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乱の24 ポジティブ姉妹

 天井から入り込む心ばかりの細い光が、塔の闇を照らしていた。どこからか流れ来る風が、螺旋階段が囲う空洞の中を突き抜け、ひょうひょうと音をたてている。

 グレンは左へ足を向けた。上への階段が見える。

 今、立っている地面の右には下へ向かう階段も見えるが、それでもグレンは上を選んだ。気分的に、というのもあるが、これだけの塔を作っておいて地下に隠すなど勿体ない事をするとも思えなかった。裏をかいて地下だったとしても、彼に迷いはなかった。正解かどうかは問題ではない。上へ行くなら上へ行き、それが間違いなら下へ行けばいい。間違う事の何が恐ろしいのか。時間がかかる事の何が恐ろしいのか。間違って手遅れになろうと、何もしないで手遅れるよりよほど良い。

 長身の長脚で階段を上っていく。終わりはどこだ、と見上げると、はるか高くに鉄の鈍い輝きが見えた。

「あそこか」

目標が定まってからの足取りは軽く、くるくると階段を上って行く。そのころ、天から差し込む一筋の光が、どこかで反射して二本になっていた。


   *


 暗闇の中で、彼女達は互いだけが頼りだった。

 牢に入れられ、自由をなくして、互いだけが頼りだった。

 光の乏しい暗闇の中、互い以外の暖かさを思い出させるロウソクの明かりはいつも、どこからか入ってくる風にゆれて不安げで、頼りなさそうな恐怖を心の中に産み落としている。毎日三食の食事と共に置かれて尽きるロウは、今はあと僅かになっていた。

 最後の炎を燃やすロウソクから髪に流れてくる風は冷たく、髪の隙間から首に触れて過ぎていく。冷たい空気に寒気を覚えながら、二人は夏を感じていた。風の冷たさが身に痛くない。それは夏の風だった。風で夏を感じたのは、これで何度目かわからないが、季節が分かる事で彼女達はかろうじて『時』を自覚する事ができた。それでも頭は、一枚の膜がかかったよう朦朧として、どこかに意識を持っていかれそうになる。そのたびに、自分の体に爪を立てて意識を保った。時にはそのまま持っていかれて、しばらく寝込む事もある。そうして目覚めると妹の不安と安堵が入り混じる顔があって、ひどい罪悪感に苛まれる。それはおそらく、逆の立場でも同じことだろう。いつからか、二人は眠りに逃げる事をしなくなっていた。

「……シラ兄様は、助けに来てくれるかしら」

 意識が飛んで行きそうで、何度目かの傷を作り、リルは言葉を紡いだ。その声は、聞いているとそれが自分のものか良く分からなくなってくる。共にいる妹は双子で、声まで同じで、若干の違いも、感覚が鈍くなれば聞き分けられない。

「来て……くださるわ。きっと」

 口を開かずに声がして、それは自分のものではないと分かった。そして、今度は自分の声だという自覚を持ちながら口にする。

「でも………この数年、何の音沙汰もありませんでしたわ………」

「関係ないわ。天は、わたくしたちが悲劇の姫になるように、とは望んでいないはずですわ」

 音の無い暗闇の中に、妹が動いた衣擦れの音が聞こえた。床に何重にも敷かれた布の上で、横になりながら音のした方に手を伸ばす。三日前に着替えた服の感触がした。今日の夜には、湯浴みと共にまた着替える事になるだろう。

「そうね………でももしかしたら、私達の事を、忘れているのかもしれませんわ」

「………マル、やめましょう。悲観というものは自然原理。それに逆らう事だけが、今の私達にできる精一杯よ」

「そうね……リル………でも、悲観でなく、シラ兄様は平常でしょうか。お父様もお母様も、おじい様もおばあ様も、セタ兄様も死んでしまって………きっと苦しんでいるわ。セタ兄様に比べてずっと、汚い行為を嫌悪してらしたもの。もしかしたら私達より先に」

