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線路に降る雨①

 保志(ほし)龍樹(たつき)は二年前──二十二歳の夏、日本に帰ってきた。

 日本で作家になると決めていたからだ。

 その夢は小学五年のあの夏のはじまり……通り雨に降られた日から変わる事は無かった。


 龍樹が中学に上がる年。

 保志家は一家の支柱である父親──賢二(けんじ)の仕事の都合で、アメリカの田舎町に引っ越すことになった。

 賢二は天文学者だった。

 大学で講師をしながら、「宇宙」や「星」に関する研究をしている。

 引越し先の町には、大きな天文台と研究施設があって、そこに賢二は呼ばれていた

 本当はもっと早くに移住するつもりだったらしいが、龍樹の六歳年下の弟──夏樹(なつき)は生まれつき身体が弱く、一家は引越しどころじゃなかった。

 夏樹の身体の具合がようやく安定してきた頃、賢二はアメリカ行きを家族に告げた。


(日本で、作家になると決めたのに!)


 龍樹は、まだ自分が幼くて力が無いことを自覚しながらも、引っ越すことに猛反対した。

 日本から離れることで、夢が遠ざかってしまうと思った。

 龍樹の主張に、賢二は手を焼いた。

 そこで見かねた叔父が仲裁に入る──


『本当に行きたくないなら、俺が龍樹の面倒見てもいい。だがな……アメリカで暮らすのも良い経験だぞ。作家になった時、その経験は必ずおまえの武器になる……』


 何人もの作家の担当編集を生業にしている叔父は、そう言って龍樹を宥めた。

 さらに叔父は、海外で活躍する日本人作家の話もしてくれた。そこまで言われたら、龍樹も納得するしかない。

 最終的に……叔父から「プロ作家になるまで、ちゃんとサポートする」という約束を取り付け、龍樹は家族とともに見知らぬ土地へと旅立った。


(──いつか、ぜったい日本に帰ってくる! それまで海外(むこう)で磨くんだ!)


 幼い胸の内で、決意を固めた。


 新しい環境と、異国の言葉……。

 龍樹は同年代の子供達のなかでも浮いた存在だった。

 遊びに誘われても断り、「ちびっこ」と揶揄われることがあっても歯牙にもかけない。ちびっこと言われても、そもそも人種的な問題だから争っても意味がない……。

 ただ熱心に本を読む日本の少年──それが周りから見た龍樹の印象だった。

 友達ができない龍樹を両親は心配していた。

 だが龍樹の関心は、いつも別なところにあった。


(遊んでいるような暇も、寄り道をしている時間も無いんだ。作家になるんだから!)


 やると決めたからには、辿り着くまでは何が何でも突き進む。

 学校に行って勉強する時間と、必要最低限な生活の時間以外を、龍樹は読書と物語をつくることにあてていた。

 プロ作家の本を読み、自分の文章の稚拙さに打ちのめされる毎日……。

 それでも瞼を閉じると、都築(つづき)ハルカの……あの日の横顔が浮かんできて龍樹の胸を熱くさせた。

 あの時──『生きるよ……』と呟いたハルカの声音が頭から離れない。

 不思議だと思う……。

 都築ハルカという少女の事を、龍樹は断片的にしか知らない。

 言葉を交わした事も数回程度だ。

 けれど、龍樹の心をこめて書いた物語に、ハルカは感動してくれた。


(きっと……俺たちは、心のどこかが似ているんだ……)


 ハルカが絵本をぎゅっと抱きしめた時、龍樹はまるで自分の心を抱きしめてもらったような、救いにも似た安堵感を覚えた。

 そして、ハルカもまた「生きる」という、切実すぎる思いを口にしていた。


(「生きる」と決意しなければいけないほど、心を痛めることがあったのか……)


『鍵をなくした妖精』は、人間の冒険者が、心が傷ついたひとりぼっちの妖精と出会い、お互いを深く信頼し、やがて希望を見つけていくお話だ。

 だからあの物語が、ハルカの希望の一部になれたのだとしたら嬉しい。

 今頃、ハルカはどのように過ごしているだろう……。


(いつか……いつかまた、俺の物語を見つけてくれますように……)


