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乱の31 支えてくれる人


 時は少しさかのぼり、カーサムの玉座の間。

 美羽がそこを去った後、セヴィル王は自分の他に居るのがテハだけとなるとやはりと思った。

 昨日、アルザートの王が来ると(どこからか)聞いて、やってきた彼女と話をしていたときも、だんだんと寒気を感じた。それはやはりあの娘が原因であったのだと、今ははっきりわかる。

 目を見たのだ。あの金の瞳がらんらんと、異様な輝きを放つのを。

(あれは別の生き物だ)

 人であって人にあらず。

 そうとしか思えないと、彼女が消えた瞬間にあふれ出てきた脂汗をぬぐいながら思う。

 あれは自分たちの常識で接してはいけないモノ。

 だが不思議に、側近テハは何ともないらしい。これは何が原因なのか……。

 静かになった部屋でセヴィルはそんな事をひとりでしんみりと考えていたが、テハという男は客のいないときに静寂というものを作らない。

 思考の中にあっというまに踏み込まんできた。

「しっかし昨日も思いましたが、あれが女神とは衝撃ですな。もっと穏やかなものかと思っておりました」

 さっきまで静まり返っていた人間とは思えないほど大きな声で彼は話す。元気だのう、と思いながらセヴィルは笑った。

 しんみり考え事をしていたのがバカらしくなってくる。

「しかし、あれは正に神だのう。異様やよ」

 テハは声が大きいが、反応も大仰に、肩をすくめて下方からセヴィルを見上げてきた。

「陛下はお心が広いですね。私は私の考えていた女神とは大分違っていて未だに神だと信じられませんよ。ただの美人で小生意気な娘に見えますな。まぁ陛下が官吏を治めろと言った時は応援してしまいましたがね」

「フフ、あれは神だよ。あれは我らの考えの上を行く存在なのだろうえ。

テハ、また彼女に会うことがあれば、あれの目を見てみるがいい。微笑で覆い隠してはおるが隠しきれるものでもないようだの」

「何か見えるんで?」

「そうさな……。青白く煌く刃のような、もしくは青い炎かの。異様な気配をもつ、おそろしい力を感じたよ。あの小さな娘の中に、ようも収まっていられるの。いや、だからこそ溢れ出てきそうで恐ろしいのか。あれは鋭く、あやしく、こわいものよ」

「はぁ、あやしい青い炎ですか。かつて火術で最強を誇った魔術師の火は、赤、橙を超えて青だったと聞きますが」

「ふむ、火術師リラの青い炎は触れたもの全てを溶かしつくすといわれて恐れられた炎だの。ミウちゃんのあの怪しい煌きがそれに近いのかは分からぬが」

 十数段下のからテハは、それでも隣にいるような声で。

「もしそうだとしたら大変な脅威ですな。目だけで人を溶かせましょう」

「ほほ、まぁ例えだがの。それに脅威と認識するのはだいぶ安易あんいよ。心配は要らぬ、あれは別の生き物というだけよ。怯えるよりも先にあの娘自身の言葉を信じてみようではないかね」

「はて、なにか信用できるような事を言ってましたか」

「正すと言っておった。それは良いことしかしとうないという意味でもあろう。女神は我らの味方。怯えるでない」

 そう言って、セヴィルは窓の外を見た。鳥が飛んでいる。

 もうすぐ港に船が帰ってくる時刻だ。

 この次に出発する船に紛れて美羽とベリアルはスイラへと帰るだろう。アルゼム一行だけでなく、彼女達がここにいることもタルタスに隠し通さねばならないのだ。

 セヴィルは心の中で、全てが平穏無事に済むことを祈った。この国を守る竜と同じ紫色の瞳は雲の少ない空を映し、紫を少しだけ青く染める。この天気ならば航海に問題はなさそうだ。

「……怯えるでない」

 言い聞かせるように呟いた声には怯えと安堵があった。強い力の前に怯え、かつそれが味方であることに安堵している。

(昨日、ミウちゃんは自分をただの人間だと言いはっておうたが……)

 あれは人間ではない――。

 考えを振り払うようにセヴィルは数度頭を振った。カラになった頭には聞き慣れた海鳥の声が聞こえてきている。

 くぉん、と竜がねむたそな鳴き声を出した。

 その鼻先を撫でて、彼は思う。

(すこし、頑張ってみようかね)

 自分を人間と思いたい娘が、そうでないと自覚する力を使いこなそうとしているのだ。若干、恐ろしくもあったが、自分も何か、やってみたく思った。

 あの娘は確かに怖い。人ならざる炎をその身に隠している。

 だが、あの娘は竜を見た。自分の一族しか見ることのかなわない陸上の竜を。

(あの娘と、もうすこし対等な立ち位置で話をしたいものだ)

