乱の34 籠の鳥
笑った少年とカイムは頷き、無言で答えを確認しあう。
いつの間にか店内の騒ぎは治まり、室内には静かな時が訪れているというより、頭脳派二人とおまけ二名を残した者たちが自室に帰り始めていた。もう美人の店主も手伝いの女の子も酒も(酒棚は鍵がかかっている)ないわけだし。
ばらばらと帰っていく景色を横目にグレンが言った。
「あんたら二人で納得してないで、僕たちにも教えてくださいよ。先生」
大と小の人が反応して、小さい方が答えた。
「本来魔力を持たないものに魔力を入れると、与えた者の魔力の色が瞳に反映されるんです。瞳がないものなら、透明な部分がそうなりやすいですね。木なら樹液です」
「……え? あ、ああ、もしかしてリルマルの目もそれでってこと?」
「そうです。蒼い(あおい *くすんだ青)魔力が入ったということですね」
「ふぅん、魔力って色が付いてたんだな」
「僕のは白色です。僕って純白なんです」
それは変だ。と三人が思い、ちょっとして納得顔になったグレンが言った。
「そっか。色に性格は反映されないんだな」
「言った僕もそう思いましたけど、考えてみるとそうでもないですよ。白とは色のついた光線をすべて弾き返している色ですから、とても冷たい色でもあるんじゃないですか。そう思うとしっくりきます」
「クロー……」とグレンが、らしくなく苦笑してから、にかりと笑った。
「俺はお前の友達だからな」
「……知ってますよ」
ふい、と顔をそむけたクローの視界にカイムの微笑とダンクの笑顔があった。
「とにかくです。魔力の色は技術があれば隠せますが、リルマルさんからは魔力を感じますから間違いなく魔術によって操られていたと思います。自由に動かすのは遠距離からでは困難ですから、塔にいた間に何か仕組まれたのでしょう」
「そんなことができるのか」
ダンクが珍しく口をはさんだ。
「意思が弱っていればできます。僕は黒い虫をそれで操作していましたし、昔は魔力で心臓を動かして人を生き永らえさせたりもしましたから」
興味深そうにグレンとダンクが聞き。
「詳しいな」とカイムが言う。それは内部に批判の意思を隠している。気づいたクローはうすらと笑うだけ。
「……瞳の色が変わる他の理由があるなら、可能性はほかにもでてきそうですが、僕はそんなもの聞いたことがありません」
「私も無い」カイムは静かに頷いて「魔術師の仕業だろう」批判の意思は消えた。
そして頭脳派二人とは違う理由で、グレンが心持ち気まずげにするとカイムが目線で促した。これに応えて。
「リュレイ、かな」
「リュレイ?」
「塔で、さ、見逃してくれた魔術師がいたんだ。そいつ、気をつけろ、とか言ってたんだよな」
「……あやしいな」
「いい奴かと思ったんだけどな」
「それで……、なぜ魔力の影響が今だったのか分かるか」
どこかなげやりな、面倒くさそうなカイムにクローが「はい」と答えた。
「リルマルの心が弱ったからだと思います」
「心……なるほど…………そうか」
グレンとダンクが首をひねった。
「アジトに来てほっとしたか、悲しいことでも思いだしたか。そんなところか」
おそらくは。と少年が答えると、長身二人が納得した顔をする。グレンが膝の上のリル(仮)の髪をふわふわさせながら言った。
「それでさ、もう大丈夫なのか。俺は気絶させただけなんだけど」
「二人はもう問題ありません。魔力を外に出しましたから。でも、アジトの大まかな場所は突き止められたかもしれません」
「ちょっと待て。知られたらやばいぞ」
はらはらとリルの髪が落ちていく。
リースが光を弱くした店内は薄暗く、中に残っているのはもう四人以外にいない。……いや、眠りの男レインバルだけはいつものごとく寝過ごしているけれど。
「なんとか敵の魔力を遠くに運んで、そこで霧散させます。この辺りはもともと怪しまれていたみたいですし、それで問題なくなると思います」
そっか。とグレンがらしくなく神妙に言う。
リル(たぶん)を抱えながらグレンは酒場を出た。
隣でダンクがマル(たぶん)を抱えてずかずかと、双子の部屋への道案内をかねて歩いている。大柄で大股の二人分の靴音だけが、広い地下の空間に響いている。
遠く右奥には地下施設の象徴ともいえる巨大な炎が、しんと無音のままで燃えていた。昼は黄色かった炎はだいだい色となって夕方を告げている。
静かだ。
この時刻なら普段、訓練を終えた反乱軍兵士とそれを迎える家族がにぎわいを見せ、ひとり者は友と一緒にどこかへと出かけようとしたりさっさと人ごみを抜けて部屋に戻ったりしているのに。何もない。
ただまっさらな地面が磨かれた表面を照らされているだけ。
本当に戦がはじまるんだ。と、グレンは実感した。
ここにあるのは大地と炎だけ。戦場になりうるものと道具だけ。
地上を追いやられた地下の炎は、それでも決して消えることなく、足元には材木も何もないままで燃え続けている。まるで内側からあふれ出る希望と野心のように、えんえん、静かに、燃える。
