乱の18 *注意*引き続き苦手な方は読んではいけません!
俺は定年間近の中年だ。
今日も暇を持て余していたが、珍しく騒ぎが起きたんでここまで走ってきてみた。なんてことも無い、騎士が現れるまでの追い詰め役だと思ってたのに、なんでアレが襲ってくるんだ。なんでアレがこんな所に。大量にいるんだ!
「ひぎゃぁああ、なんでぇぁああ」
黒いそれはわらわらと、さかさかと群れをなして襲い掛かってきた。最早それ以外は分からない。周りが騒がしい気もするが、そんなものは聞こえない。カサカサという音が異様に耳について寒気がする。黒い波がやってくる。これは地獄絵図だ。そうに違いない。絵の中に入るたぁ、俺も妙なモンに巻き込まれたものだ。
「逃げろぉ!!」
その通りだ。これは敵わん。いや、敵わなくて良いから関わりたくない。
逃げようと振り返ってみれば、大勢の仲間たちに出会った。
あぁ、なんでこんなにいっぱいいるんだろう。
逃げ場を求めてもう一度前を見る。
「ひやぁぁぁああ」
ふと入り込んできた悲鳴と共に、黒い悪魔が手と頭と、というか全身にひっついてきた。
お、おい、うそだろ!やめてくれって!おい!!
髪が!俺の髪がぁ、汚れでハゲたらどうしてくれるんじゃぼけぇ!!男だってなぁ、男だってなぁ、髪は大事なんじゃあぁぁぁ!
「ぐるなぁ!!」
何とか逃げようと逃げ道を探して辺りを見回すと、前方で楽しそうに笑いながら走り去る小さな魔術師の姿が見えた。
「きっさまぁ!!ゆるさにゃあぁぁあぁ~」
顔に来るな顔にぃっ
ええい、こうなったら自棄だ。顔についている塊をむしりとり、足に全力を込めて準備完了。
「うおぉぉおぉお正面突破ぁぁぁあぁああぁ」
逃がさんぞ極悪非道魔術師め!
ぎゃぁああ口はやめてぇ
くっくっと声を抑え喉で笑う。少年を咎めるべき仲間は既に戦闘を開始していた。
兵の一団は怒りに顔を赤く染め、ジトリと黒いローブに身を包む少年をねめつける。
「なにを笑ってやがる!」
顔からして頑固そうな兵が声を荒げた。足元には小さな黒い昆虫をくっつけたままだ。黒に身を包む少年は笑いを堪えるように俯けていた顔を、非難した男へと向き直った。唯一のぞく口元がひくついていた。
「面白くて、つい」
「面白くねぇよ!」
「でしょうね」
クローは緩んでいた口元を引き締めた。雷が姿を現す前の空気のような、張り詰めた気を醸し出す。
「アレの襲撃を終わらせて、仲間を救いたければかかってきなさい」
未だ少年の腕に纏わりつく魔力の渦に腰の引けていた兵達は、一瞬戸惑った後で腕に力を込めた。引いていた腰を剣を支える位置に移動して、一番最初に行動を起こしたのは先程の男。威勢の良い声と共に敵へと斬りかかった。少年の魔力が込められた風が猛烈に吹いた。身体を後方に吹き戻されて、兵の壁をも突撃して崩し、何度か床を擦るように背をぶつけて停止した。
衝撃は止まってからも男の胸を圧迫し、肺にある空気が押し出されて咳を繰り返した。なんとか意地で力なく立ち上がる。再び仰向けに倒れた。黒の魔術師は何もしていない。
「くそっ」
兵たちの顔色が不安に染まった。苦しそうに天井を見上げる男を一瞥して、視線を黒の魔術師に向ける。知らず知らずの内に足を引いた。
「逃げるんですか?」
一人の兵士が煽る少年の言葉に斬りかかった。台風に飛ばされる木の葉のよう無力に吹き飛ばされて、あえなく撃沈する。強大なる嵐の中では舞うしかできない木の葉同然の兵たちは、葉を噛み締めて形だけの闘志を、剣を構えて見せつけた。
既に敗北していた。
「突撃だ!大勢でかかれば、なんとかなるかもしれません」
声の主はまだ幼さの残る少年兵だった。名をリューグという。
黒い髪に同じく黒い瞳を持つ少年兵は、しかし発言したとたんバツの悪そうに縮こまってしまった。兵たちは意表をつかれて静まり返り、辺りには激しい雨音と侵入者の片割れが騎士と織り成す甲高い(かんだかい)合奏のみが響く。長いような短いような時間が流れる。
「・・・そうだな。ものは試しだ。やってやろうじゃないか」
