乱の14 目標物
(さて、確か3階だったかな。)
青年は軽い足取りで白い廊下を歩いていた。真っ白の廊下は荘厳で、けれど暖かく感じるのは、所々に走る赤い筋の御陰か。血管のように感じるそれを、血の暖かさでもって良心的に観察できるのは、やはりアルザートの血かもしれない。周りの人に聞いて意見を求めようにも、しかし白と赤の廊下には彼ひとりしかなかった。東門近くからの侵入は、まだ誰にもばれていないらしい。
しかも外に例の謎の集団がいるから、中の警備は薄かった。
(俺運良いなー。)
日ごろの行いか。とにやにやして歩いていく。
いいことだ。と一人で納得していたら
「・・・あり?」
頭にひっかかる何かに気がついた。
何か・・・そうだ、カイムが何かを言っていたのだ。警備が薄くなるとか何とか、今の状況を表す事を言っていたような気がする。・・・ような気がする、ような気がする。
「・・・・・・・。」
忘れちまった。
(まいいや、大事だと思ったことは覚えてるし)
灰色の青年は、頭に叩き込まれた地図に載る階段の方向へと足を向けた。とにかく、さっさと仕事を終わらせれば済む話だ。階段が見えてあと少しかと思ったところで、なぜか最近良く耳にする木製品の音が聞こえてきた。気を重ねて、積み上げているような音だ。つい己の右ポケットの中にあるものを確かめるように、手をズボンの横にもっていった。
(あー・・・あるなー)
確認を済ませると、疾風の如き素早さで手を放した。改めてそこにあるものを想像すると悪寒が走る。青い顔になりながら、グレンはそこにたどり着いた。
短い距離だけれども、目的地へ続く偽る旅の始まりだ。
「うわぁ!!」
叫び声と共にがらがらがらという桶の転がる音が、純白で彩られた城内の階段に響いた。密度が無い軽い音の正体は、転がっていく古い桶。12段ある角にぶつかって桶のいくつかが高く空を舞いながら落ちていった。呆然と眺めて、持ち主は顔から血の気を引く。
「うぁああああーーーーーしまったぁ!ああああ」
それでも元気におろおろと、階上の踊り場でくるくる頭を抱えながら混乱の舞を踊った。
しばらくそうして混乱して、はっと気がつき動きを止めた。頭から手を離して階段を転がった桶たちを拾いはじめる。
「ぅうー絶対また来るよー」
なぜか失敗をするたびに嫌味を言う先輩が駆けつけるのだ。
また来るだろうな、と逸る気持ちを更に逸らせて、転がした桶を重ね集めていく。何度も掴みそこねて桶を転がしているが、それが彼にとっての精一杯だ。自分が駄目なのはもう重々自覚しているから、これ以上責めて、自身を奪わないで欲しい。彼は怯える心を何とか押さえようとしながら、時々桶をておとして必死に桶の山を作っていく。そこに。
「どうした?」
前方から声かかり、あせる背中がびくりと震わせた。外敵の多い小動物のよう、身をちぢこめるがそれでも精一杯の意地なのか、ハの字になっていた眉に力をこめた。彼は鋭そうな目元を形作って顔を上げた。自分で作り上げた桶山の向こう側では、きっと、いや確実にあの暑苦しい太い眉毛と、こちらを見下すイヤミったらしい細目があるのだろう。できれば、運良く人の良い細目に出くわしたい。機嫌が良いことを願う。
おそるおそる桶山の向こう側に居る人物へと、自分の顔を見せるように顔を出していく。しかしその先に見えたのは予想の範疇を超えたもので、華やかな白い軍装に身を包んだ、色味のない灰の色を身に宿す青年だった。
地味な顔を問いかける表情に変えて、腰を屈めた姿勢でこちらをのぞき込んでいる。背が高い。
それが一番に強く思った印象だった。
「転んじまったのか?ったく、しっかり足元見なきゃダーメよ?」
ぼけっと見つめていたこちらの視線など気にした風もなく、にこやかに微笑んで青年は言う。言いながら、その長い腕と指で手際よく桶を拾い集め、桶山を大きくしていく。
「うあ!も、申し訳ございません!このようなことをしていただいてしまった!ああああっどうしよう」
目の前に居る人物は、その服装から身分の高さがうかがえた。言葉遣いこそ庶民風だが、しかしそれでも、おそらく上層部の軍人だ。軽やかな身のこなしが時折見かける騎士の立ち居振る舞いに似ている。きっと強いんだろうなーと漠然と考えながら。
「すみませんっ、すみませんっ」
と繰り返した。
「あのさ、こーゆーときは、謝られるより礼言われた方が嬉しいもんだぜ」
