予定の時が来る。聞き耳を立てれば、すぐに爆音が聞こえた。小さな爆音が一回二回。火薬庫のある方向からだ。
――間にあったか。
カイムは、布の切れはしを小さく固めたものを取り出して耳に栓した。仲間もそれにつづく。三回目の爆音が、布にさえぎられてかすかに聞こえる。
階段を降り切る。階段入口を守っていた兵はまだ倒れたままだった。ぴくぴくと痙攣をしている。倒した後で嗅がせた薬はちゃんと効いているようだ。これで今日一日は動けないだろう。自殺もできないから、国の戦力を落とすことにもならない。
四回目は大爆発だった。先にあった爆発など無いに等しい爆音がとどろく。耳栓をしたカイムたちの耳さえも鋭く突き抜けては壁で反射して戻ってくる。土の壁のせいでよくよく音はこもった。さらに間をずらしてもう一つ爆音が起きると、空間は隙間をなくして耳を圧迫した。もはや左右のどちらから音が聞こえるのか判断付かない。
――二回か。
カイムは苦い顔をした。
予定では一回だ。隊が行く前に王側が火薬を運び出していて、土壁を壊したのかもしれない。
――ならば王兵がなだれ込んで来る。味方の被害が大きくなるな。
兵を裂いて足止めに行くべきか、予定通り進めて早期決着させるか、考えている所へ「カイム様」と声がかかった。
見れば思慮深い目をした男がいた。何代も前からヴォルクセイと懇意にしているベッシュ家の長男で、名をエドガーという。真面目で優しいが、芯に熱いものを持った男だ。後継ぎなのにこんな戦にまで出てきている。まぁ、カイムも人のことは言えないのだが。
小さな声で簡潔に話してきた内容は、同じことを気にしたものだった。
「間が良いので仲間の機転かもしれませんが。私が見て参りましょうか」
「いや、構うな。敵が来るにしても玉座に来るには時間がかかる。今のうちに終わらせる。予定通りいく」
「はい」とまた小さい声で返事があった。
声の小さな奴だったろうか。
カイムは眉間をひそめて、はたと気付いた。出来る限り平然と、当たり前のように、違和感のなくなっていた耳栓を取る。とたん、音が鮮やかになった。自分の足音さえ軽やかで、打楽の音にも聞こえてくる。
玉座の間がある階層まで来た。敵は見当たらない。これなら敵が城に押し寄せる前に辿りつける。
最後の曲がり角を目前にして赤い衣が現れた。三人。抜き身の剣を握ったまま走って来る。勝ち残ってきた実力者だろう。赤の中には血も紛れているに違いない。
動きを幾通り考えながら、カイムは距離を詰めていった。勝機は、通常の倍はある。
赤い衣についた血を判別できる距離に来て、まずカイムが剣を振った。しゅん、と静かな、風の吹いたような音がして、しゅん、とまた聞こえれば、敵の足と腕から血が噴き出した。敵はカイムの脇の空気を斬りながら倒れていった。まず一人。
仲間が倒れたというのに、残りの二人はしかし動揺もなく襲ってきた。冷静で迷いがない太刀筋は勢いがあるが、カイムたちの誰にも当たらなかった。
「まだ音は戻っていないか?」
エドガーが、敵の剣を払いながら問う。敵は反応もしなかった。しゅんとカイムの剣が鳴いた後、一人どっと床に伏せる。残りの一人がカイムに斬りかかってきたが、エドガーに止められた。そして最後の一人も地に伏せる。
「あっけないな。音が聞こえないとここまで勘が鈍るか」
王兵たちは先の爆発音で耳がおかしくなっているのだ。
コルトは感慨深くつぶやくと、敵の鼻の下に薬を塗りつけた。コルトは隊の中では一番小回りのきく小男で、薬に関する知識がある。毒にやられてもすぐに対処できるし、時間が許せば倒した敵にしびれ薬を嗅がせている。
カイムは剣についた血をぬぐい終え、鞘におさめると、コルトに頷いて走りだした。続いて走る仲間のうち、コルトが最後につく。
先頭を行くカイムが角を曲がった。そして天井高くまである玉座の間の扉、通称「王の扉」がその目に入り、カイムは口端をかすかに上げた。扉の前には番兵が待ち構えていた。
――大した王だ。
敵は、その数二十はくだらない。赤い壁として立ち塞がっている。兵だけではなく騎士までいた。この混戦の中でよく集めたものだ。
カイムは剣を抜き放った。
「あそこに王がいる。この道斬り開くぞ!」
おおおお、と四人の仲間があげる雄たけびが廊下にこだました。
こちらが叫んでいることくらいは敵にも分かるのか、呼応するように雄叫びがあがった。窓ガラスがびりびりと震えた。