 恐怖しながらも向き合おうと心構えるセヴィルは、この後の美羽にとってもかけがえのない存在の一人となるだろう。

 まさに、父と娘のように。


<女神に出逢って始めて息をした。

             息を呑んで、咳き込んだのだ>


 歴史書の竜王セヴィルは、この言葉と共に記載される。



*


 海が凪になり、船が動けなくなった時に美羽はそれを見つけた。

 赤茶の瞳に、同じ色の髪。日焼けした健康的な肌の騎士。

 剣の腕があり、美羽もたまに稽古をつけてもらった騎士。これがまた上手なのだ。教えるのが。

 それでもう少し愛想が良ければ、女の子が放っておかないだろうにと思う。唯一の欠点がでかすぎる。近寄りがたいんです、と城でそば付きの侍女さえ泣き言のように言っていた。

「べリアル!」

「……」

 一度、あの寡黙を爆笑させてみたいと、今まであれこれ心を開いてもらうよう無茶をしたりしてきたが、それも終わりなのかなと思いながら美羽は日焼けた彼に近づいた。

 振り返る顔には、特に表情がない。

 周りにあまり人のいない、海の見える甲板だった。船の広場のようなところだ。他にいるのは船酔い中の騎士が一人と、ぼうっとしていることが多い騎士が一人。どうやら船の作業員はここには来ないらしい。

「ベリアル、左大臣の所に戻るのか」

 隣に立って言う。

「戻るよう命令が下っています」

 返事はただそっけない。

「まぁ、うん、私も聞いているし、ちょうど休ませてあげないとと思っていたから、いいとおもうんだけど。君は何も思わないの」

「命令ですので」

「……」やはりか。

「予想通りとは、逆にびっくりだよ。まぁ良い、それならそれで頼みがある。レオンを護って欲しいんだ。城の常駐の兵と騎士は、何か起きたときに王を最優先するだろうから、できらた君にレオンを護って欲しい。あの子はろくな予言をされていないから、嫌な経験をしないで育ってほしいんだよ」

「……」

 何も言わず、べリアルは何か考えるようにして見返してきた。見返すとはいえ身長差がありすぎるので見下ろす形であるけれど。

「どう。できる?」

「できます」

 迷いのない声。ほっと、美羽も安心する。

「よかった。ならそうして、護ってやってよ。頼む」

「御意」

 御意。とベリアルは言う。それはスイラでも王と美羽にしか返さない言葉だ。思い返せば初めて会った時からそうだった。

 彼にも女神への幻想や信仰があるのだろうか。そう思って、美羽は少しさみしくなった。

 美羽個人を見てくれている人は、どれほどいるのだろう。

「そっか、じゃあこの船が着いたら……お別れだ」

「すぐ、ですか」

「すぐの方がいいでしょう。左大臣と私は仲が悪いんだ。少しは機嫌を良くしてあげたいし、あまり一緒にいると、別れがたいからね」

「……」

 沈黙。だが意見への了承が気配で分かった。

 それからまた沈黙。

 二人はいつも沈黙の会話が多い。それが心地よくて、不思議とそばにいやすい。

「では、一つよろしいですか」

「ん?」

 珍しいベリアルからの会話。

 見上げると、風がかすかに吹いてきて、二人の髪がゆれた。そろそろ凪が終わるのか。では船も動き出す。

「戻る前にあなたに訊ねたいことがあります。お答え願えましょうか」

「いいよ。何でもどうぞ」

 ベリアルはちょこっとはにかんだ。なにを聞くつもりなのか、なにやら顔まで赤い。

「ははっ! 可愛いな」

「……」

 日焼けた顔が、咳払いした。無表情のベリアルに戻って、赤いのも引いていって口を開く。

「……あなたがいつまでここに、この世界に残るつもりでいるのかお聞かせ願いたい」

「なんだ、そんなこと」

 ははっ、と美羽は気楽に笑う。

「心配しなくていいよ。ずっと居るつもり。ずっと、ずぅっと。ね」

「なぜ」

「なぜ? なぜといわれてもね。私は今ここに居るのだから、ここで生きるのが筋でしょう。他に何があるというの」

「帰りたいとは、思わないのですか。あなたなら可能なはずです。なのに残るということは、まさかあちらには何か、嫌なことがあるのですか」

 美羽は笑って手すりに背を預けた。

 強くなってきた風が首に触れて気持ちが良い。

「ははっ、気を使いすぎだよ」

「では、我々に気を使ってそう言っていのではありませんか」

「やさしいね、君は」

 確かに今はまだ神の力を世界に示さずにいる。それはいつか帰るときの為に隠しているのではないかと、ベリアルが思ってもおかしくはない。だがこの世からいなくなるだけで何が起きるか分からないという意味で、女神は最も厄介であり、そんな混乱を招くような危険をおかす気は美羽にはなかった。

 でも、と思う。ベリアルは気を読む男なのだ。今まで一緒にいた間にかわした言葉の端々から、故郷に心がひかれているのを感じ取っていたかもしれない。隠しているつもりでも、気づく人は気づくのだ。

