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乱の3 人それぞれ

「おっさん。俺出てみるわ」

「やめなさい!」

ジャックの鋭い声に、意外そうにグレンは目を開いた。

「きっとあれは我々を探しているのだ、出て行ってはいかん。平和を求めて頑張る我々が

 やつらにはお邪魔なのだ。つかまったらどうなることか」

「俺まだ何もしてねぇし。あんたはやばいかもしらねぇけど、あんたら探しているかどうかなんて

分かんねぇだろ。だから俺が聞いてくっからよ、あんたは怖いんなら隠れてな」

グレンは余裕しゃくしゃくである。ジャックは喉を詰めて唸ると決心したような表情で

「わかりました・・・・いいです。私も行きます。それがヒーローの務め、そして

 ヒーローは世界のため美しく身を散らせて行くのだ・・・・」

と嘆いている鮮やかな赤と青の服を着た男は見た目に悪い。

「なに浸ってんだよ気持ち悪ぃ。はいはい行くなら行くぞー」

ジャックを放って扉の前まで歩いていた。彼の足元で腐りかけた床がぎしりと

唸っている。

「ああっ待ってください!」

「待たないよ」

ひらひらと手を振りながらグレンは先に扉を抜ける。外の空気は中よりも冷たく清涼で空では変わらず月が輝いていた。

「まって・・・のうあっ!!」

「は・・・・?」

グレンが驚きつつ振り返ると、ジャックは床の中に片足を突っ込んでいた。よく目を凝らしてみると、ジャックの歩いた後にはいくつもの穴が開いていた。

「あーあ。なにやってんの」

自分が気をつけて歩いた意味はなくなっていると思いながら、世話がやけるなぁと苦笑して戻ろうとしたときだった。

「おい、お前たちそこで何をやっている」

堅苦しい男の声に呼び止められる。戻ろうとしていた体を反転させると、兵装をして

不信をあらわにした瞳に行き当たった。グレンは少し疲れた気持ちになりながら。

「俺たちここを調べてたんです、なんかあるって聞いたんですよね」

兵士は黙って聞いている。

「そう聞いたんですが、なーんもなかったんですよ」

グレンは肩をすくめた。

「それどころか連れが床に足を取られて、下半身ごとはまっちまった。

抜くのに一苦労です」

と苦笑する。

「そうだったのか、それは大変であったな」

兵士はうむと納得した。

その頃に、ひとり寂しく床にはまっていたジャックはやっとの思いで外に出た。暗い夜の空の下に出て深呼吸をし、肺に入ったホコリと空気を入れ替える。冷たい夜の空気は肺にしみて体を刺激し脳を活性化させた。

「・・・・・・・・・・・」

ジャックがグレンのそばに歩いていくと兵士が明らかに眉をひそめて怪しむ目をした。彼の青と赤の奇抜なファッションを見ては仕方のないことか。

「お前は何者だ」

先程まではグレンの見慣れたような素朴な顔の御陰か、兵士から不信の色が薄くなって

きていたが、それはもう昔の話。グレンが苦笑で隠しつつため息した。

「え?・・・えっと・・」

明らかに動揺しているジャックを隠すようにグレンは兵士とジャックの間に割って入る

「こいつはただの変質者です。気にしないで下さい」

「なに!それは本当か!?」

兵士はとても驚いた。どうやら言葉を鵜呑みにしてしまうほどグレンに対しては信用していたらしい。

(あちゃー真剣に受け取られちったよ)

