乱の12 あと0日。悪魔の準備
「いぃぃやぁぁあぁぁあぁああぁあぁあぁぁぁぁ」
音がよく響く地下、そこではなるべく大声は出さないように皆が心がけていた。
その努力を一瞬で奪う叫び声。野次馬魂に負けて、声の発信源にわらわらと集まっていると軍曹殿もとい、反乱軍の頭脳カイムが駆けつけてきた。
「何があった」
冷静な面持ちで、野次馬の一番後ろにいた俺様に話しかける。くっ、この俺様のごろつき風な見かけにも負けない威圧感。美人ってのは渋顔だって様になりやがる。
「参謀、オレもよくわかんねぇんすけど、叫んだのはリースらしいですぜ」
「リースが?本当か」
予想外の答えなのか、カイムは不信に眉を寄せて睨みつけてきた。
「ぅ、いや、オレも聞いただけなんで詳しくはわからねぇです、ハイ・・・・」
恐る恐る答えるしかない。仲間からこの参謀殿のもうひとつの顔について切々と語られた過去は、忘れられる訳がない。あれを聞いたらこの人を恐れちまってもしかたねぇよ。脳裏を駆け巡るぼやけているような鮮明なような、恐怖を感じた過去の想像は、今もカイムの顔と重なって見えている。
「そうか」
低く届く声を聞いただけで体が強張る。参謀もとい軍曹殿は、若干調べるような眼差しで見てきたが、すぐに人ごみを割りながら酒場へ向かった。怯える男は恐々と、変わらず後ろの方で酒場の様子を窺っている。
(しかし、あのリースが・・・・相当なことが起きているのか)
カイムは不吉な予感を覚えながらも、いつも通りの足取りで進み出た。野次馬たちは中を見たくても怖くて見られずにいるため、扉の前には空間があった。周囲からの熱い目線を背に感じながらも、迷いなく扉に手を掛ける。開いた室内を見る深い緑の瞳に映るのは、いつも通りの薄暗い風景だ。
「・・・・・・・・・」
背後のざわめきと同様に、変化のない状況にカイムが眉を寄せていると、中から声があがった。茶色い髪の大男が、涙を目に浮かべながら笑っている。
「あーあ、忙しい参謀殿が来ちまったよ。リースがデカイ声上げるからだぜ」
濃茶色の髪を、たまらないと言いたげに掻き上げながら、男は後ろを向いて彼を見る。リースは働く人間だけが入れるその場所で、顔を赤らめながらそっぽを向いた。
「仕方ないだろう・・・・・・・・・苦手なんだよ」
悔しそうに言い返す金髪の美女からは、常の強さを感じない。
妙だ。妙すぎる。
「何があった」
優雅な足取りでカウンターへとやってきたカイムは、歩く姿とは裏腹のぶっきらぼうな言葉とともに椅子に座る。カウンターに立つ天女の如き美女は、悪魔の如き怒りを含めてぎろりと睨んだ。やはり美人は何でも似合うと、ぴたとダンクルートは笑いを止めて感心した。
「・・・・・・クローがね」
「クロー?」
「とんでもない物を・・・・・・見せてくれたよ」
遠い目をして言う彼女が何を言いたいのか、カイムには察しがつかなかった。
不審に眉を寄せていると、同じくカウンターに座っているダンクが再び豪快に笑う。
「ははっ、クローが今度の作戦で使うかもしれないからってな、ある物をアリスと2人で集めてたんだよ」
「作戦で使う?」
聞いていない。と思うが、黙って続きを待った。
「んで、何を集めてるのか気になった母親は、クローにそれを見せるよう言ったんだが。なんとそれはリースがとんでもなく苦手としている物だったんで、あまりの恐怖に悲鳴を上げたってぇ訳だ」
ふむ。とカイムは頷く。
「ははっ、リースのあんな姿なかなか見れねぇぜ。いやぁ面白いもの見せてもらった」
はっはっはっはっと、再び豪快に笑って髪を掻き上げる。また目元に涙が浮かんでいた。話の種にされている当事者は、屈辱に顔を赤く染めているが、しかしそこは28年の年の功と、母の強さか、深呼吸を繰り返して自力で赤みを引いていく。
「それで、クローは今どこにいるんだ」
一人冷静な黒髪の冷人の問いに、先ほどから笑いすぎて腹を抱えているダンクが
リースからの圧力を無視して答える。
「はははははっ!あぁー腹いてぇっと。あいつならアリスとグレンと一緒に、また『あれ』を集めに行ったぜ。どうせだから更に増やすんだと。ご苦労なこった」
愉快に笑う友人の答えに、黒髪の男は未だに分かっていない『あれ』が何かを聞く。
返ってきた答えに、元貴族の男は絶句した。
「・・・誰かクローを連れて来い」
悪い子にはお仕置きが必要だ。
作戦決行まであと 1日
