乱の22 ファレスティーナの第二王女
涙というものを、知らずに育った報いなのでしょうか。
体からは、気力というものが消えてしまった。
涙というものを、知らずにいたことはそれほどに悪いことなのでしょうか。
わたくしは、ただ生きていただけなのに、ただ愛しただけなのに。
「お父様・・・・」
わたくしは、あなたの娘にございます。
あなたに言われるまま、ただただ生きてきた娘にございます。
それでも、不自由は感じませんでした。
囲いの中は自由で、それはとても心地よいもので、
だから、囲いから出ることなんて考えもしませんでした。
「お母様、お姉様」
会ったことのない母と姉は、囲いの外にいると聞いて、始めて出たくなりました。
でも、お父様に止められて、苦心なく諦めました。
知らぬものよりも、今ある大切なものの方が大事だったから。
「アルゼム・・・・」
あなたを、わたくしは愛しました。
お父様に止められて、以前のように諦められるかと思ったけれど、諦められなかった。
心が痛んで、必死にそれを止めるの。
囲いの外に、あなたがいる。
そこは私の知らない世界。私を怯えさせる謎の世界。
知っただけで、私は涙を知りました。
私は迷いを知りました。
私は私を守ってくれた過去を、捨てたいと思う、身勝手で醜い自分を知りました。
知って、迷い、身動きを取れなくなって、只々お父様に言われるがまま、今もこうしてここに居る。
なのに、囲いの心地よさに浸かりながら、またこうして外を見てしまう。
格子のついた窓は大きいけれど、狭くて苦しい。
窓を開けると、私の心を表すようにレースが外に吸い込まれていく。
同じように格子の間から外に手を伸ばしても、掴めるのはただ虚しいばかりの虚空。
「アルゼム・・・・」
あなたに、会いたい。
只の一日も傍にいられなかったのに、こんなにも恋しい。
リン
澄んだ音がする。
リン
銀の鈴の音が聞こえる。
『持っていなさい。少しは寂しさを紛らせてくれるでしょう』
静かな声が蘇る。
本当に、彼に会わせてくれるのですか。
本当に、彼に会えるの?
『貴女が、私の願いを叶えてくれるなら』
薄く微笑んだ顔が蘇る。
言葉の指す意味とは違って
やさしい、やさしい笑みだった。
「アルゼム」
どうすれば、わたくしはどうすれば良いの?
リン
澄んだ音がする。
澄んだ音色は、彼の声にとても似ている。
『我が未来の時を、あなたと共に』
涙が、頬を伝う。
「アルゼム・・・・」
彼の口付けが降りた手に感じるのは、体に触れる空気とは違う、熱い空気。
強い日差しに晒された手が焼かれる。
小麦色の肌が、彼との距離を感じさせ、時間と共に彼は幻であったような気にさえなる。
熱にやられて、手を外から引っ込めた。
囲いを破る勇気は灰となり、風に飛ばされないように必死に涙で重みをつける。
「怖い」
怖い、恐い、こわい。
私にできるの・・・・?
それは、私にできることなの?
神さま。神さま。神さま。
貴女の御神託は、本当に正しいのですか?
私で、合っているのですか?
私に、できるのですか?
「アルゼム」
怖いよ、アルゼム。
「たすけて・・・・」
ここから私を連れ去って。
『辛くても、逃げてはいけないよ。これが貴女の使命だ』
私には、できません。私には、何もできない。何の力もないんです。
だから、そんな目で見ないで。
その目で見られると、逃げられなくなる。
『ごめんなさい。大変な未来をあなたに押し付けてしまう・・・・・
それでも、貴女でなくてはいけないんだ。貴女以外には成りえない』
私は、世間も知らぬ娘なのに。
何もできない娘なのに。
金の瞳が、頭を離れない。
「アルゼム」
愛しい人を呼べば、頭に張り付いた金の瞳が消えて漆黒の愛しい瞳が浮かんだ。
闇の瞳は、やすらぎをもって脳裏に張り付く。
夜が、夜闇が怖くなくなったのは、彼に出会ってから。毎日訪れる夜が待ち遠しくなったのは、
彼を思い出すからなのか、眠りが恐れをさらってくれるからなのか。
「会いたい」
あなたに会いたい
会いたい
会いたい
だから
だから私は・・・・・・・・・・・・・私は・・・・・・
「・・・・・・・・・・・・できない」
でも、私が、父を・・・・・・・でも。
『貴女にしかできないの。私が選んだんだ、間違いはない』
「やめて!」
言い切られた言葉の印象が強くて頭を離れない。
本当に出来るような気にさえなってしまう。
「わたくしにはできません。できないの」
自分で分かった。抵抗する言葉が弱い。
涙が溢れて止まらない。
「アルゼム・・・・」
優しく微笑む白肌の彼を思い出せば、同時に同じ肌色の神を思い出す。
漆黒の瞳を思い出せば、漆黒の髪を思い出す。
脳裏に輝く金色と、漆黒の闇色がちらつき、張り付いて離れてくれない。
『勇気を出して。これは真実を見極められる、貴女だからこそできること。
ファレスティーナ嬢、貴女だけにしかできない。もはや「嬢」と呼ぶのも気が咎める・・・・』
信じられない。私はただ、突然現れたあなたに、弱音を言っただけなのに
どうしてそう言い切れるの。どうしてそんなにも信じきった顔で私を見るの。
私は、歴史も、王学も学んでいないわ。
政には関わりもしてこなかった・・・・・出来るわけがないのに・・・・
『やらねばこの国は名を変えることになる。それでも、良いの?』
神は身勝手・・・・私も、身勝手。
でも神は先の事を思っている、私は・・・・・・・わたくしは、逃げているだけ。
『タルタス王国第二王女ファレスティーナ。女王となりこの国を正しなさい』
神託が、重い。
おもい。
「お父様・・・・・」
わたくしはどうすれば
「アルゼム・・・・・・」
玉座というものは、血だけで座って良いものですか。




