乱の6 リースの傷
アルザートの王城内部にある人通りのない白い廊下で、くくくと、意味深に笑
う音が微かに流れた。唯一その笑う声を聞いた金の髪の青年が「誰だ」と言って
足を止める。白い廊下の曲がり角を手前に、青年は声を落ち着けたまま、全身か
ら警戒の気を噴き出した。
「くく、そう怯えるでないや。坊や」
坊やと呼ばれた青年がひくと眉をひそめると、角の向こうから白い髪の老人が歩
いて来る。白い髪と白い髭をはやした老人は、眼光鋭く紅い瞳を青年に向けて意
味深にまた、くくくと笑った。同じ紅色の若い瞳が老人の姿を確認すると、青年
は厳しい表情をすうと引き、微笑みで噴き出していた警戒心を押し隠した。
「失敬。ジキル様でしたか」
微笑んだまま軽い一礼をして、綺麗な顔を老人に向ける。現れた老人は曲がった
腰の代わりに装飾の細かい杖をつきながら、一歩一歩また歩く。ほくそ笑んだ顔
は青年の近くまで来て立ち止まった。
「くっくっく、『様』とは恐れ多い。すでにおんしの方が立場が上じゃというに」
「先人に礼儀を尽くしたまでです」
微笑む顔からひどく冷淡な声が現れる。老人はまたくくくと笑う。
「そうじゃ。では礼儀正しい坊やにひとつ、良いことを教えてやろうかの」
くいと顔を青年に向けて、にごった目を見せながら楽しげに口を開く。
「わしもの、まだ少しは予言を聞くことができるんじゃよ。シラ殿」
「聞いております」
シラの微笑には変化が無い。老人はまた意味深に口元の皺を深くする。
「 神 とは。よくもまぁ口が廻るもんじゃの」
愉快げな老人に微笑みながら、シラの眉が微かに動いた。
「真実を知ったら『神』はどんな顔をするかのぉ」
くくくと笑うのはシラの先代にあたる予言師ジキル。シラと同じく予知者と呼ばれ
る者である。
予知者と予言師は名の種類が違う。予言師とは予知の力を持つ者に受け継がれて
いく継承名で、常に一人しか存在しない。それに対して、予知の力を持つ者達をま
とめて呼ぶ名が予知者である。予言師は1世代30年近く続いて、世界に新らしい
予知者が現れると、先代となる予言師は予知の力を失ってゆく。そして予言師の代
替わりとなるのだ。シラは7代目の、ジキルは6代目の予言師だった。
「おんし『神』を殺そうとしたそうじゃな、理由は『王の命令だから』だけかえ?」
シラは微笑みつづける。
「さぁ。どうでしょうか」
「くっくっくっ、まぁよいわ。ご家族を大切にの」
そう言って、ジキルという名の老人はシラの横を通り過ぎていく。人通りの少ない
廊下では、老人の歩く3つの音が長く独奏を続けた。
「・・・・美羽・・・・・・・・・・・・・・」
呟きと一緒にシラは表情を歪ませる。ジキルの延々と続くような独奏は遠く離れて
もう耳には届かない。
どうか、と何かを請い願うよう青年は更に呟いて口を閉めた。窓から差し込む
陽の光が、体だけを温めていた。
***
きいと音をたてて扉が開いた。お前の部屋に案内すると言われて着いた場所は、
必要最低限の家具と空いた空間がある質素な部屋だった。白い壁にかかった青
い空の絵が部屋の冷たさを押さえている。
「おおおおっ広い!!!」
「ここがお前の部屋だ、自由に使って良いぜ」
グレンを案内してつれてきたダンクルートが、扉の横で笑いながら言った。灰
色の髪と瞳の男は感動したように目を輝かせて部屋を見回している。それが更
にダンクの笑いを誘っていた。はっはと笑いつづけるダンクにはすでに慣れて
しまったのか、グレンは全く気にかけていない様子で、ふかふかのベッドに座
り込む。
「よっしゃ、どんなぼろ小屋になるかわからねぇゼって言われてたからどんな
ところかと覚悟してついてきてみたんだけど。俺って幸運!」
「ははははは、お前は強いからな、その分部屋も大きくなるんだよ。だけどな
ここには有り余るほど部屋があるからよ、掃除すりゃもっと広いところにだっ
て住めるぜ!はは」
「あ、俺ここでいい。掃除はやだ」
「はっはっはっ!ちなみに言っとくと俺はもっと部屋広いぜぇ」
「はぁ?なんでだよ。さっき俺は強いからって言ってたのは、強いほど部屋が
広くなるって意味じゃないの?俺はあんたに負けた記憶はねぇよ」
むっとしているグレンに、ダンクは変わらず笑って返した。
「ははっここは俺の方が長いからな」
きょをつかれたようにグレンの大きくもない目が開いて、すぐにだるそうな元
の目に戻る。
「そうか、おじさんだから広いんだな」
グレンが得心したようにしみじみ言うと、おいっと言うダンクの声が大きくなった。
「おじさん言うなよ!確かにお前から見れば32はおじさんかも知れねぇけどよ・・・」
ちなみにグレンは23歳だ。32のダンクルートが本格的に落ち込み始めたの