***
国土の大半を広大な砂漠で占める国タルタス、国内において最も巨大なオアシスを所持する都市・レルネ。
そこはかつて幻とされた巨大オアシスである。
砂漠に住まう者たちが、砂漠の脅威から逃れる夢として追い求め幻として諦めていた場所。発見と同時に、国家の要である王の居城が据えられたこの場所は、国内で最も物と人が溢れる街である。そして他国の物品や人も集まる大都市だ。
現在、「新生五大国」と呼ばれる5つの国の内、4カ国がひしめく大陸内で最も国土が広く、最も世界に影響を与えるとされる超大国・タルタス。
そこには大地の色と呼ばれる褐色の肌を持つ民が住んでいる。国の民は世界でも稀な、魔力を持つ者が多く生まれる種族であり、自然を崇拝する文化を持っていた。
知る者は少ないが、魔力は魂に宿るとされている。よって先天的にしか得ることはできない。と同時に、強大な力であるが為に魔力を持つとされた者は、生まれながらに家族共々国家に保護されて、徹底した英才教育と国家への忠誠を叩き込まれる。
一般的に『使える』とされる魔術師は、一国に5人ほど所持されているのに対し、タルタス国においては20人。他国の4倍である。これこそが世界で最も発言力を持つとされる所以だ。
生まれたと同時にタルタスと名づけられた、国という樹は、しかし徐々に攻撃的に成長していく。そのうちに、変化を感じとったある吟遊詩人が皮肉と警告を込めて唄を歌い、彼は後日行方不明となる。だが彼が消えても、国を皮肉った彼の思いはしかし消える事は無かった。後に彼を探しに来た友人たちが、彼を悼んで作った空の墓に、その唄は今も深く刻まれている。砂漠で水を求めた小さな樹は・・・と始まる短い唄は、国内で歌う事は許されないままだが、石は砂に埋もれる事無く
佇み続けている。
砂漠で水を求めた小さな樹は、願いを叶えて水を得た
夢を叶えた砂漠の樹は、大きく大きく育っていくが
多すぎる水は根を腐らせた
唄は国の崩壊を示していた。そして確かに、タルタスは既に滅んでいるようなものであった。強大な力を持つが故にタルタスは驕り高ぶって、心が壊れたのだ。
まず自国の文化が正しい故に、強大な力を授かっているのだと考えて、他国の文化を認めなかった。そして自国の自然崇拝文化を世界に浸透させようと武力による世界救済活動を始めていった。救済活動と呼べば綺麗だが、実際のところはただの他国侵略に他ならない。
この活動と、行き過ぎた自国崇拝からくる傲慢な国民性により、影では「愚国」と軽蔑をこめて囁かれる哀れな大国タルタス。
そして現在も
レルネの街は軍服を着た者が所狭しと充溢する。
武器、防具、装飾品と高額商品を売る商人は、他店に負けじと声を張り上げて己の品を宣伝している。始めて来た者が必ず人酔いするその中に
どの国の国色にもされていない黒い色の軍服を身に纏う、細身の軍人が歩いていた。何物にも侵されない黒は、しかしすべてを吸収する黒は、爽涼の朝を迎える前に訪れる夜闇のよう、変化の兆しを与えに来たのか。それは黒い布地の端々を、金糸と銀糸の繊細な刺繍で飾っている。美しい。けれど軍人らしく華やかすぎない軍服が、この者が身分の高いことを知らせている。軍人の平均身長からみて明らかに小さいその者は、口元に不敵な笑みをたたえる女性だ。薄い色の色眼鏡の奥にある、人の物ではありえない色の瞳は、見る者を惹きつける強い輝きを放っている。それはすべてを光照らす柔らかな陽だまりの輝きか、それとも徐々に人を衰えさせる太陽の脅威の輝きか。けれど瞳の金の輝きも、そして彼女の持つ異常な威圧力も、獲物を狙い殺気を押し殺す獣のよう、完璧に隠されていた。
よもやその存在感までも消してしまったのだろうか。するすると人の合間を縫って進む小さな軍人に、気がつく者は誰一人としていなかった。
艶やかな長い黒髪を一つにきつく縛り上げて、軍人は王城の門を守る二人の兵の一瞬の隙を突く。そうして誰にもその存在を見咎められることなく、金の瞳の彼女は世界一の超大国、タルタス王国の中枢へと入っていった。
見上げた空は変わらず、にごっている。
*
タルタスが人知れず侵入されたのは、過去となった後の今。敵対するアルザートの地下では、カイムが眉間に皺を寄せていた。
「一体、お前は何がしたいんだ」
怒気を含んだ静かな声、それに答えるのは小さな魔術師。
「いざという時のために、作戦を練ったんです」
