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乱の37 変化はどこに

 チッと苛立たしさを吐きだして、ルーファスは呆けている友の胸倉をつかみ上げた。さらさらと金髪がゆれ、うつろな紅い瞳が隠れる。


「とにかくお前は逃げろ。考えるのはそのあとだ!」


 力任せに立たせる。どこかに痛みでも生まれたのか、シラは苦い顔でルーファスを見てから数度まばたきして、かすかに顔を動かした。


 もう、何をどうするべきなのか、分からない。


「……ああ」


 ルーファスは勝気な口元に笑みを浮かべると走り出し、シラは混乱した頭のまま、いわれるがままに追った。


 いつもはしんと静まり返っている廊下に、今は数え切れない数の声が響いていた。声はもはや意味をなさない音として壁を反響している。

 キン、とときおり金属音が響くのを聞いて、シラは不思議と心が落ち着いてくるのを感じた。悲しむべき戦闘の音は、しかしなつかしさを胸に感じさせている。

 そのあたたかいものに心の手を広げていくと、伸ばした指先に剣が触れたような冷たい感覚が心をきゅっと小さくした。


 予言があてにならない……かもしれない。


 その可能性に足がすくむ。


 消え去った予言への信心がある場所に、ぽっかり穴ができてしまった。のぞきこめば絶望の闇が広がっている。

 まだ信じられない思いでそこを見続けていたシラの目が、やっと闇に慣れて予言を頼りにし切ってはならない事実を認めたころ、暗闇に隠されていた古い思い出がうっすらと姿を表した。


 まだ、紅い瞳だから予言師になるだろう、としか思っていなかった貴学生のころ。

 今のようにルーファスが自分の先を走って、たどりついた練場で剣稽古をしていた日々のこと。予言師だとか貴族だとかのしがらみなど、気にするまでもないと思っていた時代、この世に怖いものなど何もないと思っていた。


 あのころは、どうしてあんなに何も怖くなかったのだろう。


 思い出そうとして、しかし自分のことなのに、どんな心だったか出てこなかった。

 予言がない生き方がどういうものだったか、思い出せない。


(俺は……予言を頼り過ぎていたのか)


 思いながら階段を駆け下りていく。カツカツカツ、と二人分の足音が耳に響いた。

 そして自分にしか聞こえない歌を聞いていた。予言と同じ声であっても何の意味もない、ただの歌。予言と歌の区別がつくようになったときの喜びが思い出されて口端をそっと上げた。


(あんなにうれしかったのに)


 どうしてうれしかったのか分からない。

 赤子のころはじめて歩いた喜びを忘れているのと同じく、今は果てしなく広がる世界の大きさに身がすくんで、危険に対する恐怖だけが残っている。


 カツカツカツと石階段を叩く音は、下へ降りるほど戦場の音に隠れていった。非常用の階段を先に進む金色はまだ下りて行こうとしている。

 このまま下りきれば戦場に入ってしまう。


 シラが眉をひそめていると「倉庫だ」という居丈高な声が下から届いた。

「この下に古い倉庫があるのだ。そこに隠れておれ」

「隠れる、のか……」

 この一大事に隠れているのか。

 つぶやくと、ふっと鼻で笑う音がした。

「……ダリシュに捕まらずに生き残ると誓うなら、私は邪魔せん」

 鮮やかな金髪は階段を下りきると右へ曲がった。白い城壁に向かっていけば、古びた木扉がある。


 生え放題な草の中に立つ木かと、おそらく多くの人が今まで勘違いしてきただろう倉庫の扉は、草に引っかかりながらゆっくり暗い口を開いた。


 新しい空気が入り込んでほこりが舞う中は、思っていたより大きかった。

 シラはのぞき込んで少し目を見張る。大人の男が五人は入れる高さと広さが残っている。土を耕す道具や大工道具がしまわれてはいるが、隙間の方が多い。倉庫を作ったはいいが使い勝手が悪かったのか、いつの間にか忘れられてしまったのだろう。


「よく見つけたな」


 思わずつぶやけば「フン」と満足げにルーファスは鼻を鳴らすと、さぁ入れ入れとばかりにシラの背を押した。白い姿がくすんだ物置の中に収まり、シラがこれからのことを相談しようと振りかえった時には扉が閉まっていた。