「きっとお元気よ。狂ってなんかいないわ。きっと、きっと……っ」

「そう、ね………ごめんなさい。シラ兄様だって、お強いもの。絶対に大丈夫だわ」

 そうよ。とリルは厚い布の上に寝込みながら言葉を続ける。

「私達だけは、元気に再会するのよ。負けては駄目。もうすぐ、そうもうすぐ、物語の王子様のような方が、助けに来てくださるわ」

「シラ兄様が来るより可能性がありますわね……兄様は、お友達がたくましいから」

 そうよ。と言いながら、ありえないと思う心を押し殺した。それであいた空白には、別のことが浮かんできた。

「そういえば………もうすぐ、お食事の時間ですわね」

「そうね……もうすぐ、ロウソクが尽きますわ」

きぃ、と扉が開く音がした。石を叩く足音が部屋に響く。音を聞きながら、二人はぼんやりしていた。いつもと若干音が違うから、靴を新調でもしたのだろうかと思い、いつものように彼が声をかけてくるまで顔を上げなかった。そして、いつものように鉄格子を掴む音がした。

「そこに居るのか?」

聞いたことのない声だった。伸ばし放題だった髪の隙間にのぞくいつもの明かりが見えず、のっそり顔を上げた。

暗闇の中に、いつもより質の悪い服が見えた。

彼じゃない。と思って、ぼんやりしている頭で上半身を起こした。同じように起き上がった隣の妹と手を合わせて、不安げに見あげる。尽きかけのロウソクが燃えるだいだい色の明かりに照らされた見知らぬ誰かの、平々凡々な顔が見て取れた。

「あのよぉ。もしかして……君たちって、リルマル?」

 心に光が灯った。

「ほら、マル! やっぱり来たでしょう?」

倒れていた腕に力を込めて起き上がりながら、隣の妹に笑いかけると、闇の中にかろうじて見える自分の顔が笑っていた。白すぎるその顔は、今までになく輝いていた。

「ええ、ええ! リルの言うとおりでしたわ」

 ぼやぼやとしていた意識が目覚めてくる。

鉄格子の向こう側に居る誰かが、何か言おうとしているのがわかったが、溢れ出てくる言葉を外に出すことをとめる事ができなかった。さも溜め込んだ泉の水門を切ったように、どばどばと前向きな言葉や想いが溢れてくる。

「そうよ! 可愛い囚われのお姫様には、助けに来てくれる勇敢で素敵で顔が良い王子様がいるものですわ!」

それに妹は頷いて。

「ええ! 顔は、普通でしたけれど。やっぱり、シラ兄様はやるときはやる方ですわ! お友達はたくましいわ!」

ええ。と勢い込んで頷く。

「でも、追い込まないと使えませんのよね」

笑って言うと、妹はまた、こくりとうなづいて。

「そう、普段は駄目なのよ」

「空回りなさるのよね」

ふふふ、と二人で笑う。

「わたくし達のいない間に、お変わりになっているかしら」

「どうかしら。でもお仕事を一人で解決しようとなさる癖は改めたようですわ」

 二人同時に頷いた。

「成長したわね」

「成長したわね」

くすくす、と久しぶりに心から笑った。言いたい事を言い終わった気がしてすっきりすると、二人はやっと檻の外に居る誰かに。

「そうですわ。それであなたは誰ですの?」

 突然話の矛先を向けられたグレンは返事ができなかった。

「………」

「聞こえていらっしゃらなくて?あなたは誰ですの?」

 姉のリルに続いて、マルが言う。

「誰ですの?」

 グレンは深く呼吸をした。

 何がなんだか分からないというか、分かる必要が無いような気がするような、とりあえず目的だけ果たせば良いと感じる。

「……あーっと、なんだ……ああ、俺はグレン。あのさ、あんたらシラの妹さんたちでいいか?」

「その通りですわ」 

闇の中にいる左の少女が頷くと、右の少女が頷いた。

 どっちがどっちか分からないが、とりあえずこの二人が探し人であることは正しいらしい、とグレンは安堵した。性格は思っていたものと大分違うが、言葉遣いなんかはさすが貴族のお嬢さんだ。

