乱の19 おかえり
反乱軍アジトの玄関口である酒場の外は、王都と思えない荒廃した町である。表通りから少し離れただけの、けれど誰も近寄る者は無い裏の町。人が寄らない理由は簡単で、伝染病が流行っているからだ。
しかしそれは嘘だった。アジトの場所を決めたとき、まず手始めにカイムはその噂を流させて、三日で人はいなくなった。人の手がなくなった町の荒廃は早く、今では人が消えて何十年とたっているようにさえ見える有様である。長い時を雨風に晒され続けた町の外壁は黒く薄汚れ、鉄が素材の物は赤茶に錆び付いて昔は白かっただろう薄汚れた外壁と錆の色は、人の手では作り出せない独特の雰囲気を持ちさえして、荒んでいても美しかった。先刻から吹き乱れる雨風は、多くの町にとって良くないものであるのにこの裏町には良く似合って、情感を刺激する。光を反射することの無くなった色の町は、光を隠す力に長けて茶の色に変色したガラス窓は金の色を隠しつつも、僅かに淡く色付いていた。
滝の如き雨足は弱まることを知らぬのか単調な響きを窓の内にもこもらせて、時折聞こえる風に飛ばされ転がるバケツか何かの物音が、響きに変化をつけていた。窓の外には雨足のみが、窓の内には更に人々の話し声が入り混じり、晴れ日の喧騒とは違う空間がつくられている。その中にこそ、変色した窓に張り付いて外を眺める少女がいた。
雨に濡れた窓では景色の見えようはずも無いが、それでも幼き子供は何かを注視して真剣な顔をしている。瞳が捉えるのは窓を流れ落ちる雨水の波か、それとも常とは違う世界の景色なのか。好奇心の絶えない子供は小さく熱い手を窓にぴたりとはりつけた。外と内が交わらぬよう遮断するガラスは冷たく外の激しさそのままに雨と風に襲われて、かたかたと小刻みに震えている。新たな発見に少女の頬が笑みに綻び、瞳には興奮の光が灯った。
刹那、変わることなく続いていた単調な響きが小さくなった。触れる窓の震えも止まった。
何が起きたのか、キョトンと呆ける少女の上に暗い影がかかる。
「窓、開けてみるか」
朗らかに笑うダンクルートという男が少女に言えば、小さな手が鍵を外そうと懸命にもがく。
男が手伝い、壊れそうな音をさせながら窓を開いて見えた世界は異様。
雨風は変わらず荒れ狂っていたが、酒場の前は降りやんだ空間が広がっていた。止んだかと思って見上げれば、上方では変わらず荒ぶる世界が広がっている。それはくっきり途中で区切られていて、まるで半円状にガラスが張り巡らされているかのよう、謎の洞窟が出来上がっていた。
常識の範疇を超えた光景に男が見入っていると、それでも変わらず暗い外の世界に金の輝きを持つ少女が躍り出た。
「アリス!」
慌てて後を追って、隣にしゃがむ。
「戻るぞ、いつまた荒れ出すか・・・」
「クロ」
少女が満面の笑顔を道路の奥へむけた。
「グレン」
ダンクルートは事態を理解した。
少女が走りだした先に視線を送る。白い軍装の長身の男と黒いローブを着る少年が目に入った。
豪雨の中に現れた小さなトンネルの中をまっすぐに走る少女は、どれほど彼らの心に安らぎを与えているだろうか。微笑ましい姿にダンクルートの顔にも笑みがこぼれた。
待ち人たちの予定よりも遅れた帰りに小さな安堵の息をついて、自分も後を歩く。道の先では小さい方の帰還者が更に小さく屈んで少女の出迎えを受けとめていた。少し離れた場所にいる男にも少女が「おかえりなさい」と言ったことが聞き取れる。
少年が「ただいま」と答えれば、少女はクローの腕の中を離れて長身の男を見上げ、再び「おかえりなさい」と笑いかけた。長身の帰還者は、低いアリスの高さに合わせて膝を曲げ、金の髪をくしゃりと乱すように手を置いて、ダンクルートの場所から見ることはできない満面の笑みで見上げているだろう少女に。
「ただいま」
