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乱の10 あと4日

「・・・・消えた」

始めて見た転移の術は思っていたような派手なものではなかった。だが酒場にいる二人の男は、息をするのも忘れて広場を見ていた。呆ける彼らをふと見かけた者はどんな美女がいるのかと胸躍らせ、外をきょろきょろ見渡した後首を捻った。少なくとも五人は同じ行動をとって、不信の目を二人に向けている。五人もの人を落胆させたように転移の術は素早く終わり、魔力の残り香である白いうすもやも残っていない。

「・・・・・・・・・・・消えた」

カイムがグレンの言葉を反復する。恐怖も感じるカイムをよそにグレンは胸の高鳴りが激しくなる。声も表情もきらきらしていた。

「消えちゃったよおい!!すっげ、転移の術だって!長生きするもんじゃのう!!」

黒と金がいた場所には、たまたま現場を目撃した者たちが消えかけている靄の周りに集まっている。様々に動揺しながらも、時が経つと状況は変わり現場からある程度の距離を置いた人の輪ができて安定した。何も知らずに取り巻きに入り、雑談に混ざる話好きも現れ始める。

「大した術師だ」

ますますジャックには感謝せねばな。とカイムは笑んだ。新たな可能性に目を細め、立ち上がる。

「来い。作戦決行までの5日間みっちり礼儀を仕込んでやる」

冷ややかさと熱の入り混じる声に気づいて、無邪気な光を宿した瞳がカイムへ向かうと、丁度カイムがグレンの前を通り過ぎる時だった。

背の高いグレンはカイムの額を見送ったが、その下に見えた端整な顔は笑んでいた。

「おう!!」

珍しい顔に出会ったとは知らず後に続いた。カイムがつい閉めようとした扉を押し開けて外へ行くと、まだ開いている扉の中から歓声が聞こえてくる。誘われて二人が振り返った。

昼間から赤い顔をした陽気な男たちが、困った顔のヒーローを囲っている。ジャックも皆も楽しそうだ。低い声の歌が溢れてきていた。上手いかは別として。

「・・・ジャックは良い拾い物をしてくれた」

歌に隠れる声を聞き拾ったグレンは首を傾げる。

「?ジャックが何を拾ったの」

「クローだ。倒れているところを拾ってきた。なんでも、自分はどこまで飢餓に耐えられるのか試していたそうだ」

「え。ばかじゃねぇの」

「本人に言え」

「どうりでなぁ、あいつも俺もジャックに拾われてき同士なのか。他人な気がしなかったわけだ」

妙に親近感がわくんだよな。と思いながら「意外だ」と付け足す。

「逆ならありそうなのになぁ」

さらりとヒーローに失礼なことを言うが、聞いた黒髪の男も同感だと答えた。

ちょっぴり可哀想なヒーローはそんなことを言われているとは知るよしもなく、相も変わらず困った顔で酔っ払いの対応をしている。ハハと笑ってグレンが扉を閉めた。中の騒音は切り離されたようさっぱり途切れた。

 


定期的に一声あげる鳥が五回鳴く。

美羽の生まれた世界でなら五時間が経過したと言われ、この世界では五声したと言われる時がたっていた。鳥は時の基準であり世界中のどこでも同じ声を聞くことが出来る。環境変化に強く、逞しい頼れる旅の友だ。羽は茶色く黒が混じる。地域によって差異があるが総じて地味な鳥である。大陸ではケウウルと呼ばれ、それは「飽きないやつ」という意味であり、転じて地道な努力をする者のことをケウウルと呼ぶことがある。

「つ、つらい・・・・ねぇ、今日はもう終わりにしない?」

男の低い声が執務室の扉の中から漏れてきた。疲れとだるさが入り混じっている。

彼がケウウルと呼ばれるのは武の訓練くらいなものだ。この学びは範囲外である。本人も気がついたのは四声前だが。

「何を言う!この程度で根を上げるようでは王になるなぞ夢のまた夢、ありえなさすぎてお天道様も爆笑だ!!笑われたくなければしっかり覚えろ!礼儀は綺麗な姿勢からだ!!本を頭に乗せて、姿勢を正すっ!!!そのまま本を落とさずに歩け!はい♪はい♪はい♪はい♪は、ほれ落ちそうになっているぞ!!ピシッとせんかぁ!!!」