「よしよし、なら一緒に来てくれるか? 俺さ、シラにあんたらを誘拐してきてくれって頼まれたんだ」

「…………………」

暗闇の中から熱い視線を感じた。

たじたじと後ろに下がると、同じ二つの声が聞こえてくる。

「それは有り難いのですが、私たち、鎖でつながれていますの」

 切なげな声は、しかし事務的に続ける。よく聞いていると二種類の声は、グレンには一つにしか聞こえなかった。

「檻にも入れられていますの」

「鍵がかかっていますわ」

「開けられますか?」

「魔術も関わっていますの」

「過分な魔力で解けると、施術した魔術師は申しておりましたの」

「あなたは普通の人間のようですわ」

「だから、魔術師を呼んできてくださらないと、助けていただけませんわ」

「それなら、心配ないぜ」

入り込む余地を見つけて言うと、グレンは剣の鞘を固定するベルトについている、小さな皮の袋に手を入れた。そこに移し変えておいた残りの魔石を二つ、取り出す。白いもやが固まったような石は、見ていると吸い込まれそうな魅力があった。闇の中でもうすらぼんやり光っているそれを、彼は大きな手でもてあそびながら二つの白い顔を見る。

「そんなこともあろうかと、うちの頼れる魔術師が魔石を恵んで下されたからなぁ」

 二人の少女にも見えるように、腕を伸ばして檻の近くに見せた。闇の中の茶色っぽい瞳はきらきらと。

「すばらしいですわ!」

 姉のリルがパァッと表情を明るくすると、マルがふわりと微笑んだ。

「本当に、すばらしいですわ!」

「助けが来ても、魔術には対抗できなくて立ち去ってしまうとばかり思っていましたのに」

こくりとマルが頷く。

「良い意外とはあるものですわね」

 うんうん、と二人で向き合って頷きあう。

それにはグレンもにかりと笑って。

「おうよ! 俺達を甘く見んなよ! けっこう凄いんだからな」

 そしてまずは、檻の鍵を壊しにかかった。それには魔石も何の反応も示さないから、ただの鍵だろうと見切りをつけて自力で鍵明けを試みてみる。昔に一人旅をしていたとき、仲良くなった盗賊に教えてもらった鍵開けの技が光った。

グレンはしゃがみ込み、一人黙々と錠前の鍵と格闘すること何時間か。尽きかけだったロウソクのロウが、かろうじて形を保っている状況にはなるだけの時間がかかっていた。いくら鍵開けの技を教えてもらったとはいえ、実際に試みたのはこれが3度目なのだ。

「…………」

「…………」

「…………」

 思わずリルマルまで静かになって見守る中、グレンはちょっと、コツを思い出してきた。

 過去にこれを行った二度は、もう少し早く解けただろうか。思い出している余裕もないが、初めの日は泥棒と間違われた末に学んだその日だった。泥棒じゃー、と、じっちゃんばっちゃんに取り押さえられて村の牛小屋に閉じ込められ、話も聞いてもらえないうちに処刑だ何だと話が進み、これは危険な状況じゃないかと冷や汗をかき始めたとき、陽気な真犯人が技を伝授しに来てくれた。助けに来てくれたといって良いのか分からないが、真犯人は楽しそうに技を伝授し、しかし生きたければ自分でやれ。と鍵開けの道具だけ置いて消えたあの最初の日、時が経つのを忘れて鍵あけを頑張った。

 そしてあとの一度の機会は、たまたま森で出合った捕獲禁止になっている動物を捕らえていた檻の、鍵が壊せない丈夫なものだったとき。その時は、鍵を開けているうちに日が暮れて、結局は不法者と戦う羽目になってしまった。

「………よし、開いた」

 小気味よい金属音が鳴る。

 グレンが更に鍵をいじると、それは牢から外れ、彼の無骨な手の中に収まった。

 そして火のだいだい色をにぶく反射する檻を開ける。

 きぃ、と鉄が鳴く。薄闇の中でもしっかりと、その中に人が二人いるのが見えた。病的に白い、二人分の人間の肌。

「大丈夫か?」

「はい」「はい」

 弱っているとは言い難い、まだ生きている声だ。だが活き活きしているとは決して表せない声で、グレンは薄闇の中に隠れながら苦い顔をして、ずかずかと二人に近づいた。じゃら、と鎖が石の床をこする音がした。音の方を見ると、少女二人が足元を指し示す。促されるままグレンは長身の体をかがませて、足かせを検分した。冷たいそれを手にとって、力づくで壊そうとしてみようとすると、塔の扉と同じように無反応で、がちゃ、とも何とも音がしなかった。

