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乱の33 目

















 キュキュ、と洗い終わった皿を拭きながら、リースは吐息のように言う。

「でもまぁ、もう文句を言うのも疲れたしね……あと少しだから、しばらくは目をつむっていようかねぇ」

「……ふぅん」 

 ……。

「ま、そう深くは考えなさんな」

 ……。

 そう言われると考えたくなる。

 考えた。しかしそれはグレンの脳にとって未開発区の部分。

「ぬぅ?」

 なんだか頭が重く……、神経までこんがらがってきた。 

 もう何が何だか分からないことになって「あー……」と言ったとき。

「おめぇ知ってるか」

 と大声で話しかけられて「……し、死ぬかと思った」。

「なんだおい、はっはっ驚くなよ、それでも剣士か」

 ダンクルートがその熊のような体で大仰に笑いながら、グレンの隣に腰掛けて、リースが手際よくお茶を出す。

 グレンは騒ぐ心臓を落ち着けるように、氷が溶けてカサが増した水をのみ込んでから隣に恨みがましそうに言った。

「あんたなぁ突然話しかけんなよ。きゃーってなっちゃうだろ」

「はっはっはっ! それは楽しくていいな!」

「ああそうね、楽しいねー……で、何、何しに来たの。驚かしに来たんじゃないだろ。反乱軍どんだけ暇なのって話になっちまぁよ」

「おお、分からんか。知らないんだな!」

 大男を驚きが支配し、次いでまた笑顔が支配する。

「ようく体を休めとけって指示が出てるんだよ。従ってねぇから、知らないんのかと思ってな。ほら、酒場にも他に人はいねぇだろ」

「……え、ええ? 聞いてねぇ」

「はっはっはっ」

 言われて見てみれば酒場にいる人の数がいつもより少ない。いるとしても留守番系の臆病な奴とか、畑仕事が三度の飯より好きだというやつばかりだ。

「俺もしかして、流行にうとい?」

 昔からそうだった気がしないでもない。

「ははっ、今聞いたからどうでも良いだろ。とにかくそういう訳だからお前も休んどけ。双子を連れ帰ってすぐクローはおねんねしてんぜ」

 あいつはいつの間に休みの話を聞きつけたんだ。というか教えてくれなかったのねークローちゃん。覚えとけ。

「で……なんで休むんだ」

「それはほら、王様が帰ってくるからだよ」

「王? 王と戦うのか」

 やっと大々的に動くんだな。いや王が標的にはいっているということは、もしかしたら最後の作戦になるかもしれない。もう動くのか、とも言えるのか。

 どっちでもいい、というように隣の大男が愉快そうに笑った。

「だと思うぜ。詳しいことは分からんが、まぁカイムが決めたんだ、上手くいくだろう」

「あいつの策でだめなら、俺には何もできる気がしねぇよ」

「まったくだ」

「うっし、俺も適当に休んどくか。勘定はここ置くよ」

 リースが「ああ」と言うのを聞いて、グレンは立ち上が――ろうとした。

「のあっ」

 背後から引っ張られる。そのまま椅子に腰かけられたかと思うと、そこから引きずり落とされそうになる。

 服だ。服を何かに引っ張られている。カウンターの卓をひっつかんで体をもちなおそうとするグレンの視界で「おや」とリースが目を丸くした。

「どうしたんだい。リルマル」

 リルマル? 

 グレンが言うのに重なって隣から「なんだ、おかわりか?」とダンクがおどけて言った。だが行動はおどけず緊張して、距離をとり、離れていく。

 何かおかしい。

 振り返ると、引っ張られている服のすそがのびのびとする先に、くりっとした赤茶の瞳の持ち主がいた。双子。椅子から引きずりおろしの犯人。ともすれば罪人。

 そう、罪人だ。塔に監禁されていた時から元気で無邪気ではた迷惑だった双子が、感情を無くした罪人の目で見上げてきている。

「リルマル?」

「………………」「………………」

「うおっ」

 引きずりおろす。さっきよりも強い力は子供のものとは思えない。地獄に引きずりこむ悪鬼のようだ。が、所詮は子供の力。

 負けるわけがない。「っ……」面倒なので椅子から一度落ちてみて、それから、おい、と双子の顔を睨んだ。その敵意の眼光でやめさせようと思ったのに、むしろこちらの胸が詰まる。

