「鍵をなくした妖精」
求め続けていれば、願いに近くなれる。
叶わないと思えるものにも、手を伸ばせば、ほんの少し距離を縮められるだろう。
選ぶことも出来ずに、理不尽と思える人生を歩んでいる者もいる。
それでも……生きていて良かったと、生まれてきたことに僅かでも喜びを見出すことができるように、「希望」を届けられる人間でありたいと、保志龍樹は思っている。
──そうありたいと決めたのは、もうずいぶん昔のことだ。
そして、その想いの源泉と言える存在、都築ハルカと龍樹は再会を果たした。
大人になったハルカが、自分の事を覚えていたことにも驚いたが、それ以上に……龍樹の書いた物語を思い出し「ありがとう」と告げられたとき、龍樹のなかで今までの人生の全てが報われた気がした。
作家という道を後悔したことはないが、物語を書いていて良かったと、心の底から思うことができた。
──同時に……ハルカに抱く自分の想いも自覚した。
だが、ひとつだけ引っかかりが生まれた。
再会を果たした日……別れ際にハルカが言った言葉が、龍樹の頭から離れない。
「ねえ、龍樹くん。クルスは妖精の国に帰ったけれど、一人きりで心細くなかったかな? ちゃんと幸せになれたのかな──?」
クルスというのは、「鍵をなくした妖精」に出てくる主人公のひとりだ。
少しの逡巡のあと、龍樹は「そうだね。幸せになれたはずだよ」と、返事をした。
しかし──どうしてハルカがそんな事を質問したのか、後から疑問が湧いてくる。
ずっとそのことを考えながら、数日の時を過ごした。
龍樹は仕事の手を止め、部屋から出てリビングへと向かう。
そしてリビングの本棚から「鍵をなくした妖精」の絵本を取り出す。
(──ほんと、綺麗な絵だよな……)
表紙を眺めるたび龍樹はそう思う。
この絵本は、秤アキラという女性が描いたものだ。現在もフリーのイラストレーターとして活躍している。
絵のことをよく知らない龍樹でも、秤アキラのイラストの素晴らしさはわかる。
まるでそこに生命が宿っているかのような温かさがあるのだ。
風を感じ、匂いを放ち、星の声すら聞こえてくるような、そんなイラストを描けるアーティストだ。
「鍵をなくした妖精」の表紙には、夜空に手を伸ばし、美しい鍵を手にする妖精──クルスが描かれている。
鍵を手にしているクルスは、どこか哀しげな眼差しをしている。
それはまるで──願い求めても決して届かないのだと、嘆いているようにも見えた。
秤アキラは、この物語を読んで何を感じただろう……。
クルスの哀しげだが、それすらも美しい瞳を眺めながら、龍樹は思考する。
(──俺は、クルスを幸せにできたのか……?)
龍樹がはじめて書いた物語──
絵本になった時、物語の一部は簡略されてしまったものの、龍樹は最高の結末が書けたと思っていた。
しかし、それは本当に……?
(──俺が、この物語にこめたのは……)
今はもう遠くなってしまった、過去の自分の思いを掘り起こすように、龍樹は表紙をめくる。
きっと答えは、自分の物語にあるはずだ──。
『鍵をなくした妖精』
ひとりの冒険者の少年がいました。
名前はレイン。
レインはまだ少年でしたが、行方知れずの両親をさがして、世界中を旅していました。
ある日、レインは深い森のおくで、ひとりの妖精と出会いました。
とても、うつくしい姿をした妖精……
名前をクルスといいます。
妖精というのは、人間とは別の世界にくらしていて、人間には無いとくべつな力を持っている存在のことです。
生きる長さも、人間より妖精のほうが長いのです。
レインの行方知れずの両親は、妖精が大好きで、妖精の研究をしていました。
だからレインも、小さなころからずっと、いつか妖精に会いたいと思っていたのです。
妖精クルスは森のなかで、ひとりぼっち、悲しい表情をしていました。
「なんで、そんなに悲しそうにしているんだ?」と、レインはききました。
すると、クルスは涙をこぼしながら言ったのです。
『たいせつな鍵をなくしてしまったんだ。
鍵がないと、妖精の国にはかえれない──
たとえ、かえれたとしても、ボクはどこにいってもひとりぼっちなんだ。
ボクはなんのために、生まれてきたんだろう』
ひとりぼっちのさびしさをレインはよく知っています。
心のなかが冷たくて、哀しくて、とてもつらいのです。
レインは、クルスのたいせつな「鍵」をさがすことにしました。
妖精はみんな、自分の鍵をもって、生まれてくるのだそうです。
ふたりは何日も何日も、深い森のなかで、鍵をさがしました。