は放って、グレンはしばし布団の柔らかさを堪能した。その間も額に手を置い
てうつむく大男に動きがなくて、困ったのはグレンである。これではまるでお
やじ狩りをする思春期の子供みたいじゃないか。
「・・・あーったく、悪かったよ。謝るから、おちこむなって」
うつむいていた男は顔を上げてニッと笑った。
「はっはっはっ!演技だよ!女じゃあるまいし年なんか気にしてねぇ」
はっはっはと、何が可笑しいのか愉快に笑うダンクに、グレンはもう勝手にしてくれと思った。
「・・・つまんないことしてないでここの説明してよ。俺何も聞いてないんだよね」
あぁそうだった、と大男は笑うのをやめ、何か考える素振りで壁に背をあずけた。
「そうだな、決まりのことだが・・・」
つと表情を引き締めてグレンを見る。茶の瞳が真面目になっていた。
「まず1つ・アジトを出るときは部屋のドアについてる札を『お出かけ中』に変えること」
そういえば扉を開けたとき札みたいなものがあったなと思い出しながら、グレンは
うんうんと頷いた。大男はさらに続ける。
「それでだ、部屋に戻ったら『帰ってるよ』に返るようにな。札はすでに扉につい
てるんだけど、これはお子様達の手作りだから大事に使えよ、壊れても作り変えて
くれねぇぜ。で、次だ。
2・食堂・または酒場での支払いは一括でな。これ破るとリースが怖いぞ。
3・故意に仲間に危害を与えないこと、訓練中は必ず訓練用の武器を使うように。
4・指令、命令は絶対。まぁ当然だな。
5・家賃なんかはないがその他の食事なんかは自分でとるように、ある程度は支
援者から支給されるけどな。あぁ、洗濯なんかはやってもらえるから安心しろ、只
し指定の場所に持っていった場合だけどな。
6・」
「まだあんの・・・?」
「おう、もう少しな。で6・・・・あとはそうだな、常識で駄目なものは駄目だ。軍
の名に傷を付けるような事はしないように。と、まぁこの位だな。そのなんだ、反乱
軍とか言ってもほとんど暇だからな、腕が鈍らないようにしておけよ。後は勝手にしていいからよ」
ふうとダンクは息をついてにかりと笑った。それとは対照的にグレンは呆けた顔で。
「・・・・働かないと駄目なんだ」
反乱軍内で仕事があると思っていたと、呆然とする。
「ははは、そんなに必要じゃ無ぇけどな」
はっはっとダンクはいつもの調子で豪快に笑う。
「金って言っても酒代飯代に鍛冶代くらいさ。それだけ強いんだから稼ぐのは簡単だろう?」
グレンは気を持ち直してへへっと笑った。
「まぁね。あーあ、でもめんどくせぇな。反乱軍の仕事と両立すんのか」
うな垂れるグレンにダンクは楽しそうに言う。
「世の中予定通りにゃいかねぇさ。でもアジト内の鍛冶屋とか飯は格安だぜ。専属の
農園に鍛冶場もあるからな。暇つぶし程度の働きで十分だろうさ」
「格安か!そりゃあいいや」
ははっとグレンも笑う。
「何にしても、またギルドの世話になんのかぁ」
「お、やっぱりお前もギルドに入ってたか。いつか仕事で会うこともあるかもな」
グレンは顔を上げてダンクに顔を向ける。見えた笑い上戸の大男はどこか楽しそうだった。
「てことはあんたも入ってんだ。じゃあこの町のギルドがどこにあるか知ってる?教えてくんね」
「ああいいぜ。連れてってやるよ」
「よっし助かったぁ。探すのめんどかったんだよね」
ありがとさん、と礼を言う。
「なぁに俺もそろそろ行こうと思ってたからな」
はっはっはっと愉快に笑うダンクのよこを影が通り抜けた。いつの間にか、グレンが
腰かけていたベッドから立ち上がり、ダンクを追い越して廊下に立っている。
「そうと決まったらさっさと行こうぜ。俺じっとしてるの苦手なんだよな」
と今にも走って言ってしまいそうな気配である。だらだらしている男だと第一印象で
思っていたダンクには、それがまた面白かった。
「ははっ意外と行動的なんだな」
「おうよ、国民のために反乱軍探しなんかしちまうくらい、俺って行動的で良い奴!」
どんと拳で胸を叩く。ダンクの笑いに火がついた。
「はっはっはっホントいーい奴だなー!はっはっはっ」
「あんた沸点低くていいなぁ」
はっはっはっと二入で笑い呆けながら、再び長い階段を地上へ向かい上っていく。
グレンがアジトに来て2日目の昼、冷暖房完備のアジトの外は雲が少なく、暑い
夏そのものだった。二人が向かったギルドにも、泉や湖畔に涼みに行きたい富豪
からの護衛の依頼が多く入り、ギルドは大盛況であったという。
ギルドとは、ギルド資格を持った者が仕事を請け負う所である。資格には「戦士」
「技術者」の二種類がありそれぞれに合った仕事を与えられ、どちらもが実力さえ
あれば身元が不明であろうと資格を得ることができる。
「戦士」の資格を持つ者は、戦いにおいてその実力をギルドが認めた者となり、