 ――誰だ。

 冷たい、冷たい気配。心が死んだ人の……見たことがある、それは遠い昔。

「……リルマル」

「………………」「………………」

 双子の腕が伸びてくる。首を。まるで絞殺さんというように。

 ――やめろ。

 ――生きろ、と、言われたんだ。

「……悪く思うなよ」

 片手に収まる二本の細い腕を握った。細すぎる、肉感のない骨だけのような腕を引き倒し、とん、と二つの後ろ首に手刀をいれた。茶色の髪がふわふわなのは最初に会った時とおんなじで、力なくうなだれてきた体の軽さも、塔を駆け下りていた時に喜んでいた双子と同じ。気配も戻っている。

「……」

 二人が気絶しているのを確かめて、グレンは床にそっと寝かせ

「ちょいおまち!」

 寝かせようとした。

「あんた、女の子を小汚い床に寝させようとするんじゃないよ。椅子に寝かせな」

「自分の店の床を汚いとかいうなよ。ていうか椅子じゃおっこちちゃうじゃんか。ここの椅子ちっちぇもん」

「だったらあんたが抱いていな」

「腕痛くなるじゃんか」

「気のせいさね」

「…………気のせいですか」

 リースは満足げに笑うと、カウンターの向こうにある顔を引っ込めた。

 その代わりに、酒場にいた人が集まってくる。ごやごや、現実味のあるあたたかな喧噪。「甘えくらい聞いてやれよ」と現状を分かっていない声。

 双子は腕の中に収まりながら寝息をたてはじめて、先ほどのことはまるで白昼夢だったような気がしてきたが、少女二人が気絶しているのは事実だ。これは夢じゃない。

「で、……俺どうすんの」

 途方に暮れかけた時。

催眠さいみんだな。強い暗示があったんだろう」

「うおっ」

 声。

 振り返れば、いつになく肌つやがいい参謀殿がこちらを窺っていた。

 ――寝起きか。

「カイム! 助かった、助けてくれ」

「……催眠は詳しくないんだが、貴様、なにか妙な事を言ったか」

 言いながらカイムの腕が双子の一人を抱き上げた。姫様だっこ。 

「妙ってなに」

「何かきっかけがあったはずだ。暗示が。見ていた者の話を聞いたが、突然おそいかかってきたと言っていたからな、何かあるはずだ。お前が言った何らかの言葉に反応したのかも知れん」

