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君のために紡いだ物語③



 バスから降りると、ごうごうと海鳴りが響き、寄せては返す波の音が空気を伝って、身体のなかを振動させる。


 ──龍樹の鼓動が早くなる。


 それは大いなるものに触れた時の感覚だった。大自然のエネルギーが容赦なく、自分のなかに入ってくる。

 龍樹は全身でこの感覚を感じながら、頭のなかでは冷静に記憶として刻んでいく。

 風が肌の表面を叩く強さ、そして乱れていく呼吸に、波が砕け……最後に残していく余韻のような音色。

 いつか言葉で残す日が来るかもしれない……。


 龍樹の前を、ハルカが誘導しながら歩いている。

 ハルカが身につけている柔らかな生地のスカートの裾が揺れ、彼女の細い輪郭が露わになる。

 頼りなさげな、ほっそりとした輪郭が、龍樹の呼吸を苦しくさせた。

 辺りを見渡す。

 よく整備された公園だった。

 右手には海を臨める遊歩道が伸びていて、ほんの数メートル先に足を伸ばせば、そこはもう波打ち際だ。

 左手は小高い丘──削られた崖の端に続いていて、高い場所から海原が望めるようになっている。

 ハルカは、崖のほうにむかって歩いていた。

 足元は短く伸びた芝生で覆われていて、歩くたび足の裏に柔らかな土の感触がした。


「──龍樹くん、見て……!」


 海原が見える場所まできたハルカが、指を差して言った。

 龍樹の視界が、青色一色に染まる。


(すごいな!)


 空の色を写し取ったかのように、深く澄んだ青色が、太陽の光のもと輝いている。

 力強く、偉大で、そして美しい……。

 しかし感動したのは、それだけでは無かった。


「龍樹くん、波を見て……!」


「波? ──あれはっ!」


 龍樹は一瞬、「時」という概念を失くした。


「虹──!」


 寄せた波の水飛沫が強い風にあおられ霧となり、宙に舞い上がると同時に、虹色の光を生みだしている。

 まるで……舞い散る花びらのようだ。

 縦横無尽に、七色の輝きが、風とともに海面で踊っている。

 自然が生み出す美しい奇跡に、龍樹の目は奪われた。


「この場所は、いつも強く風が吹いている場所だから、風向きと……太陽の位置のタイミングが合えば虹が見られるって聞いたの……」


「俺が、虹が見たいって言ったのを覚えててくれたんだな……」


「初めてこの「虹」を見たとき、龍樹くんにも見せてあげたいって思ったの。今日見れたのはラッキーだったね。もし見れなくても、この海は綺麗だから……」


「すごく綺麗で感動した。……ありがとうハルカ」


 龍樹は右手を宙に伸ばす。


(──虹の輝きも、今なら掴めそうだ……)


 真っ白に泡立つ波が砕け、七色の煌めく光の粒子が、風に乗って二人を包んでいく。

 龍樹は伸ばした右手をぎゅっと握ると、それを自分の胸に押し当てた。


「俺はこの景色を、一生……忘れない!」


「私も……忘れないよ……」


 龍樹の隣で佇むハルカは、光を受け、微笑みを浮かべていた。

 海も、虹も、空も、ハルカを含めた世界の全てが美しく見える。

 そして、龍樹は決意する。


「ハルカ、キミに渡したいものがあるんだ」


 龍樹はバッグから厚みで膨らんだ大きめの封筒を取り出すと、それをハルカに手渡した。


「これは?」


「──『鍵をなくした妖精』の小説だ」


 龍樹はハルカと向かい合う。

 そして驚いているハルカの瞳をしっかりと見据えて言った。


「ハルカに読んで欲しくて書いた。絵本では、鍵を取り戻したクルスが妖精の世界に帰ったことで物語は終わったけど、ここにはその続きが書いてある」


(ちゃんと、ハルカの心に届くように…!)


 そのために、龍樹はここまできたのだから。


「ずっと……ハルカのことだけを想って書いていた。ハルカは両親から愛されていないと言ったけど、愛にはきっと色んな形があるんだ。虹もそうだよな? 空に架かるものだけじゃなかった。きっとハルカは、これから生きて「それ」を見つけていくんだと思う……」


「……見つかる……かな……?」


 ハルカの不安げに揺らいだ呟きが、風にのまれて消えていく。


「見つかる。──必ず!」


 龍樹は力強く頷いた。


「俺はハルカのことが好きで、守りたくて……。だから、これからを生きるハルカのそばに、この物語を置いて欲しい。世界から疎まれ、半身でもある鍵を失った妖精のクルスが、大切なものを見つけ世界に奇跡を起こす物語を──」


 これは、孤独を救う物語だ。


(どこにいても、俺の心はハルカのそばに在るから)


 だから、哀しい覚悟なんてしなくてもいい。心を冷やす雨からも、守ってるみせるから──。


「ありがとう龍樹くん。……ありがとう、大事にするね……」


 ハルカは受け取った封筒を、ぎゅっと胸に抱きしめる。それから「失くしたものが形を変えて戻ってきたよ」と言って、ひとつ涙を零した。


 天頂にある太陽は動きを止めず、少しずつ傾いていく。

 もう虹は見えない。


 けれど心を癒す潮騒の音色が二人を包んでいた。





 東京に戻ってきた龍樹のもとに、一通のメールが届いた。

 親友のキースからだった。

 すぐにメールを開き目を通した龍樹は、その内容に愕然とする。


「夏樹が、倒れた──!」


 冷たい汗が背中を流れていくのが分かった。

 夏樹は、龍樹の弟だ。

 生まれつき身体が弱い。免疫力が人より低いため、ちょっとした風邪ですら他の病気を併発することもある。

 しばらくは予断を許さないだろう。

 キースのメールでは、夏樹はそのまま入院することになったらしい。


「くそ……、こんな時、俺は何も役に立たないなんて……」


 すぐに駆けつける事が出来ないのが悔しい。

 龍樹はすぐに荷物をまとめる。無論、夏樹のもとへ、家族のもとへ帰るためだ。

 幸い仕事はどこにいても出来るし、取材の予定も入っていない。

 何かあっても担当編集の深山アカリがどうにかしてくれるだろう。


 ──もしかしたら、タイミングなのかもしれない……。


 ふと思う。

 龍樹が日本にきたのは作家になるためだ。

 そして都築ハルカと再会し、想いを伝え、彼女のために物語を書いてそれを託した。

 龍樹ができることは全てやった気がした。


(もう、日本にいる理由も無いかもな……)


 大事なものが終わりを迎えた気がした。

 

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