きびきびした厳しい声が扉越しに聞こえてくる。心なしかドアががたがた震えているようだ。

今この場に日ごろのカイムだけを知る者が居たならば、声の主が彼だとは決して思うまい。

「くぅ~~何で俺がこんな目に・・・・・・・・・でもやるって言っちゃたんだよなぁ、俺が頼んじゃったんだよなぁ」

ぶつくさとグレンの呟きが聞こえてくる。扉越しでも聞こえる声の主は扉の近くに居るようだ。

「・・・・・・・・・・オレのばか・・」

それは最後の呟きになった。

「おい!ぶつぶつ言っとらんでさっさとやらんか!!あと5日しかないんだぞ!!!!!」

教育に目覚めちゃったカイムさんの指導は厳しいを通り越して過酷だ。でも時々褒めるところは教育上手。

 扉の中から深く息を吸う声が大きく聞こえた。グレンは扉近くに居るようだ。

扉が叩かれたような音をたてた。手をついたのだろうか。

「ぬぉあぁぁぁぁあああーーーー!!!やってやるさ!!あぁやってやるよ!!がり勉なんかに負けてたまるかぁ!!!」

「私は外が好きだ」

「そ、そうなんだ。ようっし、始めるか!俺ってば真面目!!!」

意気込みも声量もすばらしい。しかしその後はとても静かだった。妙な緊張感が扉から漏れ出る。

地味な訓練である。

「よーしその調子だ!なかなか安定してきたぞ!!その努力に免じて今日は終わりにする・・・・予定だったのを特別に夜まで教えてやる!!!!!!」

「なんだそりゃ!!ていうかあんた人格変わってないか?」

「だが夜はきっちり眠れ!明日からは厳しくいくからな!!!!」

グレンの問いに答えることなく、目覚めちゃったカイムさんは再び礼儀指導を再開する。

「ほらほらつべこべ言っとらんでシャキッと立て!いつまで突っ立ってるつもりだ?歩くのが訓練だろうが!ほら、よーし、その調子で壁まで歩く!!!!おい!本が落ちてるではないか!!何度言えば分かるんだ、それでもお前は軍人か!!!?」

反乱『軍』なので皆さん一応軍人だ。

「くっ、鬼軍曹め・・・・・・やればいんでしょやれば・・・・」

地下で飼われるケウウルが最後の長い一声をあげる頃、執務室の扉の前には半日分のほこりがたまっていた。

「・・・クァーーーン」

「ケウウルの真似しても終わらんぞ!気を引き締めんかっ」

それでも一声分の後、執務室前の埃は散らされていた。

「食事睡眠はきちんと取れ」

スパルタ教育官様のお言葉である。


作戦決行まであと   五日


朝。灰の色を宿した青年は昨夜の疲れなど感じさせない足取りで扉の前に立つ。一瞬躊躇ためらった後迷いの心を消し去って勢いよく手をかけた。扉が古めかしい音をたてて開く。たとえ相手にどのような反応をされようとも、嫌な顔をされようともかまわなかった。胆を据えた青年の歩く姿はこころなしか優雅に見える。グレンは昨日と同じ席にどっかり座った。

「これはこれはグレン・セティル、先日は大人気ないところを見せちまったね」

裏の女マスター・リースは涼やかに言った。彼女の美しい金髪は今日も高い位置で結ばれている。波打つ髪が描く光と影の造形は美しかった。明るい部分は日の光に当たって橙色に輝いている。