不思議だなと、いつも思うことをまた思って、グレンは軍靴に似た靴を鳴らしつつ通り過ぎた。
「では僕も失礼します」
酒場に残っていた黒服の少年がカイムに会釈した。
いつも通り子供らしからぬ様子の彼を、しかしいつもは微笑で見送るカイムが鋭い眼差しと声で刺し止めた。
「気づいていたな」
「……」
意識を刺されて少年は、大人に背を向けたまま止まる。
「無言は肯定の意になる」
「……」
何のことですか。と平素の少年なら言うだろう。しかし沈黙を続ける少年は、肩をすくめて振り返った。
「言われる前に逃げようと思ったんですが」
「逃がすものか」
赤い口端だけつりあげて、少年は笑う。
「……気付いていましたよ。リルマルに魔力が入れられていると」
「それは、国王側のために黙っていたのか」
「まっすぐそれを聞いてくるカイムさんの性根は好きですが。違いますとしか答えられません。嘘でも、本当でも、そうとしか答えられません」
「……お前は、はじめから変だったな」
「それが僕の個性ですから」
カイムは眉間にしわを深く刻んで、首をふる。
「利用しているのはお互いさまということか」
「どうとでも、思ってくれてかまいませんよ。答えられませんし、どう思われようと僕はやり方を変えるつもりはありませんから」
カイムは腰の柄に手をやった。
音を立てずに握り締め、まだ抜かれていない剣のつばから殺気だけを小さな体に放って言った。
「我らに害なす場合は。分かっているな」
少年に向かう深緑の瞳が冷徹な、心を切り捨てた色に染まった。
さら、と酒場を流れる換気の風が、カイムの細い髪を撫で流す。そんな風が吹いていたのかと、クローは今知った。
「カイムさん」
少年は赤い唇で笑ったまま。
「はっきり言えるのは、僕はこの国の味方だということです。国家ではなく、民の生きるこの国の」
「民意が反乱軍を許さないと言えば敵になるのか」
反乱軍を裏切ることもありえるのか。
「多数派が常に正しい選択であるとは言えません」
赤い口が笑みをひいた。
「少なくとも僕は、そうやって切り捨てられたものこそ正しかったという実例を知っています。民意には従わない。そんなものには従わない。決して」
「……」
子供の声をしたそれは、しかしもっともっと年長者が言う悲鳴のような、嘆願のような。
「……信じて良いという意味か」
「信じてもらえると、嬉しいですね」
さら、とカイムの髪がゆれた。
「……そうか。分かった」
何を分かったと言ったのか、おそらく解釈は二人で違う。
けれどそれを見越して、カイムは許した。
「さっさと行け。あと五日もすれば王が帰ってくる。調子を合わせておけ」
「はい。……カイムさん。僕はけっこうここが気に入っているんです。こんな窮屈な場所で眠りにつけるとは思ってもいなかったんですけどね」
「神経質だったのか?」
いいえ。と少年は黒いローブの下で笑った。すんなりと心に入ってくる素直なもので、年相応の気配をした笑い。
「こんな、人が密集して暮らしている場所で、気を抜けるはずもないと思ってたんです。けれどそれが、できた。僕はここの人たちに心を許してしまったようです。嫌ってくる人も多いのに、不思議です。同族の血がそうさせるのかな。血なんてもう僕には関係がないのに」
「……そうか」
もう行け。とカイムは言って、少年の隣に立つと扉を開けた。
しんと静かな夕方の広場が視界に広がる。クローはしかし。
「ではそこをどいてくれませんか。カイムさん」
「……どういうつもりだ」
「そっちに行きたいんです。僕の部屋は広場より酒場の裏口を通った方が、近道なので」
「……」
そうか。とカイムは言って。
「いらぬお節介だったな」
小さく言い残して、自分で開けた扉から去って行った。
一人取り残されたクローは、くすと笑って静かにその場を後にする。
……いや、一人ではなかった。裏口を閉めようとした時にそれに気づいて、少年はおやすみなさいと言って閉めた。
弱い明かりに包まれる店内には、レインバルと寝息だけが残された。
五日後、アルゼム王が帰還する。
***
「……お父様が、そのように?」
ファレスティーナは、今や牢獄のようになってしまった自室で、静かに声をあげた。
椅子に座る彼女に対面するのはタルタス高官の、しかし見知らぬ男。
「はい。我ら官吏一同も賛同いたしました、姫さま、そろそろ意固地になるのも終わりになさってはいかがにございます。恋とは一時の気の迷いと言われます。本当は姫さまの御心もアルゼムからは離れておられるのでしょう。心中お察しいたします。言いだしにくいのは分かりますが、我らは誰も咎めは致しません。どうぞおっしゃってください」
「……」
「あのアルゼムなる白人とは違い、セーツ殿はそれはそれは立派なお方。肌も麗しき大地の濃茶にして瞳は陛下と同じ灰色。なにより尊いのはその御心です。姫さまも一度お会いになれば彼に心惹かれることでしょう」
「……」
知っている。部屋の世話をしに来てくれる侍女たちが最近とみに賞賛していた。まるで絵本の中の王子様なのだそうだ。