 作家になるため、龍樹の課題は山積みだった。


 龍樹の日々は過ぎていく。

 変わった事といえば、龍樹はハンバーガーショップでバイトを始めた。

 読書をする時間が減るのは嫌だったが、それ以上に世間知らずな自分に気付いたからだ。

 世の中を知らない自分が書く物語が、あまりにも安っぽく感じられたから。

 ──体験したからこそ書ける文章がある……。

 龍樹はほんの少し日常の活動範囲を広げていった。


 バイト先で、思いがけず友達もできた。

 龍樹のひとつ歳上の少年で、名前をキースと言った。

 驚くことに、キースは日本の文化に興味を持っていて、独学で日本語を学習しているという。

 龍樹が持っている漢字だらけの小説を見て「いつか読めるようになりたい」と、笑って言った。

 キースとの出会いがきっかけで、龍樹の交友関係は広がった。ガールフレンドもできた。

「夢」を語り合える者と過ごす時間は楽しかったし、興味の対象も増えて、そのぶん勉強する時間も多くなる。

 ──それは全て物語を書くため……

 作家になるために、やらなくてはいけないことが龍樹には山ほどあった。

 だからやっぱり、遊びの誘いを断ることも少なくなかった。


 叔父とは定期的に連絡を取り合っていた。

 日本の様子、最近売れている作家の物語の傾向や、龍樹が書いた小説に対してのアドバイスなど、約束通り、叔父は龍樹の夢に力を貸してくれていた。

 残念だったのは、龍樹が大学にあがる年、叔父が編集者の仕事を辞した事だった。

 かわりに、叔父は、後輩の深山(みやま)アカリという女性を紹介してくれた。

 アカリは三十代の現役編集者で叔父が可愛がっていた育てた後輩だった。以前は作家志望だったという……。

 叔父を通じて、アカリはずいぶん前から、龍樹の書いた小説の全てを読んでいたようだ。

 そのため、龍樹に対してのアドバイスも的確だった。

 アカリに何度も言われていた事がある──


『もっと知らないものに飛び込んでいくこと。もっと外に出て、人と話して、知らない場所に行って……そこで貴方がどう感じて何を人生に思うのか。それが貴方の文章をきっと豊かにするわ……』


(まだまだ、俺の物語には足りないものが多いのか……)


 アカリの言葉に項垂(うなだ)れることもあった。

 新しく書き始めた小説も煮詰まって、焦りとイライラが募っていく。

 もがき続ける日々に、龍樹は「夢」を追うことに疲れを感じ始めていた。

 そんな時──


「家族みんなで、流星群を観にキャンプに行こう──!」


 龍樹の父──賢二(けんじ)が珍しく声を上げた。

 賢二は天文学者で、人生の大半を研究に捧げていると言っても過言ではない。

 その賢二が「流星群」というビッグな天体ショーの日に、キャンプ……。


(こういう時こそ、天文台で観測したほうが良いんじゃないのか?)


 龍樹はそう思ったが、久しぶりの家族行事に母も弟も嬉しそうにしている。そしてその輪の中にいると、不思議とささくれ立っていた心も和んでいくのを感じた。


 キャンプの日。

 龍樹は賢二と一緒に地面に寝転び、夜空を仰いでいた。

 星の瞬きが宝石のように眩しいことを、龍樹ははじめて知った。小さな{煌}(きら)めきたちの中に、流れる真っ白な流星がいくつも見えた。

 この流星群は明け方に極大を迎えるらしい……。


「夜明け前の空が一番暗いと言うから、きっと流星もキレイに見えるだろうね。──それより父さんは、天文台に行かなくて良かったの?」


 ずっと疑問だったことを龍樹は聞いた。


「まあな。久々にこうやって肉眼で星を見たいと思ったんだ。俺の人生は「星」に出会ったことで変わったようなものだから……」


「へえ……」


 人生を語る賢二を、龍樹ははじめて見たと思った。


「龍樹、「星」とは何だ──?」


「え……、どういう意味?」


 龍樹は首を捻る。

(何かのひっかけ? ええと……「星」というのは……)