「大丈夫、帰っても何も問題ないよ。でも帰らない。今を捨てて帰ったら私は絶対に後悔するから。例えまたここに来られるとしても、それでは私はどちらの人間なんだか分からない。どちらでもあると言えるのだろうけど、安易に日本に骨休めに行っている間に恋人でも出来たり、両方の世界で同時に面倒が起きたらどうする。対処しきれずに何かを見捨てることになるだろう。そんなの苦しいだけだ。結局苦しんでどちらかを選ぶことになるのなら、私は苦悩が少ないよう今のうちに選ぶ」

 でもね、と笑った。

「家族や友達に会いたいって気持ちはあるんだ。本当はさ。それでも今の私には、レオンやフリア、それにベリアル。君たちが大切なんだ。あちらの友達や家族に、すでに与えてしまった苦しみを君たちにまで与えたくない。せめてこちらの友達や家族には私のことで苦しんだりしないで欲しい。大切な人たちだから、だから私はここに残る。ここで、今を護るんだ。なくしたものは、なくしたままでいい。取り戻すべきなら、きっと勝手にそうなる。私はこれでも運命というものを信じているんだよ」

「そうですか……」

 ベリアルは少し嬉しげな声で言って、それから顔をゆがめた。

「ご家族は、寂しいでしょうね……」

 美羽は笑う。どこか寂しさも漂う笑顔だったが「大丈夫」と言う声は明るかった。

「私の家族は私がどこに居ても楽しんで生きていく図太い人間だってことを知っている。私も家族が図太い人たちだと知っている。だから心配じゃない。あの人たちなら何があっても乗り越えていくよ。突然私がいなくなってもきっと自分達なりに解釈して、幸福になってくれる。そう信じてる。だから大丈夫、全く問題ない」

「……」

「絶対と信じられるものがあることが私の支えで、そのお陰で私は私でいられるの。心の奥底が安心できるんだ」

 絶対の安心。

 それはベリアルには共感できなかったが、国を護る事に全てをかけると誓ってから気が楽になったことと、似ているのかもしれないとは思った。だが似ていても違うと感じる。彼女の言葉は眩しくて、憧れる。

「私を信じてくれている、私も家族を信じている。それで十分。会えなくてもいいんだ。むしろ会わないからこそ勝手に美化できるから良いのかもしれない」

 瞳の色とは関係なく、この人は光なのだとベリアルは感じた。そして、感じるとなぜか安心する。美羽のそばを苦に感じないのは、そのせいなのかもしれない。その安心というものに、彼もすこしだけ仲間入りさせてもらっているのかもしれない。

「私は私なりに一番良いと思う形で生きてるから、心配はいらないよ」

 それはきっと他の騎士達も同じなのだと、美羽を見るみなの瞳に敬愛の輝きを見たのを思い返してベリアルは理解した。

 たとえたまに、ひどく恐ろしい気配を放とうとも、この人は信じようと思うのだ。

「それより、私は君があっさり去っていく方が悲しいよ」

「……そうですか」

 それは予想外の言葉だった。

「そうですかって、ほんとうにそっけないな、君は」

 苦笑する顔が、痛々しく感じた。故郷に帰るのをあきらめていると言った顔に似ている。

 言わねば、とベリアルは思った。

 言わねば、何を……?

「それでもレオン殿は護ってみせます」

 場違いなことを言ったと思った。だがそれをきっかけに言葉があふれてきた。

 恥じとかいうものは忘れて、ただ言う。

 たぶんそれは、心に秘めていた本心。

「私が仕えるのは、王とあなただけだ」

「……王と、女神ね」

「いいえ。鈴木美羽どの、あなただ」

 金の瞳が見開いた。

 自分がこの人にこんな顔をさせたのは初めてだと思いながら、あふれてくる言葉のままに言う。

「私自身を見てくれたあなたに、私は仕える。きっと他の騎士も同じく。これから何があろうと私はあなたに味方する」

「……」

「…………あなたの家族に、私も入れてもらいます」

 家族と言う表現は正しくないかもしれないと、言ってから思ったが、他に言いようがないと思って訂正はしなかった。

 風が強くなってきていた。

 ベリアルの胸元までしかない身長の黒髪が、風につよく煽られていた。気づけば景色も動いている。船が動き出していた。

 金の瞳はこちらを見た状態からすこしうつむいて。

「……うん」

 分かった。と言い、顔をそらせた。

「家族だ。みんな……」

 声が、強くなった風の音と、船が切る波の音にまぎれて聞こえたが、言っていることははっきり分かった。ありがとう、と言ったのも。

「……」

 忠誠は王に捧げた。それが騎士で、スイラの民だ。

 だが信頼はこの人に捧げよう。ともに旅した中で、いつのまにか心を楽にしてくれたこの人に。

 信頼を捧げるそれは、心の主君だ。


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