とグレンの低く明朗な声が贈られた。えへへ、と少女が笑う声が頭上から降る雨音に混じる。少女が少年へ向き直ると、可愛い出迎えを受けていたグレンがすっくと立ち上がった。目線の上がった長身の男とダンクルートの目が合って、茶髪の男が人の良い顔でくしゃりと笑うと、灰色の彼も素朴な顔の笑顔を送った。嵐の遮断された世界の中には、過ぎ去った春が戻ってきているようだった。
***
「リース、水もう一杯ちょうだい」
「はいよ」
水差しの先がグレンの手元に向けられる。
注ぎやすいように青年はグラスを持ち上げた。
「グレン、どうしてクロがおこられてるの?」
アリスは首をかしげて、不思議そうに地下の酒場で繰り広げられている説教現場を見る。
「それはね、クローが黒い服ばかり着ているからだよ」
「くろい服きているとおこられちゃうの?」
「それはね、お城に探検に行って隠れているときだけだよ」
「おしろでくろい服きちゃだめなの?」
くすっと笑う声がカウンターの中から漏れた。
「それはね、隠れているのでなければ良いのだよ」
アリスは訳が分からなそうに首をかしげて、興味が失せたのか自分の手よりずっと大きなグラスをもてあそび始めた。
リースがカウンターの中でカチャカチャと音をたてながら苦笑する。
「黒いからって訳ではないだろうに」
「ま、そうだけど」
「子供だからって、でたらめ言ってたら変に覚えちまうんだよ。気をつけておくれ」グレンは水を一気飲みして。
「あいよ」
了解しつつグラスを再び差し出した。
リースは呆れたように笑う。再び水をもらうグレンに、アリスの物足りなさげな瞳が向いた。
「・・・・クロ、いつになったらあそべるの?」
「それはね、カイムさんのお心次第だよ」
巨大な氷の入ったグラスは、次第に消えかけていた水かさを増していく。
八分目ほどで銀の水差しがカウンターの奥に戻っていった。
「ふぅん・・・・あ。ダンクちゃん」
木製の扉が開かれて大柄な男がずかずかと歩いてきた新たに店内に現れた巨漢を見て、グレンの声が店内に響く。
「ダンクちゃん??」
ははは、と豪快な笑い声が返ってきて、噴き出して笑う青年をよそに、茶髪の男は目線を少女に移す。
「おぅアリス。まだクロー待ちか?」
「ううん。くろい服きてるクロはまだあそべないって。だからまつのやめたの」
「?そうか・・・?」
アリスの不思議な解説に首をかしげながらも、ダンクルートはカウンターに着く。時を待つことなく慣れた手つきでコトリと湯飲みが彼の前に置かれて軽く礼を言うと、席の隣でグレンが身体を震わせていることに気がついた。そんなに「ダンクちゃん」は意外だったのかと己も笑いながら出てきた熱い茶をすすった。
そんな、のほほんとした場所から少し離れて酒場の壁ぎわ二人席には、ズンと重い空気があった。
「ごめんなさい」
「謝って済むと思っているのか」
膝をそろえ、その上に両手を置いた状態の少年がひとり。
卓上に両肘をついて指先を組み、少年を見据える男がひとり。
「思ってません」
ぽつりと、反省の色のこもる声がひとつ。
声が聞こえて、こぼれた溜め息がひとつ。
「・・・・用心しろと言っただろう」
「暇すぎてつい」
「暇だったというのはお前のせいではないが、だからといって寝ることは無いだろう」
「そうですね」
「今回のことで予言師にまで危機が迫った。白い軍装の男が来なかったか質問にあったそうだ」
「・・・・大丈夫なんですか?」
「問題ないと報告が来ている。報告できるという事がなによりの証拠だな」
「そうですか。よかった」
「侵入したと見つからなければ、その心配もいらなかったのだ。己のしたことの重大さを分かっているな」
「はい・・・・すみません」
話はまだまだ終わらない。
灰色の男は、赤き血が残る白い軍装のまま高い丸イスに座り。二人を傍観していた。
右手で水の入ったグラスを持ち、時折中の氷をくるりと一回転させる。
「なーんか、お父さんと息子って感じだな」