「って言われてもなぁ。俺のところに来た時はすでに……あ」

 きらりと目を輝かせ、グレンは酒場の一角を見る。

「アリス」

「は、はいっ」

 金の髪をゆらして、アリスが背筋を伸ばした。ざわざわとしていた周囲の人も静かになる。

 アリスは、いつの間にかカウンターから移動しているリースにひっつきながら、双子と一緒に食事をしていた卓に座った不安げな顔をグレンに向けた。

「ああ、そんな怯えなくていいよ。ただ答えてくれればいいだけだからさ。な、アリスはさ、リルマルとずっと一緒だったよな」

「う、うん」

 こわごわと、アリスがリースの服をつかみながら言うのをみて、グレンは苦笑してカイムを見る。

 ……。

 自分が問い詰めた方がよさそうだ。

「あのさ、リルマルと一緒にいたときさ、二人は突然変わったのか」

「う、うん。とつぜん変わったの」

 アリスはちらちらとカイムを見ながら言った。

「何の話をしているときだった?」

「え? ……んっと。あ、ごはん。おいしいねって、言ってたんだ」

「あとは?」

「え? えっと、それで、すてきなお母さまねって、言ってくれたの」

「あとは?」

「え、と、あとは……」

 怒涛の質問攻めである。

 アリスの肩を抱きながら、リースがぎらりとグレンをにらんだ。

 その間も少女の視線は宙をさまよい、思い出したのか唐突に明るい顔になると素早くグレンへ戻った。天使の笑顔にグレンは内心救われる。

 リース怖い。

「お母さん大好きって言って、それで、それで……」

 アリスは母の方をちょっと気にするような顔をすると、意を決したよう。

「お父さまは? って言われて、お父さんは死んじゃったって言ったら、ごめんなさいって言われたの。だから、どうしてごめんなさいなんだろうって思って、そしたら、突然双子さんが立ったんだ」

 アリスはきゅっと口を結んだ。心細そうにグレンを見上げ。

「グレさん、わたし思っちゃいけなかったのかな? わたしが、どうしてって思ったから変になったのかな。……わたし、思っちゃいけなかったんだ、わたしのせい、なのかもしれない。ごめん、なさい」

 泣きそうな少女にグレンはちょっと驚いて、でもハハッと笑った。

「気にすんな。アリスは悪くなんかねぇよ、なぁんも悪くねぇの。悪い奴はほかにいるからさ」

「……ほんとう?」

「本当さ」

 人好きする笑顔でグレンはアリスの前に歩いていくと「ほれ、泣くな」と頭をなでた。するとアリスの緊張していた涙腺がゆるんで、リース譲りの綺麗な顔がくしゃりと、泣いた。

「ふえええぇ」

「う、え……!? え、ごめん。泣くなって、アリス」

 ふふふ、とリースが笑う。

「さ、リルマルは男どもに任せてあたしらは寝ようかね」

 リースは小さな手を取った。もう片方の手で、グレンの腕の中で眠る双子リルかマルの髪をすく。

 さ、アリス。

 言った声に、おもいっきり泣いてすっきりした少女が「うん」と、鼻水まじりに返した。

「グレさん、リルマルさん。おやすみなさい」

 すぅーという寝息と、「ああ、お休み」という返事があった。

「おやすみなさいよ。また明日」

 リースが酒場を出ていく前に皆に言うと、真似てアリスが皆を見た。

「おとこども、おやすみなさい」

 えへへ、と嬉しそうな愛らしい笑顔。扉が閉まる。

 残された者たちは動きを止めた。

「……今」

「男どもって……」

 幻聴だろうかと、お互いに目を合わせては現実の音だったと確認して、でも認めたくないのかまた違う人の様子を窺いまた確認するを繰り返す。呆然と誰かが手に持っていた物を床に落とすたびに、静まり返った室内に音が響いた。


 ざわざわと「天使が、天使が」と言う声がするなか、普通に反してグレンは面白そうに眺める。

 視界の下方に茶の髪がふわふわと揺れていた。腕の中の少女はふらふらとしたちり毛の下で幸せそうに眠っている。いつ気絶から眠りに変わったのか、判断は難しかった。

「暗示って『父親』かな」

 近くの椅子に腰かける。少女の膝を自分の足にかけて、膝裏に入れていた自分の片腕を解放した。空いた手で少女の顔にかかった髪をどかしながら、近くに立ったままどこかを睨むように見ているカイムに視線を向けた。

「なぁおれ『父親』が暗示のきっかけか何かじゃねぇかと思うんだけど。暗示がどんなもんかしらねぇけどさ、会いたいって気持ちがあるだろうから、暗示にかけやすいんじゃねぇの?」

「……父親か。なるほど。なら『いない』かもしれんぞ。それか『死』か」

「……いない?」

「ラフィート家惨殺事件は知っているか?」

「いや、知らねぇけど……惨殺?」

「そうだ。シラ・ラフィートが休暇で本邸に帰ろうとしていた日、到着する数刻前に賊が屋敷へ押し入った。そしてシラ・ラフィートを除く全ての者を殺したとされている事件だ。発見された遺体は、それは無残な姿になっていたと聞いている」