 学校でも習ったことだ。それに、仮にも天文学者の息子である。


「星とは何かと聞かれたら、太陽と月以外の天体すべて……と答えたくなるけど、そういう事じゃないの──?」


「そのとおりだ。驚いた……お前は天文学には何一つ興味が無いと思ってたぞ。ずっと小説を書くことに夢中だったから……」


「興味が無いわけじゃない。ただ……やりたいことが書くことだったんだ」


 話している間にも、二人の視界には、幾つもの流星が軌跡をえがいていく。

 賢二は瞳を細めて、流れては消えていく「それ」を見つめながら語る。


「昔から人間は、あらゆるモノを「星」としてきた。(くらい)の高い者が死んだら、天上の星になると信じられてきた時代もあったし、「星」は旅人たちの地図でもあった──」


 賢二は、右腕を天頂に向かって真っ直ぐに伸ばす。


「それから「星」は、目に見えているのに手を伸ばしても決して届くことのない「理想」の象徴だったり、逆に「希望」という意味が、タロットの「星」のカードにはある。俺は「星」も「人」も同じだと思うんだ。星は無数にあるが、同じ星は存在しない。人も同じだ──唯一無二の存在だ──」


 唯一無二……。

 そう、どちらも特別な存在なのだと、賢二は言いたいのかもしれない。


「もしも「星」が無かったら、どんな世界になってただろう? 」


「はは……。そもそも星が無い世界に、俺達は存在しないだろうな。……だからこそ、意味を見つけたくなる。こうして存在している意味を。俺は子供の頃、星空を眺めては願いごとをしていた。幼いながらに辛い時期があってな……。眠れない夜に、なんでも聞いてくれる「星」が唯一の{慰}(なぐさ)めになっていた。俺にとっては、真っ暗な闇の中で輝く光は、生きる希望だったんだ──」


 生きる希望──。

 龍樹の心臓がドクリと音を立てた。

 流星群を見つめる瞳の裏側に、あの日の、都築ハルカの姿が蘇る。


『わたし……生きるよ……』


 あの言葉が、龍樹の人生の道しるべとなった。


(俺はあの時……俺の書いた物語が「希望」になったと思ったんだ。だから俺は書くって決めたんだ。誰かの「救い」になるものを──)


 自分が誰かの救いになる……。

 もしかしたらそれは、自分勝手な{驕}(おご)りかもしれないけれど。


「龍樹、俺は死ぬまで星を求めていくんだろう……。それはこの宇宙に存在する者たちの、生まれた意味を探す旅のようなものだ……」


「父さん、俺は……」


 龍樹は自分の胸の中にある「想い」が、熱を帯びていくのを感じた。それは夢を持ったあの時から消えること無く龍樹を導いてきた。

 焦っても、うまくいかなくても、賢二にとっての「星」のように、龍樹にとって「夢」は希望そのものだ──。


「父さん、俺、大学を卒業したら日本に帰る。帰って、作家になる……!」


「ああ。頑張れ──!」


 満足げに賢二は頷いたあと「寂しくなるな」と、呟いた。


 龍樹は宣言通り、大学を卒業すると同時に日本に戻ることになる。

 それだけでは無い。

 やっと……深山アカリが納得するだけの物語を完成させることができた。

「鍵をなくした妖精」から、かなりの時間を要したが、「星樹」という賢二が付けてくれたペンネームで作家として歩んでいくことになる。


 日本に来てからは俄然忙しかった。

 叔父には色々助けられた。

 龍樹が日本に来てすぐに執筆に専念できるよう、身の回りのことを全て整えてくれていた。

 龍樹の住まいは、幼い頃に住んでいた場所と同じだ。

 今では古いものと新しいものが混在していて、あの頃とは漂う空気がまるで違った。

 街を歩き、記憶の中にある風景を辿ることは、宝物を探し当てるような気分だった。

 そして龍樹は、一歩を踏み出したこの街で、ずっと心の中に大切にしまっていたものに再会することになる……。


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