穏やかに隣の男に言うと、眼下を金の輝きが流れていった。金の輝きは隣の男の前も通り過ぎ、少しすると母子の会話が聞こえてきた。
「はっはっはっ、そうも見えるな。カイムもついに子持ちか!まだ婚姻もしていないのになぁ」
笑いながら眺める先の黒服は、ほとんど微動だにせずカイムと対談していた。わき腹付近のローブは深く斬り裂かれている。中に着ていたらしき白い布も裂かれ、布の奥に肌の色が僅かに覗く。危うく怪我をしていたかもしれない姿にダンクルートの心が詰まった。
「で、結局なにが原因だったんだ?」
窓の外では豪雨のために外へ出られず、訓練場でもある広場で遊ぶ子供の姿が見えた。巨大な炎の明かりに照らされ、笑いあいながら追いかけあう子供は12・3才程か、説教中の少年より2、3幼いくらいだろう。
「あいつ、城に行ってたとき居眠りしてたんだって」
「は?」
走り回る子供達は動きを止めて丸く固まり、話し合いを始めた。
「で、敵に見つかっちゃったと」
「そりゃ見つかっちまっても仕方ないわな」
ずず、とダンクルートが茶をすする。
「でもさ、少し危なかったわ」
その言葉に、先程見えていた裂け口を思い出し僅かに表情が曇った。
窓の外にいるまだ幼さの残る少年少女は、一人を残して辺りに散らばった。
残った子供は顔を片腕で隠しており、いじめられたのかと眺める男は心配する。
「ま、ちょいとは痛い目にあわせたほうが良いかもな。人生経験として」
「今の方が経験になってるぞ。きっと」
「違えねぇ!ははははは」
取り残された少年は、突然腕を下ろすとゆらゆら燃える明かりの中に笑顔を現した。一度周りを見渡すようにくるりと回り、酒場に背を向けて走り出す。
かくれんぼをしているようだ。
「さぁてと、さすがにお説教長ずぎだし。お助けに参ろうかな」
「でもお前、お前があいつ残したのが原因なんだろう?巻き込まれる覚悟しておけよ」
そう言って、量を足して貰った茶をすすった。
「あんた、人事だと思って楽しんでるでしょ」
「ははははは、自業自得って奴だな。まぁ頑張れ」
豪快な笑いに送られる青年は苦笑をして、笑う男の前を通過する。こつこつと音を鳴らして、木の張られた床を歩いていった。細かい刺繍が施されたちょっと高級そうな服の肩、逞しいそこにぽんっと手を置いた。
「よう」
呼ばれて深い緑の瞳が横に動き、すぐ定位置へ戻った。
「何の用だ」
「そろそろそいつ開放してやってくれねぇ?アリスが待ちくたびれちゃってんだよ」
室内でも室外でもかまわずフードを被る少年が、ほうけたようにグレンを見上げた。ゆいいつ覗く口が、ぽかりと開く。
「もとはといえばお前が原因だろう。そこの謝罪は無いのか」
「あぁ、悪かった。話聞いてなかったことは謝るよ、ホント」
グレンは乱れた髪を掻いた。
カイムは思案するように組んでいた指の上に額を乗せる。しばしの沈黙が流れた。
「・・・なら、次はお前一人でやり遂げてみろ」
「は?」
「予言師の妹を、お前一人で連れてきてみろ」
「は?そんな事できるの?」
「私が訊ねているんだ」
困惑するグレンと高圧的なカイムの会話を、正面に座する少年があっけにとられて見守る。だがすぐに半開きになっていた口を引き結び、理解が及んだのか微笑を形作った。
「どうせ顔は割れているんだ、いっそ派手に力を見せ付けるのもまた一興。お前ならできる」
「いやいや、なんであんたの遊びに付き合ってやらにゃいけないの」
「遊びじゃない。真面目な話だ」
「さっき一興って」
「圧政に苦しむ民衆に愉快な話題を提供することも必要だ」
「愉快のために俺が犠牲になるのかい」
とん、とグレンは卓の上に左手をついた。水の入った二つのグラスは卓がゆれた振動で、水面に波紋をつくる。
「犠牲ではない。力のみせしめだ」
緑の瞳は冷静なまま、波紋を作る水面にピントが合わせられた。冷たい反応に、グレンは言葉に棘を含めて。