 これが魔術か。とグレンは魔石を取り出し。

「…………使い方、よく分かんないんだよな」

「え」「え」

「うん、まぁ、大丈夫、大丈夫。さっきは落としたら上手くいったし」

「……」「……」

そして少女二人の間に、魔石をぽとり、と落とした。落ちると同時に、まるで煙をためた大きな風船でもわったよう、白いもやがあふれ出す。

まぁ! と双子がそろって驚くのをグレンは笑って過ごし、魔力のもやが天井に吸い込まれて消えていくのを見守った。そして再び足かせに触れる、鍵をかけられたそれを壊そうと力を込めると、鉄がぎしりと唸った。

「いける」

にっと笑い、冷たい鉄をつかむ指先に力を込めた。太い腕に血管を浮き上がらせて、それはもろくも壊れ、はずれる。

まぁ! と双子が感激して手を取り合い喜ぶ横で、細い足首に噛み付いて離さない残りの三つも壊した。

あとはもう、逃げるだけ。

少女二人に手をのばして、捕まってきた体を抱き上げた。きゃぁ、と可愛らしい声をあげる少女達は軽すぎて、ちょっと疲れているグレンでも二人同時に抱え上げられた。そうしてとりあえず檻を出て、螺旋階段の一番上におろして扉を閉めた。檻を隠している扉は、最後に牢へ風を吹き込んで、ロウソクの火を吹き消した。

 どこからか風が入り込む塔の中には、天から差し込んでいた。その一筋の光はどこかで反射しているらしく、何本とは数えられない光明が幾筋も塔の中で伸びている。それはこの暗い闇の中で、道を指し示すように光っている。


   ***


 場面かわって反乱軍。

グレンの猛特訓を見守っていた扉は、コンコン、と見慣れない人間に叩かれた。

叩くジャックは、叩きながらここに入るのは随分久しぶりだと思った。

「カイム。入っても良いですか」

「ああ」

了承を得て執務室に入ると、まずは戸棚本棚、と目に入り、横を見ると書類の束を手にしている黒髪の男が目に入った。彼の緑色をした瞳がわずかにこちらに向いたかと思うと、すぐにまた書類へ戻った。勝手に話を切り出して良いものかと、ジャックがそわそわしながら辺りをうかがっているとカイムは眉間の皺を深め。

「何か用か」

言って、すっかり冷えている茶を飲んだ。

「グレンとクローのことです」

書類に向いていたカイムの視線と意識が、ジャックに向いた。

ジャックは素朴な若年寄の顔で、けれど意思強くカイムを見やっていた。なつかしい目だ、とカイムは思う。

「あまり無茶はさせないようにして下さい。あの子達の未来を奪う権利は、貴方あなたといえど持っていないのですよ」

カイムは興味なさげに、再び視線を書類に移して。

「心配するな」

と、それで終わりだと無言に伝える。しかしジャックは気にかけずに、まっすぐ訴えた。

「しかし、二人にばかり負担をかけているように見えるのですよ。カイム」

心配するな。と言い返して、つと緑の瞳はジャックを捉えた。

「同じ間違いなど犯さない」

確固とした声色は信用に足るものだ。それでもジャックは引き下がれなかった。

「それでも二人だけが目をつけられることに、変わりはありません」

心が目に見えるかのよう、不安と優しさが声にのっていた。真摯な心に対する礼儀を現すように、カイムは持っていた書類を机に置いた。そして椅子をかるく座りなおして若年寄を見る。なつかしい、強い眼差しだ。

それでも変わらず冷静なカイムに対してジャックは、高ぶり始めた感情に抵抗せずにつづけた。

「同じ間違いはしないと言って、君はただ気づいていないだけじゃないのか!」

「心配するなと言っている。あの二人は」

 言おうか迷った。ジャックの問う眼差しが視界の端に入り、出した言葉をなかったことにはできないと諦めて、一度息をつき、まっすぐな茶色の瞳を見据える。

「あの二人は、あいつらとは違う」

「カイムっ! それはどういう意味です!」

 年長者は一気に逆上した。当然だろう、とカイムは思うが、ジャックはそれでも理性が働いているらしく、掴みかかろうとする手は体の横に留めて握り締めていた。

 カイムは困って、溜め息をつき。

「勘違いするな。あなたの息子を悪く言っているのではない。ただ、あの二人は普通でないから大丈夫だろうと言っただけだ。心配には及ばない」

 ジャックが握った指先の爪が、てのひらに食い込んで皮膚を貫きそうだった。それでも高ぶる感情が痛みを麻痺させ、爪の食い込む痛みはわずかしか伝わらない。反乱軍の年長者は声をふるわせて。

