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乱の40 その頃アジトでは

 司令塔へ戻ってきたアルゼムとウェルサは、スゥが伝えた敵の位置を城内地図で確認していた。先に伝令を終えて戻ってきていたモリィも、肩身が狭そうにおどおどしつつも一緒に見る。

 敵が現れたのはやはり生活区の近くだった。食糧をダメにすることが目的か。長期戦が目的なのか……?


 考えているところで、また魔術師の報告書が光を放った。


 [六人のうち魔術師一人はすぐに離脱す。城内を攻めるは五人]


 ウェルサの朗々とした声が読みあげた。無言の王の反応を待つ。

 顎に手をあてて考え込んでいる黒い瞳に英知をにじませて、虚空をにらむ彼の思考はどこまで敵の内情に入り込んでいるのだろう。


「モリィ、外へ出ている兵を全員戻せ。残党狩りは領兵にまかせろ。ダリシュが呼んでいる、すぐ着く。今いる兵は城に侵入した敵をうて」


「御意の通りに」


 張りのある声を部屋にこもらせ、モリィは司令塔から駆け去った。


 アルゼムが小窓から外を見る。ときおり輝きを見せる魔防壁の赤と緑が、アルゼムの漆黒の瞳にうつりこんでは消える。


「黒の魔術師か……驚いたな。転移の術とは。お前は、その魔術師についての情報を持ってるか」


 直立不動で立つウェルサの青い瞳に、アルゼムの銀髪が映る。


「はい。術の形態に偏りがなく、術それ自体も強力とのことです。スゥの報告によれば白い魔力とのこと、歴代に連なる魔術師でしょう」


「伝説が敵か。手ごわいな」


 この新しい伝説は良い伝説をつくるのか、悪い伝説をつくるのか。歴史の中では今日の戦いで明らかになるのだろう。


「どちらなのか見せてもらおう。ウェルサ、魔術師に書け。ここの城内地図に城内の人間が写るようにさせよ。スゥが出来たはずだ」


「はい」


「終わり次第スゥは防御に、ゲライは戦闘へ向かわせろ。オルシオと協力し、黒の魔術師の動きを封じることに全力を尽くせと。それから、ダリシュが帰っていたな」


「はい。リュレイらしき姿も見かけました」


「よし、彼も黒の魔術師の抑えに向かわせろ」


「御意」


 言うが早いか取り出した紙へ、ウェルサの角ばった文字が連なっていく。インクの黒が、小窓から射し込む光にきらきらと光っていた。


「……ウェルサ、殺すな、とも書いておけ。良い魔術師なら、事が終われば味方にする」


「御意!」


 ウェルサが書き終えて文字が消えると、すぐに紙が光った。そこに現れたのは返事ではなく。


  [敵が侵入。数は、数え切れません]


 そして、ちょっと愛嬌のある手書き城内地図が描かれていた。敵がいるらしい場所に印がつけられている。ここにある本物の地図にそれが現れるようにするにはまだ時間がかかるのだろう。

 印の数は、数えるのが面倒なほど。そしてバラバラに散っているから、正直に言えばどこを狙っているのか読みとれない。


「これが目的だったのか」


 とはいえ、袋のねずみだ。しかしこのまま素直に袋に閉じこもっているつもりはあるのだろうか。


 窓を見れば、城の外に出ていた西門の兵たちが、少しずつ中に戻り始めていた。



       *


 