「そんな事したら、城の警備強化されるぜ」
「こちらにはクローがいる。城外の警備を厚くして内部の警備を緩くしてくれれば、むしろ有利になる」
「・・・・魔術でパッと中に行けちゃうからね」
「そういうことだ」
「それに、万一攻め入ることになったとき、城内の警備まで厚くなっていても、グレンさんと僕が出て行けば、騎士を含めほとんど全ての兵が集まることになるでしょう。その隙に他の人たちは難なく攻め入ることができる。陽動作戦には、有名で、強いと評判がある者ほど『おとり』としてはうってつけです」
少年の声が割り込んで、グレンは観念したように深いため息をついた。カイムは幼さの無いいつもの少年に、小さな哀しみを覚えるが表情には出さず耳を傾けた。何がこの少年から純粋さを奪ったのか。ある程度の予測はつく。なにせ魔術師なのだから。
「俺、君を助けに来たんだけど・・・」
見事二人にはめられることになったグレンの呟きに、少年の緩やかな笑顔らしきものに口元が変わった。
「ありがとうございます。すごい、嬉しかった」
ふわりと笑って言う少年は、小さな救いを得たように出会ってから一度たりとも完全に消えることの無かった緊張を解いている。予想だにしていなかった反応に、大人二人は機能を停止した。
二人の反応が愉快なのか、少年の笑顔は更に深みを増す。少ししてカイムが薄く笑い、グレンが少年の頭の上に手を置いて笑いながら、置いた手の下に髪がないのが物足りないがくしゃくしゃに頭をかき混ぜた。
「何するんですか」
言いつつもされるがままに頭をまぜられくすくすと、少年はいつに無く純粋な笑い声を上げた。顔は隠されていても表情というのは分かるものなのだと、グレンは笑い返しながら思う。それは嫌な発見ではないようで、難業をせねばならないことに抵抗がなくなっていた。
「しかたねぇな。弟分に免じてやってやるよ」
棘の抜け落ちた声に、カイムが笑んでいた顔を引き締めた。「できそうか」と問えば「情報があれば」と返ってくる。
「奴の情報なら常に集めさせている」
「なら平気かな」
ニッと笑う青年の顔には、憂いの色など微塵もなかった。
手の下で少年が、子供らしくハハと笑った。
***
薄く黄みがかった土色の壁。聳え立つ見張り塔。
町の端々では紫色の布地に海龍の描かれた国旗がはためく。朝の仕入れを済ませた商人達が、目を見張る速さで店を急設し大通りを埋めていく。街の中を、作られた小さな川が心ばかりに流れて、暑さにやられた人々が足を浸して涼んでいた。
5つの大国がひしめき、世界最大の大きさを誇る大陸ヴィヴェン、その極南に位置する大国カーサムの王都・リックランがこの場所だ。国土の半分をタルタス国に奪われた国の中枢は、商人たちにも引けをとらぬ速さで動き出していた。
「陛下、本日はタルタスからの使者が御出でになられます。我々で対応いたしますので、陛下が苦慮なさる必要はございませぬ。いつものように、悠然とお構えになってお座りくださいまし」
「・・・・・・・」
つらつらと毎朝同じ台詞を飽くることなく言う次官は、表情一つ変えずにいつもの言葉を最後に残す。
「くれぐれも、ご勝手な行動はなさらないようお願いいたしまする」
「・・・わかっている」
光が当たると紫に艶めく黒髪の王は、髪よりも色みの強い紫を宿す瞳をいつものように光ないまま次官へ向けた。憂いの色など気にもせずに次官はやる事を済ませると退室の許しを待たずして王の自室を出て行った。好き勝手に王の自室に出入りすることは禁じられているというのに、王が咎めることをしないので暗黙の内に許されていた。
「・・・・・・・・・・・・」
見た目にそぐわず誇示することを是とせぬ王は、いつものように何事も言葉にすることなく窓の外に広がる大空を眺めていた。
鳥が二羽、互いを確認するようにじゃれあいながら飛んでゆく。