少々歳のいった、おおらかな雰囲気を放つカールという男。もうじき引退を控える力の衰え始めた老兵だ。今城に残る兵ほとんどが老兵と少年兵だった。反乱軍は図らずも良い時期にあたったのだ。力ある年代は城を離れて戦場にいるか、力を蓄える為に養生している。それでもカールは日々鍛錬を怠らず、皆からの信も厚かった。
「でもなぁ、どうせ敵わねぇよ」
垂れ目・眉の男が光の宿らない瞳で否定した。ベリオという。いつも文句ばかりの奴だった。
「つまらねぇ事言うな。やってみなきゃわからんだろう」
「そうだけどさぁ」
「やりたくねぇならお前は下がりゃいい、俺ぁ行くぞ」
「そんな言い方しなくても良いじゃないか・・・いいよ、やりますよ、やれば良んだろ、やれば・・・・」
卑屈でも了解の言葉が聞こえて、賛成しがたい雰囲気に呑まれていた兵達も賛同する声を上げた。兵たちの視線を浴びる少年兵は照れ笑う。
「が、頑張りましょう。みんなでやればなんとかなる・・・・・かも」
皆が頷いた。一団は黒の魔術師に真正面から向き合った。最初に集まっていたときよりも団結力の生まれた群れを見て、面白そうに事の成り行きを見守っていた少年はくすりと笑う。
「手加減はしませんよ」
バルコニーから吹き込んでくる風に魔力を込めた。己を中心にした風の渦が石壁を削る。
「行くぞぉ!」
一団の先頭にいるカールが黒の魔術師へと突進する。他の兵たちも続いた。
「覚悟!」
少年のもとに逸早く辿り着いたカールが剣を振り下ろす。襲い来る風が頬を打撲のように打つ。振り切る前に飛ばされて、体は後方に移っていた。兵は臆さなかった。気合いっぱいの声と共に次々と襲い来る。少年の敵ではなかった。それでも少年は楽しく感じた。やる気の無いものに勝つより余程、戦っていると感じた。手を抜けば自分がむこうの立場になりそうだ。溢れる笑顔で兵を吹き飛ばしていく。
「クロー!」
聞き慣れた男の声が届いた。切羽詰った声に続いて、後方右側から剣が空気を斬る音を耳が捉えた。小刀を右の利き手に握った。斬撃の音のする右側へ運ぶ。己の服を突き刺して攻撃を受け止めたが力負けする。全身の血が瞬時に巡り、寒気がした。
「ちっ――――」
舌打ちして飛び退る。同時に金属音が響いた。迫っていた剣は、グレンの剣に弾かれて、からんからんと異様に映える金属音が響く。意識がそちらに向いたとき、騎士が倒れた。その少し後に背後からも人の気配を感じて小刀と共に振り返った。視界の端に見えた誰かの肌をめがけて小刀を振り、即座に人を殺せるほどの風圧と、雨を増幅させた水の粒をぶつける。吹き飛ばされていく兵たちは、騎士が負けたという有事の事態に愕然としていて、風に飛ばされるまで少年を忘れていたようだった。無防備な体をたたきつけたということだ。
『無闇に殺すな』
洗脳なみに叩き込まれた言葉が蘇った。果たせないかもしれない。
それだけだった。
風に吹き飛ばされながら、リューグは魔術師を見つけた。危機などなかったかのよう、悠然と立つ小さな魔術師の周りで風と水滴が渦巻いていた。額に石が当たったような痛みと共に意識が飛んだ。水滴だった。風だけでなく水滴がぶつかると、容易には立ち上がれない痛みが伴う。
ベリオは皆より離れた場所で怯えて見守った。
離れていても当たる水滴は痛く、風は目を開けるのも難しい。兵は全滅していた。それどころかいつの間にか騎士も切り倒されていて、逃走の道が開けていた。ベリオはかろうじて開く目で侵入者を見つけた。二つの影は、雨風の踊り狂うバルコニーへ走り出ていく。
「待て!」
止まるはずもなかった。雨に入った瞬間に衣服が水を滴らせる世界へ、それは入っていく。しかし二人は穏やかさの中にあった。城に叩きつける激しい雨も、城外を旋回する怒涛の風も侵入者には届いていない。衣は乾いた風にはためいている。風船が晴天の空に浮かぶよう、二人の周囲は球を描いて雨風が遮断されていた。暗い雲と雨風に覆われた彩色の消えた世界で、丸く切り取られた平和は同化しない。自然の猛威をも無視する姿は、畏怖の念を持たせるに十分だった。二つの影は次第に高度を上げて、それこそ風船のよう穏やかに飛び去った。
残ったのは灰色の暗い世界と、血に伏せる人間と、圧倒的な敗北に晴れ晴れしささえ漂う気持ち。世界には嵐が吹き乱れている。
何かが終わった気がした。




