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同じ空の下、二人が想うこと⑤

 病室に行くと、岟里は昼寝をしていた。

 この時間帯──昼食のあとは、岟里はよく昼寝をする。

 入院生活は退屈で、時間を持て余す。

 病室はカーテンで仕切られている大部屋で、岟里の他にも入院している者が二人いた。

 カーテン越しに、隣からはボリュームを抑えたテレビの音が聴こえてくる。逆にそれが、この入院生活の息苦しさを物語っているように思えた。

 ベッドのそばに備え付けられている戸棚に、ハルカは持ってきた着替えのパジャマや下着、タオルをしまっていく。次いで、使い終わったものを家で洗濯するために集めていく。

 気配を感じたのか、岟里が身動ぎをする音がした。


「起こしちゃった? ごめんね……」


 薄っすらと目を開けた岟里に、ハルカは小さな声で話しかける。

 ハルカの姿を見留めた岟里は、何も言わず、ただ気怠げに息をついた。


「──渉さんに会ったよ……」


「そう」


 ハルカから目を逸らし、岟里は素っ気なく答えた。

 ──胡乱な瞳。まるで「お前には関係ない」とでも言うように、声音も冷たい。

 しかしその表情はどこか寂しげに、ハルカに目には映った。


(お母さんだって、渉さんに情はあったはず……)


 恋人では無くとも、渉と岟里は短くない時間を共に過ごしてきた。

 その時間の分……きっと思うところもあるはずだ。岟里の表情は、複雑な感情の色を孕んでいるように見えた。


「……定之さんは?」


 今度は岟里が口を開いた。


「お父さんは、今夜は会合があってこれないんだって。残念そうにしてたよ。でもお母さんが退院するのをいつも楽しみにしてる……」


 岟里がほんの少し目を細めた。

 ──嬉しそうだ……。

 定之の話しをすると、岟里の表情が優しくなる。


「じゃあ、私は寝るから……」


 岟里はふたたびベッドに横になり目を閉じる。


「おやすみなさい」


 なるべく音を立てないように、ハルカはベッドのそばにあるパイプ椅子に腰を下ろす。

 やがて規則正しい寝息が聞こえてくる。

 岟里は一時間ほどで目を覚ますだろう。いつものことだった。

 ハルカはバッグから数冊の本を取り出す。一冊は膝の上に乗せて、他は棚の上に置いた。

 ハードカバーの表紙を優しく撫でる。

 何度も何度も読み返している、龍樹が書いた物語──。

 龍樹の書く物語は、ハルカを優しい気持ちにさせてくれる。


 ──龍樹自身もそうだ。


 彼といると、ハルカは自分が大切にされているのだと感じることができた。

 そして龍樹の物語は、ハルカにとって心の慰めで、{拠}(よ)り所でもあった。

 心の痛みを切実に切り取った文章は、まるで彼自身の世界を見ている{様}(さま)が窺えて、時折、切なさを感じる。けれど……切なさすらも包み込む優しさが龍樹の物語にはあった。

 じんわりと、ハルカの中に優しい熱が生まれてくる。


(──龍樹くんに好きだと言ってもらえて、幸せだった……)


 龍樹は将来、もっと注目される作家になるだろう。

 ハルカは思う──。

 育ちも、生活も、そして周りから見たら、人としての品位が……自分と龍樹とでは全くと言っていいほど違いすぎる。

 いくら好きだとしても、龍樹の隣にいることなど考えられない。


(だけど──私も龍樹くんの幸せを願ってるよ……)




 次の日の朝。

 ハルカはいつものように、定之と朝食を囲む。

 昨晩、定之は会合で夜遅くに帰ってきたようだ。

 お酒をずいぶん飲んだようで、二日酔いだと苦笑いしながら味噌汁をすすっている。


「あの……実は昨日、コップを割ってしまったんです。すみません……」


「コップ?」


 おそるおそる謝罪をすると、定之は特に怒った様子もなく、逆に笑顔を見せたのでハルカは安堵する。

 しかし──


「ああ、いいよいいよ。岟里が退院したら、二人で新しいのを買いにいくから」


「二人……」


 二人とは、きっと岟里と定之のことだ。

 ハルカは、自分の心が曇ったのが分かった。

 ──何故、そこに私はいないのかと……。


「こんな家だけど、少しでも岟里の好みに合わせたいからね。やっと二人でいられるんだ。この歳で新婚ていうのも少し恥ずかしいが……」


 定之がまた嬉しそうに笑った。

 ──そこでハルカは、唐突に理解に至る。


(そっか。やっとわかった……私の気持ち……)


 そしてそれを確かめるように、ハルカは定之に問う。


「お父さんは、私のこと……どう思っていますか?」


「なんだね、急に」


「聞いてみたくなったんです。私、ずっとお父さんはいないものだと思っていたから……。だから、お父さんがいてくれて嬉しかったんです」


「もちろん私もだよ、ハルカちゃん。岟里が、私との子供を一人でも産んでくれたのが、とても嬉しかった。そして岟里が立派に子供を育てていたのだと知って感動した……」


 定之の言葉に、ハルカは力無く微笑みを浮かべた。


(──答えになってないよ……お父さん)


 でもそれも仕方のない事かもしれない。

 ハルカは自分でも気づかぬうちに求めてしまっていた。


 ──子供として愛されることを。


 だから苦しいのだ。哀しくなるのだ。

 定之に親として、温かく自分を見守って欲しいと思ってしまった。

 実の子供だからと、愛されることが当然と思ってしまっていた。


 ──しかし定之が一番に大切にしたいと思っているのは岟里だ。


 ハルカという存在は、岟里の持ち物のようなもの。あるのは血の繋がりだけで、共に歩んできた歴史は無い。

 手取り足取り、庇護が必要な年頃であったならば、また違ったかもしれないが、ハルカは大人だ。親の愛情を求めるのではなく、自立し、自分が家族を作っていくのが自然だ。


(──求めるのは止めよう……)


 そうしなければ、得られない愛情に、これから先も勝手に傷付いてしまうだろう。

 いっそのこと、岟里が退院して落ち着いたら、家を出たほうが良いかもしれない。


(なんだか、寂しいな……)


 まるで、冷たい雨の降る夜に一人きり取り残されたような気分だった。

 暗くて、心が冷たくて、未来も見えない……。

 泣いてしまいそうになるのを、ハルカは唇を噛み締め、必死に耐えた。


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