レインは木の実や、きのこを食べ、クルスは月の光をあびた葉の雫をなめて、お腹なかをみたし、寒い夜はふたりでくっついて眠りました。
ふたりは、いろいろな話しをしました。
レインは今までの冒険の話しや、とつぜん消えた両親をさがしていること。
そして、ずっと妖精に会いたい思っていたこと。
「はじめて会えた妖精が、クルスでうれしかった」と、レインは言いました。
クルスはとても幸せな気持ちになりました。
クルスは、生まれてからずっと、ひとりぼっちでした。
なぜなら、クルスは妖精の世界で、きらわれていました。
クルスは妖精の女王の子供として生まれましたが、ほかの妖精よりも成長が遅く、小さくて弱いのです。
なのに、クルスが生まれたときからもっている鍵は、ほかの妖精がもつどんな鍵よりも、うつくしくて力強い輝きをやどしていました。
『お前みたいな弱いものが、なぜ、世界から愛されるのだ……』
妖精の女王にきらわれ、罠にかかり、クルスは妖精の世界から追い出されてしまいました。
鍵も、その時になくしてしまったのです。
鍵がなければ、新月の夜にあらわれる、妖精の世界へのトビラをあけることができません。
それに妖精の世界にかえらなければ、クルスは力をなくして死んでしまいます。
レインとクルスは、必死に鍵をさがしましたが、見つかりません。
クルスは心のなかでは、あきらめていました。
それよりも、レインと友達になれたことがうれしくて、この時間がいつまでも続いてほしいと思っていました。
しかし、とうとうやってきた新月の夜。
とつぜん、ふたりの前にダークエルフがあらわれたのです。
ダークエルフとは、暗黒の力をもった、妖精の国から追放された、悪い妖精のことです
しかもダークエルフは、クルスの鍵をもっていました。
『さあ、妖精の国へのトビラをあけろ! そして、ともにこの世界を支配するんだ!』
クルスの鍵は、特別なものだと、ダークエルフはいいます。
ふつうの妖精がもっている鍵は、妖精の世界のトビラだけ開けることができます。しかし、クルスの鍵は、さまざまな世界につながるトビラを開けることができると言うのです。
しかし、鍵をつかえるのはクルスだけ。
そこでダークエルフはクルスを仲間にして、さまざまな世界を支配しようと、たくらんだのです。
『クルスも、クルスの鍵もわたさない──!』
大切な友達をまもるため、レインは戦います。
レインの剣がダークエルフの服をきりさくと、ダークエルフのふところから、青くかがやく魔法の石が落ちました。
レインはおどろきます。
その魔法の石は、レインの父親が大切にしていたものでした。
『まさか、おまえが、父さんと母さんを──』
ずっと、ずっと探していたレインの両親。
ダークエルフに魔法の石を奪われ、魔物のいる闇の世界にとばされていたのです。
きっと、もう、生きてはいません……
『そんな……、父さん、母さん……』
かなしみに打ちひしがれながらも、クルス守るため、レインは戦いました。
クルスも、魔法をつかい、レインといっしょに戦います。
ながいながい戦いのすえ、レインの剣がダークエルフの魔法をくだき、勝ちました。
ケガをおったダークエルフは、そのままどこかへ逃げていきました。
クルスは、なくした「鍵」を取りもどすことができました。
これでクルスは妖精の世界へとかえれます。
しかし、クルスは言いました。
『ぼくは、この鍵といっしょに消えてなくなることにするよ。もう妖精の国へかえっても、みんなボクのことを嫌っているし、ひとりぼっちでさびしいだけだから』
かなしげなクルスを見て、レインは心がいたくなります。
それに、クルスに消えてほしくない、生きていてほしいと強く思います。
『クルス、おまえが消えてしまったら、オレは哀しい!
明日、もしかしたら、大切な何かに出会るかもしれない。
明日、大切な気持ちに出会えるかもしれない……そうやってオレは生きてきた。
そして、クルス──おまえに会ったんだ!
生きろ、クルス!
おまえもう、ひとりぼっちなんかじゃない!
オレにとって、お前は大切な存在なんだ!』
レインの言葉は、クルスの心にとどきました。
クルスは、はじめて自分のことを好きになってくれた人に出会えたと思いました。
そして「希望」をもち、生きていくとレインと約束します。
『クルス、オレたちはずっと友達だ!』
『ありがとう、レイン』
クルスは取りもどした鍵を、夜空にかざします。
すると星のまたたきが集まり、かがやくトビラがあらわれて、クルスは妖精の世界へ帰っていきました。
レインは、いつかまた、クルスに会えると信じて冒険に旅立ちました。
おわり