護衛やならず者の補導など、戦闘の含まれる仕事を与えられる。
「技術者」の資格を持つ者とは、仕事にはついていないが職人技術を身につけ
ており、その実力をギルドが認めた者となる。そして人手を必要としている所へ
と斡旋されていく。
そんな、能力の在る者にありがたられているギルドは100年ほど前に設立さ
れた。今では世界中に広がっているギルドの資格は実力と仕事ぶりで3つのレベ
ルに分けられている。まず資格を持ったばかりの者は「若木の資格」、100の
仕事をこなし失敗が15%未満の者は「成木の資格」、危険度Sの仕事を一年間
に5つ成功した者には「大樹の資格」が与えられている。そして当然ながらグレ
ンたち二人の持っている資格は戦士の資格である。グレンは「成木の資格」ダン
クルートは「大樹の資格」だ。ちなみにジャックは剣術の修行始めのころに戦士
の資格試験に挑んで落ちた。スイラやアルザートのある大陸はもちろん、大陸以
外の外界でも通用するギルドの資格試験で、情けはない。
*
わいわいと今日も人の入りがいい酒場兼食堂に、端正な顔をしたカイムが、いつ
ものように無表情のつまらない顔でやってきた。カウンターの前に立ち、変わら
ず無表情のつまらない顔で問いかける。
「リース。ダンクを見なかったか」
夏は特に人手の足りない店の女店主は、それでも今日は余裕があるらしく視線を
カイムへきちんと向ける。
「たしかグレンとギルドに行くとか言ってたかね」
リースは低い位置から見上げるようにして答えた。この調理場には椅子が備え付
けられており、彼女はその椅子に座っているのである。でもなければ、立った彼
女の視線はカイムとさほど変わらない。
「そうか。邪魔したな」
「たまには酒でも飲んでいかないかい?」
今いるお客達は皆もう注文が済んでいて、入りが良いとは言っても忙しくはなかった。
「遠慮する。調べることがあってな。・・・・・・第一、今は昼だぞ」
「相っ変わらずくそ真面目だねぇ、もっと肩の力をぬきな。あんた最近笑ってないよ」
「・・・そうか?」
少し意外そうに見返すカイムに、リースは呆れた溜め息をついて。
「そうさ、アリスも心配してたよ。まったく子供にまで心配されるなんて、男って
のは無神経でいけないねえ」
「性別は関係ないと思うが」
リースの表情が微かに変わった。
「ほぉ、良くもまぁそんなことが言えたもんだねぇ。だったらうちのアリスに心配
されないようにしてくれるかい。それとあんた、クローがしょっちゅういなくなっ
てる事にも気づいてないだろう。何してんだか分からないって、皆によってたから
れていたんだよ。あんたに言ってあるとでも言えれば、あの子もそんな怖い思いし
なくてすんだってのにねぇ。そんなんで無神経じゃないと、あんたまだ言い張るのかい」
カイムは立ったまま話を続けた。
「・・・・・・・・・・あれでも嘘はつかん奴だからな」
「あれでけっこう、素直なんだよ。そんな子が苦しんでるのを放っておくなんてひ
どいと思わないかい?」
「・・・お前が止めれば良かっただろう」
「その場にあたしはいなかったのさ。アリスから聞いたときは血の気が引いたねぇ」
リースは女子供の事を何事においても優先順位の頂点に置いている。紳士的気質の
女性であるのだが、その紳士な心意気が男性に適用されることはなかった。
「・・・・・・・・・・お前もいなかったのではないか・・・」
小さな呟きは空気に消えた。リースに届かなかったことが幸福なのかどうかは分からない。
「やっぱり優秀なる女性を軍の棟梁にすべきだよ。無神経な男どもには任せておけないよ!」
語らせなければ良いバーのマスターなのだがと、カイムは深く溜め息し、聞く耳を
持たないリースへ反論しようと、懲りずに太い喉を震わせる。ずっと立ち続け
ていても辛い顔ひとつしないのは、日ごろの鍛錬の賜物だろう。むしろ疲れていたな
らば、話を切り上げる口実になっただろうことに本人は気づいていない。
「だったらお前が棟梁とやらになったらどうだ」
「イヤだよそんなつまらないもの。そういうあって無い様なものは男がなれば良いのさ」
(言っていることが矛盾しているぞ・・・!)
ついに反論することに懲りたカイムは、その後夜遅くにうなだれながら執務室に入っ
ていく姿を多数の人に目撃されていた。そんな夜遅くまで話し込んでいた二人を怪し
んで、当人達の知らぬ間にあらぬ色恋の疑いが持ち上がり、何故か酒場の手伝いが増
えた。さらに何故かリースが夜勤の時は特にやる気のあるお手伝いさんが、さらにカ
イムが現れると妙な視線を向けてくるのが、近頃リースが不思議に思っていることで
あり、カイムが迷惑がっていることらしい。




