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君の心に降る雨②

 陽が傾いてきたとはいえ気温が高い季節で、走った龍樹の身体からは一気に汗が噴き出してくる。 

 たどり着いたのは、古びた平屋のアパート……。

 ハンカチで顔の汗を拭いながら、表札を頼りにアパートのドアを叩く。

 ハルカがこのアパートに住んでいるのは小学の頃から知っていた。実際に来たのはこれがはじめてだが。


保志(ほし)です。……誰かいませんか!」


 中から微かに物音がした。


(ハルカか……いや、もしかしたらハルカの母親が帰ってきているかもしれない)


 龍樹は安堵する。

 しかし、扉を開けて姿を見せたのは全く別の人物だった。


「あんた誰? ここに何の用だ?」


 警戒心を剥き出しにした表情で龍樹を睨む男──髪の毛は脱色した金色で、体型はスラリと長身でモデルみたいな容姿している。


(聞きたいのはこっちだ……。何者だ? 俺より少し歳上だよな。まさか……)


「ここは都築さんの住まいで、間違いないでしょうか?」


 龍樹はもう一度表札を見てから、男に向かって言った。


「──そうだけど。あんた、何? 見たかんじ普通の人っぽいけど、何かの勧誘? それとも実は取り立て屋とか?」


「どちらも違います。俺はハルカさんの友人です」


 きっぱりと否定し龍樹が言うと、男は「ふーん」と眉を寄せ、さらに半眼でじろりと睨みをきかせてくる。


「ハルカちゃんの友人? 本当に? いつ友人になったわけ? 悪いけどここ数年、ハルカちゃんには一緒に遊ぶような友人はひとりもいないんだけど──」


 男がたたみかけるように言葉を投げてくる。

 その口ぶりは、龍樹を不審者とみなしているようなものだった。


(疑われるのも無理ないかもしれない……)


 身内が行方不明の時に、見ず知らずの他人がやってきたら、怪しいと疑ってしまうだろう。

 目の前の男は、龍樹を相手に威圧的な態度を取りながらも、どこか必死な様子が窺えた。

 ──まるで、大切なものを守ろうとしているように。

 必死な瞳……。外見は浮ついた印象があるが、瞳に宿るものは誠実だ。

 龍樹はこの男が誰か知らない。けれどこの男はハルカの交友関係まで把握している。きっと近しい間柄なのだろう。

 強い眼差しを向けられて、龍樹は己の心がしぼんでいくのを感じた。

 汗をかいた身体が急速に冷えて、頭も冷静に物事を処理しはじめた。


(俺がいなくても大丈夫かもしれない……)


 ハルカには、ちゃんと傍にいてくれる人がいるようだ。ハルカのピンチに駆けつけ、身の安全を守ろうとしてくれている者がいる。

 ──この男は、ハルカの恋人かもしれない。


(ハルカがひとりじゃないなら、それでいい……)


 このまま、この男に任せたほうが良いかもしれない。身の潔白だけは証明して去ろう。


「変な誤解をされたくないので正直に言いますが、俺はハルカさんと同級生で作家をしています。ハルカさんの働いている出版社に俺もお世話になっているので、そこの上司がハルカさんを心配して様子を見てくるように頼まれたんです」


「同級生で、作家? ……あっ……」


 男が何かに気づいたように声を上げる。


「──もしかして、星樹(セイジュ)?」


「はい。星樹は、俺ですが……」


「最近、ハルカちゃんが読んでるから……」


 さきほどまでとは打って変わり、男は警戒を解くと笑顔を見せた。


「ハルカちゃんが夢中になって読んでるから、気になって聞いたら、同級生が書いてるんだって教えてくれたんだ。俺も読んだけど面白かったぜ……」


「有難うございます。そう言ってもらえて嬉しいです」


「悪かったな疑っちまって……。岟里(えり)さんのこと聞いて、心配して来てくれたんだろ?」


 岟里──というのは、きっとハルカの母親のことだろう。


 龍樹は首肯する。


「はい。行方不明だと聞いて……警察には?」


「昨日、捜索願いは出してきた」


 男は表情を曇らせ溜息をつく。俯いたその様子が、どこか痛々しく、哀しげに龍樹の目には映った。


「それで、ハルカさんは? 何度か電話してるんですが、全然出なくて……。こちらにいますか?」


「いや。ハルカちゃんなら岟里さんが行きそうな場所を片っ端から探してる……そういや、帰ってくるの遅いな」


(ということは、ハルカは今、ひとりなのか……)


 龍樹は眉をひそめる。


「──あなたは、一緒には行かないんですか?」


「え? 俺?」


「そうです。ハルカさんが心配じゃないんですか? きっと心細いはず……」


 咎めるような言い方になってしまった。


 ──ハルカの事を大切に思っているなら、こんな時にどうしてそばにいてあげないのだろう。

 恋人なら、まして放っておけないはずだ。

 龍樹だったら、都合が許す限りそばにいてあげたいと思う。

 男は少し驚いた表情をしたあと、静かに首を振った。


「ハルカちゃんのことを心配してないわけじゃない。けど……俺が一番心配なのは、岟里さんのことだ」


「──え?」


 予想外の返答だった。


「俺は岟里さんを待ってたんだ。絶対戻ってきてくれるって信じて待ってるんだ。俺にとって、特別なのは岟里さんだから。──歳も離れてるし……全然俺のこと相手にしてくんないんだけど」


 そう言って目を伏せた男は、力無く笑みをこぼした。


(ハルカの、恋人じゃないのか……)


 この男が心を寄せているのはハルカの母親だった。

 これまで見せた警戒心も、守ろうと必死になっている瞳も、痛々しく見えた表情も……ハルカの母親の岟里のことを愛しているが故だったのだ。


「すみません……俺、勘違いしてたようで……」


「いいんだ。星樹さんは、ハルカちゃんのことが心配で来てくれたんだもんな……」


 そう、龍樹が心配なのはハルカだ。

 龍樹の心の中にいるのはハルカだけだ。目の前の男が岟里を想うように、龍樹はハルカの事を想っている。昔も今も、そしてこれからも龍樹は変わらずハルカのことを大切に想って生きるだろう。


「──学校にいるかもしれない」


「学校?」


「ああ、小学校だよ。ハルカちゃんが通ってた」


 知っている。龍樹も同じ小学校に通っていたのだ。

 ──けれど、何故そんなところに……。


「前にそこで見つけたことがあるんだよ。──確かあの時は、岟里さんと色々揉めて、俺もハルカちゃんを傷つける事を言ってしまったから、ハルカちゃんは家を飛び出していった。夜になっても帰ってこなくて、さすがにヤバいと思って探したら……小学校のグラウンドの片隅で泣いてたんだ」


「俺、行ってみます!」


「おう、頼むな。俺は谷地川(やちがわ)(わたる)。これから仕事に行かなきゃなんないから、もし何かあれば連絡してくれよ。──番号交換しようぜ」


「はい、お願いします」


 お互いに自分のスマートホンを取り出すと、携帯番号を教えあう。

 ふと、渉のスマートホンの待受画面が視界に入る。そこには渉と、渉より年齢が上の女性が並んでいた。


(岟里さん……か)


 ハルカの母親。そして、渉の想い人──。

 面差しが、親子なだけあって、ハルカととてもよく似ていた。



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