「……だから『いない』か。リルマルは出かけてて助かったんだな」

 自分の腕の中を見て、次いでカイムに横抱きされる少女を見る。二人とも同じ顔で眠っていた。特に気がつくような怪我はなさそうである。手かせ足かせの跡がすれて痛そうではあるが、大けがは見当たらない。だが。

「いや。シラ・ラフィート以外と言っただろう。二人も居たはずだ。一般には死んだとされている」

「……はあ?」

 不愉快にカイムを睨みつけた。睨み返されて身を引いた。

 カイム怖い。

「だが実際は屋敷から少女の遺体は見つからず、双子は行方不明とも思われた。女だからな、売り飛ばされたのではと噂された」

「じゃぁダリシュに買われたのか?」

 と立ったままの男を見ると、その緑の瞳が怒りを宿していくのがみえた。カイムは憎らしげに歯噛みして、遠くを睨みつける。

「…………人非人め」

「……誰それ。ニンピニンって」

「人でなし、という意味だ。人名と違えるな」

「そ、そうなんだ。ふ、古い言葉なんだな」

 カイムが薄く笑う。

「私には現代語だ。話を戻すぞ、要はダリシュが黒幕だということだ。シラ・ラフィートは妹を人質に取られていると言っていたのだろう。ならば、奴が屋敷襲撃を企てた黒幕で、妹たちは賊にとらえられて売りに出されたと噂を流した、と考えるのが妥当だろう」

「難しいことはわかんねぇけど、ダリシュが怪しいのは分かるぜ」

「そうだ、今はダリシュを黒幕として考えればいい。奴を利用している者がいれば後にそれが分かるだろう。いなければこのまま奴をしとめて終わる。それだけだ。あの傲慢な右大臣が誰かのいいなりになるとは思えんしな、おそらくそれで終わりだ」

「……それはいいけどよ、王様はどうすんだ。殺すのか」

「ダリシュが死ねばシラ・ラフィートは解放され、頭と支えを失ったアルザートの官吏どもは混乱する。その混乱に乗じて叩く。意志のない王などいらぬ」

「魔力ですね」

「うおっ!」

 突然話を区切ったのは、いつの間に来ていたのか黒服の少年。

「って今度はお前か! このやろっ、驚かしやがって」

 がしがしとグレンがフードの上から頭をかき混ぜる。少年はくすと笑って肩をすくめた。

「髪を乱そうとしても無駄ですよ。すでに寝起きでぐしゃぐしゃです」

 まったくさらさらのカイムの髪は別格だ。

「ああそうかい。で、お前はどうやって嗅ぎつけてきたんだ。寝てたんだろ?」

「俺は見えねぇのか。俺は」

 ダンクルートの声がした。

「お、いなくなってると思ったらあんたこいつを呼びにいってたのね」

「カイムもだよ。こいつらなんか詳しそうだろ?」

「面倒事おしつけに行ってたのか」

「そうとも言うな! はははははっ」

 店内を静かに照らす橙色の光は世界の終わりを迎えるよう、うすらと存在を消し始めていた。リースが光の元を操作したのだろう。

「暗示のきっかけが魔力だと?」

 はい。と少年はカイムの腕の中の少女に手を伸ばす。

「この目を見てください」

 今は閉じている瞼を、無理に指でこじ開けると、少年は黒と白肌の中で異様に鮮やかに見える口で「蒼いでしょう?」と言った。瞼の開いた中の瞳はくすんだ青い色。ダンクルートと共に見学していたグレンが感嘆の声を上げる。

「茶色だったのになぁ」

 まじまじと覗き込むグレンの無遠慮を、しかしリースがいないので止める者がない。ただクローがくすっと笑って。

「正しくは赤茶色でしたね。色が薄くて分かりにくいけど、赤みがありました。でも今はあおい。これの意味するところがわかりますか」

「……そうか」

 カイムの思慮深い緑の瞳に答えを見つけた明りが灯る。

「魔力だな」

「ご明察」

 話が読めねぇ、と思いながら、ダンクルートの人選は正しかったらしいと、グレンは思った。

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