グレンは誤魔化すような困った笑いで兵士を見た。生真面目な兵士は警戒心を露にジャックを睨みつけている。

「あの」

とグレンが兵士に声をかけた。

「それ一応俺の連れなんで、怪しいけど心配はいりませんよ。変質なのも見た目くらい

 なものです。な?」

「は、はい!そうなんですよ。よく変だといわれますが私は真面目にこの姿で歩いてい

 るのです。変といわれても困るのです」

ジャックの言い分には力があった。常々から変だと言われて困っていた事が言葉に現実味を帯びさせる。兵士はふむ、と頷く。

「だが些細なことが重要なことを含んでいることもあるのでな。ついて来なさい」

「いや兵士さん。ほんとこいつ怪しいですけど馬鹿なだけですよ」

「馬鹿とは何だね馬鹿とは」

「話は後で聞こう。来なさい」

ジャックの赤いマントを掴んで引っぱっていく。後ろ向きで歩かされてあたふたしているジャックは気にせず、兵士はグレンを見た。

「ついでだ、君も来なさい」

「は、俺も?」

グレンは間抜けにきょとんとした。

「そうだ。事情を詳しく聞かせてほしい」

「・・・・・・・・・いやーーーそんなお教えできるようなことは・・・」

嫌そうなグレンを見て、くっと兵士が小さく笑った。堅い表情ばかりだった顔も、笑うと優しく見える。

「お前も疑われるべき人間ではあるのだ、少しは付き合いなさい」

「いやぁ、えーっと・・・」

言いよどんだグレンから、兵士は奇妙な感覚を受けた。

それは真実を隠している為の奇妙、隠しきれなかった真実から漏れた香り。

「・・・お前もだ」

つと冷たい目になった兵士は事務的な視線で先に進む。その足取りは速い。

(・・・・・・・駄目か)

大人しくついていきながら、す・・・っと滑らかな動きでグレンの右手が腰まで

動いた。全く音をたてないまま、腰につけた剣に手をかけた時にはグレンの顔から陽気というものが消え、変わりに温度のない瞳が無感情に光っていた。

殺気を押し殺してからは周囲の空気に冷たさも熱さも感じられず、ただこれからの剣の動きだけを考えて歩いた。



            ***


「カイム、ちと厄介なことになってる」

窓の地画に立つ体の大きな男が言った。

「どうした」

大きな男の少し遠い背後から返事が返る。そこには黒い髪を邪魔そうにかき上げる端整

な顔の男がいた。火の明かりの灯る室内には彼ら以外にもいくつか人影があるようだ。

「兵士どもが何か探してる。目つきからして、穏やかに探してる雰囲気ではねぇな」

大きな体の男は壮年と呼べる年の頃か、陽気な顔の中にも渋みがある。彼が言い終えると室内はざわめきだった。兵士っ!?と誰かが切羽詰った声を上げる。その時だった。

「騒ぐな」と低い声がした。

声の主である端正な顔をしたそのカイムという男は、眉間に皺を寄せて三十,四十くらいの年にも見える顔をしていた。実年齢は29だ。

何が楽しいのか体の大きな壮年の男が唯一人ハハと笑っていたが、カイムの声で静まり返った中では無理に口を閉じて真顔を勤めた。

「ここは、酒場だ」

カイムは眉間の皺を消して薄く笑う。自身の満ち溢れた顔だった。耳のおくふかくに入り込んでくるカイムの声で、その場は更にしんと静かになった。カイムは大男に視線を向けて口を開く、視線の先の男は真顔に無理が出てきて口元がひくついていた。

「クローに伝えろ」

「りょーかい」

大男がにかりと笑った。そのまま笑顔でカウンターの横へと歩いていく。行く途中で

椅子に座っていた気の強そうな顔の青年の頭をくしゃりと撫でたら、背後から抗議の声

を投げられつづけたが、それも笑って流し大男はカウンター横の扉の中に入っていった。

彼のいなくなった室内には青年の怒った顔と笑い声が残された。



             ***


グレンが腰の剣を抜こうとしたときだ。突然、冷たく静かな夜の空気にピィーという高い笛の音が響き渡ったのだ。音の元は国家兵士の間で使われている笛の音。三人が一様に動きを止めて体を顔を周囲に向けると、続いて兵士たちの声が聞こえてきた。

「黒の魔術師だ!!!」

ジャックを引きずっていた兵士の手から赤いマントがはらりと落ちる。驚きの顔に変わ

った兵士は目の色を変え、放したマントのことなど忘れたのか駆け出す姿勢でグレンと

ジャックを見た。

「ここで待っていなさい」

言い残して彼は笛の音に向かって走っていく。赤い色の軍服は夜の中に紛れて消えた。

「・・・・・行っちゃったな」

グレンが瞳に感情を取り戻し、ジャックはほっと肩の緊張を解く。

「た、たすかったぁ~」

「よかったねぇ」

ジャックは長身の男を恨みがましく睨みつけた。精一杯睨みつけているのだが

残念なことに迫力はない。

「キミのせいじゃないかっ!!!」

「いざとなったら力ずくで止めたよ」

と肩をすくめて答えると、ジャックは不信の目でグレンを見上げた。

「へぇ、いいの?ヒーローがそんな顔してさ。そんな顔じゃ人気が出ないぜ」

「いいや。欠点があった方がヒーローは愛されるものさ」

(って、欠点ばかりじゃん。まぁ、天然でかわいいっつう奥様もいるだろうからなぁ)