 石造りの階段に、皆の足音と呼吸音が反響して聞こえていた。

 彼女は、長い階段を、息も絶え絶えに走っていた。

 足がつらかった。

 でも、アジトにいるのは危険だ。

 リースは大丈夫と言っていたけど、もう耐えられない。

 もうちょっと、あと少しで外だ。

 がんばろう。

 私だけじゃない。皆だって苦しいんだ。

 がんばれ。

 高い天井のおかげで、上へだけ音が抜けていた。

 けれど両壁に反射する音はなかなか上へ逃げていかない。

 両耳を音で塞がれているような、音の密度に心がキュッとする。

 前がよく見えない。

 光が足りない。

 足元だけは、階段脇の光草の明りで見えた。

 たくさんの足がある。光草の葉がゆれている。

 顔を上げた。

 上の方に光っていた光草が、先頭の人たちにかぶさって見えなくなった。

 もう少しだ。

 列の先頭が扉に辿りつくのが見えた。

 扉が開く。

「やった! 外よ……あら?」

 目指すところから、サッと入ってくる外の光。そして雨の音。

 雨が降ってるんだ。

 階段の上からあふれてくる歓喜。

 胸が高鳴って、疲れた足に元気を込めた。けれど。

「きゃあああ!」

 外の光とともに、闇へと悲鳴が射し込んでくる。

 何か嫌な気配が、体の中を通り抜けた。

「みんな逃げて、もどって!」

 え、なに、と誰かが言った。私かもしれない。

 草の光だけが頼りの暗闇の中、明るい上の方から悲鳴がわく。

 闇ばかりの下方からはざわめきがわいた。

 音が壁を反射して、どこから聞こえてくるのか分からない。うるさい。

 怖い――。

 心が縮まって、体まで小さくなる。

 落ちつかないと。

 大きく息を吸って出口を仰ぎ見た。

 そこに、光を覆い隠すようにして立っている人の影が見えた時、誰かが叫ぶ声がすぐ近くから聞こえて、耳の全てを覆った。

 びくりとした肩に、衝撃がきた。

 ずん、と重い、人の重みに体が硬直する。

 一人じゃない。何人分か分からない重さがせまってくる。

 前を走っていた人の髪がふわりと鼻孔をくすぐった。

 少し汗のにおいがする。

 肩に当たっていた重みが胸にも来た。

 つぶされる!

「イヤっ」

 足に力をいれた。ざらつく石の表面が、靴の裏を受け止めている。

 石の凸凹を頼りにして、思いっきり足をつっぱった。

 胸にのしかかる細い肩を押し返し、全身の力でふんばる。

 けれど。

 私がこらえたのは、時間にすればほんの一瞬だったかもしれない。

 肩を押し倒されて、後ろに崩れ落ちるヒザ。

 胸に肩に、体に、重しが襲いかかってくる。

 靴の裏が石の上でもがき、ざらりとこすったのが分かった。

 建物一つを抱えているような圧迫感に顔を胸を押しつぶされる。

 呼吸が一度止まった。

 体勢の崩れきった足はついに、つま先さえも階段から外れた。

「きゃあっ」

 ふわりと体が宙に浮く。

 イヤ――。

 崖から落ちてしまったよう、ありもしない希望へ手を伸ばした。

 指先が布に触れ、つかむ。ほっとした。

 すぐにそれは自分に倒れてきた人の服だと分かる。

 ハッと、足場を探す。

 探して振り返るより先に、背中が何かにぶつかる。

 ほんのわずかの間、支えを見つけて安心した心地がした。

 耳に、新しい悲鳴が聞こえてくる。

 ああ、私も……。

「ごめんなさい――」

 暗い天井が見える。

 その奥を見せようとせずに伸びるうず高い天井が、深い闇の口を私たちに向けて開いている。

 上からも下からも、右からも左からも悲鳴が聞こえていた。

 一番下の地下までこの連鎖がとどいたら、私はどうなるんだろう。

 頭が働かなくて、想像もできない。

 漠然と、死ぬ覚悟が生まれた。

 ぼんやりとした寒気が心と体を包みこんでいく。

 なぜか恐怖は感じなかった。

 体の中は寒くて、外の熱気が暑いと思った。

 悲鳴が聞こえる。いくつもあふれては、闇に飲み込まれていく。

 私はどうなるんだろう。


       *


 敵がいる。国を混乱させる敵がいる。大臣はそれを倒せと言った。だからそうする。アースはそれだけを思った。国がどうとか、自分が考えても大臣の頭脳にははるか及ばない。だから託す。実行は託される。それで良い。