リースの反応にわずかながらも驚いた灰色の青年は、しかし言及することなく、にこやかに笑った。

「いや昨日は悪かったよ、嫌な思いさせてごめんな」

「もういいさ、あんたら男からしてみれば犠牲になってでもやりたいってことがあるんだろうね」

視線を合わせずに続ける。

「頭では分かるんだけどねぇ、心が言うことを聞かないんだよ。女性は生き残ることの大切さを知っているのに。どうしてってね」

男だって分かっていない訳ではない。

だがグレンは思ったことを口にしなかった。分かって護るのが女なら、分かってそれを賭けるのが男なのかもしれないから。リースには受け入れがたいことなのだろう。

「ま、あんたにはあんたの考えがあるんだろう。精一杯応援させてもらうよ」

自嘲気味に言う彼女に、グレンは内心ほっと胸をなでおろした。

「はぁーよかった、俺ぎすぎすしたの苦手だからさぁ。怒ってないみたいで助かったよ」

楽しいときに現れる、彼のニカッという笑顔。

ふふ、と笑いながらリースは先刻聞いた話の真偽をたずねた。

「ところであんた、軍曹殿の世話になってるんだって?」

グレンの顔から一気に血の気が引く。灰色の瞳は右へ左へと泳いでいる。

「・・・・・・・・・・・・・・・軍曹殿って、有名なんだ・・・・」

なんともいえない苦い思いが渦巻く内心とは裏腹に、薄い唇が紡ぐ言葉は少ない。

「それほど有名ってわけではないよ。軍曹殿の訓練を受けた奴や作戦で同行した奴らしか知らないはずさ。あたしはそいつらの辛酸の声を聞いてるから知ってるだけだね」

「・・・・・そ、そーなんだぁ・・・・」

先程とはうって変わって元気のない灰色の青年を励ますよう、リースがかけた声は明るい。

「疲れてるようならあたし特製の健康カクテルを飲んでみるかい?ちなみにこれはサービスだよ」

にこりと笑んだ緑の瞳がぎらぎらと輝いている。

「へぇ、そんなのあんだ?もらってみようかな」

精神的に疲れているグレンには、リースの瞳の輝きが目に入らなかった。

「じゃぁちょっとまってな、今作るから」

店内にいるほかの客たちが恐ろしげに肩を寄せ合い、ときには好奇の瞳でカクテル製作の準備をするマスターを見ていることにも、グレンという若者は気がつくことができなかった。心なしか気温が下がっている気がする。

「はいよ!特製健康カクテル、アリス一号だ!!!!」

逆三角形の形をしたカクテルグラスに入っていたのは、濁った茶色に危険な雰囲気をその身に纏った飲み物だった。さすがのグレンもこの異常さには気づく。

「ねぇ、これやばいって、すごい色してるよ?飲んだら便秘になる感じじゃない?」

眉をひそめて明らかな不満の色を見せる顔に、美しき女性はそれこそ天女なのではないかと思ってしまう笑顔を向ける。

「良い物ほど見た目が悪いものなのさ、いいから飲んでみな」

ずいっとグラスを押し出した。

「・・・・じゃぁリースは見目良いから良くないものなんだね」

天女の顔に亀裂が入った、気がした。が表情に変化は無く、美しい笑みをさらに深くして特製カクテルアリス一号を勧める。

「いいから、飲め」

絶対の命令。グレンに逃げ場はない。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・最近の俺こんなんばっか・・・」

恐る恐るグラスを口元に持っていく。眉間の皺が百歳のおじいさんを越えた。

(絶っ対やべぇよ!!すんごい匂いしてるから、ねぇ!)

しばらくは口元に運んだり、おろしたりを繰り返す。

「早く」

天女のやさしい声が耳に響く。声中に含まれる棘も企みも感じ取りながらも逆らうという選択肢がすでに頭からなくなっているグレンは、グラスを握る手に力をこめた。気がつけば店内はしーーんと静まり返り、客たちの注目は灰色の青年へのみ向かっている。みなの視線をその背にびしびし感じながら、グレンは一気に特製(以下略)を口内へ流し入れた。

「ぅ・・・・・」

おぉ!

店内に歓声が巻き起こる。謀略者である美しき人はその笑みから悪意を無くして無邪気な笑みを残した。

「どうだい?効きそうだろう?アリスが始めて作った創作カクテルなんだ。やさしいあの子が体に良さそうな物を寄せ集めた結果がこれさ。味の悪さは軍曹殿のお墨付きだ」

うふふふふふ、と見る者を震え上がらせる笑みを浮かべる。

寒さに耐えようと身を寄せ合っていた客たちはひとつの思いを共有していた。

(リースの怒りを買う事だけは絶対に避けよう)

哀れな犠牲者に冥府の平穏を・・・・・

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・意外といけるな」

「はぁ?」

美しき冷人が素っ頓狂な声を上げた。

「美味くはないけど悪くもねぇぞ」

店内にざわめきが起こる。どうしたことかと皆が騒いでいると行動派な男がグレンのもとへとやってきた。

「ちょっと良いか?」

「おお、飲んでみな。なかなかいけるぜ」

男は残っていた特製アリスを一気に口へと流し込む。

「んが!!!!!」

男はおかしな声を発すると、身振り手振りでリースに水を求める。まるで溺れる熊だ。

「っっおっめぇどういう味覚してんだ!!?」

水を飲んだ男は口を押さえて狼狽した。心内にあるのは奇怪な出来事に対するもの。

言われた方は不思議そうに眉を上げていた。

「普通だけど」

「絶対変だ!!!」

「ふーん・・・・・・つまり、食えるもんが他のやつより多いってことか」

ははははは、と笑う灰色の青年をリースはつまらなそうに眺めていた。

「・・・・・・・・・・・・・・」

後はカイムに任せるか。







作戦実行まであと 4日     




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