「普通ではない? それをあなたが言うのですか、カイム。この世に特別な者など居はしないと言ったのは、あなたではありませんか」

 拳にさらに力を込めた。

 痛みは感じない。

「彼らだって普通です。ふつうの人間だ。どんな立場でも、どんな力があっても、人間は人間です。そのわくを抜ける事はできません」

 キッと睨みつけ。

「殺されれば死ぬ」

 睨む先の、落ち着きはらった緑の瞳。ジャックの心が荒ぶる。

「二人を死なせたら許しませんよっ!」

 室内いっぱいに響く声が、カイムの耳をキンとさせた。疲れたようにカイムはひとつ息を吐いて、ほんの少しだけ悲しい思いと一緒に、真正面に立つ男を見上げる。組んでいた足を解き、なつかしい気分で。

「ジャックさん」

 丁寧な言葉が、古い記憶を思い出させた。

「だから私は、ここに来るなと言ったのです」

 昔の記憶を引き出したジャックは顔を渋めた。

 カイムは変わらず落ち着いた眼差しで。

「あなたは、死線をくぐり抜ける勇気を知らない。命も惜しまず戦う覚悟を知らない。知らなければ理解できないでしょう。あなたは平和主義だが、我々は命を奪い合い、時には犠牲となる者もでる。それが普通と考えている。必要と思えば死を避けるつもりは無い。大きな被害を避けられると思えば、わざと力を削ぐこともする」

「では君は、他のために、あの二人を犠牲にするつもりですか」

「我々は反乱軍です」

 言いながら、カイムは内心で動揺していた。冷たく言える自分の声が、自分でも恐ろしい。

「反乱軍とは古きを滅ぼし新しきを建てる者のことです。それは破壊者だ。破壊するものが、されるものより犠牲が小さいと思っているなら、それは見識が狭すぎます。我々とて古いままで問題が無いならそのままにしたいと思っている、その心をまず殺して行動するのです。変化を、何に変えても必要な行為だと意思を強くするのです。すでに自分の一部を殺している。だから死をも恐れない。そしてたとえ無傷で成し遂げても痛みがある、それが反乱です」

 ジャックは言葉が無かった。反乱について、無意識で分かっていることを、あらためて言葉にされると意味が増す。

 カイムは更に続けた。

「死を覚悟しているものの死など、気にしないようにしなければならない」

「………」

ジャックには思い至っていなかったこともあって、自分の意思の弱さを知った。カイムが正しいとは分かって、でも許容しきれず心が痛む。

 それに気付いているのか、カイムの声が少しだけやわくなった。 

「それを許容できないのなら、あなたは今からでもリカサスの村へ行ってください。ダリシュを狙い、奴に逃げられれば、これからは我々を本気で滅ぼしにかかってくるでしょう。そうすれば狙われるのは我々全員になる。犠牲も増える」

「……そうやって」

 ジャックは苦しげに呟いた。

「また私の手の届かないところで、大切な誰かが息絶えていくのを見ていろというのですか」

 悲しげに顔を歪め、背ける。

「また私は逃げろと言われて、除け者にされるのですか」

「………」

「覚悟が足りていないのは分かりました。足手まといなのも分かっています。何の力もないことも。それでも私は、若い者達が死んでいくのが苦しいのです。それも、皆を犠牲にして守られているなんて、こりごりなのです。カイム」