ニッと笑んだ顔が人間じみていて、小奇麗に着飾る普通の貴族達と違い親近感を覚えた。
不思議な二面性が自分に好奇心を芽生えさせたが、そんな好奇心は隠さないと最悪の場合解雇されかねない。せっかく頑張って城の調理師見習いになれたのに、解雇されるなんて真っ平ごめんだ。身上の者への礼儀は大事にしないと。と思う。思うのに、この身上の人物に言われたことの意味を図りかねて、どうしても間抜けな声が上がってしまった
「へ?」
何を言いたいのだろう、と数秒思案していると。
「俺時間ないから、じゃぁな少年。精進しろよー」
と言葉を残し、軽く手を上げて階上へと上って行ってしまった。
見上げて見てると、外から差し込む朝の光が、階上の踊り場で灰色の青年と重なった。色味のない青年は、淡い清浄な輝きの中で消えてしまったのかと疑いたくなるほど紛れてしまう。けれど光から抜けて再び現れた姿は、空に浮かぶ雨雲のように輝きに負けない強さを誇っている。光を吸収する色だ。時に不幸を呼び込む雨雲だけれど、時に恵みをもたらす絶対に必要な雨雲。彼はこの国でどちらの役割を果たすのだろう。
姿が見えなくなってからも、しばらく呆然と関係のないことを考えながら言われたことの真意を図りかねていた。ぼけっと見上げている彼は、しかしはっと閃いて笑った。謎を解き明かしたときの達成感が体を埋めていく。
「お礼を言えばよかったのか!」
嬉しさに自然と顔が綻んだ。なのに後で仲間に話した時には、気づくのが遅すぎだと笑われてしまった。自分としては精一杯頑張った結果であるから、そう言われると不本意ではあるが、確かに遅かったかな、とは思うのでいつも通り一緒になって楽しんだ。
その後、徐々に意識が落ち着くと今の仕事を思い出して、慌てて作業を続行する。
土台として集められた桶の下にある板を、がしりと力いっぱい掴んで持ち上げる。桶達はがたがたと今にも崩れそうに音を立てているから、落とさないよう慎重に運ばなければいけない。この桶でする夏の野菜洗いは冷たくて気持ちが良いから好きだ。だから嫌じゃないんだけど、1階に厨房があるにもかかわらず、わざわざ夏用桶を2階の倉庫に収納している事に、取りに行く下っ端としては先輩の陰謀を感じずにいられない。まぁしかし、たぶん全部まとめて移動するほうが面倒くさいからなんだろうなぁ。と彼は漠然と思って閃いた。そうだ、片付けるときに代えればいいんだ!・・・しかしそうすると桶を収納するのに、1階の崩れ落ち注意倉庫を片付けないといけなくなるのか。
「ありゃりゃ、大変だ。誰かやってくれないかな」
ああなるほど、こうして桶は未だに二階にあるんだな。
彼は考えながら感心して、危うくつま先から転びそうになった。
そんな彼を置いて行った、かの青年は上の階でちょっと驚いた顔をしていた。
歩く三階の白い廊下奥に、人影がある。
(さすがに何の苦労もなく任務完了!!!とは、いかねぇかぁ)
白い服に身を包むグレンは、フッと鼻で格好良く笑ってみた。
やれやれ、と肩でもすくめて女の子にキャーキャー言われたいところだが、あいにくそんな美貌も観客も持ち合わせていない。真白の廊下奥に見えるのは、白によく映える赤ひとつだ。それはかわいい侍女ちゃんではないことを無言で伝えている。
赤色はこの国で最も重宝される色だから、侍女ちゃんが着ることはできないのだ。身に纏うことを許されるのは軍に属する者だけで、しかも今見えているあの威厳ある深く濃く鮮やかな紅色は・・・
(騎士様のぉーおなーりー)
完璧な騎士の深紅だ。こいつは早速、めんどうくせぇことになりそうだと、グレンは笑みを深めた。面倒ごとが起きてこそ、反抗のし甲斐があるというもの。
(さてさてどうしたものか。ってやることは決まってるんだけどな)
フフン、と自然に生まれるその笑みは、後ろ暗い事をしようとしている者のものには見えない。意図せずして完璧な演技ができているのは、緊張をしない気軽く陽気な性の御陰か。
(えーと・・・・・確か王様が来たら、道の脇に避けて叩頭、で。騎士が来たら、道を譲って軽く会釈)
王への対応と一緒に覚えた知識は、一緒でないと出てこない。
(げぇ!考えてる間にやってきちゃったよ。ったく少しはこっちの身になれってんだい)
慌てて窓に背をつけた。すぐに右手の握りこぶしを左手で包み、腹の前で固定し腰から十五度、上体を斜めにする。このとき背筋が曲がらないように注意!