 ルーファス。と呼ぼうとするのにかぶさって、居丈高な声が入ってくる。

「覚えておけ。上に何と言われても、私はお前を助けるぞ。借りもあるし、友だからな。だが反乱軍にそんな義理は無い。たとえ赤子を盾に取られても斬る」

 ゆるぎない声に息が詰まる。

 とっさに扉を押しあけようとすると、手のあたりから鍵のかかる音が響いてきた。

「お前も肩入れはやめたまえ、やつらは負けるぞ。右大臣はいけすかんが、敵にしたくない策士だ。ちょっと強いだけの反乱軍がどんな策を練ろうと、やつにはかなわん」


 扉の外遠くから爆発音が聞こえていた。魔術師だろう。剣がぶつかり合う音がかすんで聞こえない。


「私は反乱軍がこれだけの数いるとはおもわなかったよ。驚いた。今まで隠してきたその手腕は称賛する。だが反乱軍は直に制圧される。すでに一人尋問にかけられているから、アジトが見つかるのも時間の問題だろう」


 ルーファスは一度気遣うように黙ってから、また変わらぬ調子で言った。口は悪いが根はやさしい、そういう奴だったことをなつかしく思い出す。


「お前をとらえろと指示が入ったのは捕虜をとらえたすぐ後だ。捕虜がそうも早く仲間を売るとは思えんのに、証拠はその捕虜の証言だそうだ。そして南のレークレ領をのぞいた他の領土の兵たちは、すでにこの王領に入ったそうだ」


 危険を知らせる早鐘が、シラの胸と耳で鳴りはじめていた。

 おびえた心はかすかな危険も予知しようとしているのか、耳はルーファスが動いた音さえ、背を向けたものだと聞き分ける。


「……お前の知っている未来に、それは含まれていたか」


 知らない。予言はそこまで詳細に未来を示さない。

 だが、予言のダリシュはシラをとらえることを重要視していたはずだ。予言によれば、嘘をでっちあげて兵の士気を高めようとしたが、逆に混乱が生じて反乱軍が攻め入るすきになるとあった。

 その未来が、ここまで変わるものなのか。予言が狂っているとしても、ここまで外れるものなのか。


「お前がどこまで関わっているのか分からないがね、何も知らぬフリをするがよいぞ。ああ、その前に逃げるのが先だが」


 そしてまた少し沈黙してから「じゃあな」と去っていく。

 返事をする余裕はなかった。


 呼吸も忘れて、ぐるぐると頭は回転し、頭につられるよう足は倉庫の中を歩き回る。何かやわらかい……布のようなものを踏んだ。少しなつかしい匂いがして、せき込んだ。ほこりを大量に吸っていた。


 予言が外れたのは、いつの予言からだろう。


 美羽が来た時は当たっていた。変化の男がシラの所へ来るという予言も当たっていた。変化の男ならリルマルを救出できるという予言も当たっていた。変化の男が死ぬとの予言は外れた。

 変化の男が現れてから予言が外れたのか……?

 

 言葉のまま、変化の男は変化を起こしたのなら、その変化はどこまで影響するんだ。


 彼に関わることだけか、反乱軍に関わる全てか、世界のすべてか。


 分からない。

 予言では彼が魔術で殺されるだろうとだけあった。魔術師に何か、予言との違いがあったのだろうか。右軍付き魔術師リュレイは、感情に振り回されぬ人形だ。彼が手を出さなかったということは、右軍保持者であるダリシュが見逃すよう指示していたのかもしれない。


 なぜそうなった。


 考えながら歩いていると、大工箱からこぼれた釘を踏んでバランスを崩した。とっさに近くのとっかかりをつかむと、道具類に埋もれるそれを支えにして立ち上がる。起き上がった時には、握っていたそれを他の道具が支えきれずに外に出てきた。握っていたのは斧だった。扉から漏れてくるひかりに当たって輝いた刃はさびている。

 

 斧を扉にたてかけてまた歩き始めると、一度考えるのを休んだためか、さっきは混濁していた知識たちが沈澱して一つの可能性が浮かび上がり、ハッと息をのんだ。


「……そうか」


 未来をダリシュが知っていたとしたら。

 もしダリシュが、リルとマルを救いに変化の男が来ると知っていたらなら、この変化は納得がいく。


 シラは予言を他の誰にも言っていないが、シラ以外に予言を知ることができる人もいる。先の予言師で今の予知者であるジキル。彼が予言を聞き、ダリシュに伝えていたなら――。

 過去これまで、ただの予知者が予言者をだしぬくようなことをした例は無いが、今回は変化の男が関わっているのだ。可能性はあるのではないか。

 そしてソニエルクエナ。

 変化の男に似ているが、違う形で変化を起こす人だという。今の状況に変えることができたのはジキルだけだとすれば。


 ソニエルクエナとはジキルのことか。


 思い出せ。

 ソニエルクエナを、予言は何だと言っていた。


 ソニエルクエナと変化の男の動きだけが、周りを変えると言っていた。もし本当にジキルがそれなら、シラがもっとも避けようとした問題を早めることもありえる。それどころか、反乱軍さえ危険かもしれない。彼らがリルとマルを助けに来ると知っていて何も対策をしないなど、ありえない。