うーんと唸るグレンをよそに、ふふんと楽しそうなジャックは先に進んでいく。

空を見ると見慣れた月が輝いていて、そういえばアジトは月が良く見えた場所だったと思い出し、とりあえず月があるほうへ歩いていく。正しいという確信はなかったが、なんとなく大丈夫だろうという自信があって、足に迷いは生まれない。よって後に続くグレンにも不安は生まれず、二人はアジトを探して町を彷徨った。

さすがに腹がすいてジャックが大人しくなっていると、

腹具合など知らぬグレンは、どうしたのかと心配になった。

「なんだよヒーロー。まだすねてんのか」

とグレンが気軽に、でも疲れているからちょいと気だるく訊ねてもジャックの目は遠くにいってこちらを見ない。

「・・・・いえ、ちょっと気になることがあってね」

「なにが?暇だから聞かせてくれよ」

グレンはかすかに灰色の瞳を輝かせた。

「いえ・・・・・」

だがジャックは黙り込んでしまう。答えてくれそうにもなく、グレンは感慨深げにジャックを眺めてから無言のままで歩を進めた。町中を歩いていても、酒場の廃屋から出たとき以外に兵士に出くわすことはなかった。


「あ」


「なに・・・敵でもいたか」

とグレンが少し下を見てみると、ジャックは何かをひらめいたように嬉しそうで、顔に笑顔が張り付いている。変わりに受け答えたグレンは気だるい顔だった。

「思い出しました!アジトの場所!!!」

拳を握って長身の男を見上げるが、灰色の瞳は気だるそうなままだ。

「・・・・・・・・・・」

「あの・・・思い出しましたよ~?」

やる気の抜けたグレンの顔に、少しずつジャックの言葉が浸透していく。みるみると

目は輝きをまとって。

「・・・・・おぉ!!思い出したのか!それでどこだ」

「そこです」

ジャックの指が闇の中の灯りを示す。指し示すジャックの指には皺が数多く刻まれていた。努力と苦難の証のような皺には優しい深みが感じられる。

月と星の明かりだけが頼りだった夜に現れた灯りは、橙色の光を透過する窓で、石で造られてから随分とたつ町にある荒廃した酒場の窓であった。

「あれ。俺さっきあそこに行こうって言ったような気が・・・・」

あれ、とグレンは抜けた顔をしている。まだ意識はぼんやりしているようだ。

「え?言いました?」

ジャックにはまったく聞いた覚えがないようだ。

「いや・・・・・言っ・・・・た!ああ言った!言ったよ。そんであんた返事しなかっ

たから俺もう、つまんなくてつまんなくて」

グレンは至上の悲劇に出くわしたように、憂いの表情で肩をすくめる。天を睨んでいるようにも見えた。

憂いのグレンを見ると性根の生真面目なジャックは一気に目を覚まし。

「そっそれはごめんなさいっすみませんっ!」

必死に頭を下げる。ものすごく腰が低い。

「俺って何様・・・?」

ジャックの腰の低さに、グレンは一変して困った顔をする。

「グレン様ですか?」

おじさんは小首をかしげた。

「うわっ鳥肌たつからやめろ!」

腕をさするグレンがジャックとの間に距離を置き、ジャックが追いかけて近づいた頃、先を進むグレンの前に酒場の扉が佇んでいた。

「あと三歩くらいだと思ったのに・・・」

三歩早く着いてしまって、目安が外れたグレンは肩を落とす。

ふふん、とジャックは自信満々で。

「そのくらい気にするでないぞ。私は考えもしなかったからな!」

ヒーローは元気に何度かグレンの背を叩いた。「いてぇ」と抗議の声が上がっても

ヒーローは気にしない。そのまま酒場の扉を開けると、チリンチリンと扉の上でベルの音が鳴った。

「いらっしゃい」

扉を開ければマスターが微笑みつつ声をかけてきた。白いYシャツを着たマスターは

ワイングラスを拭いていたが、二人を見るとかすかに表情を強張らせた。

マスターの微かな変化に気づいたグレンもまた気を引き締めて歩を進めた。ジャックだけが何も気にせずに、むしろ嬉しそうに悠々とカウンター席へ歩いていった。

グレンはジャックの後に続いて彼の隣に腰かけ、椅子と椅子の間の広いカウンター席から中にいる男を観察する。人のよさそうな中年。少し白髪の混じった黒髪をオールバックに固め、雰囲気からも表情からも渋みがある。

(鍛えてるな)