あからさまな世辞だ。
真実から遠ざかった声質をした侍女の声は初めて聞いた。あれが本に知る嘘をつく声なのか。
そして、噂の王子様は最近窓の外に現れるようになったあの青年であろうとも察せられた。噂どおりの麗しい黒人だった。
……アルゼムとは似ても似つかない。
「お断り、いたします」
「姫さま」
突放すような声音だった。その「姫さま」の中にファレスティーナという人はいない。
「明日、また参りますので、そのときに是非、返事をお聞かせ願います」
「……」
「色よい返事をお待ちしております」
怖い、怖い気配をもった人。すべて見透かしそして操る、世界の悪を凝縮したような人。
落ち着き払った余裕は、すこし女神に似ている気もするが、彼女はもっとあたたかかった。
何なのだろう。
どうして突然この人が自分の前に現れたのだろう。
この黒髪の官吏は、ファレスティーナが今まで会ったこともない人だ。なぜそんな人に夫を勧められなければならないのか。
知り合いの官吏の勧めなら、情に流されて仕方なく、ということにだってあるかもしれないのに、役不足、不適切だ。これを父が許したというのか。無駄とも思えるこんな会合を。
――なぜ。
「そういえば、姫さま」
高官は礼式にのっとってファレスから数歩離れると背を向け、ファレスには開けることができない扉に手をかける。そして振り返って言った。
「アルザートは、近々我が国の手に落ちるかもしれません」
「――――え。」
笑顔の官吏が扉を開く。
体は廊下に出て、退室前の一礼のためにこちらを、一点の間違いもなく完璧に作られた笑顔が見つめてくる。
「アルゼムの命がどうなるかは、姫さま次第ということになりますね」
「――」
「まだ開戦していませんので、かもしれない、というだけですが。さて十倍の兵力にアルザートはどう対してくるか」
「……父が、あなたをここによこしたのですか」
寒気がする綺麗な笑顔の官吏は、少しだけ感情を表情に帯びさせて、ファレスと目が合うと頭を下げ「はい」と心の分からない声で言う。
「…………」
父が、なぜ今までこの男に会わせなかったのかよく分かった。
そしてなぜ、今になって会わせたのかも。
「そう……意図は良くお察しいたしましたと、伝えてください」
官吏は驚いた、と一般的には思われる顔で、少し興味深そうにファレスを見ると「はい」とまた言って扉を閉めた。
「タヌキ、キツネ、とは、こういう人を表して言うものなのですね」
外の世界は汚いと父が良く言っていた。
だから外に出てはだめだよとも言われた。
その父はファレスとあまり会うことがなく、会うとそればかりを言った。本当は愛されていなくて、だから会いたくなくて言っているのではないかと切ない思いをしたりしたが、その理由がやっとわかった。
父が一番汚れたことをしているのだ。
そして父は一番それを嫌っている。
「そう、だったのですね」
白人迫害という矛盾は、その心の葛藤から生じた問題なのかもしれない。
非人道の行為を行いならがらも、父はそれを嫌っていた。だから、それをすることが多いと、父の目に映った白人は、おのれを見ているようで気に入らず、完膚なきまで叩き潰そうと迫害したのか。
それらが存在さえしなくなれば、そこにあった非人道的行いさえも共に消えていくのだというように。
「お父様……わたくしは、愛されていたのですね」
ただそれだけは矛盾のない愛だったから、父はファレスをはれ物のように大事に大事に扱っていたのだと、今、痛く分かる。
そしてもう、優しい籠は壊されたのだということも、今、よく分かった。
「わたくしは、なんと無知な子供だったのでしょう……アルゼム」
問いかけるように、そっと悲しみを溶け込ませた笑顔で言う。
無知に気づくことになった彼との出会いを、普通ならどう受け止めるのだろう。出会わなければよかったと思うのだろうか。無知のままでいたかったと思うのだろうか。
ファレスティーナは考えてから、確かな心をこめて言った。
「あなたと会えてよかった」
自分に何ができるか分からないけれど、何もできないかもしれないけれど、大切な人としっかり向き合って、愛していると、言った声が確かに届く距離に、これでやっと行けるようになったのだ。同じ土台に立てるのだ。
もう、心が遠くて、関われない距離を感じることはない。
ファレスをとらえた鉄格子の窓の外、その下の方から声がしていた。
それはきっとセーツ殿。
いろいろな思惑が想起されたが、それには乗らないと、ファレスは笑顔で外を眺めた。不思議と心が軽く、世界が輝いて見える気がした。
ひとつ、世界の醜さを知った。そして自分の愚かさを無くした。それがうれしい。うれしい。
自分は今、生きているのだ。
変化する人間を、生きているのだ。
セーツは馬の調子を見ているようだった。彼の明るい、楽しそうな声のする空には鳥が二羽、制限なく広がっていく青い空を、仲良くじゃあいながら飛んで行く。
ねぇアルゼム
いつか 私たちも あのように――。




