重なる「夢」④
「帰ってたのか……キース」
朝から仕事部屋にこもっていた龍樹は、昼過ぎ、休憩がてらリビングにいくと、そこでキースの姿を見つける。
「──タツキ、お疲れサマデス……」
「ああ、有難う」
龍樹は二人分のコーヒーを淹れると、ソファに座って本を広げているキースの隣に腰を下ろした。
「キースも飲むだろ?」
「アリガトウ」
キースが日本に来てから一週間が過ぎた。
二人で東京の観光名所をまわったりもしたが、龍樹にも仕事がある。四六時中、一緒にいるわけにもいかない。
キースはキースで、せっかく大好きな日本に来たからと、一人で色んな場所に遊びに行っているようだった。日本語で会話ができるから、龍樹も安心して送り出せる。
コーヒーを一口啜ったところで、キースが読んでいる本を見て、龍樹は少し驚く。
「お前も好きだよな。その絵本……」
「イエス! 『鍵をなくした妖精』──オレタチのバイブル!」
「……オレタチ?」
「オレと、ナツキ」
「ああ、夏樹のことか──」
確かに夏樹もこの絵本が好きで、読み飽きないのかと龍樹が不思議に思うくらい、繰り返し読んでいた。
「──だってコレは、タツキがナツキのために書いた物語」
「知ってたのか……」
「ナツキから」
「そうか……」
キースは夏樹の親友でもある。お互いのことを話す機会はいくらでもあっただろう。
──そう、はじまりは夏樹の為だった……。
龍樹が小学生の頃、生まれつき身体が弱く、病院暮らしが長い夏樹の楽しみのひとつになれば良いと思いついたのが物語を書くことだった。
龍樹がその当時、夢中になっていたのは、剣士や魔法士がパーティーを組み世界を救うために戦うロールプレイングゲームや、ファンタジー小説だった。
基本的な物語の書き方など分かるはずもなく、龍樹は自分の感覚頼りで、妖精が出てくるファンタジーの世界をつくり、そして自分が読んで面白いと思えるように書いた。
龍樹は、毎日少しずつ、物語の続きを夏樹に渡した。
──夏樹にとって、明日が怖いものじゃなく楽しいものになるように……。
「鍵をなくした妖精」が絵本になったことを一番喜んでいたのは夏樹だった。
そして……夏樹のために書いた物語が、他の誰かの心にも届くということを都築ハルカに出会って知った。
──今でも、この物語を大切に思う人がいる。
「あのさキース……」
龍樹は親友の顔を見ながら、少しの逡巡のあと言葉にする。
ついこの前から、自分の心に留め置いていたことだった。
「もしも、「鍵をなくした妖精」を小説にしたいと言ったら──どうする? 読みたいと思うか?」
「──!」
キースの明るいモスグリーンの瞳が大きく見開かれる。
ついで、二、三度瞬きを繰り返し、
「ヨミタイ! ヨミタイよ──!」
キースは興奮気味に声をあげた。モスグリーンの瞳が、心象を表すようにキラキラと輝いている。
「まだ……書くって決まったわけじゃ」
「ゼッタイ、ゼッタイ書いて──!」
「……俺も出来れば、書きたいって思ってる。深山さんにプロットだけは渡してきたんだ。この前の打ち合わせの帰りに……」
この前──新作の打ち合わせを終えた龍樹は帰り際、「いつか書いてみたい話なので、お時間ある時に深山さんの意見を聞かせてください」とだけ言って、プロットを押し付けて帰ってきた。
それを見たアカリがどんな反応をするのか、少し怖くもある。
「はやく、ナツキにも、教えてアゲタイ……」
「いつになるか分からないし、まして本にならないかもしれない。──でも……絵本じゃなくて小説として、この物語を完結させてみたくなったんだ」
簡略化され、体裁を整えられた絵本のままでは伝わらないこともある。
物語に込めたかったものを、今ならもっとうまく表現できるはずだ。それに何より……
『ねえ、龍樹くん。クルスは妖精の国に帰ったけれど、一人きりで心細くなかったかな? ちゃんと幸せになれたかな── ?』
ハルカの言葉で気付かされた。
まだ、この物語が完結していないことを。
「タツキ、日本で本にできないなら、アメリカで出せばイイ」
「それは無茶だろ……」
「ムチャ?」
「不可能ってことだよ」
「ノー! そんなことナイ! 出版社ならウチをつかえばいい。翻訳はナツキがする!」
「──翻訳……夏樹が?」
キースの意外な提案に龍樹は驚く。
「タツキの物語、世界中の子供タチに読んでもらうコト……オレとナツキの夢だから」
モスグリーンの瞳が真剣な色を帯びた。
(二人の「夢」が、俺の本読んでもらうこと……?)
「ナツキが言ってた。タツキの書く物語に、勇気をもらったと。いちばんツライときに元気をもらったと。救われたと……ナツキは言ってた……」
「──……夏樹が」
「ナツキはいつか、タツキの本を翻訳し、たくさんのヒトに読んでもらえるよう勉強してる。オレは、タツキとナツキの友達だから応援する!」
「キース……」
龍樹は思い出していた。
夏樹はいつからか、身体を動かせないかわりに何かに打ち込むようになっていた。本もよく読んでいたし、学校に満足に通えない分、一人で勉強も頑張っていた。
そんな夏樹の姿を見て、龍樹は安堵していた。制限された自由の中で、夏樹が夢中になれるものがあったのだと。
──もし、それが龍樹の物語を世界に出すことなのだとしたら……。
「──……っ……」
胸の奥が熱くなる。
日本にまで会いにきてくれる親友のキースの想いと、夏樹の抱いた夢。
「俺、頑張るよ……」
「ゼッタイ、実現させよう!」
「ああ、そうだな!」
すぐには無理だとしても、目標を見失わずに進み続ければ、いつか叶う。
龍樹はそうやって生きてきた。
作家になることを諦めずに頑張ってきた。
だからきっと……夏樹の夢も、誰一人、欠けることなく願い続けていれば、叶えることができるはずだ。
(──まずは俺が前に進むこと。作家として、目の前の仕事を成功させていくことからだ)
龍樹は心の中で、改めて決意をかためた。