グレンは思う。ワイングラスを磨く男の体つきは剣を扱う者のそれだった。

「ウイスキー」

頼むと、畏まりましたというマスターの渋い声と微笑が返ってくる。拭いていたグラスを置く動きにも、微笑み続ける顔にも一分の隙も見当たらない。これではむしろ怪しいだろう。と思うグレンの隣で、ジャックがミルクを頼んだ。

「酒、飲めねぇの?」

「ヒーローは飲まないのさ」

そんな設定あるのだろうか。

「ふーん・・・・でこれからどうすんの」

ジャックはあからさまに周りを気にしたかと思うと、小声で。

<私が皆に君を紹介しよう、しばらく待っていてくれたまえ>

店の中には彼らの他にも数人の客がいた。彼らまでとの間には距離があり、たとえ小声でなくても聞き取られることはなさそうだが、グレンもつられて声を潜めた。

<分かった。今度は酒もあるしな、いくらでも遅くなっていいぜ>

<うむ。では行ってくるぞ>

マスターが笑顔で出したミルクを一気飲みし、椅子を立つ。真剣な表情になったジャックが可笑しく、グレンはにやりと笑う。

「もう床にはまるなよ~」

ジャックは言い返したい気持ちを内に圧し留めて、むっと顎に皺を作った。だが噴き出すように笑うと、カウンター横にある木製の古びた扉の奥に消えていく。

酒蔵にでも続いていそうな扉が開いたとき、マスターは微笑みながらグレンにウイスキーを提供していた。入っていくことには咎めも何もなさそうである。

(俺も行けるかな)

試しに行ってみようと扉まで行って開けようとしたら、微笑むマスターに。

「お客さん、駄目ですよ」

と止められた。

「ちぇっ。けちなんだから」

へっとふてくされたように笑ってから、ハハと噴き出して席に着く。

酒を飲みながらゆっくり待つことにした。



               ***


「やぁ諸君、ただいま」

アジトとしている地下の酒場に入っていく。おかえりの言葉を期待していたのだが、

ただいまと言うと皆に不信の目を向けられた。

ジャックの大きくもない体が畏縮してちっこくなる。

「どう、どうかしましたか」

と黒髪の男に反応を求めた。深い緑色の瞳を持ち、端整な顔立ちであるカイムという男はやはり今も眉間に皺を寄せ、ジャックを睨むように見据えてきた。

(あれは不機嫌なときの皺ですね。悩んでるときの皺ではなさそうだ)