(あぶねぇあぶねぇ。衝突でもしたら、困ったわぁ、じゃすまねぇよ。軍曹に殴られる)
お辞儀をしたところで、騎士が視界の明確に見える部分に入ってきた。背が高すぎるグレンにはお辞儀をしていても顔が良く見え、あと一歩中央に足を進めれば、輝く金髪に鼻がかかるだろう。
そうなったらくしゃみをこらえるのが辛そうだ。
(おーおー男なのに美しいお顔ですな。さすがは騎士ってか)
「おい、お前見ない顔だな。名は何だ?」
ちらりと見上げてきた騎士は、立ち止まるなり好奇の瞳で聞いてくる。
(うげ、早速きた)
グレンはお辞儀をやめて背筋を正した。
(何て言うんだっけかなー、偽名なんだよなぁ。しかも会話するときは、微笑んでなきゃいけないんだっけか?なにが楽しいんだってぇーのー)
「聞こえなかったのか。名を何という」
(きーこーえーてーまーす!よくも難題をふっかけてくれたなこの坊ちゃん!えーとまずは綺麗な笑顔つくって貴族っぽい顔、だ。目元に力を入れて、口角を上げて・・・・・・完璧。鏡で練習しまくったもんな。俺って努力家。でもカイムさんの手本は怖かった。あれは別人だ。女の子が微笑み一つでころりと落ちるよ)
微笑んだグレンは首を前に曲げ、顔の角度が相手と平行になるようにする。
「ザレット・セティルと申します。北の田舎に住まう、しがない地方貴族にございます」
出身が北というのと、家名は本当だった。変えなくても田舎だから大丈夫だろうという事で、カイムと話し合ってある。地方貴族の名前なんか覚えてる奴は少ないのだ。
「なるほどな、どおりで見かけないはずだ。今日は観光かい?」
予想通り。
「はい、そのようなものです。」
騎士の総長なんかだと、危ないという話だったが。それ以外なら確かに問題ないようだ。
(うちの田舎貴族さんは、王都に行ったら観光したい、とか言っているって噂があるくらいだからな。まぁ誤魔化せるだろ)
騎士は、なごんだ笑顔になって「そうかそうか」と二度頷いた。
「良く見ておくんだね。田舎では見られないような美しい装飾品がたくさんあるからね」
「ご助言ありがとう存じます」
「なに、気にすることはないよ。それでは私は行くけれど、迷子にはならないようにね。ははは」
ちょっと馬鹿にされている気がしないでもないが、気のよさそうな騎士だった。
(こいつ、俺が王になった時どんな顔するんだろ)
「はい。お気遣い感謝いたします」
(で、ここで頭下げるわけね。タイミングも完璧だ)
軍曹殿の指導の賜物か、疑惑の瞳は欠片も見ないで第一関門を突破した。
騎士が階段を下りていくのを見送って、グレンは壁から背を離して歩き出した。第二の関門は入る部屋を間違えないことだろうか。窓が途切れずに続いている壁の反対側の壁には、扉がぽつぽつと等間隔に並んでいる。
(確か中央の階段を出て左、五つ目の扉だったな)
自分が上ってきて、今騎士が降りていった中央階段を振り返った。今立っているのは二番目と三番目の間の廊下。ではここから三番目の扉。
そこに奴が居るはずだ。
一度国を離れたにもかかわらず、どういう訳か再びこの国に戻ってきた予言師が。




