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番外編「美羽の潜入活動」


 隠密活動って楽しい。

 美羽は静かな呼吸を努めながら、金の瞳を目的の扉へ向けた。話しかけてくる侍従や、仕事を押し付けてくる官吏をやりこめてなんとかここまで来られてもすぐに中へは入れない。それが潜入捜査というもの。ついでに言うと、押しつけられた仕事はしなくていいのも潜入活動というもの。

 ああ楽しい。


 扉の前は近衛兵このえへいが巡回していた。濃茶の服はまるで砂漠にたたずむ巨岩のごとし。実に邪魔くさい。石油掘る時に邪魔する岩のごとし。


 しかし女神という能力者は便利だ。遠距離から扉の鍵をあけることが出来る。

 もちろん、中に入るにも面白い策がある。


「きゃーー!」


 近くから悲鳴が上がった。そりゃそうだ、誰だって突然、空から落っこちる感覚を味わったら悲鳴の一つもあげるだろう。特に怖がりな女の子ならなおのこと。フフ、おかげで近衛兵もそっちに行った。ありがとう。ごめんなさい。


 一応、落っこちた先は花畑で、ピンクや黄色の花びらが近付くと素敵な王子様がいるのが見えてきて、その王子様にお姫様だっこで抱き取ってもらうっていう幻想にしているから、トラウマにはならないだろう。たぶん。むしろ良い思い出になるくらいだよねその幻想。そして男である近衛兵に言うには恥ずかしい内容だから時間稼ぎにもなるよねそれ。ふっふっふ。ぬかりなし。


 騒動にまぎれて扉へ駆け寄った。


 開けた瞬間、乾いた風が頬をなでる。

 窓があいているのだろう、窓辺にしつらえた椅子に座る女性の髪もゆったりとなびいている。まるで金の川のように豊かな輝きを放ちながら。


「ふふ、こんにちは女神さま。今日は夢を見せてきたのですね」


「ああ。思わず頬を赤らめちゃうようなやつをね。と、話をする前に、またクローゼットを借りますよ」


 はい、どうぞ。と言って水色の瞳は笑う。美羽がドレスの中に身をうずめたとき、ノック音が三回響いた。


 そして入ってきた人が言う。


「先ほど悲鳴があがりましたが、侍女がサルルに驚いただけのようでございます。問題はございませんので姫様はすこやかにお過ごしください」


 サルルとは砂漠トカゲの名前だ。砂漠トカゲでも人家に住み着くものがいて、なぜかやたらと嫌われている。繁殖力が強いからだろうか、あれみたいに。

 侍女は幻についてごまかすことにしたようだ。


 朗々とした声はまた外へ戻っていった。


 クローゼットの中にいたから分からないけれど、その近衛兵は室内を見回していただろうと思った。

 賊が入り込んでファレスを脅しているのではないかと心配し、彼女の表情から助けを呼ぶ声がないか観察して出て行ったことだろう。クローゼットの中にいても監視されているような、そんな気配がしていたから。


「愛されてるなぁ、ファレス。それで、勉強ははかどってますか」


 クローゼットから出ながら言う。水色の瞳の王女様は笑って礼を言い、すいと視線を机へ向けた。まるで水の流れのしあわせに浸っていた魚が、ふと獲物を見つけて意識を切り替えたように。


「調子はよいですわ。わたくし、知識欲というものが旺盛なようでございます」


「それならいいんだ。ねぇ、ファレス。言い出した人間のくせになんだけど。このままでは普通ではいられなくなる、そのこともちゃんと考えてるか? いつか、異端とさえ言われるかもしれない。それでも、アルゼムとともにいたいのか。つらくはないの。一度しか会ったことのない相手でも、今の環境で心が離れているなら、引き返した方が良いぞ」


 くすりと王女は笑った。

 ほほ笑みが自然とあふれて、茶色の顔に張り付いて語る。


「それなら、お気になさることはございませんわ。変わらず、想っております。正直に申しますと、もう顔もおぼろげにしか覚えてございませんけれど、おぼろげに見える彼が愛おしいのです。


 あの時、わたくしを抱きしめていたやさしい腕が、わたくしの心を安心させてくださるのです。包み込んでいた体温が心をあたためてくださるのです。不安になると一番に思い出します。彼を、わたくしは忘れません。


 わたくしは、これからもずっと、彼と一緒に生きてゆきます。

 彼との道以外は見えないのです。それ以外の道を、感じることもできないのです」


「そう」


 美羽もつられてほほ笑んだ。自分に語りかけてくる水色の瞳は、まるで砂漠をうるおすオアシスの水に、喜び輝く命のようだ。


「それなら、いいんだ。よかった」


 フッと笑った美羽がため息した。


「まったく、こっちが恥ずかしくなるバカップルだな」


「うふふ」


 バカップルって言葉が通じるんだな、と美羽は苦笑した。ファレスは顔を赤らめて笑った。笑い声に近衛兵が不信を抱かないだろうかと思いながらも、ついつい笑いがあふれる。


 ファレスは軟禁生活だ。だから部屋に人が来ることはない。二人はなるべく声を静めながら話をした。今や、ファレスが素直に話を出来る相手は女神しかいない。侍女はアルゼムを嫌っているから、つい会話が苦しくなる。

 

 お茶を侍女が持ってくる時間になるまで二人で話をしていた。

 そしてまた廊下に響く悲鳴に隠れて、黒髪の女神は去っていった。



 それから三日ほどしたころ、ファレスは一人で笑っていた。

 侍女に頼んで持ってきてもらった宗教の本も、今ばかりは読み途中で、開いたままのページを風にはためかせている。


 さっき風と共に聞こえてきた話を、ぜひ女神に話して聞かせたかった。きっと彼女は目を見開いて、フッと小さく笑うだろう。


『知ってる? 王女様の近くにいるとね、素敵な男性との夢を見れるらしいのよ。恋の力が伝播するんだわ!』


 ねぇアルゼム。侍女たちも、少しは認めてくれているようですよ。



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