物怖じせずに、すっぱりと言い切る少年の対面に座る黒髪の男は、深い翠の瞳を不愉快そうに歪めている。少年との間に置かれた四角い木箱、それを嫌悪の目で睨みつけ再び少年を見据えた。
「真面目に言いつけを守っていると感心していれば、こんなことをしてたのか?」
以前、カイムはクローによく出かけるのをやめるようにと注意をした。好奇心が大きいのは仕方が無いにしても、今の状況は危険すぎるのだ。そして少年は確かに彼の言葉に頷いて、以降は地下から出ることが少なくなっていた。だからこそ、男の落胆は大きい。
「暇だったものですから・・・」
「暇だからと、こんな、こんな・・・・こんなものをっ」
別に言いつけを破ったわけではないのだが、予想外の奇行に対しての怒りが消えない。眉間に底の見えない谷を造り睨むその姿は、死後の審判を下す番人を思わせる。有無を言わせない圧力を受けて、初めて少年は諦めたようにため息をついた。
「その通り、ですよ・・・・・・・・・・・・・・・変な事してて、ごめんなさい」
素直に頭を下げる少年に、番人の眉間の谷に底が見えた。
「・・・・・明日、正体がばれて逃げる時に敵を撹乱する為だと言ったな」
「・・・・・・・・はい」
「お前は転移の術が使えるのだから、撹乱の必要はないだろう」
「それがちょっと、無理でして」
「何?」
歯切れ悪く返ってきた予想外の言葉に、見えていた谷の底は闇に呑まれる。離れた場所から傍観するグレンとダンクもその答えは意外だったようで、壁につけていた背を浮かせた。
「・・・・転移の術が縁を辿る術なのは、知ってますよね?」
恐る恐る言う少年は、言いたくないことを言おうとしているのか、頭を掻くように押さえて俯いた。番人カイムは子供の辛そうな姿に良心を刺激され、番人の任を捨ててカイムへと戻った。眉間の谷も浅くなる。
「・・・・・・・・そう怯えるな、怒りはしない。正直に答えなさい」
大人としての自覚を持ったカイムの言葉に促されるように、少年は顔を上げる。瞳は隠されていて見えないが、おそらく泳いでいることだろう。
「縁の光は、ある程度の魔力に対する感度を持った術師なら見ることができます。僕が術を使えばその魔力を感じ取り、どの縁に魔力がこめられているかを見ることができるでしょう。つまり、縁の両端を辿り何と何を繋いでいるか知られてしまう。普段は他の術師の感知範囲外で術を使ってるので関係ないんですが、王城となれば話は別です。術師が城の一番端っこにいたとして、その端の反対側の端っこに行くのが精一杯です。万一察せられれば、このアジトが知られることになってしまいます。たとえ一度別の場所を経由するとしても、転移の術を扱える者がいることは知られてしまう。そうなったらきっと王を守るために城の警備を固めるでしょう。だから、使えません。
・・・・・・・・・・・言い忘れてて、ごめんなさい」
おやまぁ。とリースが離れた場所で苦笑している。だが少年が気づいたのは憤怒と失望が入り混じった、息を吸い込む音だ。
「そんな・・大事なことを忘れてたのか!!!!!?」
作戦の予定を狂わされた参謀が、ガタンと椅子を鳴らして勢いよく立ち上がる。失意のままに天を仰いでため息をつき。額に手をあて、しばらく大人しく考えこむ。人の少ない酒場もつられて静かになっていた。
「・・・・・・・」
台風の目の中に入ったひと時の静寂を、少年は卓上に肘を置いて味わった。手の上にあごを乗せ、目の前に置かれた箱を見つめる。だが中にあるものを想像したのか、向かい側で天を仰いで考え込む男のように、眉間に皺を寄せた。彼自身、これが好きなわけではないし、好きな人間などいるとは思えない。だからこその作戦なのだ・・・。
そんな二人を見つめるダンクルートは、彼らしからぬ真面目な顔をしていたが、その隣で立つ、いずれ城に住まうつもりの男は失意も怒りも抱かずに。
(あればら撒いた後、ちゃんと掃除してくれるかな。掃除のおばちゃん大変だな)
のんきな考えを張り巡らしていた。大物だ。
静寂の時を越えて、カイムは天を仰ぐのをやめると少年に向き直った。
真面目な顔で二言三言、言葉を交わすと。
「仕方が無い。だが極力避けろ」
「はい!」
許されるのは意外だったのか、少年はとても嬉しそうに応えていた。
作戦決行まであと 0日
夜を告げる鳥が鳴き、皆早めに眠りにつく。
空は明けるのを待ってはくれない。




