同じ空の下、二人が想うこと④
昼過ぎ。
掃除や洗濯を終えると、ハルカは岟里が入院している病院に向かう。
病院へは徒歩で行ける距離だった。
家から近い場所に入院先を決めたのは定之だった。
着替えやタオルの替えなど、身の回りのものや、ペットボトルの飲料水やお菓子なども今日は持っていく。
岟里は事故に遭ったが、怪我はもうほとんど治っていた。
危惧されたのは、事故の時に頭を打ったことだ。
事故のショックもあり、入院当初は意識はあっても虚ろにしていたり、うまく言葉が出てこない時もあった。
だが最近ではそれも無くなり、次の検査で異常が無ければ、来週には退院できるようだ。
ハルカは安堵し、定之は待ちきれなさそうにカレンダーを見ていた。
病院の前まで来ると、ハルカは自分の目を疑う。
何度も目を瞬き、そこに立っている人物を確認する。
「──見間違い……じゃないよね?」
こんなところにいるなんて、と信じられない面持ちで見つめていると、向こうもハルカに気付いた。
「ハルカちゃん! 久しぶりっ!」
「やっぱり、渉さんだ!」
海風に金色の明るい髪をなびかせ立っていたのは、ハルカがよく知る男──渉だった。
予期せぬ再会に、懐かしさがこみあげてくる。
「びっくりしました……、お母さんに、会いにきたんだよね?」
「そうそう〜。──そして、こっぴどく振られたってわけ……」
振られたにしては、渉の表情は秋晴れの青空のように清々しく見える。
──けれどハルカは知っている。
渉がどれほど岟里のことが好きで、岟里のことを守ろうと献身してきたかを……。だから渉の笑顔の裏にある哀しみを思うと、ハルカの胸は痛くなった。
「……ごめんなさい……」
「そんな顔すんなって。俺は大丈夫だからさ……。岟里さんが幸せそうでホッとした。それにハルカちゃんにとっても良かったんじゃね? これからは安心して暮らせるじゃん」
「──……うん」
「お父さんとは、どう?」
「大丈夫。ちゃんとうまくやってるよ。ただ……」
「ただ? なんかあった?」
ハルカは目を伏せた。
──この気持ちを言葉で表すのは難しい。
定之との関係は問題は無い。
岟里のことを大事にしているし、ハルカの生活の面倒も見てくれる優しい人だ。
仕事も真面目で浮ついたところもない。父親として恥ずかしくない人だ。
(だけど、私のことを……)
「お父さんは、お母さんのことしか見てない。私のことは、お母さんのオマケ程度にしか思ってない……」
言葉にしたら、自分が甘えたがりの子供みたいでハルカは少し後悔した。
「そんな。だって本当のお父さん……なんだろ?」
「そうだけど。私の事には興味無いんだと思う」
「う〜ん……。今までずっと離れていたわけだから、どう接していいか分からないんじゃないか?」
「……そうなのかな?」
渉の言う通りだったら嬉しい。
(いつも、お母さんの話ばかりだから……)
でも、もしかしたら変わっていくのかもしれない。
岟里が退院して三人で生活をするようになって、時間が経てば……。
(──そうだ。渉さんだって、最初は私のことなんか見向きもしなかったのに、今ではこうして話が出来るようになったわけだし)
渉もはじめは岟里の事が一番大切で、ハルカには見向きもしなかった。
──けれど今は違う。
渉はハルカ自身にも目を向けてくれるようになった。ハルカの好きなものに興味を示し、いつしかハルカの生活の一部に、渉という存在は染み付いていった。
「ハルカちゃん、何かあったら力になるから言えよな……」
「渉さん……ありがとう……」
ハルカは微笑んだ。渉の言葉が、強張っていたハルカの心をほぐしていく。
二人の間に漂う懐かしい空気感。
東京で過ごしていたのは、ついこの間だというのに、今はもう遠い昔のことのように思えた。
「忘れんなよ。ハルカちゃんは一人じゃない。ハルカちゃんの事を大切に思う奴は、たくさんいるんだからな」
「うん!」
──そうだ。ハルカ自身も大切だと思える人に出会えた。
渉に、深山アカリ、それに……。
ハルカの脳裏に、龍樹の顔が浮かぶ。
龍樹は特別だ。龍樹の書く物語も……。
最近では病室で持て余した時間に、龍樹の本を読んで安らぎを得ている。
ハルカにとって無くてはならない存在──それが龍樹だ。
好きだと告げられて、本当はすごく嬉しかった。ただハルカは自分の身の程を理解している。
(──出会えて良かった思える人が、私にはたくさんいる!)
心の中が少しだけ晴れやかになった気がした。
「渉さん、今まで私達のそばにいてくれて、本当に有難うございました……」
ハルカの言葉に、渉は笑顔でしっかりと頷き返した。
最後まで岟里の幸せを望んだ渉。
(今度は、渉さんが幸せになれますように──)
ハルカは心の中で願う。
ふたたび彼が誰かを好きになった時、今度こそ寄り添って生きられるように。
渉が、去り際──ハルカにこう言い残した。
「今度の土曜日。十三時──駅でハルカちゃんを待ってる人がいる」
「──……私を待ってる人?」
ハルカは首を傾げるが、渉はそれ以上、何も教えてはくれなかった。
けれど微笑んで頷く渉の様子を見れば、きっと「大丈夫」ということなのだろう。
ハルカの胸に微かな予感が灯る。
(私にも会いたい人がいる。もしも、その人だったら……)
少しだけ期待してしまう自分がいた。