付き合いの長いジャックには皺のできている理由が読み取れるのだった。

「今日兵隊共がここを探していたらしい。それも

 『俺はアジトを知っている』と叫んでいる奴の声を近くにいた浮浪者が聞き、兵に

 知らせたからだそうだ。幸いクローが遠くへ注意をそらさせたから良かったが、上を

 捜索され、ここも危うい所だった」

緑の瞳には一切の情がない。

「叫んでた奴が誰か、心当たりはあるか」

ジャックは数歩背後に下がり、困ったように視線を彷徨わせた。

「・・・えっと・・・・・・・・」

謝ればいいだけのことなのに、ちいさなプライドが邪魔してそれができない。

「素直に吐いちゃいな、今言えば誰も責めたりしないよ」

プライドの壁の上から手を差し伸べたのが、裏のマスター・リースである。

彼女は淡い金色の波打つ髪をもち、明るい緑の瞳をちょっと吊らせている美女だ。

気の強い西洋天女が舞い降りたらこうだろうという容貌である。ちなみに子持ち。

「ほ、本当ですか?」

ジャックの場合、プライドが傷つくよりも怒られるのが怖かったらしい。

「あの、その、実は・・・・・・・・・私が言いました。」

大量の溜め息が合唱のようだった。

「やはりな・・・」

「へ・・・?」

カイムは端正な顔で呆れてみせ、額に手をあてた。

「それで何故そのような馬鹿げた事を言った」

つとジャックを睨みつける。ジャックといえば、蛇に睨まれた蛙のよう。

「さすがに無意味に叫んだりはしていないのだろう」

「・・・実はアジトを探している人がいまして―――」

身振り手振りを交えて一から説明しようとしたら、横から低い声に遮られた。

「お前なーにをしてんだよ。まさか教えたのか!?」

体格のいい大男だった。彼の名をダンクルートという。ダンクと略されて呼ばれること

の多い反乱軍攻撃の要となる男だ。

「え?はいもちろん。でも心配はいりませんよ。性格はともかく我々と同類ですから」

「・・・・反逆者なのか?」

カイムは睨みつけることはやめ、ジャックが怯えないよう穏やかな表情を努めて訊ねた

「はい。しかも我々より明確な目標を掲げています」

カイムの努力は報われてジャックは怯えていない。

「何だ」

「国の乗っ取りだそうです」

穏やかな表情は消え去った。変わりに横からのダンクルートの笑い声が耳をついた。

「はっはっはっこれまた変なのをみつけたな。ジャック」

つられてジャックもアハハと笑い返すと、静まり返っていた部屋に二人の笑い声だけが

虚しく響いた。

「・・・・・それで?」

つとカイムがジャックを見る。彫刻のような美しくも無表情の顔である。

「今、そいつはどこにいる」

ジャックは「ああ」と納得した後で、のんびり微笑んだまま一本の指を天に向けた。

「何だ。それは」

カイムの眉間に皺がよっていたが、ジャックは気にせずとぼけた顔だ。どうやら腹を

くくったらしい。

「上に、います」

周囲の時間が止まったようだった。

止まった様な沈黙が続く中で、ジャックが冷や汗をかき始めたとき。

「やっぱり、男はだめだねぇ」

動きのなくなった場を、意志の強そうな女性の声が裂く。

声の主は地下食堂兼酒場のマスターであるリースだ。カウンターの中に陣取るリースは

波打つ淡い金髪でスタイル抜群の美女だ。今この場に居る客の中にも

彼女のファンは数多くいる。

「せめて女性だといいけど」

女性に多大に偏った見解を持っていることが玉に傷。

「背の高い青年ですよ」

「救いがないねぇ」

リースの手元でじゅぅじゅぅと料理の作られていく音がしていた。少し遅い夕食時の室内にはおいしい匂いが漂っている。カイムが、行動を起こす前の息抜きのように深く

呼吸をすると、香ばしい香りと空気が体に入り込み満たされたような気分になった。

不思議と眉間の皺も消えていけば周りの人々は一安心だ。






 ***


アジトからは遠く、けれど同じ街にある場所で細身の男が佇んでいた。

月の下で立つ男は紅の瞳を北へ向け、憂いの吐息を夜気に零す。

現れた白い息は、最後の夜を思い出させて眉間を寄せた。

ここに再び立つ時はきっと一人ではないと信じ、耐えてきたのに

「どうして・・・・・・・・」

なぜと問い詰めようとして、落ち込む意識を別の意識がすくい取る。

わずかに高潮した気分を意思で払い、また空を見る。

月と、星は、昔と変わらず美しい。

「こんな筈ではなかった」

今頃は罪だけを着て苦笑しながらここに立っているはずなのに、と思う。

そのために犯す罪の罪悪感も、何も知らずに異界から来た人物を殺すことへの抵抗も、遠の昔に内へ秘め隠したはずで、たとえ現れた人物がどんなに魅力的な人間でも

笑顔を顔面に貼り付けて深く自分に関わらせないようにする自信があった。

深く関わらないように関わる。そんなことは貴族として、そして内心を読まれてはいけない予言師として身に付けているし、なくしたとも思ってはいない。

けれどその時が来ると、すべての技術が力を無くした。

何故なのか。

確かに、現れた神といわれる人物は見たことのない容姿の人だった。黄色人種的でありながら白色人種的でもあり、だがその肢体は黒色人種のようでもある。では混血種かと思えばそれもまた違ってくる。交じり合った血とも違う美しさが彼女にはあった。

だがそれだけだ。

関心を持たなければ美しさなどただの飾りと変わらない。

関心を持たず、心を通わさぬようにし、情の移ることを避け、心に触れないように

触れさせないように、距離を置いて関わっていたはずだった。

「なぜ恋しい・・・・・・」

あの笑顔に負けたのか。あの優しさに負けたのか。あの不思議に負けたのか。来る日も来る日も目が覚めれ彼女を想い、眠りにつけば夢で出会う。夢の中では彼女と二人でこの場所に立ち、彼女は優しく微笑みかけてくれた。それが夢でなければ良いと、

目が覚めて思うのだ。

「み・・・・・・・」


名を呼んではいけない。


呼べば音に負けてきっと涙がこぼれてしまう。

きっと殺そうとした相手へ恋し苦しむ今の俺を知れば、誰もが滑稽に笑うだろう。

幸いに今は何も知らない他人たちは、まだ笑わずに俺の周りを素通りするが

毎日同じことをしていればいずれ勝手な噂が立つことだろう。


今日も俺は


彼女と旅したスイラの空を、全てを失ったアルザートの故郷から眺めている。

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