 だから、とカイムを見やる。

「囮に誰かを出すことになれば、私を出しなさい」

 声にも眼差しにも表情にも、確固とした意志が宿っていた。まっすぐに突き進んでいく眼差しに、今は何にも怯えない覚悟が宿っている。

カイムは予想していたのか、うろたえはせず、けれど声を弱くして。

「ジャック、馬鹿を言うな」

「私は十分に生きたから、良いんですよ」

 笑う声色が、カイムの耳に痛く響いた。消えないその声を振り払うよう、カイムは。

「まだ腰も曲がっていないでしょう」

 カイムは手を動かして、その綺麗な顔を覆った。手で隠れる口から出る溜め息の変わりに、その全身から疲れが滲む。それでも動揺も混乱もない声色で続けた。

「撤回してください。あなたを囮になど出したら、私はロウとケミスに、なんと弁明すれば良いのですか」

「そのときは私が弁護しますよ」

「期待できないな」

 はっきりと言い切られて、ジャックは苦笑する。そして穏やかに。

「こんな私にでも、あの子達は言うことを聞いてくれましたよ」

 穏やかな表情は、昔を思い出しているからか。

カイムの顔を覆っていた手に力が入り、爪が食い込むように頭を掴んだ。掴んだ手の下で開いた口が出した声は不本意にも、かすかに震えていた。

「………馬鹿な真似はよして下さい」

「ははっ! なつかしい声ですね、カイムぼっちゃん」

陽気に笑った声が響く部屋は、逆に寂しさが充満した。

それに気付いて、むしろジャックは吹き消すように明るく。

「ヒーローは自分を犠牲にしてこそヒーローなのだよ」

 ヒーローとやらを気取っている声で続ける。

「囮が必要にならなければ、良いだけのことだろう? 違うかね。カイム」

「簡単に言ってくれる」

 頭を掴んでいた手を解いて、緑の瞳は再びジャックを見据えた。

「囮を出さなくとも、それでも犠牲は出るぞ」

 脅すような低い声は、他の何の言葉よりも強く人の耳に届く。ジャックは鷹揚と笑った。

「あなたには劣るようですけれど、これでも覚悟をしてここに来ました。だからこそ、二人にだけ重荷を背負わせるのが間違っていると、そう思うのです。これはただの直感で、説得の言葉は何もありませんけれど」

「………」

 ジャックは年をくった手を伸ばして、そうっとカイムの頭に乗せた。なつかしい、とまた思う。昔にジャックを雇っていたカイムの父のことも思い出して、彼に似てきたカイムの、ジャックの腕で隠れる眉間はきっとひそめられているだろうと思うと面白かった。

「カイム、私のような男でも、生きただけの経験はしているのです」

 触り心地の良い黒髪の頭は、子供のそれより大きいが弱さを感じた。耐えることができたところで、辛いことに変わりは無いのだろうと心の片隅でジャックは思う。だからこそ、三年前のあの日、カイムは無感情で反乱を起こすと言ったのだろう。

「ははっ。私は大丈夫です。死の恐怖より、求婚の答えを待っている間の方が怖いですよ」

 いつくしむ眼差しは、かつて息子に向けたものと同じものだ。

「……年寄りを甘く見てはいけませんよ。カイム」

言って、頭をくしゃりとなでて離す。再び見えた緑の瞳は、不機嫌に歪んでいた。

カイムは、はぁ、と投げやりな息を吐く。

「こらカイム。溜め息ばかりついていると運が逃げますよ」

「誰のせいだ」

「う……」

「用が済んだなら出て行け」

 カイムは机に置かれていた書類を再び手にして、また視線を書類の上で泳がせた。

「そ、それでは、そういうことで・・・」

 本当は小心なジャックは、そう言っていそいそと執務室を後にした。出てからの足取りは、来たときより重くなく、軽くもなかった。

「………」

 ジャックが出て行き、扉が閉まり、再び外と遮断されて、カイムは書類を机に置いた。椅子を深く座りなおして、机の上で肘をつく。手を組んで、困った顔をした。

「さすがはお前らの父親か」

 組んだ手に額を乗せて、目を閉じた。昔を思い出して言葉が溢れる。頭に思い浮かぶ顔は、もう見られないけれど。そこへ向かって胸の内をはき捨てる。

「勝手に決意し、突っ走り、問題ばかり起こす。感情に忠実でろくに頭を使わない馬鹿者だ」

 誰もいない部屋で悪態をついて、今は亡き友を思い出す。ロウは父ジャックに似て、凡庸でおっとりした顔立ちだった。その似た顔には、さっきのジャックと同じような決意を宿し、父親より行動的な人物であった。

 その弟ケミスはジャックに似ず、母に似た。それでも同じ薄茶色の瞳は、時折強い決心を見せていた。そうして死んでいったのだ。

「…………………なぜ最後まで、馬鹿でいてくれない」

 どこか間抜けな似た者親子はいつも義に突っ走って。

だましたいときに察しが良い。

「策をねるか………」

 どんな策でも死はつきまとうけれど、なるべく誰の心も殺さない方法があるかもしれない。

「……」

 そう考えて、まず自分の心が救われた気がした。



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