 アジトがあると大臣は言った。


 戦闘が始まれば女子供など戦えない人だけが残るだろう。それを盾にしようという話だった。


 非戦闘員に危害を加えるつもりはない。ただ、人質になってもらう。別に全員を縄で縛ったりもしない。自分たちの支配下にいてもらうだけだ。


 そして見つけた地下への入り口。


 アースは、現れた女性を他の仲間に託して、地下の入口に足を入れた。また中から現れた女性をひっぱりだして仲間に託す。他の女性が階段へと戻っていくのが見えて手を伸ばした。捕まえる。悲鳴が上がる。


 階段の中からも悲鳴が聞こえた。目が闇に慣れず、中の様子は良く分からない。


 入口近くにいる女たちを引きずり出しながら目をならしていった。今捕まえたばかりの女性が息を大きく吸い込み、顔をさっきまでいた暗闇へのばして。


「みんな逃げて、もどって!」


 みんなとは。何人で逃げてきたのだろう。

 闇を見た。少しずつ、中の様子が見えてくる。人がいるのは分かる。むっとする熱気は、人の気配で湿っている。何人だろう。分からない。


 悲鳴を上げ、逃げ回る敵を捕らえる。何人だろうとやることは変わらない。そう思った。そうした。だから、中の光景が良く見えるようになって状況を理解した時、彼は訳が分からず混乱した。


 ――なんでこんなに。


 そこには溢れんばかりの人がいた。

 地下へ続く階段がずっとのびている、のだと思う、分からないがおそらくあるのだろう目の前の階段を、それと分からなくなるほどの女たちが埋め尽くしていた。


 こちらからの光に照らされて、ある者は目を眩しそうにし、ある者は背を向けている。


 むっとする熱気が顔に吹き付けてきた。そこでやっと、悲鳴の種類の多さに意識が向かった。


 ――なんてことだ。


「きゃあああ」

「きゃあ」

「いやっ」

「ごめんなさい」

「やっ、こわい!」

「いや、ごめん、きゃっ」

「きゃああ」


 なぜか分からないが、何人もの女性が階段を上ってきていたらしい。そして、おそらくアースがここに足を踏み入れた為に彼女たちは悲劇に見舞われてしまった。慣れた目に見えたのは、予定とは違う戦場。

 女たちは、まるで人間なだれのように、階段の上に倒れて倒れて、他の女を押しつぶしていた。


 アースの足元近くにいる女たちが、背を向けたり、眩しそうにしながら悲鳴をあげても逃げなかったのも、逃げ場がないからだと分かった。そして、さっきまで自分が下敷きにしていた人を助けようとしているからだと分かった。


「うっ……」

「くるし」


 それと気付くと、悲鳴だけでなく、圧迫されて苦しがっている声も聞こえてくるようになってきた。


 ――人命救助。


 アースの脳裏にその言葉が浮かぶ。敵は捕らえろとの指示だった。死なせろとは言われていない。隊長は、奥へ進めと命じた。ここにいる人たちをどかさなければ進むことはできない。助けることは命令に従うことでもある。


 剣の柄をいつでも握れるようにしていた手を、細い肩にのせた。


「いや! 放して! 今は捕まってられないのよ!」

「分かってる。俺がここの人たちを運び出すから、君たちは外に出てて」


 え、と見開かれた目に、語りかける。


「他の兵にも伝えて。君たちを助けないと、中に入れないって」


 少し垂れ目の女性はしばらく押し黙ってから、うなづいて外へ駆けて行った。アースより後ろにいた兵たちは中の様子がまだ分かっていないようで、捕まえようとした彼女にむしろすがりつかれて、目を白黒させる。


「助けてください!」


 口が半開きになった仲間が行動停止するのを見てから、アースは手近な女性に駆け寄った。脅えて声の震える彼女に、助けるからと説明して、他の人につぶされているという足を探り出すと、引っこ抜く。


 悲鳴があふれる中で、女性がほっと息をついたのが聞こえた。

 ありがとうございます。と気まずげに笑って言った細い声の後、さっきの女性が助けを求めに行った酒場から「はぁ!?」という隊長のすっとんきょうな声が聞こえてきた。


「冗談だろう?」


 それは俺も思った。


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