「……リル、マル」

 このまま預けておくのは危険だ。


 助けに、いかなければ。


 予言はもうあてにならない。二人が無事でいられるかは分からない。

 それに、変化の男とソニエルクエナによる変化がどこまで影響するのか知るためにも、二人の近くにいた方が分かりやすいような気がする。あの二人は予言により塔から助け出された存在なのだから。


 見極めねばならない。

 予言がどこまで狂ってしまったのか。予言師の名を継ぐものとして、予言に疑問を抱いたものとして、それを調べねばならない。


 そして予言がもし、これからもずっと狂っていくなら自分はどうする。どうなる。

 

 未来など気にせず、心のままに無駄かもしれないことをできるようになるのではないか。

 意味がないかもしれない自分がしたいことをして、もう気がとがめることは無い。


 ふと、体から力が抜けた。


 心につかえていた何かが外れた気がした。

 これからは自分の意思で決められる。予言など気にしないで、自分が選びたいように選べる。

「は、はは」

 それがずっと、したかったのかもしれない。それを出来ないことは当たり前で、予言に従ったうえでという、制限された中での選択を、自分の自由な選択だと思い込んでいたのかもしれない。

 そして、今その制限がなくなった。

 自然と顔の緊張がとけていく。彼は無意識にほほ笑んでいた。

 そして、きらりと紅い瞳を輝かせる明かりを追い、目の前にある扉を見る。


 まずは、リルとマルのもとへ行こう。ずっと会いたかったのだから。そして、美羽にあやまりに行こう。変化の仕方によっては会う前に死んでしまうかもしれないけれど、もしかしたら会えるかもしれない。また会えるかもしれない。会えるなら、一度だけ、会いたい。何度も会えば影響を与えてしまうかもしれないから、一度だけ。


 そう思ったとき、ずっと頭にこびりついていた美羽の悲しい顔が、いつか見た笑顔に塗り替えられた。笑顔と一緒に、ほんの数日一緒に旅をした間に見た数々の表情もあふれてくる。警戒、敵意、やさしい顔に、冷たい顔、余裕のある顔、恥ずかしがっている顔、いたずらな子供のような顔も。


 ふふと頬をほころばせていると、スイラの王城に咲く花の香りも思い出され、彼女の言葉も思い出し、口が動いた。


「自分で決めろと、言われたな」


 あたたかな陽射しの中で二人並んで話をした。シラはいやいや聞いていたけれど、幸せになりなさいと言われたのがうれしくもあり、悲しくもあった。あの時、彼女は他にも何か言っていた。ずっと記憶の海に埋もれていたけれど、今なぜか掘り返されてくる。


 人に決めてもらわずに、自分で決めろと、言っていた。何かのせいにしないで、自分で責任をもった方がいいと。


 罪悪感を持たないでいられるからとか、後悔しないからとかを理由にしていた気がするが、いまいち感覚として分からなくて、幸せになってという言葉以外忘れていたが。


 今なら分かる気がする。


「そうですね。たしかに自分で決めていく方が、生きる気力がわいてくる」


 自分が生きていると、感じられる。


 もしかしたら選んだ方法が反乱軍にとって悪いものかもしれないし、結局は反乱したとして自分が死ぬことになるだけかもしれないけれど。花の香るあの場所で、彼女に後悔しない道を行こうと誓った。


「リル、マル。お前達だけは消させない」


 そしでもし自分も生き残れたなら探しに行こう。逃げられても避けられても、見つけ出して、謝ろう。一度だけ会いに行こう。

 許してくれなくてもいい、二度と会えなくてもともとだ。ただ一度だけ、もう一度だけ会うのを許してくれ。


「美羽……」


 紅の瞳を細めてつぶやくと、すっと背を伸ばした。


 腐食した木扉の隙間からは、陽の光がちかちかと漏れてくる。

 シラはうす暗闇の中で斧を取り、扉へ向かって構える。かすかに自分を照らす小さな光に目を据えて、まるでずっと目の前をふさいでいた大きな壁を壊すよう思いきり刃を振りおろした。


 縦に一筋できた切り傷から入り込む光の中で金の髪はふわりと揺れ、灼熱色の瞳が外を映して輝いた。


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